第13話信長、教え導く
文字数 3,109文字
壬生大相撲と称された相撲興行は大いに盛り上がった。
小野川親方を中心とした親方衆の尽力もあるが、それ以上に功績が大きかったのは壬生浪士組だった。彼らは会場の警備や見物料の管理、席の割り当てなどの雑事を進んで引き受け、何の滞りもなく進めた。それは地元の有力者も惚れ惚れとする進行だった。
上手くいった理由は天然理心流が多摩に地盤を持っていたことに起因する。
彼らの流派は無骨さゆえに江戸では不人気だったが、田舎の農民には武士らしいと好評だった。
だから多摩に出張しての出稽古を数多く行なっていた。その経験で会場の設営が得意だったのだ。
また隊士の中にも勘定に明るい者が多数いた。特に土方は商家で奉公していたこともあり、数には強かった。山南も伊達に副長を担っているわけではない。神経質なほどきちっとしたやりとりは親方衆と地元の有力者の好感を集めた。
さて。そんな忙しい中、信長はというと何の手伝いもせず、相撲がよく見える一番上等な桝席に陣取り、力士たちの熱い戦いを楽しんでいた。
「よし、そこで投げろ! ……よくやったぞ!」
別に贔屓にしている力士などいないが、勝手に勝ちそうなほうを応援している。
周りの観客は騒ぎ立てる五十路の男に注目した。
それは何故か、信長が応援している力士が次々と勝っているからだ。
「ほう。よほどの好角家だとお見受けしますな」
信長の隣に座ったのは小野川親方だ。
彼は先ほどから信長に注目していて、白星をあげる力士がどうして分かるのか、面白げに思っていた。
「まあな。以前、城下で相撲大会を開いていた。確か、青地与右衛門と鯰江又一郎が決勝に残って、見事なものだから家臣に取り立てた」
「ほう。そのようなことが……」
小野川親方は信長を本物だとは思っていない。
しかし青地与右衛門の名は知っている。
戦国の世の力士であることも。
「尾張国にいたときは、鍛錬としてやっていたが、好むようになったのは上洛してからだ」
「……しかしよく勝つほうが分かりますな」
小野川親方の問いに「見れば分かるようになった」と曖昧に答える信長。
だがそれでは説明不足と思ったのか、詳しい話をする。
「体格や技量ではなく、勝とうという心が大事なのだ。要は気合だな」
「おっしゃるとおり、心技体では心が最も大事ですな」
「であるか。儂の考えは間違っていなかったようだ」
そんな会話していると「そこにいましたか、信長さん」と局長である近藤がやってくる。
小野川親方と互いに挨拶を交わして信長を挟むように座った。
「なんだ近藤。おぬしここで油を売っていていいのか?」
「ふふふ。手伝いもしない信長さんには言われたくないですよ。一息入れるようにとトシが気遣ってくれて」
「あやつも気配りするのだな。それで気疲れしなければ良いが」
その後、三人は黙って観戦していたのだが「話があるのならさっさと言え」と信長が催促した。
小野川親方が「私は外したほうがいいですね」と立ち上がろうとするのを近藤は手で制す。
「いえ。あなたもいてほしい。実のところ……信長さんのおかげで興行ができたと言ってもおかしくない」
「そのようなことはない。お前が頭を下げていれば同じ結果となっただろう。なあ、親方よ」
「ええ。織田様と同じくらい、近藤様も誠実であるとお見受けしました」
近藤は「だが興行をしようとは、私には思いつかなかった」と笑った。
「トシあたりが言い出しそうなことではあるが、私には発想すらなかった」
「それで、貴様は何を言いたいのだ? 親方が気を使って外そうとするのを止めてまで、聞いてほしいのだろう?」
近藤は寂しげに笑って「私は本来、壬生浪士組の局長に相応しい男ではありません」と言う。
小野川親方は「京の治安維持は重い任務です」と気遣って言う。
