第40話 底辺の者たちの逆襲

文字数 2,584文字

 フバルスカヤがザギスと会ったのは、奴隷市場に引き渡される直前の、地下牢の中だった。

 ザギスも、()えない場末の牢番だった。やる気なく、上官の目を盗んでは、ずっと酒を飲んでいた。

「くくく・・・おまえも、酒が好きなのか?」

 無精髭(ぶしょうひげ)を伸ばし、髪は乱れ、ほこりにまみれながら、フバルスカヤは見張りのホブゴブリンに話しかけた。

 ザギスは陰気な目を惨めな人間に向け、唾をはきかけた。

「うるせえ、気分良く飲んでるんだ。邪魔するな、人間」

「・・・私は落ちるところまで落ちた。もう、どうでもいい」

 ホブゴブリンに罵倒(ばとう)されながら、フバルスカヤは諦めに満ちたため息とともに、そうつぶやいた。

 そして、ごろりと砂の上に寝転がる。通気口になっている天井の穴には、鉄格子がはめられており、格子状に光の筋が差し込んでいた。ほこりが、光の中を舞う。その動きを見ていると、心が落ち着いた。

「正直なところ、もういつ死んでもいいと思っているが・・・もうひとあがきしてみるか?」

 自分に話しかけるようにつぶやく。

「うるせえ」

 ザギスが酒の入った杯を投げつけた。それは、鉄の(おり)に当たり、乾いた音をたてて床に転がったが、残っていた酒がフバルスカヤの顔にかかった。

 フバルスカヤはわずかに顔を動かしてその液体を避けたが、いくつかは乱れた髪や服にかかった。

 つんとしたその匂いを()いで、驚く。

「・・・これは、エンバの実を発酵させて作った酒か?」

 フバルスカヤの指摘に、ザギスは少し興味をそそられたような視線を向けた。

「おまえ、詳しいな?ゾニソン台地の南に、たくさん自生している果実だが・・・酒にしなきゃ不味(まず)不味(まず)い」

「たくさん、自生している?」

 フバルスカヤは青い目を輝かせた。一方のザギスは怪訝(けげん)な目をする。

「ああ、だが人間どもはエンバの実など食べないだろう?」

「・・・魔法の触媒として、しばしば重宝する。とくに、私の魔法の酒には、必要なものだ」

 フバルスカヤはそう言うと、腰にくくりつけていた最後の酒袋を取り出した。中は残りわずか、貴重なものだ・・・

 彼はそれを外すと、ザギスに放った。

「飲んでみろ、似たような味だ」

 ザギスはそれを受け取ると、不審な表情を浮かべながら栓を抜き、匂いを嗅いだ。

「たしかに、匂いは似ている・・・おまえ、魔法の酒と言ったか?」

「ああ・・・飲めば、強くなれる。きっと、どのホブゴブリンよりも」

「ふへへ、冗談だろ」

 ザギスは口元を(ゆが)めた。冗談に違いないと思ったが、その冗談が気に入った。

 ザギスはそれに口をつけると、一気に飲み干した。革袋を投げ捨て、腕で口元をぬぐう。

「ふぅ・・・なかなか、きつい味だな」

 フバルスカヤは、ゆっくりと牢の中で立ち上がると、腕組みをしながら次に起こる変化を待った。

「身体が・・・あついな」

 ザギスが、自身の手のひらを見る。

「なんか、いままでと違う感じだ・・・」

 フバルスカヤの目が見開かれる。

 酒が魔法の力となってホブゴブリンの身体を駆け巡り、魔法など(たしな)まぬごろつきに相応しくない魔力の霊気を周囲に放つ・・・少なくとも、フバルスカヤの目にはそう見えた。

「おお?」

 右手を見つめるホブゴブリンの顔に、みるみる活力がみなぎった。

「なんか、力があふれ出てくる感じがするぞ・・・ふへへ」

 フバルスカヤは目を閉じて、鉄格子のはめられた天井を見上げた。この()きだめのような場所に似つかわず、感極まって目には涙が浮かんでいた。

「私の魔法は・・・ホブゴブリンにも適合した!」

 ザギスは、嬉しそうな顔をしてフバルスカヤを見た。

「おまえ、凄いな」

 そこには、もはや人間の奴隷と(あなど)る声音はなく、純粋な賞賛があるだけだった。

 フバルスカヤは、親指を目に当ててにじみ出た涙をぬぐうと、ザギスに提案した。

「剣を持って、この鉄格子を()ってみろ」

 彼とザギスを隔てる鉄の(さく)を指し示す。

 ザギスは、一瞬怪訝(けげん)そうな目をしたものの、壁にたてかけていた剣をすぐに握った。()びかけ、刃こぼれした剣だ。こんなもので、頑丈な牢をどうにかできるわけがない・・・つい先刻までの彼なら、そう思っただろう。

 けれども、ザギスは不思議な自信に満ちあふれていた。

 最強のホブゴブリンになるという、先ほどの冗談、それが現実のものになるという確信があった。

 ザギスは腰を低くして剣を構えると、鉄格子へ向かってそれを一閃(いっせん)させた。さらに返す剣でもう一閃。鉄がぶつかる音に続いて、なまくらな剣が折れ、剣先が回転しながらその場に落ちたものの、たしかな手応えを感じていた。

 フバルスカヤとザギス、両者の期待に満ちた視線の先で、鉄格子は切断されていた。

「・・・すげえ!」

 ザギスは興奮した。

「ああ・・・すごいな」

 フバルスカヤも、静かに喜びを噛みしめながらつぶやいた。

「おい、おまえ。エンバの実の産地へ連れて行ってやるから、この酒をまた造ってくれよ」

 興奮冷めやらぬままに、ザギスは言った。

 つい先ほどまで、全てをあきらめ、この世界の底辺で()()てようと思っていたフバルスカヤの顔に、再び生気が流れ込んでいた。

「・・・私は、サントエルマの森で<酒解(しゅかい)のフバルスカヤ>と呼ばれていた。決していい意味ではなかったがな」

 彼は昔を懐かしむように目を細めた。そして、視線をホブゴブリンへ流す。

「おまえの名は、何という?」

「ザギスだ・・・つまらねえ酒飲みの牢番さ、今はな」

「牢番のザギスよ、これからは、<酔剣(すいけん)のザギス>と名乗るがいい」

 魔法使いの師が弟子に名誉を与える慣例にのっとって(おごそ)かにそういったが、そんないいものでは決してないという皮肉も同時に感じていた。

「<酔剣のザギス>、いいぜ気に入った。だが、剣の腕をもっと磨かなきゃな」

 ザギスは薄ら笑いを浮かべながらつぶやいた。

 フバルスカヤもうなずく。

「ああ、私もエンバの実を使った酒魔法の研究を、再開したい」

 数奇な運命によって結びついた二人の落ちこぼれは、互いの存在が自身の運命を変えることになることを確信していた。

「我々の本当の人生は、これから始まる。これは・・・底辺の者たちの逆襲だ」

 フバルスカヤは、鉄格子が嵌められた天窓から差し込む太陽の光を見上げながら、力をこめてそうつぶやいた。

 それから十年の時が流れ・・・フバルスカヤとザギスは、ゴブリン王国の脅威となって立ちはだかっていた。
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