第16話信長、祇園に行く
文字数 3,398文字
「違う違う! 小手先で斬るんじゃなくて、身体を使って斬るんだ!」
八木邸の広い中庭。
怒鳴り声をあげているのは、指導役の沖田だ。
それに入隊したての隊士たちは汗を流しながら「はい!」と声を揃えて返答する。
新入りの彼らは小野川親方や壬生村の有力者の伝手で集められた。
信長が望んだとおり、農村や商家の次男以下の男子が多い。
必死になって鍛錬に取り組む姿に沖田も気合が入った。
何故なら沖田が鍛える隊士は、そのまま彼の隊に組み込まれるからだ。
試衛館派の隊士たちは全員天然理心流ではない。
流派の純粋な使い手は近藤と土方、井上に沖田だけである。
山南と藤堂は北辰一刀流、永倉は神道無念流、原田に至っては独自の槍術だ。
多数の流派が混在しているということは、剣筋や動きを読まれづらくなる利点もあるが、教えるとなると話は別である。まず、剣の構え方からして異なる。教わるほうが混乱するだけではなく、教えるほうもややこしくなる。
そこで信長が提案したのは副長助勤が隊士を選び、それで自分の流派を教えることだった。
己の流派だけ教えれば良いのに加えて、隊全体に一体感も生まれる。
さらに言えば、簡易的な師弟関係となるのも良かった。信頼と共に強い主従も生まれるのだ。
「よし! 今日はここまで! 解散!」
沖田の指導は荒っぽかったが、意外と伸びる者が多かった。
彼が才覚のある者を選んでいるのもあるが。
柄杓で水を飲む沖田に「終わったのか?」と暇そうにしていた信長が話しかける。
「ノブさん。せっかくだから稽古に付き合ってくれればいいのに」
「儂は剣術など習ったことはない。それにこいつしか扱えないからな」
短銃を見せびらかす信長に「気構えだけでもいいんですよ」と沖田は柄杓を桶に入れた。
「私は、それだけは教えられないですから」
「であるか。沖田、これから見廻りに出かけるのであろう? 儂も行くぞ」
「いいですよ……って、今日は祇園の日じゃないですか。まさか、それが目的ですか?」
祇園の日とは京の祇園を見廻る日付である。
信長はふひひひと笑いながら「鴻池から銭が届いたのだ」と言う。
「久方ぶりに遊びたいのだ。どれ、おぬしも行こうぞ」
「もう。あくまでも見廻りなんですからね?」
信長は「分かっておる」と言いつつウキウキしていた。
沖田は困った顔で溜息をつきながら、信長と一緒にいると楽しいからいいかと気持ちを改めた。
汗を手ぬぐいで十分に拭いて上着を整える。
「それでは、行きますか」
「うむ、参ろうぞ」
◆◇◆◇
「刀は太刀よりも打刀のほうがいいですね。短いほうが町中でも振り回しやすいですし」
「……おぬしは本当に剣術馬鹿だな」
男の欲望を満たすため、煌びやかな灯りの元、着飾った女たちがなまめかしく誘う――祇園。
盛況かつ怪しげな雰囲気の中、信長と沖田は見廻りをしていた。
しかし二人の話す内容は色っぽくない。沖田は剣術の話しか話さないし、信長はそれに相槌を打つだけだ。
美少年である沖田を見る女たちは嬌声を上げる。
時折、会釈をしてやるが中に入って遊ぼうとは思わないらしい。
その理由を訊ねると「まだ修行中の身ですから」と笑った。
「その年で女を知らんとは。先が思いやられるぞ」
「なんですか。ノブさんのほうこそ、馴染み作らないんですか?」
「良い女がいなくてな」
「ノブさんって奥さんいたんですか?」
過去形になってしまったのは沖田も気づかなかった。
信長は気づいていたが敢えて無視する。
「まあな。初めての妻は帰蝶という。美濃のマムシの娘だった」
「美濃のマムシ? 蛇から生まれた女性ですか?」
「マムシはあだ名よ。斎藤道三って知らんか?」
沖田は「斎藤道三? 斉藤さんの親戚ですか?」ととぼけたことをのたまう。
「油売りから美濃国の国主となった男だ。そうか、もうあまり知られていないのか……」
信長が珍しく寂しげな顔になったので、慌てて「いえ、私が物知らずなだけですから」と否定した。
「山南さんなら知っていると思いますよ」
「であるか。ま、舅殿は――」
信長は言葉を止めた。
それは沖田が足を止めたからだった。
視線を追うと――とある女に当たる。
白粉を品良く塗った小柄な少女――否、美少女。
ぱっちりとした目と整った鼻筋。
紅を塗った唇は明るい。
笑顔ではなく、無表情。だがどこか惹きつけられる。
紺色の派手ではない着物を着ていて、地味な印象を受けるが、それがまた奥ゆかしい。
咳をする仕草も様になっていた。
その美少女は格子の中にいた。
つまり、天神と呼ばれる遊女だ。
沖田の頬に赤みが増す。
そして、美少女と視線がぶつかる。
美少女は沖田を見て驚く――すぐに視線を外した。
それでも沖田はずっと、見惚れている。
信長はにやりと笑った。
こやつ、その娘に惚れたな?
