第五話 僕とメイドの三原則

文字数 7,984文字

「失礼します」

 トン、トン……と扉をノックする音。

「どうぞー」

 僕が部屋でくつろいでいると、雑巾にバケツを持ったメリィが入ってきた。

「お部屋と廊下のお掃除、終わりました」
「わざわざ報告しにこなくてもよかったのに」

 水を張ったバケツを置き、社宅の玄関で靴を脱いで姿勢を正すメリィ。

 なんだかんだと時間は過ぎ――この屋敷で暮らして二日が経った。
 初日の頃は興奮して眠れなかった異世界での生活も、二日も暮らせば慣れていった。住めば都とはよく言うが、僕が元いた暮らしより、ここでの生活は快適だった。目覚ましを気にせず寝れるし、都会の喧騒もない。

 携帯は圏外――余計な電話を受けずに済む。スマホゲームができないのは寂しいけれど。

「メリィは、本当にすごいな……」

 ベッドから身を乗り出すような恰好で顔を覗かせた僕は、そう吐露した。ぴかぴかになった窓は、そこにはまるで何もないかのようで、絨毯には塵ひとつ見当たらなかった。

「旦那さまのメイドたる者、この程度の事ができなくてどうします」

 ポンっと胸を自慢気に叩くメリィの鼻は高くなっていた。
 基本的にはおしとやかなんだけど、褒められた時に見せる表情は、年相応というか、子どもらしくて。天使のようなメイドさんの笑顔が、見ている僕には何とも愛くるしかった。――言ってる事は、あくまで執事になっているけど。

「今度こそは、僕も手伝うよ」
「いえ、これはわたくしの仕事ですので」

 メリィはかぶりを振った。

 屋敷にも、生活する場は整ってある。トイレにキッチン、食事をするための大広間。

 さすが二十年僕らについて勉強した事だけはある。洋館の下には水道が引かれてあり、トイレは水洗。水は地下の下水道に流れる。

 魔法――というかどういう理屈かちゃんとした説明を受けていなかったが、部屋のウォシュレットもちゃんと使えた。部屋のコンロもテレビも点くし、コンセントに繋いで携帯も充電できる。基地局がないせいで、番組やネットは駄目だったけれど。

 ガス、水道、それに電気も使えない異界の地で、果たして生きていけるのか、なんて、異世界もののラノベを読みながら思っていた頃もあったけど、フィクション同様――意外に、魔法で大抵の事は何とかなった。ご都合主義だ! ――そう非難する時期が、僕にもあった。だが今、認めよう。

 ご都合主義万歳、魔法万歳。

「つかれたでしょ? 今お茶入れるから、適当に座ってて」
「次のお仕事がありますので。お気持ちだけ、ありがたくいただきます」

 部屋に籠りがちになっても、メリィはこうして毎日顔を出して僕の健康状態を確かめるし、食事だって決まった時間にここまで運んでくる。

 元々、僕の家はこの1ルーム分しかない。
 材料があれば簡単な料理くらい作れるし、風呂やトイレも問題なく使えるから、自分の事は自分ですると言っても、メリィは――僕には何もするなの一点張りだった。

 メリィのお世話の甲斐もあって、僕は、優雅で怠惰なニート生活に身を堕ちていった。
 部屋から出る機会はまったくと言っていいほど減り――堅苦しいスーツを脱ぎ捨て、Tシャツにだぼだぼなズボン。一切のお洒落を廃した服装は動きやすさを重視されている。

