6000文字恋愛Ver 2話 たった1つ、贈ることができるもの

文字数 3,449文字

「アニュ、明日の予定はあけてるんでしょうね?」

調理器具と熱気が行き交うガチャガチャとした空間の隙間に、小さな秘密を共有するような、少し悪戯っぽいストゥの声が差し込まれる。僕の後ろで果実を調理する彼女はストゥ、このレストランのパティシエールで、僕の恋人。明日は僕もストゥも月に1度の休みをとっている。

最近ストゥに結婚を迫られている。
でも、僕は彼女に隠していることがあって、返答できずにいる。

僕が思う『庭師』と『果実』の一番の違いは、『庭師』は長い人生を共にする伴侶を得ようとする傾向があること。
いつも隣にあなたがいる、そこから生まれる安らぎと信頼、安心感。大地で支え合って暮らす『庭師』には必要なこと。
だから、結婚したいというストゥの希望は『庭師』として普遍的なものだ。
人生が短くて、樹上で踊るように享楽的な暮らしを渡り歩く『果実』は、誰かと長く付き合うという発想はあまりしない。



僕が結婚と聞いて一番に思い浮かぶのはストゥじゃなかった。
僕には好きな人がいた。僕が最も長い時間一緒に過ごした人。
テムという同い年の幼なじみで、明るく元気な人だった。彼女は8歳の時に『果実』を選んだ。でも、『果実』を選んだからって生活が劇的に変化するわけじゃない。『果実』と『庭師』の生命の扱い以外の違い。それは『庭師』は物を手に入れるには金銭が必要だけど、『果実』は多くのものが無償で手に入るってだけ。

テムは自然が好きで、毎日楽しくキャンプして過ごしていた。たまに僕も同じテントで過ごした。
『果実』と『庭師』は価値観が全く違うから別々のグループで生活することが多いけど、テムは自然が好きだったから、1人で山にいることが多かった。『果実』の特権も新しいキャンプ道具を手に入れることに使うくらいで、『果実』らしい贅沢もしていなかったと思う。

それなのに、『果実』でよかったの? と聞くと、テムは、十分楽しいよ、と長い髪をかきあげた。

1日ずっと風と森の湿度を感じて、晴れた日は草の上に寝転がって地面の香りを楽しんで、雨の日は木の上にたてたログハウスで目を閉じて、世界に落ちる雨音の変化に耳を傾ける。
食べたい時にご飯を食べて、寝たい時に寝る思うがままの生活。
朝起きた時にアニュがいると、贅沢な気分になるよ。
テムはいつもそんな少し恥ずかしいことを臆面もなく言う。

「『庭師』は月1回くらいしか休めないしキャンプ用品も買えないでしょう? だから私は『果実』でいいよ」

一般的な『果実』は着飾って、おいしいものを食べてというイメージがあるから少し違和感があるかもしれないけど、テムは欲しいものを全て手に入れた。

とても幸せそうな笑顔でテムは言った。
追加でほしいものなんて何もない。
だから、頭のてっぺんからつま先まで、ぜーんぶ幸せ。

テムは17歳で収穫された。『果実』の平均寿命より少しだけ長く生きた。
テムが収穫されたとき僕はたまたま隣にいて、テムは眠るように安らかに目を閉じた。昼寝でもしているのかなとのぞき込んだ笑顔は、とても柔らかかった。
僕はテムが望み通りの一生を幸福に終えたと感じて世界の糧となったことを祝福した。

『果実』は予め、遺言で収穫の中のほんの一部を誰かに贈ることができる。そしてその遺言は『果実』が残せる唯一のもので、『果実』の残した想いは贈られた人に必ず伝わると強く信じられている。

僕は小指の先ほどの大きさに加工されたテムをいつものスープに混ぜて食べた。
それから僕の料理にはテムの息吹が、テムが感じた風や土がまじるようになった。料理を作るときに、テムの好きだった木の上でゆらぐ優しい光とそよぐ風の音を感じられるようになって、僕はそれをそのまま皿の上に表現した。



「ねぇ、聞いてるの?」

ストゥの少し心配そうな声で我に返る。
今日は少し贅沢してカフェに来た。『果実』が入るような立派なところではないけど、機械が運営している『庭師』用のカフェ。
データから昔の料理の味を再現してもらえるから、休みの日には勉強がてらデートに来ることが多い。
熱い紅茶と、ロクムというデンプンとナッツの入った甘すぎるお菓子の味に再現されたものを口にしながら、僕らは結婚について話していた。

