変化の代償―生きる者と死ぬ者―

文字数 3,948文字

「もう・・・行くのですね。」
 「ああ・・・・。祖国の・・・いや我が一族のためだからな。」
 発進の準備で猛烈な突風と轟音をまき散らす巨大な宇宙艇を背にして、2つの大小のシルエットが、ほどよい間隔を保ったまま、口元を動かしている。
 「すまない・・・。俺は君に何もしてやれなくて。」
 本当に申し訳なさそうに苦渋の表情を浮かべる男に、女が少し近寄り、そっと優しく頬に手を差し伸べた。
 「何を言うのですか?あなたは私の誇りですとも。」
 まるでどこかの物語で聞いたことのあるような出来合いの言葉を並べたような会話さえも、今の2人にとっては、自然と口を吐いた最後の言葉だった。
 「ありがとう、そういってくれて。救われた気分だよ。」
 男の声音は少しずつ震えを持つようになった。そうして少しの沈黙が訪れた。
 この時。この最後の一瞬だからこそ、少しの沈黙が彼らにとっては必要だった。
 ただ聞こえるのは宇宙艇がまき散らすエンジン音と2人を覆う雨音だけ。突風が彼らの身体を包み込む。
さらに突風が吹く。2つのシルエットが互いに近づき合った。そして一つの大きな黒い塊になった。そこからはもう言葉はいらない。2人は互いの存在を確認し合うように、強く強く無言の会話を愉しんだ。

 どれほど時間が経っただろうか。彼らにすればほんの僅かでしかなかっただろう。また黒い塊が2つに分裂し、大きいシルエットの方が口火を切った。
 「たとえ!たとえだ。たとえ、君が僕を忘れてしまっても、君が君でなくなってしまっても、宇宙のどこに居ようとも、決して!決して俺は!!君を忘れはしない!!必ず、必ず!俺は生き残って、それで・・・・それで君を見つけ出して見せる!本当だ!これは約束だ!絶対!絶対なんだ!!」
 男はいつもの冷静さを欠いて、瞳には大粒の涙を湛え、何度も何度も同じ言葉を、強く、ひたすらに強く、言い放った。まるで目の前にいる女に伝えているのではなく、未来の自分に対して、今の自分に対して、戒めるように言っていた。言葉は時空を超える。まさにそのように、男は何度も同じ言葉を刻み込んでいた。
「ええ、きっと。きっとそうしてください!私も・・・私もあなたを忘れません・・・もし忘れてしまっても、それでも・・・・必ず忘れません!生きているとずっと信じます!きっと戻ってくると・・・私のとこに戻ってきてくださると。それでいつものように笑顔を見せてくださると。宇宙のどこにいようとも、いつまでも慕っております・・。必ず・・・必ず・・・・。」
 男に呼応するように女の目頭も熱くなり、震える声がときどき裏返っていた。
 「住民のみなさん、もうすぐ宇宙艇の出発時刻となります。至急最寄りの搭乗口より、ご乗船ください。」
 無機質な声が二人に鳴り響く。あたりは彼らのような人々でいっぱいであった。まるで三途の川の船を見送るように。まるで戦場に赴く艦艇を見送るように。

