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文字数 2,498文字
日曜日の朝、倦怠感があって熱を測ると、37度を超えていた。思わず苦悶の声が漏れる。よりによってこんな日に。ひとまず、携帯でメッセージを送る。
『ごめん、熱出ちゃった。映画、行けないかも』
この日はサトルと夕方から映画を見に行く約束をしていた。それも、サトルが懸賞で当ててくれた試写会で、気になっていた公開前の作品が無料で観れるとあって楽しみにしていたのだ。
1階のリビングに降りて母にも伝えたら、「健康だけが取り柄なのに」と悲しそうな顔をされた。どうしてこんな仕打ちを受けなければならないのだろう。自室に戻ってベッドに入ると、携帯が鳴った。サトルから返信が届いていた。
『大丈夫? 風邪?』
『たぶん。ちょっと夕方までには治らなさそう。ごめん』
『全然いいよ。また公開が始まったら観に行こう。気にせず、ゆっくり休んでて』
『ありがとう。チケットもったいないから、誰かと行ってきて』
頭が重く、文字を読むのも打つのもつらい。幸い、次のメッセージで『分かった。お大事に』と切り上げてくれた。
翌朝、少し頭痛が残っていたが熱は下がっていた。どうせなら1日くらい学校を休みたかったのに、本当にタイミングが悪い。
昇降口で上履きに履き替えたところで、後ろから声をかけられた。
「おはよー! あれ? 風邪?」
ユキは振り返ったわたしの口元を覆うマスクを見て目を丸くする。
「おはよう。うん、たぶん。熱はもう下がった──けど」
途中で詰まってしまったのは、彼女の着ているカーディガンのポケットに目を奪われたからだ。
「大丈夫? なんだかぼーっとしてるけど。まだ熱あるんじゃない?」
わたしは慌てて首を横に振った。
「大丈夫。もともと朝は弱いの。低血圧だから」
「そっか、大変だね。けど、ちょっとでもおかしいと思ったら、早めに保健室行ったほうがいいよ」
「うん、そうする。ありがと」
教室までの間にも、何度か確認した。ポケットの中で二つ折りにされた紙切れは、印刷面が表側になっていて、目を凝らせば字面まで読み取ることができる。間違いない、それは昨日あった試写会チケットの半券だった。
1限目の英語の時間は機械のように板書を写し続けた。授業は耳に入ってこず、頭の中では考えが堂々巡りしていた。
普通に考えれば、ユキもまた懸賞か何かで試写会に招待されたのだろう。小さな町だし、ありえないことじゃない。
それでも、先日の発言が引っかかる。
『西島くん、いいよね』
いやいや、ユキはモテる女子ではあるが、魔性の女ではない。いくらなんでも、他人の、ましてや友人の彼氏に手を出したりはしないだろう。だいたい、ふたりの間につながりはないはず──いや、ユキの友達がサトルと同じクラスだと言っていた。サトルがクラス宛に相手を募り、それをユキの友達が見て、そこからユキに伝わるというのも──。
そのとき、突然肩を叩かれ、わたしはいらだちを隠せないまま横を向いた。
「なに?」
隣の席の男子が、怯えたような表情で黒板のほうを指さす。先生が眉間にしわを寄せていた。どうやら、わたしが何かを答えなければならないようだった。わたしは隣の彼に平謝りして、状況を教えてもらった。
授業が終わってすぐ、ユキがわたしの席にやってきた。
「やっぱり、まだ体調良くないんじゃない?」
「ううん、さっきは頭がさぼりモードだっただけ」
「なにそれ」とユキは笑う。
「さぼってたのを注意してあんな風に凄まれたんじゃ、渡辺 くんもいい迷惑だよね」
そう声をかけられた先ほどの男子、渡辺くんはビクッと体を一度震わせたあと、耳まで真っ赤にして「う、うん」と曖昧な笑みを浮かべた。女子に免疫のなさそうな男子たちは、ユキに話しかけられるとみんな彼のような反応を示す。きっとサトルだって同じだろう。ついまた、ユキのポケットに目がいった。
サトルと一緒に昼食をとるのは、火曜日と木曜日に決めていた。だから月曜日の今日は昼休みを別々に過ごし、1組のわたしと6組のサトルでは教室も離れているから、授業間の小休憩に廊下で顔を合わせることもなかった。
放課後になって、昇降口の外でサトルと合流した。
「体調、大丈夫?」
「うん」
わたしたちは駐輪場へ向かって歩き出す。サトルは自転車通学だからだ。
「いつ、熱下がったの?」
「完全に下がったのは今朝かな。昨日の夜はまだ微熱があったから」
そんな会話を交わしながらも、頭は別のことを考えていた。
もしかすると、サトルは普通にモテるのだろうか。思えば、6組は成績上位者だけで構成される特別進学クラスだ。勉強の出来に対する評価の比率が高くても不思議じゃない。容姿だって、1年生のころはその辺の中学生よりも中学生だったのに、近頃は少し大人びてきたようにも見えるし、わたしとの身長差も縮まってきている。普段、教室でどのように過ごしているのか知らないが、1年生のころとはずいぶん状況が違っているのかもしれない。
わたしよりもずっと可愛い子たちとも仲良くなって、3月の告白を後悔してたりするんだろうか──。
もしそうだとしたら、なかなか距離を縮めてこようとしないのも、納得できる。
──試写会、誰と行ったの?
