第8話:池墨夫妻に子供誕生と新車購入

文字数 1,648文字

 1983年になり、達子さんの、お腹が大きくなって1983年3月30日から産休に入った。4月12日に産気づいて近くの産婦人科病医院に入院。そして、4月13日の朝、男の赤ちゃんを出産し、康一と名付けた。その後、約2年の間、慶子さんの実の母が来て、昼間、康一の面倒を見てもらうようになった。そして、伸介も、掃除、炊事、洗濯、買い物を手伝った。

 やがて、1983年が終わり、1984年になる頃には、康一がハイハイし始めた。そして、1歳になると、伝い歩きを始め、1984年6月には歩き始めた。最初は、よく転んだが、畳で上手に転んで、怪我をせずに済んだ。そして、1984年夏には、ビニールのプールに水を張り、水遊びをするようになった。

 来年4月、近くの保育園に入れて慶子さんも銀行員に復帰しようと考えた。秋が過ぎ、年が明け1985年を迎え、2月、近くの保育園に行き入園の資料をもらった。そして入園の書類を作成して3月に提出。それが、受理されて4月、入園できた。その後、池墨夫妻のどちらかが、早出か、早帰りをして仕事を続けることにした。

 そして、1985年を無事に乗り越えて1986年を迎えた。1986年の2月3日、慶子さんが、再び、体調不良を訴え産婦人科に行くと2人目と判明。出産予定日8月4日と告げられた。その後8月1日から産休に入り、2日、産気づいて産婦人科病院に入院。その後、1986年8月4日に朝、女の赤ちゃんを出産し名前を慶子と名付けた。

 9月15日から達子さんが、銀行にに復帰して、再び、実のお母さんに面倒を昼間の面倒を、お願いした。そして、1986年が過ぎて、1987年を迎えた。一方、株の方では、N証券の吉崎繁彦さんから早朝、電話が入り、その後、また暑い夏となりビニールプールに水を張りを団地のベランダで、水遊びをして長男の康一と達子が水遊びをした。

 慶子も歩き始めた。秋になりやがて冬が来て1987年が終わり1988年となった。その後、2月に2人目の子も近くの保育園に願書をもらいに行き、手続きをとって、3月に提出して、4月からの入園が許可された。その後、保育園で康一も達子も元気に遊んでいるようだった。やがて梅雨になり、あけると夏が来て団地のベランダにビニールプールをつくった。

 子供達は、喜んで遊んだが、康一が、大きくなってビニールプールでは狭くなった。そこで、来年から、市営プールに連れて行かないと納得しないように思えた。その年、9月に150万円で中古のトヨタのクラウンコラムシフト6人乗りを購入。その後、伸介の実家の両親と日曜日に子供2人と大人4人で金沢の海水浴場へ行ったり油壺の水族館に行くようになった。

 その他、多くの買い物しても大きいトランクがあり便利。遠くのスーパーで安い商品を売っていると聞くと車で、家族で買い出しにでかけた。そして11月には、熱海の温泉に家族6人で、出かけた。クラウンは、とにかく、乗り心地が良くて、快適だった。そして1988年が終わり、1989年を迎えた。

 その後、1991年4月、父の池墨信一が、橫浜銀行を定年退職して、奥さんと南九州に、4泊5日の旅行へ出かけた。退職金、1926万円をもらって退職後、旅行に出かける日が、増えた。伸介が、父に長い間、ご苦労様でしたと言うと意外にサバサバして、これからが楽しい人生だと、笑いながら言った。

 そして、宮崎、鹿児島、指宿温泉を回る5日間の旅行へ出かけた。やがて、お土産を買って、帰って来た。その時、両親が、スポーツジムに入ると言った。そして、母が帰ってくる18時、車でスポーツジムに通うようになった。 やがて、1975年があけて池墨家は、毎年初詣でに行く橫浜の伊勢神宮、伊勢山皇大神宮へ出かけた。

 今年も家内安全、商売繁盛のお願いをしてきた。その後、吉崎さんの家に新年の挨拶に行った。すると、吉崎君のお父さんに、世の中の流れで、どんな新製品が市場占有率1位になるかを予想し、それが、当たると儲けられる事。
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