 メリィが用意した礼装は、この部屋――というか、僕には不釣り合い過ぎて……。

 黒の長袖のシャツは、アニメ進撃の●人、七つの●罪などのサントラを手がける有名な作曲家のライブで買った限定品。汗と涙が染みついた大切な宝物だった。

 これこそが――オタクとしての僕の普段着。正装であった。

「お部屋をお掃除します。すぐ終わりますので、旦那さまは大広間の方でくつろいでいてください」

「いっ、いいよ! 部屋くらい自分で片づけられるから!」

 僕は、半ば強引にメリィから掃除道具を引ったくった。

 好意は嬉しい、だけど、こう何度も何度もメリィに仕事を押しつけて、自分はのんびりしていると、罪悪感で気が変になりそうだった。

 というか、メリィにはまだバレてないけど――クローゼット、それにベッドの下には、見られたくない雑誌や、通販で買ったうすい本とかが隠れてあって……。

 持ち運びや保存など、手軽さ、という点では電子書籍の方が遥かに勝る。だがインクの匂い、紙を捲る際の手触りなど。ジャンルを問わず――僕は紙で読む派だった。

 それはさておき。

「メリィは休んでいいから」

 こうも強く言わないと是が日でも掃除をはじめそうだったので、思わす僕は声を荒げてしまった。

 それが――どうやら逆効果だったみたいで、

「……ひっ、ぐす……ひぐっ……!」

 僕が見ている前で、メリィは何と――泣き出した。

「メリィ!?」
「申し、訳……ございっ……ません……!」

 しゃくり上げた声で、メリィは絞り出すように謝罪の言葉を僕に述べた。

「べつに、そんなつもりで言ったつもりじゃ!」

 動揺して日本語がおかしくなってしまう。

 僕があたふたしている間にも、泣き止むどころか、川が氾濫するようにメリィの瞼から涙が溢れ出す。

 奥歯を噛み、スカートを握り締める様子は――何かを悔しがっているようにも見えた。

「……わたくしが、至らないばかりに、旦那さまに……無用な気遣いをさせてしまって。()()()――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()…………っ!」
「何を言って――?」

 誤解を与えたのは僕だが、話があまりにも飛躍していた。

 はっ! と我に返ったように、涙を拭いたメリィは僕に背を向けると、

「しつれい、します……」

 そう言い残し――部屋を後にした。

***

「メリィ、入るよ?」

 部屋の扉は開いていた。

 メリィの部屋――つまりはメイドの控え室は僕の部屋とは隣どうしだった。いつ何時、僕に何かあった時、メリィが駆けつけられるようにするために。

「旦那、さま……」

 化粧台に腰を下ろしたメリィは、顔を拭いて、涙で落ちてしまった化粧を直している最中だった。

「ミルクを入れたんだけど、よかったら」

 湯気の立つマグカップを差し出すと、メリィは僕からさっと顔を伏せた。

 嫌われた――と最初は思ったが、化粧道具を急いで片づける姿に、そうではないと知る。

「いただきます……」

 渋々――いや、おっかなびっくりに、メリィは僕からカップを受け取った。ここでまた気を遣うと却って傷つけてしまうと内心ドキドキしていたが。僕はほっと胸を撫で下ろした。

「先ほどは、お見苦しい姿をお見せして……申し訳ありませんでした。すぐに、仕事に戻ります」

 ミルクを眺めながら、掠れた声でメリィは言った。

 こんな事になってもまだ――彼女は僕に尽くそうとする。

「……座っても、いい?」

 できるだけ刺激しないよう、化粧台の後ろにあるベッドを手で差しながら、僕はメリィに言った。

 こくん、とメリィは頷いた。
 上目遣いに小さく頷く様子は、まるで小鳥のようで、僕の母性というか父性というか、そういった心の部分がきゅんと高鳴る。

 控え室は、質素、というかひどく殺風景な部屋だった。メイドの部屋という事もあってか清潔にされてはいるけど、わずかな家具しかなく、ベッドのシーツは白の無地、化粧台に指輪やネックレスといったアクセサリー類は見当たらず、身だしなみを整えるだけの場である事が垣間見えた。他には押し入れ――どれもこれも、家具は質素な造形のものばかりだった。

「メリィも、座ったら?」
「シーツを汚しても、いけませんし……。それに、わたくしめが、旦那さまのお隣など」

 逡巡するメリィに肩を竦めながら僕は、

「僕が横じゃ、不服かな?」

 なんて、芝居がかったように言ってみる。

「めめっ……滅相もございません! 不服なのは――むしろ、その……旦那さまの方で」

 もごもごと口を動かすメリィを、僕は言葉で制した。

「座って」
「……はい」

 ようやく、メリィは音を上げた。

 ぎしっ、と二人分の重さに鳴るベッド。
 隣で俯くメリィは、僕の肩くらいの高さしかない。

 ――…………。

 気まずい!

