1
文字数 2,268文字
わたしには透視能力がある。ものが透けて見えるというあれだ。
漫画や映画の世界では、透視能力を持つ人物が悪の組織に立ち向かったり、ギャンブルで勝って大金持ちになったりしているが、わたしは彼らのようにはなれない。透けて見えるものが、ポケットに限られるからだ。
あらゆるものが透けて見えたなら、昨晩だって今日の小テストのために必死に英単語を覚える必要なんてなく、カンニングペーパーを1枚用意するだけで済んだのに。
国道沿いの歩道、あくびで押し出される涙でにじんだ視界には、わたしと同じ高校の制服を着た男子生徒の後ろ姿が、車1台分くらい先に映っている。涙を拭って、焦点を彼のお尻の辺りに合わせてみる。するとたちまち、スラックスの一部がすうっと透けて、携帯が露わになった。まるでそこに張り付いているようで面白いけれど、特に珍しいものでもない。もう一度あくびをして、視線を上げた。
「寝る前になって、今日のテストのこと思い出したの。おかげで、5時間くらいしか寝てない」
昼休み、中庭のテラスでお弁当を食べながら、向かいに座るサトルにぼやいた。楓や銀杏の葉が色づき始めるこの時期は過ごしやすく、周りのテーブルも賑やかだった。
「思い出して、諦めてしまわないところが偉いね」
サトルは箸を止め、にっこりと微笑んだ。普段から細い目をした彼は、笑うと目がほとんどなくなってしまう。
「そうでしょ」
彼とわたしは恋人関係にある。1年生だった今年の3月、修了式の日にこの中庭に呼び出されて、好意を伝えられた。同じクラスではあったものの、ほとんど話したことさえなく、「付き合ってほしい」ではなく「まずは友達になってほしい」という申し出だった。わたしは「いいよ、付き合おう」と返事をし、彼を驚かせた。
包み隠さずに言うと、わたしは彼氏というものにあこがれていたのだ。そして自分はモテる方ではないという自覚があった。高い背に低い声、髪は癖が強くてごわごわしているし、目も黒目の小さな三白眼。おまけに変に落ち着いたところがあって、女子高生らしく
一方サトルの方はというと、彼もまた不特定多数の目を惹くタイプではない。背はわたしの方が高いくらいだし、運動が苦手で、話だって上手じゃない。ただ、イケメンとは言えないものの、さっぱりしていて悪い印象は与えない。性格も見た目通り極めて温厚だし、勉強に関しては学年でもトップクラスの成績を誇っていた。
それらを踏まえた結果が、あの返事である。
実際、当初の印象通り彼は優しく、こんなふうにわたしが低いテンションで話していても嫌な顔ひとつしない。勉強も教えてもらえるから、わたしの成績はずいぶん上がり、両親からの評判もすこぶる良い。
けれども最近ふと、揺らいでしまうことがある。
「ノゾミさんは、ロングスリーパーの気があるって言ってたもんね」
彼との間に、恋人らしい雰囲気が全くないのだ。付き合ってもう半年以上になるのに、手さえ繋いでいない。呼び方だって、苗字だったのをなんとか矯正したものの、
「毎日10時間眠りたいくらい」
実際のところ、わたしは彼のことが好きなのだろうか。人としてなら間違いなくイエスだ。子供のように無邪気な笑顔を見ると心が安らぐし、嬉しいことや嫌なことがあると真っ先に伝えたい。
しかし、異性としてはどうだろう。一緒にいて胸がときめいたり、顔が熱くなったりするかと言うと……そんなことはない、気がする。
にこにこしたサトルの肩越しに見えるテーブルにも、ひと組の男女が座っていて、先ほどから人目もはばからず互いの口に箸を運びあったりしている。あれはやりすぎにしても、仲睦まじいカップルを見るたび、なんだかもやもやしてしまうのが最近の悩みだった。
お互いの教室がある3階まで上がったところでサトルと別れたあと、手洗い場から出てきたユキと出くわした。同じクラスの友人だ。
人と出くわすとついポケットの中身を覗いてしまうのは悪い癖で、セーラー服の胸ポケットには猫のキャラクターのキーホルダーがついた自転車の鍵、そしてスカートのポケットには白いハンカチが綺麗に折りたたまれていた。
「今日も彼氏と? 良いなあ〜!」
ユキはわたしの腕にかかったランチバッグを見て、からかうように言う。
「ユキだって、先週まではそうだったじゃない」
「あう! ひどい、まだ傷が癒えてないのに……」
「自分がふったくせに」
「それとこれとは別なの」
ユキはいつも表情をころころと変える。愛嬌のある明るい性格に加え、小柄で、大きな瞳が印象的な可愛らしい容姿をした彼女は、いわゆるモテる女子である。つい先週までも、かっこいいと評判の先輩と付き合っていたし、その前の相手も同じように有名な同級生だった。愛用している花飾りのようなヘアピンがよく似合っていて、ふと目が合ったタイミングで微笑みかけられたりすると、女のわたしでさえ、抱きしめたいと思うことがある。
「ノゾミの彼氏って、西島 くんだよね?」
「そうだけど」
「西島くん、良いよね」
「え? そう?」
意外だった。わたしの知る限り、ユキの交際相手と言えばみんな派手なタイプで、サトルとはまるで雰囲気が違う。
「優しそうじゃん。友達が同じクラスなんだけど、めっちゃ頭いいんでしょ?」
そう言われて悪い気はしない。けどなぜだろう、胸がざわついた。
「真面目そうだし。結局、誠実なのが1番だよ」
ユキはなにかを思い出すかのように、遠い目をしてしみじみと言った。