「しかしそれでも上手くやっていると市井の噂で聞いております」
「その噂の中には、商家を強請って金を奪っているともあります」
「それは芹沢局長がやっているとも聞いておりますよ」
近藤は「私は卑怯な男です」と信長と小野川親方に言う。
「芹沢さんのおかげで壬生浪士組は保っていると言ってもおかしくない。汚い仕事をやってくれているあの人のおかげで」
「…………」
「私は、己が清廉潔白であろうとする。それならば江戸で田舎道場でも継いで、生涯を終えるのがあっているのでしょう」
近藤は「こんなこと、信長さんや親方に言っても仕方ないが」と苦笑した。
「今ここにいること自体、間違って――」
「うつけが。そのようなことを言うな」
ぴしゃりと信長は近藤の言葉を遮った。
近藤だけではなく、小野川親方も背筋を正すほどの叱り方だった。
「頭を張ろうという男は、間違っても間違っているとは言ってはならんのだ」
「信長さん……」
「おぬしに付き従っている、土方や山南、沖田たちのためにも、言ってはならん。おぬしは珍しく真っすぐな性根を持っておる。己が正しいと思うほうへ進めばよい」
近藤は「しかし、それに反発する者がいれば、どうしたら良いのでしょうか?」と問う。
「私は、その者たちを抑える自信がない」
「逆らう者の処分など、おぬしが決めればいい。許したければ許せ。許せなかったら斬ればいい」
「それで、いいのですか?」
「頭を張るということは、そういうことだ」
信長と話して気が晴れたわけではない。
逆にずっしりと重荷を背負った。
しかし、それは存外心地の良い重さだった。
「おぬしに従う者は多い。土方や山南などはその筆頭だ。あの者たちを大切にせよ」
「それは重々承知の上です」
「――無論、儂も従うことにやぶさかではない」
「……えっ?」
思いもかけない言葉に近藤は目を見開いた。
信長はそっぽを向きながら「聞き返すな」とだけ言った。
そのやりとりを見て小野川親方は微笑ましい気持ちになった。
「なあ、親方よ。おぬしの人脈で隊士を集めたいのだが」
むずかゆくなったのか、話題を強引に変える信長。
小野川親方は「隊士をですか?」と疑問に思う。
「ああ。商家や農家の次男や三男に声をかけてくれ。運が良ければ武士になれると」
「武芸の嗜みがない者でもよろしいので?」
「当たり前だ。そこの近藤を見てみろ」
信長は近藤の肩を叩いた。
案外、強かったので前につんのめってしまった。
「天然理心流の道場主がいるのだ。一から教えるに決まっている。他にも免許皆伝者が大勢いるからな。教えられる者が多すぎるくらいだ」
「はあ……」
「それに弱くとも平気だ」
信長はにやにや笑いながら近藤と小野川親方に言う。
「尾張の兵は弱兵と呼ばれていた。それらを天下に通用する軍勢にしたのは儂よ。弱くとも勝てるようにしてやる」
「弱くても、勝てる……」
「ま、相撲には取り入れられないがな」
最後に冗談で締めくくった信長。
少し滑稽な言い方だったので小野川親方はつい吹き出す。
近藤もつられて大笑いする。
「お! 見ろ! 大一番だ!」
見ると大坂相撲と京都相撲の横綱同士の対決が始まろうとしている。
信長は興奮して「もっと近くで見てくる!」と土俵へ向かった。砂被りで見るらしい。
「初老の方とは思えませんな」
「ええ。まったくです。それでいて、頼もしくなる」
近藤は小野川親方に「私は年若く考えがしっかりとしていません」と言う。
「だから、あの人がいてくれて、こうして教え導いてくれると――随分と助かります」
「でしょうな。私も顧問としてほしいくらいです」
「それはいくら親方の願いでも聞き入れられませんな」
二人は信長が土俵に上がって行事の代わりをしようとするのを、土方が止めている光景を見ていた。
