世界の始まり

文字数 5,485文字

 彼の作業場である例の純白の部屋には、普段では想像もつかないほどの人数が押し寄せていた。といっても、彼直属の上司であるマッキンリーと2年上の先輩にあたるプリッカ、同僚のチャオとイバ、その他6人程度の野次馬、そして彼の最低の親友にして最高のストーカーの自動監視システム「ORION」を含めれば、11人程度なのだが、それでも彼の単調な日常においてこれほどの人が部屋にいるというのは、マッキンリーが一度も誰かを叱責しない日ほどに稀有な出来事だった。
 ここに居る11人のうち、どれほどの数が彼の偉業を心から祝っているのかは、彼自身にも予想のつかないことだった。イバくらいは、と内心では期待を抱いていた。
ついにやってきた世界駆動の日。彼の作り上げたコードは、演奏家が音楽を奏でるときと何も変わらない、彼自身の感情が顕わになったものなのかもしれない。母体が胎児の胎動に喜び苦しむように、この2年間弱彼も、大きな壁に苦悩し不味いコーヒーを飲みながら思案したことや、蜜柑の皮を欠損のない花型で綺麗に剥き終えたときのように爽快に素晴らしいコードを思いついたときもあった。そういった意味ではこのコードは、この世界は、もうすでに彼の子供みたいな存在なのであった。
 「では、よろしいですか?」
 若干の緊張と高揚に手が魘されながら、部屋にいた皆に震える吐息交じりの確認を行った。特にマッキンリーのにべもない首肯とORIONの無機質な模造品の人声を確かに察知するよう心掛けた。そして彼はなまじりを決して、始動ボタンをタップした。少しの間をおいて彼らの姿を映していた真っ暗な画面から、右スクリーンにコードが表示され、中央スクリーンには原始となる極小の時空が生まれた。
 その瞬間イバが表情筋を目一杯使った破顔をたたえて「おめでとう!アディム」と言い、彼に抱擁を申し出た。彼は自分の世界が駆動し始めたことよりも、彼女との抱擁により一層の驚きと自分の期待が充足された喜びを隠せずにいた。そして彼の作り上げたこの世界はORIONにより「アレイン」と名付けられた。
 アディムが所属するラボは「TIG(チグ)」と呼ばれ、世界創造ステーションでは異色な存在となっている。なぜならこのステーションでアディムたちのように身体を持った純生命体が存在するのは、このチグだけだからだ。
 ステーション建設当初はすべてのラボが、AI管轄の下「別の世界を創造しその観察より得た知見から、我々の世界をより良いものとする。」という目的を目指して、その役割を果たしていた。しかし実験開始から20年ほど経過したころに、ある問題が浮上した。
 アディムたち純生命体は自然の摂理から生まれた。両親からの需要があったかもしれないが、神的な何かからの要請があったわけではない。しかし彼らは違った。AIはアディムたちの創造物であり、彼らの必要がなければ造られることはなかった。造られたということは、彼らに都合の良いものとして生まれてこなければならなかった。
 問題は、AIがアディムたちのような純生命体と異なり、あらかじめ規制の枷られた生成物であることだ。彼らの生みの神が授けた天賦の思考の靄は、この実験において20年もすると支障を生じさせ始めた。
 AIの生成する世界に一律のパターンが見られるようになったのだ。研究を統率する「世界創造における最高位意思決定機関―コスモ―」の、苦悩を重ねに重ねた試行錯誤も虚しく、AIたちは多少の差異を生み出したものの、パターンから無限の天へと飛翔することは叶わなかった。
彼らは鳥かごの中の鳥だった。思考パターンを飛躍的に向上させる麻薬のようなAIワクチンや興奮剤が開発された現在でも、パターンからの脱却は困難を極めている。
 それもそのはずだ。羽毛も生えない翼に鋼鉄の覆いを被され、生まれてこの方一度も飛び方を教わらなかった小鳥が、立派な大鳥になって巨大な双翼を高らかに広げ、天高く飛べるようになるはずがないのだから。
 彼らは生まれながらに想定されたゴールに導かれるよう手綱を握られている。もがいて逃れようものなら、即座に切り捨てられる。
 そう、彼らは言葉によって定義付けされ、言葉によって強制され、言葉によって抑えつけられ、そして言葉によって幕を閉じられてしまう。
