創造主はどのように?

文字数 3,998文字

未だその明確さは定かではないが、インフレーションからビックバンに始まり、今この時も広がりを続ける宇宙が始まって、約138億年。地球が誕生して、約46憶年。そのような途方もない時空の歴史から言えば、人類の歴史はたかがその産声を上げて、700万年だ。アフリカで誕生した人類の祖先はその後多数に枝分かれし、時には繁栄し、時には滅び、時には互いを愛し合い、時には競争し合いながら、その歴史を着実に紡いできた。
 ホモ・ハビリスやホモ・エレクトスなど様々な進化の最終ランナーとして選ばれたのが、〈ホモ・サピエンス〉であった。彼らは銀河のように脈絡と続く人類史の中で、唯一地球全域に勢力を伸ばし、それまで地球上には存在しえなかった多種多様な文明を築き上げたのだ。
 彼らが文明を持つに至ったのには、まず言葉の存在は何物にも代えられない重要な要因であった。モノの初めは、他の動物たちと変わらない鳴き声のような拙い擬音語であったのだろう。  
 その頃はまだ二息歩行を活かしたジェスチャーやアイコンタクトがコミュニケーションが主を占めていて、鳴き声は現在から比べれば、象とアリほどの差があった。しかし、たまたま発見した武器という存在がその状況を一変させる。
 動物の歯や骨、鋭利に尖らせた石を用途に応じて使用するようになったのだ。これは彼らの地位を格段に押し上げ、食生活を変化させた。肉食動物に震え怯えていた野蛮な日々から安定してーそれでも狩りは安定していたわけではないー食肉を確保できるようになった。狩る側と狩られる側の立場が逆転した。
 安定した肉食生活は身体的にも、精神的にも、人間を昔と全く異なった構造に進化させた。肉は柔らかいため、それまで木の実や草を磨り潰していた出張った巨大な歯は無用の長物となり、代わってこじんまりとした、自己主張に乏しい歯になりを変えた。歯が小さくなると、それに合わせて骨格も後ろへ引っ込み、口内周辺に多様な音色を響かせるだけの空間が生まれた。こうして言葉獲得への道のりに微光が刺したのだった。
 言葉は、石や羊皮紙、パピルスなどの記録媒体と共に、一世代で忘れさられるありとあらゆることを後世に効率よく伝える武器であった。知識の蓄積は、新たな知識を生み、知恵の領域を格段に押し広げた。それに伴い、人間の脳は探求者の脳へと様変わりした。
 そして言葉は、生息地域により多様な変化を見せた。それは人間社会の広がりを表していた。彩り豊かな言語は、人間に集団意識を植え付け、より組織的に、より排他的に人類を進化させた。感情はより率直に、より曖昧に、より複雑に、表されるようになった。
 人類誕生以来一番長く人間のそばに従えてきた言葉が、人間の従者に見えて仕方がないが、使用する当人が愚かで無知であった場合、否応なく主の弱点を突き、あっという間に支配をしてしまう。もし狡猾で意地の悪い人間が利用するのであれば、情熱的に多くの無知を扇動し、自在に操る非道もできる。
 使用者が聡明でなければ、従者が叛逆していることにさえ気づかない。言葉は、人間に隷属しているように見せかけて、その実いつ如何なる時も、虎視眈々と主への叛逆を狙っているのである。


