第2話
文字数 15,092文字
アトラス
負けない
困難を予期するな。決して起こらないかも知れぬことに心を悩ますな。
常に心に太陽を持て。
ベンジャミン・フランクリン
第二匠【負けない】
「厄介な弟子を持つと、大変だな」
忍者相手なら何度もあるが、それは相手が明らかな敵であって、最悪の場合亡くなってしまったとしても仕方ないと思うからだ。
しかし今の銀魔の状況は、それとは違っていた。
手塩にかけたわけではないが、ある程度一緒に生活してきた仲間、といったところか。
自分がいなくなっても平気なようにと育ててきた心算だが、こんなことでそれが裏目に出てしまうとは思っていなかった。
風雅も、女性だからと甘く見ていると、思っているよりも重たい攻撃がくるため、軽く払う事も出来ない。
飛闇に至っては、骨が軋むほどの蹴りやパンチが来るため、腕で受けようものなら、軋むというよりも折れてしまうだろう。
おまけに隠密行動が得意と来たからには、気配を察知するのも一苦労だ。
「ったく。こんなことになるなら、お前等を強くするんじゃなかったな」
そんなことを言いながらも、銀魔はクナイを投げてきた風雅に一気に近づくと、風雅の腕を掴んで飛闇の方に放り投げた。
飛闇が受け止めるかと思っていたのだが、飛闇は風雅を床に叩き落とすと、銀魔の首元に一気にクナイを突きつけてきた。
このままでは首を斬られると思った銀魔は、咄嗟に身体を後ろに仰け反らせ、そのまま一回転しながら、飛闇の手にあるクナイを蹴った。
それは天井に突き刺さると、飛闇はそれを少しだけ見たあと、銀魔に視線を戻した。
「俺が知ってる飛闇って男は確か、男義があって、男女差別はしねぇが、女を蹴ったり叩いたりはしねぇと思ったんだがなぁ」
床に叩き落とされた風雅ものっそりと身体を起こすと、血も出ているし、骨も折れているかもしれないというのに、銀魔に向かって来ようとしている。
すでに小屋はボロボロになっていて、また建てなおさないと、と銀魔が考えていると、風雅がいきなり距離をつめてきて、銀魔に蹴りを入れてきた。
顔面スレスレで避けた銀魔だが、頭上で待ちうけていた飛闇によって、小屋の近くの木まで飛ばされてしまった。
「あー・・・ったく。反抗期ってやつか?師匠に向かって本気でかかってきやがって」
身体を起こすと、銀魔は目を細める。
その頃には、すでに風雅が背後に迫ってきていたが、銀魔は風雅の前から姿を消すと、風雅の腹あたりを殴って気絶させようとした。
ばたん、と地面に倒れてしまった風雅から、視線を飛闇に向ける。
そして身をひるがえして飛闇の背後に回ると、その首をトン、と叩いた。
これで意識がなくなるだろうと思った銀魔だったが、それは甘かった。
「おいおい、マジかよ」
元から意識がなかっただけではなく、たった今気絶させたというのに、飛闇も風雅も、身体を起こしたのだ。
しかし、その動きは明らかにおかしくて、まるで何かに動かされているかのよう。
「・・・傀儡の出来上がりってか」
自分で言っておきながら、銀魔はぴくりと眉を潜ませた。
同じように、天馬と蒼真を相手にしていた海浪も、銀魔同様に気絶させていた。
しかし、結果は同じだった。
「世話が焼ける」
何処かの国で見たような、糸で操られている人形劇に出てくる人形。
持った印象としてはそんなところだろうか。
とにかく、普通の人間として見るにはあまりにも不格好だったのだ。
「さすがに弟子を倒すのもなぁ」
どうしようかと考えている間にも、天馬からも蒼真からも攻撃を受ける。
ずっと子供だと思っていたが、2人の蹴りやパンチは思った以上に強くて、油断していたらきっと身体のバランスが崩れ、一気に叩きのめされてしまうかもしれない。
天馬に至っては天性の素質なのか、とにかく破壊力が抜群のため、まともに食らうだけでも危ないだろう。
蒼真も、冷静に海浪の動きを見極めながらの攻撃で、天馬時々蒼真、という感じの攻撃だった。
海浪の小屋も全壊、とまではいかないが、壊れていた。
「お前等、意識取り戻したら直させるからな」
そう一応忠告はしておいて、それでも向かってくる弟子に対して、海浪は一度だけ、手加減なしで殴ってみた。
天馬は思いっきり吹っ飛んで行ったが、口から血をペッと吐き出すと、また立ち向かってきた。
「良い子で寝ててくれると助かるんだけどな」
ひゅん、と風を斬る音がすると、海浪は蒼真が再び手にしていた剣からなんとか避ける。
少しだけ髪の毛が切れたような気がするが、そろそろ少し切ろうと思っていたからまあ良いとしよう。
