二十九

文字数 1,853文字

 盛岡市内。ショウが小学校からの下校途中だった。黒塗りの見知らぬ車を見かけた。これが初めてではない。それは通学路を見通せるパーキングであったり、信号待ちを装っていたりするのだが、勘の良いショウにはそれが同一の車であることがわかっていた。恐らく他の子供であれば気付かないくらいの期間と距離を空けていたはずである。しかし、ショウは自分の身に迫る危険よりも、弟リュウへの影響を気にかけていた。授業が終わるとすぐに小学一年のリュウの元に行き、できる限り一緒に下校した。そんな兄の心配をよそにリュウはやんちゃな一面を見せ、兄が迎えに来る前に友人たちとどこかへ遊びに行ってしまう。黒塗りの車のウィンドウが降りる。
「あれがタザキコウゾウの孫か?」
「はい、そうです。あのガキの他に一人弟がいるようです。さらいますか?」
「いや、まだだ。上からの指示があってからでいい。今はそれとなく辺りをうろついてタザキコウゾウに圧をかけろとの指示だ」

 一方、タザキコウゾウの元に一本の電話が入った。
「タザキ先生、実はですね、ある御方が先生のことで大変気を揉んでいらっしゃる」
「君は誰かね? ある御方というだけでは私には見当もつかんが」
「何も申し上げることはできませんが、近頃の先生の行動にひどく迷惑を被っておられる御方がおられるのです」
「ハヤシマサオか?」
「それは先生のご想像にお任せします」
「私はハヤシが何と言おうが、どんな脅しをかけてこようが、岩手県への原発誘致は認めんよ」
 受話器の向こうで男が笑う。
「先生はまだ何もわかっていないようだ」
「それはどうかな、K・リチャードについて調べられては困るのは、そちらの方じゃないのかね?」
 男が再び笑う。
「K・リチャード? そんな名前など知らんな。しかしタザキ先生よ、どうしてそこまで原発誘致を拒みなさる。せっかく手にした権力を、どうしてご自分のために使おうとなさらぬ。世の中の大抵の者は大きな流れに身を任せて楽に生きているというのに、あなたは故意に流れに逆らって、茨の道を歩んでおられる。それを私の雇い主である御方も嘆いておられる」
「私はそうは思わんがね、原発が我々の未来に一体何をしてくれると言うのかね? 石油に代わる代替エネルギーであるとでも言いたいのかね? 確かに我々の生活は電力の恩恵を受けている。だが、そのこととプルトニウムから被るであろうリスクとは別で考える必要があるのだと私は思う。今の世の中、恩恵を得るために片やリスクを背負わねばならぬという風潮になっていないだろうか? 将来、原発事故が起きて、原発を抱えた地域に人が住めなくなるという最悪のリスクが無いと言い切れるのかね? 私はそんなリスクを私の愛する岩手県民や、孫の世代に背負わせたりしない」
 男が鼻を鳴らした。
「ところで、タザキ先生にはお孫さんがおられるようですね、先程、遠くから見させていただきました」
「何が言いたい」
「何も」
「そうやって私を脅迫したって無駄だぞ」
「まぁ、せいぜい気をつけることだ」
 そう言うと通話が一方的に切れた。

 ショウが帰宅すると、見知らぬ男が祖父と一緒に待っていた。歳はまだ二十代後半だろうか、それでもショウからしてみれば立派な大人であり、父よりは若いが歳の離れた兄のような男だった。
「ショウ君だね、僕はサワムラという者だ。君のお祖父さんの知り合いで、今日からしばらく一緒にいることになったんだ。宜しく頼む」
 ショウが見上げた。
「ショウ君は学校から帰ったら何して遊んでいるんだい?」
 サワムラが部屋の隅に置かれた将棋盤を見つけた。
「将棋でもさそうか? お兄さん、こう見えても結構強いんだよ」
 ショウが頷き、将棋盤と駒を取りに行った。サワムラがコウゾウの顔を見て微笑んだ。
「すまないね、サワムラ君、宜しく頼むよ」
 コウゾウが部屋を出て行った。
「王手」
 ショウがあまりにも静かに言うものだから、サワムラは目をパチパチさせた。久しぶりに完敗だった。
「参った。ショウ君、強いね、いや、参った。お祖父さんに習ったの?」
 この時ばかりはショウにも子供らしい笑みが溢れた。

 タザキコウゾウは部屋を出た後、書斎に戻り、電話をかけた。
「はい、サエキでございます」
「タザキです。先日お話しいただいた孫たちの件ですが」
 話し終えると、コウゾウは静かに受話器を置いた。そして目頭を押さえたままじっと椅子に腰掛け、動かなかった。しばらくしてコウゾウが再び受話器を手にした。
「K・リチャードという男について調べてほしい」
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