その質問が喉まで出かかっていた。押しとどめているのは、真実を突き付けられることへの恐怖と、重い女だと思われてしまうのではないかという懸念だ。
「映画、上映が始まったら改めて観に行こうよ」
わたしの心境を知ってか知らずか、サトルは言った。
「……サトル、2回観ることになるじゃん」
わたしが進行方向を向いたままそう返すと、サトルは「あ」と短く声を上げた。
「言い忘れてた。試写会の券、母さんと妹にあげたんだ」
「そうなの?」
「うん。だってノゾミさんと観に行くつもりだったから」
サトルはいつも通り、柔らかな笑みを浮かべている。
「大丈夫、結末は聞いてない」
わたしの視線を勘違いしたのか、サトルはそんなことを言った。
ああ、なんだ。やっぱり思い過ごしか。心配して損した。だいたい、ユキが急にあんなことを言い出すからだ。
「うん、楽しみにしてる」
わたしは晴れ晴れとした気持ちで、そう答えた。
『ごめん、熱出ちゃった。映画、行けないかも』
この日はサトルと夕方から映画を見に行く約束をしていた。それも、サトルが懸賞で当ててくれた試写会で、気になっていた公開前の作品が無料で観れるとあって楽しみにしていたのだ。
1階のリビングに降りて母にも伝えたら、「健康だけが取り柄なのに」と悲しそうな顔をされた。どうしてこんな仕打ちを受けなければならないのだろう。自室に戻ってベッドに入ると、携帯が鳴った。サトルから返信が届いていた。
『大丈夫? 風邪?』
『たぶん。ちょっと夕方までには治らなさそう。ごめん』
『全然いいよ。また公開が始まったら観に行こう。気にせず、ゆっくり休んでて』
『ありがとう。チケットもったいないから、誰かと行ってきて』
頭が重く、文字を読むのも打つのもつらい。幸い、次のメッセージで『分かった。お大事に』と切り上げてくれた。
翌朝、少し頭痛が残っていたが熱は下がっていた。どうせなら1日くらい学校を休みたかったのに、本当にタイミングが悪い。
昇降口で上履きに履き替えたところで、後ろから声をかけられた。
「おはよー! あれ? 風邪?」
ユキは振り返ったわたしの口元を覆うマスクを見て目を丸くする。
「おはよう。うん、たぶん。熱はもう下がった──けど」
途中で詰まってしまったのは、彼女の着ているカーディガンのポケットに目を奪われたからだ。
「大丈夫? なんだかぼーっとしてるけど。まだ熱あるんじゃない?」
わたしは慌てて首を横に振った。
「大丈夫。もともと朝は弱いの。低血圧だから」
「そっか、大変だね。けど、ちょっとでもおかしいと思ったら、早めに保健室行ったほうがいいよ」
「うん、そうする。ありがと」
教室までの間にも、何度か確認した。ポケットの中で二つ折りにされた紙切れは、印刷面が表側になっていて、目を凝らせば字面まで読み取ることができる。間違いない、それは昨日あった試写会チケットの半券だった。
1限目の英語の時間は機械のように板書を写し続けた。授業は耳に入ってこず、頭の中では考えが堂々巡りしていた。
普通に考えれば、ユキもまた懸賞か何かで試写会に招待されたのだろう。小さな町だし、ありえないことじゃない。
それでも、先日の発言が引っかかる。
『西島くん、いいよね』