「この状況だと、あいつんとこもか」
海浪は、天馬と蒼真が自分に襲いかかってきているように、銀魔のところも弟子2人に襲われているだろうと予測した。
こっちは素人相手といっても良いが、あっちはある程度プロ相手だ。
いや、素人と言っても、ここまで力をつければもう素人なんて言えないが。
「キーになるのは、やっぱあいつか」
こうして天馬も蒼真も、戦いたくないのに戦わされているのは、原因は1人しか考えられない。
しかし、その相手を倒せるかどうかは別として、とにかくこの状況を打破しなければと思っていた。
「どうしたもんかね」
「なあ瑪能生」
「なに」
「なんでお前、その力を持ってるのに、あの男を殺せなかったんだ?」
「・・・誰のこと」
「誰って。覚えてないわけじゃないだろ?なんだっけ。あの男。イオって奴」
「・・・忘れたわ」
「本当かー?まあ、初めて自分の力が効かなかったっていっても良い相手だからな。思い出したくねえのも分かるが」
「五月蠅い」
「はいはい、悪かったよ。けど、あの男に限ったことじゃねえけど、最近の相手は一筋縄じゃいかねえ奴らが多いからな」
「・・・・・・」
造卅の言葉を聞きたくないのか、瑪能生は椅子から立ち上がると、造卅から一番離れた場所に向かった。
そしてそこに腰かけると、頬杖をついて目を瞑った。
何を考えているのか、造卅には分かるが、あえて口にはしない。
破滅という名を持ってしまった運命か、贖罪という名を背負ってしまった運命か、絶望という名を背負わされてしまった運命か。
何にせよ、瑪能生は少し目を瞑った後、ゆっくりと目を開けた。
「この世界に、希望なんてないの」
「やんちゃな弟子だ」
余裕そうなことを言っているが、銀魔は少し呼吸が乱れていた。
歳だと言われてしまえばそうかもしれないが、相手は戦意のない敵と言うだけでなく、すでに身体がボロボロの弟子なのだ。
殺さないように、そしてなおかつ出来るだけ身体もダメージを抑えられるようにと、気にしながら戦っているのだ。
それも、何時間もだ。
体力には自信がある銀魔であっても、相手を気にしながら戦わないといけないなんて、こうも疲れることはない。
もしも相手が自分自身ならば、手足でも切って終わりにするのだろうが、相手が弟子となるとそうもいかない。
「頼むぞ」
「若ぇ頃に戻りてぇなんて、初めて思ったかもしれねぇな」
その頃、海浪も疲労が溜まっていた。
銀魔以上に体力には自信があった海浪も、さすがに若い2人の男相手に、そう長く続けるのは困難だった。
手加減なしで戦おうとも思ったのだが、やはり2人の実力というものを知っているからこそ、本気にはなれなかった。
もしも2人が本気での戦いを挑んできたとしたら、本気でぶつかることは出来る。
しかし、これは2人が望んでいる戦いではなく、強制的に身体まで動かされていることなのだ。
銀魔も海浪も、心情は同じだった。
そんな師匠たちの気持ちなど知ってか知らずか、1人の男が指を器用に動かしていた。
その糸の先には、まるで傀儡のように動かされている四人の男女。
糸を動かしている男は無表情で、ただ木の上に座ったまま、その動作を繰り返す。
その動きが、一瞬止まった。
ふさあ、と何かをかわしたかと思うと、男はそれに向けて指を向けた。
しかし、それよりも先に、男の指先から伸びていたある程度の強度を誇る糸が、簡単に切られてしまった。
「・・・凵畄迩海埜也」
「1人か」
男、邂の目の前には、いつの間にか現れた海埜也がいた。
切られてしまった糸に神経を張り巡らせ、もう一度糸を張ろうとするが、海埜也によって左腕を斬られてしまった。
「・・・・・・」
「腕を斬られても反応がないとは、さすがは傀儡、といったところか」
「・・・確かに俺は傀儡。傀儡であって、傀儡を操る」
「そんなこと、許さない」
残された右腕から糸を出して、邂は海埜也を拘束しようとするが、海埜也は邂の右腕もろとも斬ってしまった。
そこからは血と思われるものが流れているが、邂は痛む様子もなく、平然としている。
両腕を斬って、海埜也は邂に詰め寄ろうとしたが、邂は斬られた両腕を持つと、そのまま風に乗って消えてしまった。
「・・・・・・」
あたりから邂の気配が消えたことを海埜也が確認した頃、海浪と銀魔のもとでも変化が起こっていた。
「飛闇!?風雅!?」
「お?どうした?!」
次々にバタバタと倒れてしまった弟子に、2人は一瞬動きを止めてしまったが、きっと海埜也がやってくれたのだと分かると、すぐさま怪我の治療をする。