◆◇◆◇
「沖田。お前の元気がないと、土方に言われてな。どうしたんだ?」
「…………」
あの日から二日が経つ。
沖田は物憂げに考え事をするようになった。
美少年が悩む姿は絵になるが、壬生浪士組でも指折りの剣士が腑抜けていると、全体の気が緩んでしまう。
「理由は分かるぞ。あの娘に惚れたんだろう?」
「…………」
「純情だのう。初々しくて見てられんわい」
「…………」
「……土方から今日は休めと言われているぞ」
それでも沖田は喋らない。
すると信長は「あの娘、年若いが相当美しかった」と言い出す。
「もう少し成長したら美女になるぞ。その前に儂が囲って――」
「なっ!? やめてくださいよ!」
ようやく反応した沖田に「ふひひひ、冗談だ」と信長がいやらしく笑った。
からかわれたことに気づいた美少年は仕掛けた第六天魔王を睨む。
「そんなに怒るな。さあ、祇園に行くぞ」
「……店の名前も、通りも忘れてしまいました」
「そんなに夢中だったのか? ま、安心しろ。儂は覚えている」
信長は沖田を無理やり引っ張って立ち上がらせた。
「あの娘を誰かに盗られちまう前に急ぐぞ」
「……はは。ノブさんって結構、面倒見良いんですね」
「ああ。家臣の婚約を考えたことぐらい、山ほどあるわい。森可成とかな」
そういうわけで二人は祇園の『牡丹屋』へと向かった。
なかなか店に入ろうとしない沖田を押しつつ、中へ入ると何やら騒がしい。
「尋常な空気ではないな。おい、何があった!」
信長がよく通る声で叫ぶと店の奥から「ああ、お侍さま!」と店の者がやってくる。
「お客さんが暴れとるのや! なんとかしてください!」
「――っ! ノブさん、行きましょう!」
信長の返事を待たずに沖田は駆け出す。
「掴みどころのない若者だと思ったら……面白い男である」
信長も後に続く。
そして開け放った襖から部屋に入る。
「なんじゃ貴様ら! 何者だ!」
そこには三人の武士――信長は不逞浪士と判断した――と怯えている例の美少女がいた。
沖田は「その子に何をした!」と怒鳴る。
「いやなに。この娘、客に対して愛想が無くてな。だから少し『指導』してやったのだ」
見ると美少女の頬が赤くなっている。
沖田はますます熱くなる。
「女を殴るなど、武士にあるまじきことだ!」
「はっ。ならば――」
三人はすらりと刀を抜く――美少女はますます怯えた。
沖田も刀を抜こうして――ぱあんと音が響く。
「ぎゃあああああああ!」
先ほどから喋っていた不逞浪士がどたんと仰向けに倒れる。
右肩から血が流れていた。
「なあおい。ふざけたことしているじゃねえか」
信長が短銃を彼らに向ける。
目が完全に据わっていた。
「な、なんだこの親父――」
そう言った不逞浪士にも発砲。
今度は左腕に当たる。
そして悲鳴。
「なあ、おぬし。身体に穴を空けられたくなければ、そいつら連れてどっか行けよ」
「ひいい!? な、何だお前は?」
信長は短銃を残りの男に向けて言う。
「弾はまだ残ってんだ。分かるよな?」
それは誰にでも分かる最後通牒だった。
男が二人を引きずって逃げ出す。
沖田は「良いところを取られてしまいましたね」と苦笑いした。
「いや。まだ取っておらん」
「えっ? だって――」
「女、慰めるのが残っているだろう」
沖田は隅で震えていた娘を見た。
まだ怯えている。
「儂は店の者と話してくる。その間、慰めてやれ」
「ノブさん……」
信長は沖田の肩を叩いてその場を去った。
第六天魔王は人の恋路の邪魔などしないのだ。
八木邸の広い中庭。
怒鳴り声をあげているのは、指導役の沖田だ。
それに入隊したての隊士たちは汗を流しながら「はい!」と声を揃えて返答する。
新入りの彼らは小野川親方や壬生村の有力者の伝手で集められた。
信長が望んだとおり、農村や商家の次男以下の男子が多い。
必死になって鍛錬に取り組む姿に沖田も気合が入った。
何故なら沖田が鍛える隊士は、そのまま彼の隊に組み込まれるからだ。
試衛館派の隊士たちは全員天然理心流ではない。
流派の純粋な使い手は近藤と土方、井上に沖田だけである。