いやいや、ユキはモテる女子ではあるが、魔性の女ではない。いくらなんでも、他人の、ましてや友人の彼氏に手を出したりはしないだろう。だいたい、ふたりの間につながりはないはず──いや、ユキの友達がサトルと同じクラスだと言っていた。サトルがクラス宛に相手を募り、それをユキの友達が見て、そこからユキに伝わるというのも──。
そのとき、突然肩を叩かれ、わたしはいらだちを隠せないまま横を向いた。
「なに?」
隣の席の男子が、怯えたような表情で黒板のほうを指さす。先生が眉間にしわを寄せていた。どうやら、わたしが何かを答えなければならないようだった。わたしは隣の彼に平謝りして、状況を教えてもらった。
授業が終わってすぐ、ユキがわたしの席にやってきた。
「やっぱり、まだ体調良くないんじゃない?」
「ううん、さっきは頭がさぼりモードだっただけ」
「なにそれ」とユキは笑う。
「さぼってたのを注意してあんな風に凄まれたんじゃ、
そう声をかけられた先ほどの男子、渡辺くんはビクッと体を一度震わせたあと、耳まで真っ赤にして「う、うん」と曖昧な笑みを浮かべた。女子に免疫のなさそうな男子たちは、ユキに話しかけられるとみんな彼のような反応を示す。きっとサトルだって同じだろう。ついまた、ユキのポケットに目がいった。
サトルと一緒に昼食をとるのは、火曜日と木曜日に決めていた。だから月曜日の今日は昼休みを別々に過ごし、1組のわたしと6組のサトルでは教室も離れているから、授業間の小休憩に廊下で顔を合わせることもなかった。
放課後になって、昇降口の外でサトルと合流した。
「体調、大丈夫?」
「うん」
わたしたちは駐輪場へ向かって歩き出す。サトルは自転車通学だからだ。
「いつ、熱下がったの?」
「完全に下がったのは今朝かな。昨日の夜はまだ微熱があったから」
そんな会話を交わしながらも、頭は別のことを考えていた。
もしかすると、サトルは普通にモテるのだろうか。思えば、6組は成績上位者だけで構成される特別進学クラスだ。勉強の出来に対する評価の比率が高くても不思議じゃない。容姿だって、1年生のころはその辺の中学生よりも中学生だったのに、近頃は少し大人びてきたようにも見えるし、わたしとの身長差も縮まってきている。普段、教室でどのように過ごしているのか知らないが、1年生のころとはずいぶん状況が違っているのかもしれない。
わたしよりもずっと可愛い子たちとも仲良くなって、3月の告白を後悔してたりするんだろうか──。
もしそうだとしたら、なかなか距離を縮めてこようとしないのも、納得できる。
──試写会、誰と行ったの?
その質問が喉まで出かかっていた。押しとどめているのは、真実を突き付けられることへの恐怖と、重い女だと思われてしまうのではないかという懸念だ。
「映画、上映が始まったら改めて観に行こうよ」
わたしの心境を知ってか知らずか、サトルは言った。
「……サトル、2回観ることになるじゃん」
わたしが進行方向を向いたままそう返すと、サトルは「あ」と短く声を上げた。
「言い忘れてた。試写会の券、母さんと妹にあげたんだ」
「そうなの?」
「うん。だってノゾミさんと観に行くつもりだったから」
サトルはいつも通り、柔らかな笑みを浮かべている。
「大丈夫、結末は聞いてない」
わたしの視線を勘違いしたのか、サトルはそんなことを言った。
ああ、なんだ。やっぱり思い過ごしか。心配して損した。だいたい、ユキが急にあんなことを言い出すからだ。
「うん、楽しみにしてる」
わたしは晴れ晴れとした気持ちで、そう答えた。