第2話:将来の進路と城ヶ島へサイクリング

文字数 1,609文字

 経済学部に入って、何を勉強するのと聞かれて、株投資を始めて、財産をつくり大きな事をしたいと言った。具体的には、投資とはと聞かれ、まだ、わからないが、日本株、金投資、為替投資をしたいと考えていると言った。すると、吉崎君が、うちの父、吉崎が、N証券、橫浜営業所に勤めている教えてくれた。それを聞き、そりゃー都合が良いと、池墨が、笑った。

 吉崎君が、本当だなと言い、父にも面白いから話しておくよと語った。そして、雑談後、池墨は、家に帰った。数日後の日曜日、吉崎君のお父さんから電話が入り、息子から、君の話聞いたよと言われ、良かったら、来週の日曜日、1968年10月19日、午後14時頃、うちへ来て、話しないかと言われ、是非、お伺いしますと答えた。

 そして指定された日時に、池墨は、吉崎君の家を訪問した。そして、吉崎のお父さんに会うと、君、投資に興味持ってるんだってねと笑いなら言った。具体的には、聞かれ、日本株で、これからの注目される産業に興味を持って、その成長にかけたい。つまり投資してみたいというと、中学生で、そんな事を考えているとは、たいしたものだと、言ってくれた。

 確かに、これからコンピューター時代が来ると言われ、コンピューター、通信なんか面白いだろうと教えてくれた。そして、良かったら、昔、私が使った投資の入門書を読んでみるかと3冊の本を渡してくれた。これに対してありがとうございます、読ませていただきますと言い、読んだら、その感想を話してくれと言われ、了解しましたと答えた。

 その後、珈琲とビスケットをいただいた。池墨が、吉崎君のお父さんに、投資家になるためには何が重要ですかあと質問すると、まず計算が早くて正確なこと、次に、目の付け所だろうと言った。投資する頃までに教えてあげると言ってくれた。池墨が計算は得意で、数学は好きですと答えた。将来、頼もしいと笑いながら言った。

 やがて年が変わり1969年、吉崎君と池墨は、高校2年生になった。それから、受験勉強を本格的にはじめた。池墨は、数学は5、英語4、国語4であり、横浜国立大学経済学部の合格の可能性は、70%を越えた。一方、吉崎君は、翠嵐高校でも、学年ベスト10の成績で、横浜国立大学理工学部の合格の可能性は80%を越えた。

 その後、夏休みになり、高校の過去5年の試験問題集を買って、毎日、解いていた。そして9月に入り、10月には希望校を担任の先生と打ち合わせることになっていた。担任の先生との面談の時、池墨、志望校はと聞かれ橫浜国大経済学部と言うと、現在の成績で70%の合格確率ですねと言われ、もう少し成績をあげれば、入れると言ってくれた。

 ちなみに、吉崎の合格確率80%で、油断しなければ、合格圏内ですと言われたそうだ。しかし、その後も猛勉挙を継続して1971年を迎えた。そして、初詣に行って合格絵馬を書いて奉納してきた。そして、1971年2月の受験日に、上がらないように、落ち着く頃を心がけて受験会場に入った。

 そして、とにかく、早く、回答を書いて、見直す作戦で試験に臨んだ。思い通りに2回、答えを確認できた。3月上旬の合格発表の日、両親と共に橫浜国大へ出かけると受験番号を見つけて。ほっとした。そして、家から、走って25分、自転車10分で通うようになった。そして、高校では陸上部の長距離の選手になった。

 一方の吉崎君も合格したと連絡が入った。吉崎君は、橫浜駅からバスで15分、家から30分で高校へ着いた。そして、池墨は、家を8時に出て、8時15分には横浜国大につく様になった。そして、大学一年になると、吉崎君と自転車でサイクリングを楽しんだ。

 5月3日、握り飯とおかずを弁当箱に詰めてもらい、朝7時に黄金町駅前で待ち合わせた。そして、まず、浦舟の橫浜市立大学付属病院を抜けて、磯子方面に走った。16号線・横須賀街道を左折して、金沢方面に向かった。
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