山南と藤堂は北辰一刀流、永倉は神道無念流、原田に至っては独自の槍術だ。
多数の流派が混在しているということは、剣筋や動きを読まれづらくなる利点もあるが、教えるとなると話は別である。まず、剣の構え方からして異なる。教わるほうが混乱するだけではなく、教えるほうもややこしくなる。
そこで信長が提案したのは副長助勤が隊士を選び、それで自分の流派を教えることだった。
己の流派だけ教えれば良いのに加えて、隊全体に一体感も生まれる。
さらに言えば、簡易的な師弟関係となるのも良かった。信頼と共に強い主従も生まれるのだ。
「よし! 今日はここまで! 解散!」
沖田の指導は荒っぽかったが、意外と伸びる者が多かった。
彼が才覚のある者を選んでいるのもあるが。
柄杓で水を飲む沖田に「終わったのか?」と暇そうにしていた信長が話しかける。
「ノブさん。せっかくだから稽古に付き合ってくれればいいのに」
「儂は剣術など習ったことはない。それにこいつしか扱えないからな」
短銃を見せびらかす信長に「気構えだけでもいいんですよ」と沖田は柄杓を桶に入れた。
「私は、それだけは教えられないですから」
「であるか。沖田、これから見廻りに出かけるのであろう? 儂も行くぞ」
「いいですよ……って、今日は祇園の日じゃないですか。まさか、それが目的ですか?」
祇園の日とは京の祇園を見廻る日付である。
信長はふひひひと笑いながら「鴻池から銭が届いたのだ」と言う。
「久方ぶりに遊びたいのだ。どれ、おぬしも行こうぞ」
「もう。あくまでも見廻りなんですからね?」
信長は「分かっておる」と言いつつウキウキしていた。
沖田は困った顔で溜息をつきながら、信長と一緒にいると楽しいからいいかと気持ちを改めた。
汗を手ぬぐいで十分に拭いて上着を整える。
「それでは、行きますか」
「うむ、参ろうぞ」
◆◇◆◇
「刀は太刀よりも打刀のほうがいいですね。短いほうが町中でも振り回しやすいですし」
「……おぬしは本当に剣術馬鹿だな」
男の欲望を満たすため、煌びやかな灯りの元、着飾った女たちがなまめかしく誘う――祇園。
盛況かつ怪しげな雰囲気の中、信長と沖田は見廻りをしていた。
しかし二人の話す内容は色っぽくない。沖田は剣術の話しか話さないし、信長はそれに相槌を打つだけだ。
美少年である沖田を見る女たちは嬌声を上げる。
時折、会釈をしてやるが中に入って遊ぼうとは思わないらしい。
その理由を訊ねると「まだ修行中の身ですから」と笑った。
「その年で女を知らんとは。先が思いやられるぞ」
「なんですか。ノブさんのほうこそ、馴染み作らないんですか?」
「良い女がいなくてな」
「ノブさんって奥さんいたんですか?」
過去形になってしまったのは沖田も気づかなかった。
信長は気づいていたが敢えて無視する。
「まあな。初めての妻は帰蝶という。美濃のマムシの娘だった」
「美濃のマムシ? 蛇から生まれた女性ですか?」
「マムシはあだ名よ。斎藤道三って知らんか?」
沖田は「斎藤道三? 斉藤さんの親戚ですか?」ととぼけたことをのたまう。
「油売りから美濃国の国主となった男だ。そうか、もうあまり知られていないのか……」
信長が珍しく寂しげな顔になったので、慌てて「いえ、私が物知らずなだけですから」と否定した。
「山南さんなら知っていると思いますよ」
「であるか。ま、舅殿は――」
信長は言葉を止めた。
それは沖田が足を止めたからだった。
視線を追うと――とある女に当たる。
白粉を品良く塗った小柄な少女――否、美少女。
ぱっちりとした目と整った鼻筋。
紅を塗った唇は明るい。
笑顔ではなく、無表情。だがどこか惹きつけられる。
紺色の派手ではない着物を着ていて、地味な印象を受けるが、それがまた奥ゆかしい。
咳をする仕草も様になっていた。
その美少女は格子の中にいた。
つまり、天神と呼ばれる遊女だ。
沖田の頬に赤みが増す。
そして、美少女と視線がぶつかる。
美少女は沖田を見て驚く――すぐに視線を外した。
それでも沖田はずっと、見惚れている。
信長はにやりと笑った。
こやつ、その娘に惚れたな?
