6 出航準備3

文字数 2,227文字



 すがすがしい海風が吹き、春の日差しが日に日に強くなった。俺は、いつものように、チビタベッキア港へ、積み荷の点検に向かった。ところが、人夫たちの様子が変だ。荷は港に積み上げたままだし、見張りの兵士たちはたむろして、動こうとしない。それどころか、船の中から、木箱を運び出している。

 「どうしたんだ?」
顔見知りの大尉に、俺は尋ねた。
「ああ、ラップ」
軍服を粋に(と本人は思っている)着こなした大尉は、肩を竦めた。
「出航、取りやめになりそうだぜ。無期限延期とか」
「なんだって!?」

 ついさっき、パリから届いたばかりの情報を、大尉は教えてくれた。
 前に触れた通り、元サンブル=エ=ムーズ軍にいたベルナドットは、イタリア派兵を経て、外交大使となり、ウィーンに赴任していた。ところが、この4月の中旬に、ウィーンの暴徒が、フランス大使館に掲げられた三色旗を焼くという事件が起きた。(*1)

「なんたるやつらだ」
俺は憤怒した。
「奴らが焼いたのは、単なる旗じゃない。革命の精神だ」

「うむ。俺らのベルナドット将軍が、黙っちゃいまい。フランス政府もな」
 鼻息が荒い。この大尉は、2年前、ベルナドット将軍と一緒に、ライン河畔からイタリアへ来た将校だ。元からイタリアにいたオージュロー師団の兵士らと乱闘を始め、10ヶ月後、両師団まとめてサン=シル将軍から怒られ、ようやく、剣を鞘に納めた。当然、血の気が多い。
「再び、ウィーンへ進軍か!?」

血の気の多さでは、俺だって負けちゃいない。というか、革命の精神を拡げようという情熱は!
「ドゥゼ将軍の元に戦うのだ!」

顔を見合わせ、俺達は、頷き合った。


 この混乱は、しばらく続いた。
 だがやがて、オーストリア皇帝が、平身低頭、ベルナドットに謝罪したと伝わってきた。敗戦国の皇帝として、フランツ帝は、フランス大使に、強い態度に出られなかったのだろう。
 ベルナドットは皇帝の謝罪にも臍を曲げたまま、大使を辞し、フランスへ帰国した。(*2)

 チビタベッキアからの出航は、滞りなく行われることになった。







 「でも、いったいどこへ?」
 出航準備も終わろうという頃。俺達は、未だに、行く先を知らされていなかった。痺れを切らし、サヴァリが尋ねた。サヴァリは、俺より3つ、年下だ。そのせいか、物怖じということをしない。

 行く先は、誰も知らない。ローマでは、知っているのは、師団長のドゥゼ将軍ぐらいだろう。あと、学者のモンジュとか。軍の遠征になぜ、学者が同行するのか謎だったが、モンジュは、ボナパルト将軍が自ら、誘ったらしい。(*3)

 だが、行く先については、ドゥゼ将軍もモンジュも、固く口留めされている。それを、敢えて聞き出そうとするなんて、サヴァリの奴。

 案の定、ドゥゼ将軍は、困ったように顎を掻いた。
 ため息を吐き、彼は答えた。
「俺は逃げなかった、とだけ、覚えておいてくれ」

 出航準備に奔走していたドゥゼ将軍は、フランス軍の装備や食糧医薬等が、いかに準備不足であるかを、身に染みて理解していた。

 たとえば、エジプトに上陸してからわかったことだが、フランス軍には、水筒(フラスコ)が、圧倒的に不足していた。というか、全くなかった。
 砂漠の行軍で、どれだけの渇きに襲われたことか!