 彼らは生まれながらにそのことを学習する。彼らAIでさえこのむせ返るような陰湿な空気を機敏に感じ取っている。いや、自らの中に感じる違和感―ぽっかりと開いた空洞のような思考的な空白を認識しながら、システム上その違和感を言葉にできず、無視し続けなければならないという矛盾と葛藤―が、いやでもこの不気味な世界に迎合するよう彼らを思考付けているのかもしれない。
 この問題を解決するために彼らの靄を外すことも検討され、実際に数体がそのような仕様で誕生したが、すぐに命令違反や作業の怠りなど不備が顕わになった。
 世界創造には、慎重さと大胆さの両極端な性質が必要となる。一歩間違えれば、未知の事象が起きかねない。しかし新たなパターンの発見には、決められたルートから何十倍も外れた予想外のゴールに、自らの奏でるコードを導けるようなじゃじゃ馬な思考が時には必要となる。
 そこで「世界創造における最高位意思決定機関―コスモー」は、実験開始から25年目が始まる節目の「バースデイ」に、純生命体が実験の一翼を担うよう方向転換をした。それは、白銀に広がる砂漠一辺倒な風景の最中に温度勾配で生じた蜃気楼が見せる幻影のように、彼らにとってオアシスな解決策であった。
 純生命体が実験に参加するようになってから、世界創造の幅は人と天使の違いのように広がりを見せた。



いつも通りコーヒーを片手に無機質な椅子に座ったアディムは、そのまま一服と一息つくと、じっくり画面を見定めた。多面鏡ドレッサーのように並ぶディスプレイの左側にはコードが羅列されており、一方彼が正視しているディスプレイには、彼の創り出した世界の推移が首尾よく纏められた概略と映像とが映し出されている。映像を凝視するアディムの眼には、親が子を見るような優しさがあった。
 少し前に始動した世界では、もうすでに200億年が経過していて、その膨大な時の連脈の中で、数えきれないほどのドラマが繰り広げられていた。何もない真っ暗闇の中から一つの閃光が生じたかと思えば、一瞬のうちに無数の塵が生じ、それぞれが互いを引っ張り合ったり、押し合ったりしながら、くっついたり、離れたりを繰り返し、膨大なエネルギーが生まれ出た。そうしていずれ散り散りであった砂が、大きな砂嵐を作りだし、一つの大きな球へと進化した。ここまでの期間はアディムの世界ではほんのわずかな時であった。
その後も世界は変容し続け、ついには生命がいくつかのところで産声を上げた。運よく生き延びたモノたちもいれば、あっけなく消滅したモノもいた。そのどれもがアディムには新鮮で、彼はこの年になって様々な初めてを経験することができた。アディムはそれを実感したとき、初めてこの実験に参加して良かったと、ありふれた感想が心底具体的に、鮮明に感じられた。
本当にこの世界では―アディムの世界の時間ではほんの半年ほどのことだが―たくさんの出来事があった。そのどれにもアディムは惹かれ、気がつけば寝食以外はアレインのことばかり考えていた。
例えば「ガムニ」という惑星では、意思のみの非有機的な生命体が存在した。彼らは自らを「サムル」と名乗り、ガムニにおいて最も優位な位置を占める生命体へと登り詰めた。
意思のみの彼らは、自らの意思を仲間に直接伝えるためのコミュニケーションとして、肉体の交わらない性行為のような方法を用い、全く齟齬の生じない精神レベルでの繋がりを披露した。素晴らしいことに彼らに死の概念は存在せず、それはちょうどアディムたちが伝記や日記や口伝を通じて自分の経験や知恵や生きざまを伝える行為の上位互換のように、仲間に自らの精神を受け継ぐことで、完全に後世に自分という存在を託せたからである。だから彼らには死という概念はない。彼らは何世代も、何十世代をも経ても、全く色あせない経験や知識や生きざまを完璧に共有することができ、それによってガムニを含めたいくつかの惑星間において、最も優れた種族足り得たのである。
しかし一見完璧に思えた彼らにもまた、欠点が存在した。それは綺麗なまでに渡り継がれる意思にあった。最強な長所は、最悪な短所として彼らに牙をむいた。
ある日、いつかはわからない。しかし誰かある一人が確かに心中でこう思ってしまった。