そして顔を見合わせて鷹揚に笑い合う――
小野川親方を中心とした親方衆の尽力もあるが、それ以上に功績が大きかったのは壬生浪士組だった。彼らは会場の警備や見物料の管理、席の割り当てなどの雑事を進んで引き受け、何の滞りもなく進めた。それは地元の有力者も惚れ惚れとする進行だった。
上手くいった理由は天然理心流が多摩に地盤を持っていたことに起因する。
彼らの流派は無骨さゆえに江戸では不人気だったが、田舎の農民には武士らしいと好評だった。
だから多摩に出張しての出稽古を数多く行なっていた。その経験で会場の設営が得意だったのだ。
また隊士の中にも勘定に明るい者が多数いた。特に土方は商家で奉公していたこともあり、数には強かった。山南も伊達に副長を担っているわけではない。神経質なほどきちっとしたやりとりは親方衆と地元の有力者の好感を集めた。
さて。そんな忙しい中、信長はというと何の手伝いもせず、相撲がよく見える一番上等な桝席に陣取り、力士たちの熱い戦いを楽しんでいた。
「よし、そこで投げろ! ……よくやったぞ!」
別に贔屓にしている力士などいないが、勝手に勝ちそうなほうを応援している。
周りの観客は騒ぎ立てる五十路の男に注目した。
それは何故か、信長が応援している力士が次々と勝っているからだ。
「ほう。よほどの好角家だとお見受けしますな」
信長の隣に座ったのは小野川親方だ。
彼は先ほどから信長に注目していて、白星をあげる力士がどうして分かるのか、面白げに思っていた。
「まあな。以前、城下で相撲大会を開いていた。確か、青地与右衛門と鯰江又一郎が決勝に残って、見事なものだから家臣に取り立てた」
「ほう。そのようなことが……」
小野川親方は信長を本物だとは思っていない。
しかし青地与右衛門の名は知っている。
戦国の世の力士であることも。
「尾張国にいたときは、鍛錬としてやっていたが、好むようになったのは上洛してからだ」
「……しかしよく勝つほうが分かりますな」
小野川親方の問いに「見れば分かるようになった」と曖昧に答える信長。
だがそれでは説明不足と思ったのか、詳しい話をする。
「体格や技量ではなく、勝とうという心が大事なのだ。要は気合だな」
「おっしゃるとおり、心技体では心が最も大事ですな」
「であるか。儂の考えは間違っていなかったようだ」
そんな会話していると「そこにいましたか、信長さん」と局長である近藤がやってくる。
小野川親方と互いに挨拶を交わして信長を挟むように座った。
「なんだ近藤。おぬしここで油を売っていていいのか?」
「ふふふ。手伝いもしない信長さんには言われたくないですよ。一息入れるようにとトシが気遣ってくれて」
「あやつも気配りするのだな。それで気疲れしなければ良いが」
その後、三人は黙って観戦していたのだが「話があるのならさっさと言え」と信長が催促した。
小野川親方が「私は外したほうがいいですね」と立ち上がろうとするのを近藤は手で制す。
「いえ。あなたもいてほしい。実のところ……信長さんのおかげで興行ができたと言ってもおかしくない」
「そのようなことはない。お前が頭を下げていれば同じ結果となっただろう。なあ、親方よ」
「ええ。織田様と同じくらい、近藤様も誠実であるとお見受けしました」
近藤は「だが興行をしようとは、私には思いつかなかった」と笑った。
「トシあたりが言い出しそうなことではあるが、私には発想すらなかった」
「それで、貴様は何を言いたいのだ? 親方が気を使って外そうとするのを止めてまで、聞いてほしいのだろう?」
近藤は寂しげに笑って「私は本来、壬生浪士組の局長に相応しい男ではありません」と言う。
小野川親方は「京の治安維持は重い任務です」と気遣って言う。