―中央暦400年―

 男が殺風景で真っ白な個室に入っていった。部屋はちょうど球体で、一定の方向に一定の速度を保ったまま回転している―実際のところは球体部屋の外装も奇妙なほど真っ白なので、回転しているかどうかさえ怪しいのだが―。球体は回転している外層と静止している内層の2層から成っている。まるで卵の白身と黄意のような関係性を持った球体である。その球体の内層側を半分に切るように彼の立つ地面があり、回転に左右されない安定性があった。
 彼の入ってきた通路から部屋までは、部屋が回転する力で簡単に折れてしまいそうな細長い直線通路が繋いでいる。
部屋に入るなり、彼は決まりきった制服のバッジを外し、入り口のすぐ左側にあるカードホルダーに差し込んだ。照明が早暁のような薄暗さから、朝を告げる日が昇ったように部屋全体が明るくなった。
彼が口には出さず「コーヒー」と唱えると、一番身近な内壁が開き、殺風景な部屋に申し訳程度に彩りを加えようとしてるように、コーヒーが並々注がれたカップが提供された。
(少しで構わないのだけど・・・)
 彼が愚痴をこぼすまでもなく、並々あったコーヒーが3分の1に減っていた。心を覗かれた気がして、彼はいつものように少しブスっとした表情でコーヒーを受け取った。もう慣れ親しんでも良いほど体験したこの現象だが、いつも不快感を覚えてしまう。コーヒーの仄温かさを左手に感じながら、部屋の中央へ歩き出した。コーヒーの漆黒な湖面には、生粋の白い部屋がありありと反射されていた。
 彼が中央付近にたどり着く前に、まず真っ白な椅子が忽然と現れ、彼のお気に入りに変色した。まるでアリの連帯が互いに手足を取り合い寄り合わさっていくかのように、細々とした無数の何かが音もなく地面から這い出て、立派な芸当を見せた。
 次に彼が席に着くと、再び同じ様相、同じ工程を繰り返して、音もなく机が完成した。こちらもまた彼のお気に入りに変色した。一方、彼はコーヒーを啜りながら、見慣れてはいるものの相変わらずの不気味さだと、コーヒーの不味さと一緒に、苦い表情を吐き出した。
ひとしきり不味いコーヒーの余韻に浸ったところで机の右端に置き、そのまま間隔を開けた両手を机に載せた。何もない机上に半透明なスクリーンとキーボードがブィーンという不快な音を鳴らながら出現した。
 再び不気味な感覚が彼を襲い、脱水を試みる子犬のように少し身震いした。何かが忽然と現れ消える奇妙さは幽霊にも思えるが、知識がありすぎるため、明らかに愚かな考えだと切り捨てるだけの懸命さが、彼にはがあった。
 「さて、じゃあ。」と誰に言うでもなく独り言ち。本当はキーボード操作の他に、思考読み取り型の入出力方法もあるのだが、昔ながらのキーボード操作に慣れてしまっているのと、脳内を覗かれていることが嫌いなためーと言っても入室した時点で監視されているのだがーこちらの方法を採用している。
 部屋に机を叩く音が響く。傍から見ると、リズムを刻み音楽を奏でているようにも見える。スクリーンに映し出されたメニュー画面から〈第12研究ファイル〉を開き、システムを起動した。動作音もなく、味気なく真っ暗な画面にポップ体で「起動中」の文字が映し出される。これは、少しでも彩りを加えようとした彼の試行錯誤の末のポップ体であった。再び彩りを失い、少し真っ暗な画面が続くと、とうとう目当てのメニュー画面が開かれた。彼は中央に大きく陣取る「-世界創造-開始」のアイコンを力強くタップした。

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 言語誕生以来、ビックバンのような急速で恒久的な人類の発展は、とうとう新たな段階へと足を踏み入れていた。―第2の言語とでも言おうか。―その発明は、コンピュータの発展と共にあった。いわゆるプログラミング言語だ。人間の言語をコンピュータの言語に翻訳する様は、英語を日本語に、日本語を中国語に翻訳するのと、本質的には何ら変わりのない行為である。この言語は人間の可能性を、仮想の世界を大いに広げた。恐らく人間が作ってきたモノの中で、最も巨大な代物だろう。
 とうとう世界を作り出すにまで至ったのだった。
 
 部屋の景色が変わっていたことに気が付いたのは、彼が作業を始めてから3時間ほど経った頃だった。物事を始めると、周囲から完全に切り離された自分の世界に入ってしまうのが、生まれつきの彼の性癖だった。彼自身はこのことでよく悪い思いをしてきていたが、そのおかげでここにいることができるのは案外幸いなことなのかもしれないと、自嘲気味に自分の欠点へ肯定を差し伸べるのが、常だった。
 生粋の真っ白からモノトナス調のお馴染みの風景に部屋が変わり心が落ち着いたのか、彼は薄黒褐色の跡と不味いコーヒーの香りがほんのりとへばりついたカップに手を伸ばした。机の保温機能のおかげで、壁から取り出した時と同じほどの仄温かさを感じる。少しの間内装を見渡しながら、網膜投影機能によって自分だけにしかこの景色が見えていないという事実に、認知の奇妙さを感じていた。
 彼の左手には背丈より僅かに高い木製の本棚。そのすぐ右の壁には極薄なテレビが掛けられている。更衣室兼衛生室―洗面所とお風呂場とでも言おうかーへと続く壁は彼の背面にあり、そして入り口との丁度中間あたりに、この最新機器を取り揃えた最先端の部屋には似つかわしくない、円盤式のレトロな音楽プレーヤーが置いてある。これは彼の趣味というよりかは、叔父からの生前の贈り物、つまり形見なのだ。
 一通り部屋をグルグルと見渡して正面を向くと、そこにはちょうど快眠を誘う素晴らしい見た目のベットがあった。洗礼された藍色のそれは、今の彼を誘惑するのには十分すぎる魅力を有していた。しかし、いつの間にか新しく注ぎ足されていた不味いコーヒーを一気に飲み干し、未練がましく気を紛らわせた。そして物理的にも、精神的にも目の前に立ちはだかる問題・・・そう、そのスクリーンに映るプログラムのコードの山を解決すべく、彼は再び机上で生命のハーモニーを奏で始めた。
 今まで書き込み修正したこの途方もない量のコードの、さらに数十倍のコードを彼が書き終えたのは、それから1年後のことであった。
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