◆◇◆◇
「沖田。お前の元気がないと、土方に言われてな。どうしたんだ?」
「…………」
あの日から二日が経つ。
沖田は物憂げに考え事をするようになった。
美少年が悩む姿は絵になるが、壬生浪士組でも指折りの剣士が腑抜けていると、全体の気が緩んでしまう。
「理由は分かるぞ。あの娘に惚れたんだろう?」
「…………」
「純情だのう。初々しくて見てられんわい」
「…………」
「……土方から今日は休めと言われているぞ」
それでも沖田は喋らない。
すると信長は「あの娘、年若いが相当美しかった」と言い出す。
「もう少し成長したら美女になるぞ。その前に儂が囲って――」
「なっ!? やめてくださいよ!」
ようやく反応した沖田に「ふひひひ、冗談だ」と信長がいやらしく笑った。
からかわれたことに気づいた美少年は仕掛けた第六天魔王を睨む。
「そんなに怒るな。さあ、祇園に行くぞ」
「……店の名前も、通りも忘れてしまいました」
「そんなに夢中だったのか? ま、安心しろ。儂は覚えている」
信長は沖田を無理やり引っ張って立ち上がらせた。
「あの娘を誰かに盗られちまう前に急ぐぞ」
「……はは。ノブさんって結構、面倒見良いんですね」
「ああ。家臣の婚約を考えたことぐらい、山ほどあるわい。森可成とかな」
そういうわけで二人は祇園の『牡丹屋』へと向かった。
なかなか店に入ろうとしない沖田を押しつつ、中へ入ると何やら騒がしい。
「尋常な空気ではないな。おい、何があった!」
信長がよく通る声で叫ぶと店の奥から「ああ、お侍さま!」と店の者がやってくる。
「お客さんが暴れとるのや! なんとかしてください!」
「――っ! ノブさん、行きましょう!」
信長の返事を待たずに沖田は駆け出す。
「掴みどころのない若者だと思ったら……面白い男である」
信長も後に続く。
そして開け放った襖から部屋に入る。
「なんじゃ貴様ら! 何者だ!」
そこには三人の武士――信長は不逞浪士と判断した――と怯えている例の美少女がいた。
沖田は「その子に何をした!」と怒鳴る。
「いやなに。この娘、客に対して愛想が無くてな。だから少し『指導』してやったのだ」
見ると美少女の頬が赤くなっている。
沖田はますます熱くなる。
「女を殴るなど、武士にあるまじきことだ!」
「はっ。ならば――」
三人はすらりと刀を抜く――美少女はますます怯えた。
沖田も刀を抜こうして――ぱあんと音が響く。
「ぎゃあああああああ!」
先ほどから喋っていた不逞浪士がどたんと仰向けに倒れる。
右肩から血が流れていた。
「なあおい。ふざけたことしているじゃねえか」
信長が短銃を彼らに向ける。
目が完全に据わっていた。
「な、なんだこの親父――」
そう言った不逞浪士にも発砲。
今度は左腕に当たる。
そして悲鳴。
「なあ、おぬし。身体に穴を空けられたくなければ、そいつら連れてどっか行けよ」
「ひいい!? な、何だお前は?」
信長は短銃を残りの男に向けて言う。
「弾はまだ残ってんだ。分かるよな?」
それは誰にでも分かる最後通牒だった。
男が二人を引きずって逃げ出す。
沖田は「良いところを取られてしまいましたね」と苦笑いした。
「いや。まだ取っておらん」
「えっ? だって――」
「女、慰めるのが残っているだろう」
沖田は隅で震えていた娘を見た。
まだ怯えている。
「儂は店の者と話してくる。その間、慰めてやれ」
「ノブさん……」
信長は沖田の肩を叩いてその場を去った。
第六天魔王は人の恋路の邪魔などしないのだ。