しかし、小屋はもうボロボロであって、いつまたここに攻められるか分からない。
そこで、海浪と銀魔は海埜也と合流すると、弟子を背負ったまま、何処かへと歩いて行った。
海埜也は初めて来る場所なのだが、海浪と銀魔は初めてではないようだ。
森の奥にある大きな隠れ家のような場所。
その奥へと遠慮なく入って行くと、奥は開けた場所になっており、大きな岩の上には1人の老人の姿があった。
「ここは・・・?」
「ああ、ここはまあ、なんていうか、師匠の隠居してるとこだ」
「師匠って、もしかして」
2人の師匠と言えば、伝説の森蘭しかいないだろう。
ならば、あの岩の上にいるのがその森蘭かと思って視線を岩の上に向けると、そこにはもう老人はいなかった。
何処に行ったのだろうと思っていると、すでに目の前にいた。
さすがに驚いて海埜也が目をぱちくりとさせていると、老人、森蘭はほっほっほ、と笑っていた。
「ジジイ、笑ってる場合じゃねえんだよ。こいつらのこと頼む」
「なんじゃ2人揃って。ワシは隠居したのじゃぞ」
「わかってるよ。けど頼みがここしかねえんだから仕方ねえだろ」
2人とも、師匠に向かってどんな口のきき方だろうと思っていたが、森蘭もあまり気にしてはいないようだ。
海浪と銀魔は、此処まで背負ってきた弟子たちを下ろすと、森蘭の前まで向かう。
すると、森蘭の前で胡坐をかいてドサッと座り、睨みつけるようであって、しかししっかりと真っ直ぐ森蘭を見据える。
「ジジイんとこにも来たんだろ。あの三人」
「・・・なんじゃ。お前達も目をつけられておったのか」
「そのせいで、こいつらはこんな状態だ。自分が情けなくてならねぇよ」
海埜也はとりあえず、海浪と銀魔が座っている近くまで行くと、少しだけ距離をとって、同じように胡坐をかいて座った。
「ワシのところにもまた来るやもしれぬ」
「またってことはやっぱ来たんだな。それで無事ってことは、とりあえずは死なねえってことだろ」
「2人揃って頼りがワシしかおらぬとは、知り合いの1人もいやせんのか」
そう言われると、2人は互いに互いの顔を見た。
海浪は銀魔に、銀魔は海浪に、最悪、どうしても、本当にそれしか方法がないとしたら、互いのところへ弟子を託す心算だった。
しかし、こうして2人して狙われてしまったとなると、もう仕方ないのだ。
出来るだけ他人との接触を避け、人間という生き物から離れて生きようとしていた中での出来事。
知り合いなんているはずもなく、生きているかも分からない師匠に頼るしかないのは、2人にとっては至極自然な流れだった。
それを知っているからか、森蘭も深くは追究することはなく、昔から変わらないその2人の眼差しに、ため息を吐く。
「いたしかたあるまい。よかろう。ワシが預かってやる。して、あ奴らに勝つ算段はついておるのか?」
「・・・いや、それはこれから」
「なんじゃ。計画もなくここに来たのか。まったく仕方ないのう」
「仕方ねぇだろ!とにかくあそこを離れねぇと、こいつらあぶねぇと思ったんだよ!どうせジジイは暇なんだからいいだろ」
海浪がそう言うと、森蘭が杖で海浪の頭を思い切り叩いた。
傍から見ると、そこまで強く叩いたようには見えないのだが、あの海浪が顔を歪ませていたのだから、きっと痛かったのだ。
それを横で見ていた銀魔は、余計なことは言わないでおこうと学ぶのだった。
「して、その方は・・・」
「ああ、こいつは海埜也って言って、昔ちょっと知り合ったんだ」
森蘭が、近くにいる海埜也の方を見て尋ねると、それに対して銀魔が答えた。
ほう、と言いながら、海埜也の方に近づいてくると、マジマジと観察をする。
なんだろうと思いながらも、海埜也は森蘭が離れて行くまで、ただじっとそこで座っているのだった。
「お主はもしや、どこぞの城で仕えていた影の者かのう?」
「・・・お分かりになるんですか」
「いや、なんとなくのう。そんな匂いがしたまでじゃ」
どんな匂いだろうと、思わず海埜也は自分の身体の匂いを嗅いでみるが、特に変わった匂いはしないと思う。
海埜也から離れて行きながら、森蘭はほっほっほと笑っていた。
「何、野生の勘という奴じゃ。ずっと光を浴びずに生きていた者と、光を浴び続けてきた者の匂いは多少なりとも違う。ワシらとて、影の匂いを持つのじゃ」
ピタリ、と足を止めると、森蘭は少し小さめの声でこんなことを言っていた。
「ずっと昔にも、影の匂いを持った男がおったのう」
それが誰のことを指しているのか、海浪と銀魔にも分からなかったようで、首を傾げていた。