 「じゃあ子供たちやばーさん、じーさんのことを頼んだぞ。運が良ければ・・・・いや絶対に、皆とは一緒のところに住めるように俺から計らおう。」
 「ありがとうございます・・・きっとみんなを支えて生きて見せます。なのでどうかあなたも生き抜いてください・・・約束ですよ?」
 「わかった。約束だ。必ず生き延びよう。だから一族みんな生き延びろ、いいな。」
 二人の見つめ合う眼光は真剣そのものであった。周りの家族もみな会話を交わしている。
 妻以外との会話はすでに済ませていた。妻の後ろで待っている家族たちにも、最後に一言つげ、子供らを抱き上げたところで、船員たちの催促がやって来た。
 そうしてとうとうそれぞれのシルエットが、別々の方向へと進んで行ってしまった。最後、ほんの僅かの姿が確認できるほどに離れてしまったところで、男と女は互いに背を返し向き合い、男には到底真似できない深い笑みを女は浮かべ、男はそれをただただじっと見据えていた。女は終始深い笑みだった。女の強い意志がそうさせていた。だが少しの感情の揺さぶりでそれが崩れ去りそうになる。幾度もその狭間を行き来しながら、とうとう笑みが涙を含みそうになると、女はそれを隠すように少し頭を下げた。そして無情にも女のいるハッチが重い音を奏でながら、ゆっくりと閉まっていった。とうとう閉まる頃には、男も涙を耐えることが出来ずにいた。彼にしては珍しいほどの泣きじゃくりだった。遠い宇宙のどこかを見据えたように、真上を向いて、子供のように。
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 ソマーは清く正しい、そこらへんのどこにでもいる、正義漢だった。清廉潔白で包容力のある男子に、恋仲の誰かが居ないのは、まずありえないことなのだろう。彼にももちろん、恋人がいた。彼女の名前は、「オルタ」。しっかり者で、その美貌たるや、街一番と親しまれるほどであった。
 彼女と彼の関係は複雑なものではない。ただの小さいころからの知り合い、幼馴染の関係性から一歩踏み入ったそれへと、なぜかしら、移り変わった、よくある恋仲だった。そう、途中まではそうだった。
 こんなことにはなろうとは、彼も彼女も願ってもいなかっただろう。想像してもいなかっただろう。いつかは良いように結婚し、子供を授かり、順調に行けば子宝に恵まれ、平穏無事に育ち、二人ずっと一緒に、子供たちに囲まれながら、暮らしていくことが当然だと思っていたに違いない。だが、そうはいかなかった。
 雲行きが怪しくなり始めたのは、一子を授かったとき。それが確信に変わったのは、三子目のときだった。ソマー一家はこの時すでに、彼らの両親を含めると、8人の大所帯となっていた。
 戦争は、始まるときは一瞬で始まる。ソマーもそのことを経験した。それも急速に、目まぐるしく、変わってゆく。何もかも、昨日と今日とでは違った。明日は、たぶんもっと違う。本当に、そう体験したのだ。
 彼ほどの者でも、あっという間に変わってしまった。戦場を幾何かやり過ごし、束の間の休息を本土で過ごすたびに、彼の人格は、破綻の一途を辿っていった。
 まだ彼には、守るべき大義があったから良かった。それすらもなくなっていては、もう塵一片も、何も残らない。そういう戦きであった。
 戦いの片鱗が、本土の上空に見えるに至っては、ついに、彼は守るべきものを、手放す覚悟を決めざるを得なかった。
 天空を焦がす紅の轟音が近づくころに、多くの弱い者たちは別の成りに姿を変えた。無論彼らは、孤立無援。他の助けはないと考えるしかない。唯一の頼りは、信仰の対象であるトゥチュラ神だけだった。 
彼らは全く、一言に纏めてしまえば、数奇な運命とやらだ。もっとも使い古された、名詞と助詞のたった三文字だけの慣用句で、その壮大な悲運を言い片付けられたとした、彼らも本当に堪ったものではないだろう。
それほど悲惨だった。みなコインケたちは悲惨であった。そう、敗者は虐げられ、その発端や過程は顧みられず、勝者が結果を作り上げる。世界はどこも変わらない。アディムたちの世界であっても、それは同じ事だ。
 悲惨なのは何も死んだからではない。生きているからこそ、悲惨なのだ。
 コインケたちは多くは死んだが、しかし少なくともは生き残った。その中には、幸いなのか、それとも不幸なのか、ソマー一家も含まれていた。
 だが、誰一人というわけではない。老いた母と父とは残ることを選んだ。選ばざるを得なかった。
 そうして生きる者、死ぬ者が選別され、箱舟に乗り込んだ。生き抜くため。別の星へ逃げるため。
 逃げる手筈は、最悪の事態を想定して既に確立されていた。しかしそれがもっとも残酷な運命を告げる鐘だったとは。
記憶の消去、及び刷新。そして全身変貌。逃げ延び生き残ることを良しとされた者たちは、みなこの医療的な行為を受けなければならなかった。
 幸い、苦痛は共わない。新しい環境に適応するための、計算能力や言語能力、その他様々な技能に加え、新しい肉体と顔と声、そして都合の良い記憶を手に入れた。
 ソマー含めた他の、未だ戦闘に従事しなければならない者たちは、捕虜になったとき、逃亡者たちの情報がバレぬよう、漏らさぬよう、細心の注意が払われた。もう会えないのである。最愛の人が誰とも分からないのである。もし運が良く生きてであったとしても、たとえどこかの星の、どこかの街の、どこかの市場ですれ違ったとしても、赤の他人としか思えない。それはもしかすると、彼らにとっては素晴らしく良いのかしれない。ソマーたち、死を覚悟し、これから逃亡者を逃すため最善を尽くす者たちにとって。これはとても安心して、死を迎えられるやり方なのかもしれない。
 最愛の人たちは、彼らのことを覚えてもいない。何も知りもしない。ただどこか、きっとどこかの星の、どこか街の、どこかの市場で、今日の晩御飯の食材を買い、露店の店先で試食の珍味に舌鼓を打っているかもしれない。そう思うと、ソマーたちは安心なのかもしれない。ただ実際のところどうなのか。それが問題なのだ。
アディムも、またこの問題に葛藤していた。彼は全てを知っているが上に、ソマーたちの心の叫びも包み隠さずわかっているが故に、この悲劇はどれほどのものなのか、それが身に染みていた。
 彼ら、逃げる者たちは、今も安全な遠くの星の中立地で、安らかに暮らしている。ただこの極寒に喘ぎ、氷雪を貪る彼ら、戦う者たちのことなど、つゆ知らず。仕方のないことなのだ。彼らも、結局は被害者。何も知らないのは、どうしようもないことなのだ。
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