漫画や映画の世界では、透視能力を持つ人物が悪の組織に立ち向かったり、ギャンブルで勝って大金持ちになったりしているが、わたしは彼らのようにはなれない。透けて見えるものが、ポケットに限られるからだ。
あらゆるものが透けて見えたなら、昨晩だって今日の小テストのために必死に英単語を覚える必要なんてなく、カンニングペーパーを1枚用意するだけで済んだのに。
国道沿いの歩道、あくびで押し出される涙でにじんだ視界には、わたしと同じ高校の制服を着た男子生徒の後ろ姿が、車1台分くらい先に映っている。涙を拭って、焦点を彼のお尻の辺りに合わせてみる。するとたちまち、スラックスの一部がすうっと透けて、携帯が露わになった。まるでそこに張り付いているようで面白いけれど、特に珍しいものでもない。もう一度あくびをして、視線を上げた。
「寝る前になって、今日のテストのこと思い出したの。おかげで、5時間くらいしか寝てない」
昼休み、中庭のテラスでお弁当を食べながら、向かいに座るサトルにぼやいた。楓や銀杏の葉が色づき始めるこの時期は過ごしやすく、周りのテーブルも賑やかだった。
「思い出して、諦めてしまわないところが偉いね」
サトルは箸を止め、にっこりと微笑んだ。普段から細い目をした彼は、笑うと目がほとんどなくなってしまう。
「そうでしょ」
彼とわたしは恋人関係にある。1年生だった今年の3月、修了式の日にこの中庭に呼び出されて、好意を伝えられた。同じクラスではあったものの、ほとんど話したことさえなく、「付き合ってほしい」ではなく「まずは友達になってほしい」という申し出だった。わたしは「いいよ、付き合おう」と返事をし、彼を驚かせた。
包み隠さずに言うと、わたしは彼氏というものにあこがれていたのだ。そして自分はモテる方ではないという自覚があった。高い背に低い声、髪は癖が強くてごわごわしているし、目も黒目の小さな三白眼。おまけに変に落ち着いたところがあって、女子高生らしく
きゃぴきゃぴ
することもできない。一方サトルの方はというと、彼もまた不特定多数の目を惹くタイプではない。背はわたしの方が高いくらいだし、運動が苦手で、話だって上手じゃない。ただ、イケメンとは言えないものの、さっぱりしていて悪い印象は与えない。性格も見た目通り極めて温厚だし、勉強に関しては学年でもトップクラスの成績を誇っていた。
それらを踏まえた結果が、あの返事である。
実際、当初の印象通り彼は優しく、こんなふうにわたしが低いテンションで話していても嫌な顔ひとつしない。勉強も教えてもらえるから、わたしの成績はずいぶん上がり、両親からの評判もすこぶる良い。
けれども最近ふと、揺らいでしまうことがある。
「ノゾミさんは、ロングスリーパーの気があるって言ってたもんね」
彼との間に、恋人らしい雰囲気が全くないのだ。付き合ってもう半年以上になるのに、手さえ繋いでいない。呼び方だって、苗字だったのをなんとか矯正したものの、
さん
付けだけは珍しく譲らなかった。「毎日10時間眠りたいくらい」
実際のところ、わたしは彼のことが好きなのだろうか。人としてなら間違いなくイエスだ。子供のように無邪気な笑顔を見ると心が安らぐし、嬉しいことや嫌なことがあると真っ先に伝えたい。
しかし、異性としてはどうだろう。一緒にいて胸がときめいたり、顔が熱くなったりするかと言うと……そんなことはない、気がする。
にこにこしたサトルの肩越しに見えるテーブルにも、ひと組の男女が座っていて、先ほどから人目もはばからず互いの口に箸を運びあったりしている。あれはやりすぎにしても、仲睦まじいカップルを見るたび、なんだかもやもやしてしまうのが最近の悩みだった。
お互いの教室がある3階まで上がったところでサトルと別れたあと、手洗い場から出てきたユキと出くわした。同じクラスの友人だ。
人と出くわすとついポケットの中身を覗いてしまうのは悪い癖で、セーラー服の胸ポケットには猫のキャラクターのキーホルダーがついた自転車の鍵、そしてスカートのポケットには白いハンカチが綺麗に折りたたまれていた。
「今日も彼氏と? 良いなあ〜!」
ユキはわたしの腕にかかったランチバッグを見て、からかうように言う。
「ユキだって、先週まではそうだったじゃない」
「あう! ひどい、まだ傷が癒えてないのに……」
「自分がふったくせに」
「それとこれとは別なの」
ユキはいつも表情をころころと変える。愛嬌のある明るい性格に加え、小柄で、大きな瞳が印象的な可愛らしい容姿をした彼女は、いわゆるモテる女子である。つい先週までも、かっこいいと評判の先輩と付き合っていたし、その前の相手も同じように有名な同級生だった。愛用している花飾りのようなヘアピンがよく似合っていて、ふと目が合ったタイミングで微笑みかけられたりすると、女のわたしでさえ、抱きしめたいと思うことがある。
「ノゾミの彼氏って、
「そうだけど」
「西島くん、良いよね」
「え? そう?」
意外だった。わたしの知る限り、ユキの交際相手と言えばみんな派手なタイプで、サトルとはまるで雰囲気が違う。
「優しそうじゃん。友達が同じクラスなんだけど、めっちゃ頭いいんでしょ?」
そう言われて悪い気はしない。けどなぜだろう、胸がざわついた。
「真面目そうだし。結局、誠実なのが1番だよ」
ユキはなにかを思い出すかのように、遠い目をしてしみじみと言った。