天馬、蒼真、飛闇、風雅の4人の治療等を森蘭に頼んでいる間に、3人は話し合いをしていた。
「で、どうするよ。何か策はあるか?」
「お前なぁ、率先して話し合いしようって言うなら何か策を考えておけよ」
「海埜也、お前はどう思う」
「聞けよ」
瑪能生、造卅、そして邂の3人。
きっとそれぞれ戦おうとするならば、力では決して負けないだろう。
しかし厄介なことと言えば、言霊だったり読心だったり傀儡だったりと、今まで相手にしてきた敵とは違う力を持っている、というところだろうか。
そしてそれらはどうやって対処すれば良いのか、考え中だ。
3人して無言になってしまっていると、そこへ森蘭がやってきた。
「なぜあ奴らが、破滅、贖罪、絶望と言われおるか分かるか?」
「ああ?なんだジジイ」
相変わらず口の悪い海浪に、森蘭は手加減なしに杖で何度も叩いていた。
海浪の頭が凹むんじゃないかと思うほど叩いたところで、ようやく止まった。
「破滅を導く言霊の瑪能生は、その口から発せられた言葉が現実に真実となることから、世界をも滅ぼす力を持っている。だから破滅を呼ぶと言われておる」
同様に、贖罪と言われる読心の造卅は、人の心を読むことが出来るため、その人間がこれまでに犯してきた罪を見つけ、その心の隙間につけこむ。
それによって更に罪を犯させることが、贖罪と言われる由縁らしい。
最後に、絶望の傀儡を操る邂は、3人も知っての通り、生きている人間も死んでいる人間も、操ることが出来る。
それは例え病人であっても、けが人であっても、愛する人であっても、子供でも赤子でも、死にかけの老人でもだ。
知っている者との戦い、それを強いられるとき、人間は本気で戦うことなど出来るのだろか。
だからこそ、絶望と言われている。
「じゃが、奴らも人間。弱点はある」
「師匠、何か知ってるのか?」
「お前達は、師匠に向かって敬語も使わなくなったか」
いや、きっと敬語なんてほとんど使ったことなどないだろう。
銀魔は森蘭の話を聞こうとしているが、そのすぐ横では、海浪が今にも噛みつきそうな目つきで森蘭を見ている。
首輪のついていない猛獣のようだ。
「よく考えても見ろ。言霊が力を発揮するのはどういう時か。読心は便利じゃが、時として不便になるときもある。そして傀儡は、なんとも哀れな人間の末路じゃな」
答えになっているのか、その時の3人にはよく分からなかった。
とにかく、森蘭のもとへ弟子たちを預けただけでも、安心というものだ。
森蘭がいるその場所から離れると、海浪と銀魔は、先程までの態度とは打って変わって、そちらに向かって一礼をしていた。
そして森を下りて行く。
「銀魔、お前、足手まといになるなよ」
「ああ?海浪こそ、邪魔だけはするなよ」
「・・・お二人は仲良しなんですね」
「「仲良しじゃねえよ」」
そこまで息ピッタリだというのに、どうして仲が良くないなんて言えるだろうか。
まあいいかと、海埜也は2人の後ろを着いて行くのだった。
3人が去って行ったのを確認すると、森蘭は、全く目覚める気配の無い4人のもとまで向かい、その寝顔を見た。
まあ親子でも親戚でもないのだから、似ているわけはないのだが、それでも長い時間共に生活をしていたからなのか、どことなく似てきた感じがする。
気のせいだろうが、それでも少し微笑ましいのもまた事実であった。
その頃、海埜也の姿が見えなくなってからしばらく経つため、心配していた者がいた。
「海埜也、大丈夫かな?まあ、俺なんかより強いし、死んではいないと思うけど・・」
「信、海埜也のこと心配してる暇があるなら、こんな何もないところで転ばないようにしてくれるかな」
「ごめん」
李がなぜこんなことを言っていたかというと、信が山道でもなければ凸凹でもないそんな道で、急にこけたからである。
これが足腰の弱い人であれば、仕方ないとそこで終わるのだろうが、信は健康な若者であって、怪我もしていない。
なのにこんなところで転んだため、李は呆れたのだ。
一緒に歩いていた拓巳や死神も、そんな信を見て眉をハの字にしていた。
「信、早く立ちなよ」
「・・・わかってるよ」
何かの気配を感じた李は、急いで信を立ち上がらせると、死神と拓巳にも構えさせる。
気配を隠す様子もないその気配に、信も気付き始めた時、死神が一気に動き始め、その気配に近づいた。
首に鎌をつきつけた心算だった死神だが、突きつけたはずの鎌は風を斬っただけで、そこにはもう誰もいなかった。
しかし確かにそこにあったはずの気配は、もうすでに別の場所にあった。