 ここまで場を持って来たはいいが、一体何をすればいいのか。

 ここは、素直にさっきの事を謝る? 
 駄目だ! 僕が謝罪なんかすれば、メリィはますます自分を責めてしまう。

 発想を変えて――メリィに部屋を掃除して…………って、根本的な解決になってない!

「――旦那さまは、どうして……わたくしに優しくしてくれるのですか?」
「どうしてって……」

 唐突に切り出すメリィ。

 なぜか――僕の脳裏に嫌な予感が巡った。

「わたくしみたいな……卑しい身分の亜人に」
「メリィは、僕のためにとても頑張ってくれてるよ! 卑しいだなんて」

 どうして優しくしてくれる。

 ――そう思っているのは、むしろ、僕の方で。

 覚悟を決めるように――くぴっとミルクを飲んで、メリィは、僕に語りはじめた。

「わたくしの先祖……ハミング家は、大戦の(おり)、【人間種(ヒューム)】と協力し多くの武勲を立てました。その功績を称えられたわたくし達は……亜人でありながら、このミレニアシル王国で市民権を得るようにまでなったんです。【森棲種(エルフ)】の希少種である【丘上種(ココット)】は、気配を察知されづらく、大戦が終結しても――王国からの勅命で様々な隠密任務を遂行しました。敵国への潜入、領内に棲みついたドラゴンの討伐。どれも――己を偽り、他人を騙すような任務ばかりでした…………」

 聴くと、屋敷の建っている場所は、元はこの一帯を支配していたドラゴンの巣で、地下の財宝はドラゴンが蓄えていたものをメリィが奪ったのだとか。

 つまり――これまでの話に出てきた、隠密行動を遂行した【丘上種(ココット)】というのは、やっぱり…………。

 僕の嫌な予感は、見事に的中した。

 異世界を扱ったファンタジーでも、それは時おり見かけられる。ぶっちゃけ、割と僕も好きなジャンル――――訳ありメイドさん。

 だが、まさかメリィがその類だったとは。

「わたくしは、旦那さまが思っておられるような人間じゃないんです……!」

 完全な誤算。

 出逢ってわずか二日で、僕らの関係を大きく揺るがす事態に直面するなんて。もっと、それこそメリィをよく知ってから事に臨むべきだった。

 こんな時――かの偉大な異世界系主人公の皆さま方は、何と言って切り抜けてきたか。

 思い出せ、記憶を辿るんだ。

 ――〝笑いながら肩組んで、明日って未来の話をしよう〟

 いやそれ死に戻った後に双子の妹に言ってあげるセリフぅううううううう! いい言葉だけど、ここじゃ使えん。夏の木も小さな林にも僕には荷が重すぎる。

 大芸大の授業で――こんな時、どんなセリフを吐いたらいいと先生は言っていたっけ? 

 偉大なる先生方、僕に力を――!

