四、自分への信用毀損

文字数 1,888文字

『清宮開様 弊社所属バンド・アップルシードと信用毀損の件でぜひお会いしたいので、お時間をいただけませんでしょうか』

 このメールを見た俺は、近所の喫茶店に来ていた。胡散臭いメールにほいほい釣られてくるのもどうかと思ったけれど、僕の信用毀損の件に関係しているというのなら、行かないわけにはいかない。
 アイスコーヒーを飲みながら待っていると、同い年くらいの青年がこちらに近づいてきた。
「あ、キミが清宮開くん?」
「あなたは……」
「オレ、アップルシードの会社の佐伯桃樹っていーます! ちょっと俺も飲み物頼んできていい?」
 佐伯といった男は、ブレンドを乗せたトレイを持って、僕の前に座る。カップに口を付けると、僕から先制攻撃だ。
「あの、信用毀損の件ですが、僕は何をしたんでしょうか?」
「あー、気づかない? そりゃあそうだよねぇ、自分じゃわからないよな」
 またひと口ブレンドを飲むと、佐伯は言った。
「キミがやったのは、『自分への信用毀損』だ」
「……自分への信用毀損?」
 あまりにもわからなかったので、復唱した。僕が、僕の信用を毀損した? どういうことだ?
「悪いけど、キミのクラウドハッキングさせてもらったの、オレなんだよね」
「は?」
「キミの打った小説の広告、すごかった。かなり数字取れたでしょ。オレもあれ、見てたんだよ。まさかこんな売り方を考えつくだなんて思わなかった。で、どんな人間がやったのか知りたくて、キミのパソコンをハッキングしたんだけど……引きこもりだってわかってね」
「まぁ……引きこもって小説書くしか能がなかったので」
「そこだよ、キミの信用毀損は」
「え……」
 首を傾げると、佐伯さんはキッと俺をにらんだ。
「キミは自分を過小評価しすぎている。今日だって超カッコいいロッカーみたいな格好してるし、外に出ることに何を怯えていたんだ?」
「こ、これはこれしか服がなくて……」
「買ったの、渋谷でしょ?」
「え? なんで知って……まさか」
「そ、そのまさか。オレはキミを部屋から出したかったの。それで、できたらなんだけど、アップルシードの広報をやってくれないかなーなんてね」
 佐伯さんはにこにこしながら続ける。どうやら僕は、自分のためにやったPRを人に認めてもらえたらしい。今まで満たされなかった承認欲求が初めて満たされた奇妙な感じ。
 小説で認められたわけではないけれど、確かにアップルシードの件がなかったら、僕は引きこもったままだっただろう。それに服やCDなんか絶対買わなかった。こんな奇跡ってあるのか?
 いきなりのことで驚きまくっている僕に、佐伯さんは続ける。
「もちろん仕事としてやってもらうから、厳しいことは言う。それでも、未来を見られる、また夢を見ることができるんじゃないかな。部屋の外の世界も、捨てたもんじゃないよ」
「部屋の外の世界……」
 そうだ。僕は今までずっと、部屋の中が自分の世界だった。自分の殻からようやく出られるんだ。そういうことなら……。
「僕にできることがあるなら、やってみたいと思います。勤めたりするのは初めてなので、ご期待に添えるかはわかりませんが……」
「ま、気楽にね」
 佐伯さんはどっしりと構えて笑みを浮かべる。僕ひとりの革命が、こんな風になるなんて。事実は小説より奇なりなんていうけれど、本当だな。でも。こんな奇なら悪くない。僕が外に出られるきっかけができたんだから。
 佐伯さんとはまた後日雇用契約を結ぶ約束をして、その日は別れた。
 帰宅した僕は、両親にそのことを話したが……当然ながらふたりとも『何を言ってるの?』といった様子だった。とりあえず就職が決まったとかいつまんで説明したら、驚きつつも喜んでくれた。
 これから推理小説を書く頻度は減ってしまうかもしれないが、僕にとって生涯最大と言っても過言ではない推理ゲームを楽しめた気がする。またやれと言われたらごめんだけどね。
 これからは推理やトリックで悩み抜くんじゃなくて、現実の仕事で悩まなくならないといけないと思うとちょっと憂鬱でもあるけれど、このくらいの荒治療がなければ、これからもずっと僕は引きこもっていたと思う。そう思うと、いいきっかけだったんだ。
 物事はプラスに取らないと、きっと人生損をする。必死な思いをした三日間。でも、それもいい経験になったんだと信じたい。
 あれだけの加圧トレーニングに耐えたんだから、もう怖いものはないだろう。僕はそうやって自分自身を信じていきたい。
 未来はいつだって、扉を開いた先にあるんだ。
                                  【了】      
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