「死神の鎌からそんなに簡単に逃れるなんて、何者かな?」
李が信の前に立ったことによって、信はそこにいるのが誰かわからなかった。
拓巳がその気配に向かって銃を構えるが、それは平然としていた。
信がひょこっと李の脇から顔を覗かせると、暗い表情だったのが一変、ぱあっと明るくなった。
「おー!!!凖!久しぶり!!!」
「知り合い?」
「海埜也と同じで、城の重鎮!」
「嫌な言い方しないでくれる?」
葡立凖という男、信がいた凰鼎夷家の召使い兼、暗殺者として仕えている。
海埜也から何か連絡を貰ったらしく、こうして信の様子を見にきたのだ。
「元気そうでなによりです」
「俺は元気ってかいつも通りだけどさ、海埜也は大丈夫なのか?お前、あいつと会ったのか?」
「ええ。とりあえずはまだ、生きてますよ」
「なんだその言い方は」
信が知っているとなれば、李たちも殺気を消して武器を下ろした。
海埜也のときも驚いたが、この飄々とした男は海埜也とはまた違った雰囲気だ。
「海埜也なら大丈夫ですよ。あいつは殺しても死なない奴ですから」
「いや、そういうことじゃ」
「あいつに何かあったみたいだけど、詳しいこと知らないんだよね。今何が起こってるのか、教えてくれてもいいんじゃない?」
「なんでそんなことを無関係のお前に」
「あいつがいない今、信を守ってるのは俺達だと言っても過言じゃないんだよ?わかってる?」
「性格悪いって言われるだろ」
凖にそう言われても、李はにこにこと微笑み返しただけだった。
李が言っていることも確かであって、ずっと信の傍にいるわけにもいかないため、凖は仕方なく簡単に話すことにした。
全てを話終えると、なぜか李は納得していないような顔をしていた。
「どうして俺は狙われないの?」
「知らないよ。俺だって狙われてないんだから」
海埜也は狙われてなぜ自分が狙われないのか、そこが気になったようで、李は少しだけ不機嫌になっていたようだ。
しかしそんなことを言われても、凖だってそこに名が載っていないのだから分からない。
「まあとにかく、海埜也のことに関しては心配無用です。城の方も、朷音と燕网もいるので、ご安心を」
「ああ、頼むな」
「それにしても信様・・・」
海埜也の方は大丈夫だろうと信を安心させた凖だが、信の向こう側に見える見慣れないその男たちを一瞥する。
海埜也が信に着いて行ってからというもの、今回のように連絡が来たのは初めてだ。
信から、あまり凰鼎夷家との関わりがばれたくないと言われたため、海埜也もそのあたりは自重してきた。
しかし、今回初めて連絡が来て此処へ来て見れば、信は確かに1人ではなかったのだが、一緒にいる男たちが随分と怪しい臭いがした。
李たちにも分かるようなその凖の目線に、李はにっこりと微笑み返した。
「どちらで知り合った方々で?」
「え?ああ、こいつら?こいつらはなんていうか」
はっきり言うと、凖は海埜也よりも怖いところがある。
きっと最初は敵だったけど今は仲間になった、なんてことを言おうものなら、凖は李たちに何をするか分からない。
そう思った信は、危ないところを助けてもらって、それから一緒にいるのだと伝えると、海埜也がいたのに危ないことがあったのかと聞かれてしまった。
困った顔をしている信の後ろから、ぬっと顔を出した李は、凖を見てまた笑った。
「俺達が怪しいとか思ってるのかな?」
「これは失礼いたしました。怪しいというか、まあ、そうですね。怪しいと思っています。怪しさ満載の男が3人、信様の周りをうろちょろしているのかと思うと、寒気がします」
信の前に出てきた李は、凖の目の前に立つと、先程までのにこやかな笑みではなく、少し睨みつけるようにして見ていた。
李たちとて、確かに最初は信を狙っていた、というよりも和樹を狙っていたことに間違いはないのだが、今は同じ目的を持った、云わば協力者だ。
ビリビリとしたちょっとした緊迫した空気の中、信はまた始まったと言うように、肩を上下に動かしてため息を吐いた。
「信様になにかあったら、責任が取れるんですか」
「何かあったらって、何もないように俺達が着いてるんでしょ?それに、信は凰鼎夷家の相続を放棄したんじゃなかった?」
「相続を放棄したわけではありません。すぐに後継人になるのではなく、時間を空けて相続するということです。今は信様のお父上様がその座に着いておりますので」
「へー、じゃあ何?もしかして君は、その大切な後継人の信を、俺達が狙ってるんじゃないかって思ってるわけかな?」