「ストゥのことは大好きだけど、結婚は慎重に考えよう。僕はストゥにふさわしくない」

「私はアニュが好きなの。アニュはとっても面白いし、アニュの料理もとても素敵。アニュと一緒にいたい。どうしてそんなに拒否するの? 他に好きな人でもいる?」

好いてくれるのは純粋にうれしい。でも、僕の料理はテムの愛した風と土のイメージ。『庭師』は休みが少なくてあまり自然と触れ合ったりしないから単に新鮮に見えるだけで、僕の力じゃない。

このやりとりも3回目。
ストゥはなにも僕の浮気を疑っているわけじゃない。『庭師』は朝から晩まで働いて、僕は休日と夜もストゥと過ごしている。職場も同じ。出会いもないし、浮気なんかする暇がないことはストゥもよく知っている。

「今好きなのはストゥだけだよ。でも僕は本当に、誰かと一緒になるつもりはないんだ」

ふと見上げると、薄暗い半地下の喫茶店の天窓からは『果実』たちのカラフルな靴が弾みながら行き来しているのが見えた。
『庭師』よりずっと多い『果実』たちは、たわわに実るみずみずしい白桃のように人生を謳歌して、いまにも落ちて収穫されるのを待っているようだ。

「今から『果実』になろうと思っても無理なのよ?」

僕の視線の先に気づいたストゥはため息とともに言う。
途中の変更が無理なことはもちろん知っている。だから僕らは8歳までに世界を見極める。
『庭師』と『果実』の生活格差は大きいから、一度『庭師』を選んだあとで『果実』になりたがる人間もいないことはない。ただし結局『果実』の賞味期限は20歳。うらやむようになるころには賞味期限が迫っている。
僕が20歳になるまではあと10日ほど。それに、僕は多くの『果実』たちが歩む刹那的な人生は、やっぱり性に合わないなと感じる。料理を作るのは好きだし、料理で『果実』たちに喜んでもらうのはうれしい。味見でストゥにおいしいと言ってもらえることも。

「ストゥ、別れよう。僕はストゥの思うような人間じゃない。それに『ヴァニタス』もやめようと思ってる」

「何をいってるの!? 別れるのも嫌だけど……、あなたはずっと『ヴァニタス』で頑張ってきたし認められてきたじゃない。別のところにうつるとまた1からスタートよ?」

信じられないというようにストゥは目を見開く。
『ヴァニタス』は他よりもずいぶんいい職場で、普通はよっぽどじゃないと転職なんてしない。それに僕は確かに『ヴァニタス』の中でも将来を嘱望されていた。

「でも、もう決めたんだ」

「引き抜きでもあったの?」

「ううん、やめるだけ」

ストゥは僕を混乱する目で見る。

多くの『庭師』はギリギリの賃金で暮らしているから、新しく10歳相当の見習い賃金で再スタートするのは自殺行為。10歳の時より僕は食事量も増えているし、普通に考えて、休みなく働いても食事がまともにとれるかどうか。

「あなたが何を考えているのかわからないわ」

「そうだろうね、僕はストゥと一緒になれない」

目を伏せてつぶやくと、紅茶のカップに乗せた僕の右手にストゥの左手が柔らかく重ねられた。視線を上げると、ストゥの熱を帯びた目から、『庭師』の誇りが揺らめていた。

「そんなことじゃないの。別れるのは嫌だけど、あなたがどうしてもというなら仕方がないと思う。でも『ヴァニタス』はやめないで。私はアニュの料理も大好き。あなたの料理は世界を変える域に到達すると思う。料理はあきらめないで」

「そういってもらえると嬉しい。僕も料理は好きだから」

ストゥとの間の話は曖昧なまま、喫茶店を出た。ストゥは僕を心配して引き留めたけど、手を振って別れた。
僕はその足で『ヴァニタス』に向かい、料理長に退職を願い出た。引き留められたけど、理由を話すと料理長は驚きながらも理解をしてくれた。

仕事がなくなった僕は、テムが好きだった空を見上げる。空はずいぶん高いところまで澄み渡って、ユフの衝突で生まれた二つ目の月が昼の空を漂っているのが見えた。
僕は軽くなった足取りで『果実』たちを真似て、踊るように石畳を踏んでみた。

僕は生まれて初めて特権をつかって、10日分の食材と、それから予定になかった便箋を2通買い込み、テムと過ごした懐かしい森に足を向けた。

便箋の1通は、遺言。
もう1通は、ストゥへの手紙。
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