「しかしそれでも上手くやっていると市井の噂で聞いております」
「その噂の中には、商家を強請って金を奪っているともあります」
「それは芹沢局長がやっているとも聞いておりますよ」
近藤は「私は卑怯な男です」と信長と小野川親方に言う。
「芹沢さんのおかげで壬生浪士組は保っていると言ってもおかしくない。汚い仕事をやってくれているあの人のおかげで」
「…………」
「私は、己が清廉潔白であろうとする。それならば江戸で田舎道場でも継いで、生涯を終えるのがあっているのでしょう」
近藤は「こんなこと、信長さんや親方に言っても仕方ないが」と苦笑した。
「今ここにいること自体、間違って――」
「うつけが。そのようなことを言うな」
ぴしゃりと信長は近藤の言葉を遮った。
近藤だけではなく、小野川親方も背筋を正すほどの叱り方だった。
「頭を張ろうという男は、間違っても間違っているとは言ってはならんのだ」
「信長さん……」
「おぬしに付き従っている、土方や山南、沖田たちのためにも、言ってはならん。おぬしは珍しく真っすぐな性根を持っておる。己が正しいと思うほうへ進めばよい」
近藤は「しかし、それに反発する者がいれば、どうしたら良いのでしょうか?」と問う。
「私は、その者たちを抑える自信がない」
「逆らう者の処分など、おぬしが決めればいい。許したければ許せ。許せなかったら斬ればいい」
「それで、いいのですか?」
「頭を張るということは、そういうことだ」
信長と話して気が晴れたわけではない。
逆にずっしりと重荷を背負った。
しかし、それは存外心地の良い重さだった。
「おぬしに従う者は多い。土方や山南などはその筆頭だ。あの者たちを大切にせよ」
「それは重々承知の上です」
「――無論、儂も従うことにやぶさかではない」
「……えっ?」
思いもかけない言葉に近藤は目を見開いた。
信長はそっぽを向きながら「聞き返すな」とだけ言った。
そのやりとりを見て小野川親方は微笑ましい気持ちになった。
「なあ、親方よ。おぬしの人脈で隊士を集めたいのだが」
むずかゆくなったのか、話題を強引に変える信長。
小野川親方は「隊士をですか?」と疑問に思う。
「ああ。商家や農家の次男や三男に声をかけてくれ。運が良ければ武士になれると」
「武芸の嗜みがない者でもよろしいので?」
「当たり前だ。そこの近藤を見てみろ」
信長は近藤の肩を叩いた。
案外、強かったので前につんのめってしまった。
「天然理心流の道場主がいるのだ。一から教えるに決まっている。他にも免許皆伝者が大勢いるからな。教えられる者が多すぎるくらいだ」
「はあ……」
「それに弱くとも平気だ」
信長はにやにや笑いながら近藤と小野川親方に言う。
「尾張の兵は弱兵と呼ばれていた。それらを天下に通用する軍勢にしたのは儂よ。弱くとも勝てるようにしてやる」
「弱くても、勝てる……」
「ま、相撲には取り入れられないがな」
最後に冗談で締めくくった信長。
少し滑稽な言い方だったので小野川親方はつい吹き出す。
近藤もつられて大笑いする。
「お! 見ろ! 大一番だ!」
見ると大坂相撲と京都相撲の横綱同士の対決が始まろうとしている。
信長は興奮して「もっと近くで見てくる!」と土俵へ向かった。砂被りで見るらしい。
「初老の方とは思えませんな」
「ええ。まったくです。それでいて、頼もしくなる」
近藤は小野川親方に「私は年若く考えがしっかりとしていません」と言う。
「だから、あの人がいてくれて、こうして教え導いてくれると――随分と助かります」
「でしょうな。私も顧問としてほしいくらいです」
「それはいくら親方の願いでも聞き入れられませんな」
二人は信長が土俵に上がって行事の代わりをしようとするのを、土方が止めている光景を見ていた。
そして顔を見合わせて鷹揚に笑い合う――