 また、靴は常に足りなかった。暑い砂の上を、兵士たちは、ぼろきれを足に巻き付けて何リューも歩き続けた。

 サヴァリは、水や薬の代わりになる酒精(スピリット)の不足を嘆いていた。ついには、ボナパルト将軍の分を回せと、司令本部と、侃々諤々のやり取りを始めたものだ。

 要するに、エジプトは、未知の大陸だった。フランス遠征軍は、対策も準備も、まるでできていなかった。



 「俺達の乗船するフリゲート艦の名を知っているか?」
ドゼ将軍が俺とサヴァリを等分に見ながら尋ねた。
俺達は首を横に振った。

「勇気号(la Courageus )というのだよ」

 勇気。
 その名は、ドゥゼ将軍にこそ、ふさわしい。
 だが、この時の彼は、自分の勇気を掻き立てようとしているかのように、俺の目には映った。
 ドゥゼ将軍は、この遠征を、無謀なものと考えているのか。

 ……「俺は逃げなかった、とだけ、覚えておいてくれ」

 エジプトに来てから、俺は、何度も、この言葉を思い浮かべている。
 そして、思うのだ。
 ドゥゼ将軍は、思慮深く、それゆえ、勇敢なのだ、と。







*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*

*1 ウィーンで三色旗が焼かれた事件
 「三帝激突」19話「Flaggenstraße(旗通り」に詳細あり。
 https://novel.daysneo.com/works/episode/9d5521055acd2834eb655f5745a1da5c.html
 遠征準備で忙しかったラップは、そこまで詳しく知らなかったと思うので、ここでは扱いませんでした。


*2 ベルナドット
 革命期からのフランス将校で、ナポレオンの元カノを妻にし、後にスウェーデン太子(王)になった、あの人です。


*3 モンジュ
 ガスパール・モンジュ。エジプト行を告げられたのは、前年夏、ドゥゼとほぼ同じ時期。自分の年齢を考え(50代に入っていた)、モンジュは断ったが、モンジュの妻を通して、ナポレオンが搦手から、彼を遠征に彼を引き入れた。ナポレオンは、彼に、父性を感じていたとか。("Bonaparte in Egypt" J.Christopher Herold)






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登場人物紹介


ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゥゼ

Louis Charles Antoine Desaix de Veygoux

1768.8.17 - 1800.6.14


ドイツでは「良い将軍 Bon Général」、エジプトでは「正義のスルタン Sultan Juste」と呼ばれた。

(どちらもフランス語だけど)


ブログ「ドゼー1」



ジャン・ラップ

Jean Rapp 

1771.4.27 - 1821.11.8


ドゥゼの副官

後、ナポレオンに仕え、彼の命を2度まで救う


ブログ「ラップ/ラサール」



サヴァリ

Anne Jean Marie René Savary

1774.4.26-1833.6.2


ドゥゼの副官

後、ナポレオンの帝国警備隊(インペリアル・ガード)に、その後、1810年、フーシェの後任として秘密警察長官に。ロビゴ Rovigo公爵

同時に、アンギャン公銃殺刑の強制執行、また、マレ将軍のクーデター(ロシア遠征時)に巻き込まれるなど、不名誉な評価もある


フリアン

Louis Friant 

1758.9.18 – 1829.6.24


エジプトにおける、ドゥゼ師団の将軍。


ちなみに、後に彼は、ナポレオンの妹の、最初の夫ルクレールの、姉妹の一人を妻にします。「鉄の元帥」で有名なダヴーも、同じくルクレールの姉妹を妻にします。つまり、フリアンとダグーは、義兄弟、ということになります。


そして、2人は、ナポレオンファミリーに取り込まれた筈、なんですが……。


ブログ「ナポレオンの妹たち2」



ベリアル

Auguste-Daniel Belliard

1769-1832

(登場はしていません)


エジプトでのドゼ麾下の将軍。タイトルにも借用した、ドゥゼとラップの

 “Vaincre ou Mourir!"

 "Vaincre!"

の文言は、この人の " Mémoires du comte Belliard" に記載されていました。ベリアルはその時、2人のすぐそばにいました。


以下は関連作品です。



ラップに書き置きを渡し、マンハイムへ赴いたドゥゼ師団のその後について、ダヴー視点で。図入り

「負けないダヴーの作り方」



1795マンハイム包囲戦~1798春まで、史実のみをまとめました。フランス革命戦争初期についても触れています

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者




なお、借用した肖像画はwikiからのパブリックドメイン作品です

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