「メリィ!」
「はいっ!?」

 くわっと見開いた僕にいきなり手を摑まれ、メリィも、激しく目を瞬かせた。

 落下した二つのカップに床が乳白色に染まっていく。

 互いに触れ合う手に感じる動悸は、メリィ、それとも――僕のものか。

「メリィ、君は……とてもかわいい! むずかしい言葉なんて、無駄になるほど……!」
「わたくしが……かわい、い……?」

 瞳を瞬かせる。唐突な出来事に混乱する意思表示だ。

 艶やかに湿った唇は、戸惑いに震えていた。口にした自身の言葉を受け止められずに。

 そんな事、ある訳がないと――。

「頑張り屋さんで、気配りが上手で、小さくてかわいい、僕のメイドさん。――それが、僕の知ってるメリィ=ハミングという人間で、……」

 僕がメリィと知り合った時間は、あまりにもまだ短い。ラノベにしろ他のコンテンツにしろ、序盤にも満たない。

 僕達は、まだ――互いについては何も知らない。

 ……だからこそ。僕がメリィをどう思っているか。

 なんて、悲しい事をメリィには口にしないでほしかった。

「いいかいメリィ?」

 女の子を励ます時、主人公はいつだって、周りくどくて恰好つけて。

 僕はラノベの主人公でもなければ、ここは僕の知る異世界じゃない。

「かわいい女の子に世話されて…………迷惑に感じる男はいないんだ!」

 単純で、何の面白みもない。他人が口にするだけで全身に鳥肌が立つくらい、気持ちをストレートに伝えるんだ。

「日本の男はみんな、ロリコンだ。ロリコンじゃない日本男児を日本で見つけるなんて、ロリコンを探すより不可能に近い。父性愛、母性愛、兄妹愛に姉妹愛――人はこの世に生まれる瞬間、身体と意識、そして――小さいものを愛でる愛を持っているんだ」

 拳を固く握り締め、僕は、一体何を力説してるんだ……。

 というか、これまでの言動を振り返ってみると、僕は大学でロリコンとは如何に素晴らしい存在かを先生から教わった事になっていた。

「容姿だけでは、わたくしは……旦那さまのお役には」
「かわいいは、そこにいるだけで正義で、正解なんだよ!」

 古来より、様々な文化、様々な宗教で正義の定義は異なり、真の正義の探求は人類に課せられた永遠のテーマである。

 だが、そんな中、ひとつだけ確かな不変のルール。

 ――かわいいは正義――!

「メリィみたいにかわいい女の子の力になりたいのは、男として当然の事なんだ!」

 ここに来て、ずっと感じていたメリィに対する違和感の正体。

 炊事、洗濯、掃除。メリィの家事はどれも完璧で、ひとり暮らしをはじめたての僕なんか足許にも及ばない。気配りにも抜け目がない。徹頭徹尾――彼女は本物のメイドさん。

 けれど、僕のためにメリィがしている事は、全て――メリィが他者を騙すために覚えたスキル。知らない料理も作れ、広い屋敷もたったひとりで綺麗にしてしまう。こんなにも仕事熱心な子が間者とは、誰も想像しない。

 その功績を、国は褒め、大いに称えた事だろう。

 そして今、手に入れたスキルで、メリィは僕の面倒を見ている。

 つくられた偽物まみれの自分が、果たして本当に、主人のメイドになれているか不安を抱えたまま。

「これまでメリィが、どんな日々を過ごしてきたかなんて、僕は知らない」
「だから、過去を知った旦那さまは、きっと幻滅され、わたくしの事なんか……」
「知らなかったから――僕は君に言えたんだ。メリィ=ハミングは、僕のかわいい、自慢のメイドさんだって!」

 目を瞬かせるメリィは、やっと気づいたようだった。

 出逢ったばかりの僕は何も事情を知らない。

 だから――まっさらな本心から、僕はメリィに気持ちを伝える事ができた。

「今なら、まだ間に合う。僕らはまだ、出逢ったばかりなんだから。だからおねがい――僕にも、少しくらい苦労させて?」

 思い浮かぶ僕の言葉は、どれもありきたりで、曖昧で。メリィの事を言えないくらい、口にする度ちゃんと励ませているかどうか自信を失くし。こんなやり取り、僕が今まで見てきたお話では何度も、見飽きてしまうくらい繰り広げられていた。

 でも――とも僕は、信じていた。

 この世界は、お話ではない。あからじめ決まった設定の中でキャラクターは動かない。

 未来をどんな形にするか――それは、僕の次の言葉次第なんだ。

「わたくしの役目は、この世界で旦那さまが何不自由ない生活を送っていただくお手伝いをする事です。そのわたくしから、旦那さまに苦労するようなお願いをする訳には……」

 メリィの意志は堅い。

 そんなメイドさんの主として、僕は彼女の考えも尊重したかった。

 ……しかし一体どうしたものか。

「なので――命令、してください」
「命令……?」
「旦那さまが、わたくしに望む事を…………」
「命令、命令かー……」

 なるほど。命令という(てい)なら、メリィも僕のお願いを聞きやすくなるかもしれない。命令、というのは上から目線な言い方で、メリィの面倒を見る立場から首を縦に振る訳にはいかないが。

 規則。原則……――もっとファンシーに。

「……わかった。でも、僕はメリィに命令はしない」

 提案を却下されたと思ったのかメリィが顔を伏せる。

 ああもう、行動一個一個がかぁいいなーオイッ!?