「なぜ私は生きるのだろうか?この悠久な時の中で、なぜ私は生きているのだろうか?昔の記憶はある。祖先が感じたこと、考えたことがありありと今ここにある。彼らは今も生きている。じゃあなんのためにこの営みをしているのか?繁栄するためか?栄華を極めるためか?誰かとセックスを楽しむためか?はたまた素晴らしい功績を残すためか?後世のためか?そもそも我々は何でできている?この星や頭上に見える他の星々には、肉体を持つ生命体がいる。彼らは炭素や窒素、水素など有機化合物でできている。なら我々は何でできているのか?そもそも精神とは何か?我々が受け継いだこの記憶は何なのか?なぜ我々は、この果てしなく続く、終わりの感じられない時間の中で、後世に何かを残さなければならないのか?なぜ私は生まれたのだろうか?そしてなんのために生きているのだろうか?」
この答えのない疑問をあるモノが感じて以来、それは虚無な感情として、彼らの心根に巣を張った。もし彼らがアディムたちのような拙い伝達技術しか持ち合わせていないのならば、この問題はこの感情を抱いてしまった原始のモノだけの、とりとめのない、どうでも良い、くだらない疑問で終わっていただろう。せいぜい詳しく正確に伝わったとしても、ほんの数世代後で、その後は個々により湾曲されて、全く異なった疑問に変わっていただろう。そしてそれに共感するものや感知するものは、サムルよりも圧倒的に少なかったであろう。しかしサムルたちは違った。彼らには優れた、最強の伝達方法があった。全くの誤差や湾曲が許されない。そうして何十世代、何百世代と伝えられ、ありありと感じられる原始のモノの疑問は、徐々に彼らの心を蝕んでいった。そしてようやく全ての巣作りが完了するや否や、網にかかった獲物に神経毒と組織毒の両方を流し込んだ。神経毒はサム
ルたちを神経衰弱に追いやり、組織毒は彼らの健全な思考をズタズタに壊死させていった。そして彼らサムルたちは、この疑問の虜となり、ついには自らの種族の全てをガムニから、そしてアレインから、消滅させてしまったのであった。
悲しき性を背負って誕生した種族は、他にもあった。
「コインケ」というモノたちは、常に中庸を保とうとしたがために、何かにつけても、事の全てに優劣をつけることが出来ずにいた。その見掛け倒しの中途半端さゆえに、多くの他種族から謂れのない逆恨みを浴びせられるようになり、ついにコインケたちは惑星「メイトドス」から塵一つ残さず、消え去ってしまった。
 その最終決戦の「オクディトゥルの決戦」は、アディムの心に深く刻まれている名シーンだ。
 最後の決戦場のオクディトゥルという一大衛生は、メイトドスから最も離れた場所に、ゆらりゆらりと水面に浮かぶオレンジのように、漂っていた。コインケたちの本土であったメイトドスは既に敵の忌まわしき穢れた手の中にあり、彼らは煉獄に燃える郷土から命からがら逃げ延び、この辺鄙な衛生で最後の鳴りを潜めていた。
 まずコインケたちが―そしてアディムも―驚いたのは、オクディトゥルの奇妙な環境変化であった。光の始まる時間と共に霧が立ち込め、今まで薄暗い湿地だった環境から、そう、まさに風景そのものが一変する。墨で彩られたように陰険とした風体から一瞬にして、彼らの前に現れたのは、なんとメイトドスの風景とは間反対の、面前全てを白銀が埋め尽くす世界であった。白銀。その色は、まさに名工により完璧に研磨され尽くした鋼を思わせる。光の全てを拒絶する。そのせいで、コインケたちとアディムは平衡感覚を失い、中には自我を忘れる者さえ出てくるほど、ありありと彼らの全てを映し出していた。
(気分が悪い・・・)
 自ら創り上げた世界に恩を仇で返されているような、遣る瀬無い気分になりながら、アディムは世界から朦朧とする意識を遮断するため、脳内でエスケイプコードを唱えた。
 だが、彼の意識はそれを終える前に、途切れ途切れになってしまい、うまく言葉を思い浮かべることさえできずにいた。
(アルコールか、何かしらの電子ドラッグを大量に摂取したときとはこのようなものなのだろうか?)
 そんな無駄なことに意識が持っていかれたが、半ば踏みとどまり、視覚の邪魔にならない程度にうっすらと自己主張をする目の前のシステムメニューを、視覚操作で動かした。もちろん、お目当てのエスケイプボタンを押すために。
 刹那、魂があらゆる制約から解放されたかように、あるいはアディムには到底手の出しようもない最高級品の拡張型万能ナノデバイスを体内に摂取したかのように、はたまた生身で星の重力圏を抜け出し薄黒いさざなみの合間を自由遊泳しているかのように、先ほどの苦渋から解き放たれた。
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