「信頼出来るのは、城にいる仲間と海埜也だけですから」
「ああ、そういうこと。でもね、残念だけどその海埜也がいない今、信を守れるのは俺達しかいないと思うよ?それとも、君が城を離れて海埜也が戻ってくるまで信を守る?まあ、俺としてはどっちでも良いけどね」
「そうしたいのは山々ですが、凰鼎夷家に戻って召使の方の仕事もしなければなりませんので」
「なら大人しく引き下がってくれる?」
「それは喧嘩を売っているんですか」
「まあまあまあまあまあまあまあ」
ヒートアップしていく凖と李の言い合いの中、信が凖の前に立って両手を出してなんとか止めようとする。
そして李は死神と拓巳にお願いすると、信は凖を連れて少し離れた場所に行く。
珍しく男らしい表情、という言い方は良くないのかもしれないが、どちらかというと李のように微笑んでいるイメージのある凖は、その女性のような顔立ちからか、今のような顔つきはあまり見ない。
勿論、いざ戦いが始まれば、男らしい表情なんて幾らでも出てくるのだが。
「凖、落ち着いて。俺は今、あいつらと一緒に、連れて行かれた仲間を探してるんだ」
「・・・わかっています」
「え?」
「信様が城に迷惑をかけないようにと、海埜也に連絡させないでいたのかもしれませんが、俺のところには時々伝書鳩で連絡がきていましたから」
「あ、そうなんだ」
和樹という仲間、亜緋人という仲間がいたことも、亜緋人が裏切って和樹を連れて行ってしまったことも。
そこで出会った敵として李たちがいたことも。
「彼らが信様を狙っているなら、海埜也がいない今、もうすでに信様はこの世にいないでしょうからね」
「ああ、そう・・・」
「ここは引き下がりましょう。不本意ですが、ここは彼らにお任せします」
「ああ。凖は城に戻って、みんなのこと頼むよ」
信に向かって一礼をすると、凖は去って行ってしまった。
信が李たちのもとに戻ると、再び、李たちと歩き出すのだった。
「まったく。城の人っていうのは、みんな心配症なんだね」
「悪い奴らじゃないだろ?」
「・・・まあね」
瑪能生たちを倒す算段をつけた海埜也、海浪、銀魔の3人。
奴らを見つけ出す手段はなかったが、なにしろ、動物並に鼻の効く銀魔がいたため、距離は縮まっていた。
「おい銀魔、本当にこっちなのか?」
「確実に向かいてぇなら、俺の鼻なんざ頼るんじゃねえよ」
「今は猫の手でも借りてえところだ」
「なら猫の手を借りてろ」
「・・・お二人は本当に仲がよろしいんですね」
「「よろしくねぇよ」」
子供のような2人に、海埜也は小さく呆れたようにため息を吐いた。
森を抜け、川を渡り、橋を通り、山道を歩き、そんな道を歩き続けていた。
向こうからやってこないなら、遠くへと逃げても良かったのかもしれないが、何分、逃げるなんていう選択肢は残っていないのだ。
「喧嘩も売られて、弟子にまで手ぇ出されちゃ、黙って引き下がるわけにもいかねぇからな」
「ま、もっともだな」
悪ガキ2人を弟子に持って、森蘭も大変だっただろうと海埜也は思っていると、そんな海埜也の心を読んだかのように、海浪に見られてしまった。
歩き続けてどのくらい経ったかは分からないが、きっと半日は経っていない。
そんな時、銀魔が足を止めた。
海浪は小指で耳をちょいちょいとなにかいじっていた。
「また君たちか。弟子たちとは本気で戦えたかな?それとも、殺しちゃったのかな?」
クツクツと喉を鳴らしながら笑う男、造卅が現れた。
3人の前に悠々と歩いてくると、大きな欠伸をした。
「まあ、邂がやられて、みんな一緒に始末出来なかったってのは、知ってるけどね。なんとも残念なことだ」
造卅の後ろから、瑪能生が現れた。
そしてその後ろには邂もいて、その表情はいつものように無。
以前海埜也にやられたことなんて気にしていないかのように、平然とした面持ちでそこに立っていた。
「俺達も事は穏便に済ませたいんだよ。事を荒立てるようなことじゃないだろ?」
造卅のそんな言葉に、銀魔が返した。
「事を荒立ててきたのはそっちだろ。俺達を狙った時点で、お前たちはお前達にとって最悪の状況を作っちまったんだ」
「お?何を言ってるのかさっぱりだね」
「良いから来いよ小僧。お前1人相手にするだけなら、なんてことねえって分かったんだ」
「おやまあ。随分と俺を見くびってるようだけど、まあいいか。俺を小増と呼ぶからには、それなりの覚悟が出来てるんだろうな?おじさん?」
銀魔と造卅が向かい合っているその時、海浪は瑪能生と向かい合っていた。