「ちがうちがう。……僕がメリィに決めるのは、ルールだよ」

 生活の中で共通のルールを決めておけばお互い過ごしやすくなる。仕事上だと、決まり事があるのは縛りのように働いていると感じる。だが、何も決まっていないと――いざという時どう動けばいいのか判らない。アルバイト時代の経験を通じてしみじみ実感した。

 大抵は、簡単なルールを一つ決めるものだけど。

 メリィの場合、これだと、(かえ)ってルールに縛られ行動を制限する。真面目というか――メリィはまっすぐな性格なので、いくつかルールを用意し柔軟な対応ができるようにしておきたかった。

「では――まず一つ目」
「一つでは、ないのですか?」
「その方がメリィも働きやすいと思って」
「わたくしのような者のために、そこまで考えてくださって。……何とお詫びすればよいか」
「まずはそれ。メリィは――〝これからもっと自分に自信を持つ事〟」

 僕はメリィに一つ目の〝ルール〟を発表した。

 真面目で、弱音を口にする人ほどネガティブな思考に囚われやすい。他人を大事にする一方、自分の事になると途端に自信を失くし、あれこれ悩みを溜め込んでしまう。

 ――自分が、そんな人間だから。

 そんなメリィのいいところを、共に過ごした二日間で、僕はたくさん()った。

「二つ目のルールは――〝メリィは僕からの要求をいつでも断れる事〟」
「旦那さまからの要求を、わたくしが断るなんて……!」

 メリィはかぶりを振ったが、これは――僕が、僕自身に課したルールでもあった。

 その要求が、メリィに負担をかけないかどうか、僕は常に意識しなければならない。

 メリィの行動決定の基準である、屋敷の主である僕が、メリィが断るような無理な命令や要求を下してはならない。

「こうすれば、メリィが僕のせいで無理ができなくなるだろぅ?」
「それは! ……確かに、そう……ですが……」

 悪戯(いたずら)っぽく笑ってみせると、メリィは口をとがらせながら唸った。

「そして三つ目。これで最後。〝主と従者は助け合う事〟。助けるでも、助けられるでもなく」
「はっ、はい……」

 首肯しながら呟くメリィの歯切れはそれでも悪い。

「しかし……わたくしは、一体どうすれば」

 メリィが想定していた〝命令〟を僕は敢えて避けた。戸惑うのも判る。

 だが同じ屋根の下で暮らす以上、一方的に助け続けるのも助けられ続ける関係も僕は嫌だった。

 ――改めて。面と向かってメリィにこれまでの気持ちを伝えた。

〝ルール〟の一つ目だ。

「いつもありがとう……メリィ」

 恥ずかしくても、照れくさくても。
 今日まで無事に僕がこの世界で生きていられたのは、メリィがいてくれたお陰だった。

 この想いだけは、僕の口からメリィに直接伝えたかった。

 確固たる意志と自信を持って打ち明けられる、僕の精いっぱいの、感謝。

「これからも、よろしく。君がいてくれて、本当に助かった」
「……っ!?」

 メリィの顔がみるみる紅くなる。
 熱は耳まで真っ赤に染め。ぼんって擬音をつけるなら、こんな時を言うんだろうな、きっと。

 あわあわとメリィはまた何かを言いそうになるが、堪えるようにぐっと唇を噛み締めて――しばし間を置いた後、やがてふっと解けた口は……太陽のような笑顔を浮かべた。

「……はい。旦那さまのお側に仕える事ができて、わたくしも、とても幸せです……! 不束なメイドですが、これからも、どうぞ……よろしくお願いしますっ!」

 やがて、つま先に感じるぴちゃんと冷たい感触。

「すぐに片づけますね!?」
「メリィは座っててよ! 元々僕がこぼしたんだし」

 タオルを取りに行こうとし、僕らは扉の前で立ち止まった。

「…………」
「…………。――では、いっしょに」
「あざます……」

 それから、僕達はこぼれたミルクを協力して拭き終えると、新しいミルクを温めた。
 
 それはもちろん、二人分。


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