「私を敵に回したのが、運の尽き」
「なんだ。こうなるかとは思ってたが、やっぱりこうなるのか。俺がこの女の相手か。まあ、こいつを倒せば1件落着ってわけだな」
「私に勝てるはずがないわ」
「それにしても、最近疲れが出やすくなったな。俺も歳だな」
多少会話がかみ合っていないが、そんなことはどうでも良い。
残された海埜也の相手は、自然と邂になる。
因縁、とまではいかないが、海埜也の周りにはすでに、何十体もの傀儡たちがいた。
全てを把握はしきれないが、きっとそれらすべては死体なのだろう。
そんなことを想うだけでも、吐き気さえ覚えてしまうのは、人間として当然の反応であって摂理だ。
邂が動かす死体たちが、一斉に海埜也に襲いかかってくると、海埜也は避けるのではなく正面から攻撃をする。
「!」
ピン、と張られた糸があちこちにあるらしく、海埜也の身体の動きを止める。
それでも動こうとした海埜也だったが、ふとここで、気付いた。
自分の首に、糸が巻かれていることを。
「・・・・・・」
今自分がおかれている状況を確かめるようにして視線だけを糸に向け、また視線を邂に戻す。
ギリギリ、と少しずつゆっくりと海埜也の首を絞めつけていくその糸によって、海埜也の首には一本の筋が現れ、そこから血も出てきた。
このままだと確実に首が落とされてしまう。
それでも、海埜也は暴れることなく、ただじっと立っていた。
すう、と目を閉じると、海埜也は何かを思い出していた。
そしてまた目を開けると、邂を見据えてこう言い放つ。
「こんなところで、お前のような奴に負けるなら、俺はそこまでの男ということだ。だが、ここで負けるわけにはいかない」
そう言ったかと思うと、海埜也は急に動きだし、首が取れてしまったように見えた。
いや、実際、邂から見れば取れたように見えたのだが、本当に海埜也の首が取れてしまったわけではなく、それは作りものだった。
精巧に作られたカラクリ、とでも言うのか。
首がなくなった個所から、本当の海埜也の首がひょっこり現れると、いっきに邂まで詰め寄り、邂の顔面を蹴り飛ばした。
すごい勢いで吹き飛ばされた邂の身体は、離れた場所でゆっくりと起きていた。
そこに近づいてきた海埜也は、邂との距離を一定に保ちながら見ていた。
「あーあ。どうも、自分ではそんなに何か考えて動いてる心算はねえってのに、かわされてるところを見ると、一応考えて動いてるってことか」
「そりゃそうさ。人間だれしも、いや、動物ならば必ず何かの意図があって身体を動かす。その意図こそ、思考回路と言ってもいいだろうからな」
「ほー。なら、何も考えずに動けるか、やってみるか」
「出来るならな」
挑発されるように言ってくる造卅だが、銀魔は出来るだけ自分の心を無にしてみる。
ただ身体が動くままに攻撃をしてみるが、やはりどうしても造卅には読まれてしまうようだ。
何度か試みたものの、造卅は楽々と銀魔の攻撃を避けることが出来た。
とはいえ、造卅は攻撃型ではないためか、こちらの体力が一方的に消耗しているともいえる。
「お前から攻撃はしてこないのか」
「俺はそんな野蛮なことはしないんだよ。そういうのは、瑪能生とか邂の役目だから」
「ただ避けるだけじゃ、俺には勝てねえぞ」
銀魔にそう言われると、造卅は一瞬表情を止めたようにも見えたが、すぐにまたニコリと笑う。
「ただ攻撃するだけじゃ、俺には勝てないってことだよ」
「・・・成程な」
確かに、幾ら攻撃をしたところで、相手にダメージを与えないと意味が無い。
こちらの体力が減るだけなのだ。
この時、銀魔はとてつもなく煙管を吸いたい気分になっていたが、我慢した。
「よし、終わったらにしよう」
銀魔の気持ちなど知らない人からしてみれば、何を言ってるんだこいつは、と思うかもしれないが、造卅はそんな銀魔の心を読んでいたため、小さく笑っていた。
「俺が相手になったこと、後悔させてやるよ」
「それは楽しみだ。なら、是非とも後悔させてほしいね」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
海浪と瑪能生は、ただ黙っていた。
どちらかが喋ればいいのかもしれないが、海浪から感じる何かよくわからない雰囲気に、瑪能生もつられてしまった。
ここで一言、何かを言えばすぐにでも海浪を殺すことが出来る。
瑪能生からしてみれば、容易なことだ。
少し経って、ついに瑪能生が口を開こうとしたその時、それよりも先に海浪が口を開いた。
「随分と、俺の弟子を可愛がってくれたみたいだな。まあ、あいつらにとっちゃ、これはこれで良い経験になったのかもしれねぇけど。それはあいつらが生きてるから言えることであって、もし死んでたら、お前は今頃そこにはいねぇだろうな」
「可愛がった心算はないし、操っていたのは邂で、私じゃない。始末しようと思えば出来たけど、ただ殺しただけじゃあなたたちは苦しまないし、ここにも来なかった」
「まあなんでもいい。俺も蟲の居所が悪いんだ。俺じゃなくて銀魔なら、多少なりとも手加減してもらえたかもしれねえが、俺は相手が女だろうと関係ねえ」
正面にいる瑪能生を見ると、海浪はニヤリと口角をあげた。
「ぶっ潰す」
「・・・勝手にすればいいわ。私はただ、邪魔な人たちを消すだけ。それに、女だからって手加減されるのは好きじゃないの。弱いくせに、よく吠える野犬なら、今までにも相手にしてきたのよ」
互いに牽制し合いながら、海浪と瑪能生は睨みあっていた。
ぐつぐつ・・・
「ん・・・」
久しぶりに目覚めたような、そんな感覚だ。
見覚えのあるような、ないような、いや、一度だけあった。
あれはいつだったか、確かその時には、自分以外にも誰かと一緒だったような・・・。
「師匠!!!!!」
がばっと勢いよく身体を起き上がらせると、そこには呼んだ名の人はいなかった。
「起きたか、天馬」
起きて一番最初に聞こえてきた声は、いつも何かしら言い争いをしている男のものだ。
「蒼真!師匠は!?なんで俺達ここにいるんだ!?」
「落ち着け。師匠なら無事だ」
起きて早々、蒼真の両肩を強く掴んでガクンガクンと前後に激しく動かしていた天馬だが、蒼真からの言葉を聞くと、安堵の表情を浮かべて脱力した。
ここはどこかと思えば、以前海浪に連れられてきた、大師匠の隠れ家だと気付いた。
そして蒼真の後ろには、見覚えの無い人影が二つあった。
「誰だ?そいつら」
「ああ。師匠の、ほら、武闘会で準優勝したっていう銀魔っていただろ。その人の弟子だってさ」
「ああ!なんかそんな話あったかも!」
銀魔の弟子の女の方は、天馬にも蒼真にもお辞儀をしながら挨拶をした。
「初めまして。私は風雅。銀魔さんの弟子。で、こっちは飛闇。同じく銀魔さんの弟子。よろしくね」
「・・・・・・」
「おう!」
風雅という女はある程度話をしてくれたのだが、飛闇は腕組をして目を瞑ったまま、まるで瞑想でもしているかのように、全く口を開かなかった。
蒼真に似てるとも思った天馬だが、蒼真とはまた違った空気をしていた。
「ほっほっほ。目が覚めたのかのう」
「大師匠!」
「森蘭師匠ですね。銀魔さんからお話は窺っておりました」
「そう堅苦しくなるでない」
四人の空気が怪しくなってきたところで森蘭が登場すると、みなその存在に縋るかのようにして一瞥する。
飛闇でさえ、目を開けて森蘭の方を見た。
「俺達はなぜ此処にいるんです?」
「覚えておらぬか・・・。話してやってもよいが、それを受け入れる覚悟が、お主らにあるか?」
何を話されるのだろうと、四人は互いの顔を見ていたが、みな頷いた。
そして、森蘭から全てを聞かされた。
海浪、銀魔が狙われていることも、自分たちが傀儡として2人と戦ったことも。
このままでは危険だと思った海浪と銀魔が、ここへ連れてきて託していったことも。
「そんな・・・。俺が、師匠を?」
「銀魔さんを・・・。なんてこと!!」
「お主らが悪いのではない。そう落ち込むな。海浪も銀魔は今、海埜也という男と共に決着をつけに言っておる」
「海埜也・・・」
一瞬にして落胆の顔を見せた四人に声をかけた森蘭だったが、その口から出てきた名前に、飛闇は反応した。
何処かで聞いたことがあるような、いや、確実にあった。
「知ってるのか?」
そんな飛闇の反応を見て、天馬が聞いた。
すると、飛闇は最初、天馬に対して応えるのを考えていたようだが、ここで黙っていても仕方ないと、知っていることを話した。
「海埜也というのは確か、闇の名で紅頭と呼ばれる男だ。相当な手練だと聞いている」
「紅頭と言えば、どっかの城にいた暗殺者じゃなかった?」
飛闇の言葉に風雅が尋ねると、飛闇は静かに頷いた。
「今言えることは、その三人を相手にしてしまった敵は不運だ、ということだな」
だから此処で待っていようと、四人は森蘭のもとで師匠たちを待つことにした。
それは長いようで短いような、そんな不思議な時間だった。
1人だけ、ちょっとついていけていない男もいたが・・・。
「へー・・・。なんかよくわかんないけど、すごいってことだな!」
「天馬、お前は寝てろ」