第九話 いざ往かん、王の都へ
文字数 4,210文字
太陽が一番高く昇る頃、僕の姿は洋館の庭にあった。
陽の光を吸収して暖かくなった芝生。そよ風に吹く草の心地よい香り。
「気持ちいいかい?」
たわしを手にしながら僕は、地面に伏せる一頭の竜にそう問いかけた。
「お待たせしました!」
屋敷の方からバケツを手に走ってくるのは、メイド服の袖をまくったメリィだった。
「ごめんね、手伝わせてしまって」
「いえ。こうして旦那さまのお手伝いに呼んでいただけて、わたくしも嬉しいです」
頬を赤らめながらメリィがそんな事を言うものながら、僕は照れて後頭部をぽりぽりと掻く。
「陛下が約束された時間までもう少しありますので、わたくしは馬車の準備をしてまいります」
ポケットから取り出した招待状を広げると、一礼したメリィは馬車を停めてある車庫の方へと向かった。
事のはじまりは今朝――王宮から僕宛に一通の手紙が早馬で届いた。先日のエレン脱走の件で、王政府がぜひお詫びがしたいのだとか。
「でも……一体、何の用だろう?」
丁寧な日本語で書かれた手紙の他に、封蝋で封印された封筒にはもう一通手紙が同封されていた。文末の差し出し人は、覚えたての拙い平仮名で『えれん』とあった。何でも僕にどうしても自慢したい事があるらしい。
という事で――この世界に来て初となる外出の機会を貰った僕は、王都へ赴く前に、地竜の世話をメリィに買って出たのである。
「馬車の準備、完了しました」
戻ってきたメリィの手には、革製の手綱のような太い紐が握られていた。
「メリィが引くの?」
「御者には多少の心得があります。操竜の経験も、何度かあるんですよ?」
頷くメリィはいつになく自慢するようだった。
以前、コーネリアさんが来訪した時の御者はもっとこう、がっちりとしていて、いかにも『竜操りますよ』みたいな感じだったのに。
意外というか――メリィのスキルの豊富さには僕も見習うものを感じた。
「旦那さまこそ、意外でした。はじめてなのに、とても竜の扱いに手慣れておられて」
「おや、それは皮肉かいメリィさん?」
「めっ滅相もございません! 本当にお上手で……すごいな、って……」
「ごめんごめん、冗談」
動揺のせいか丁寧語が砕けメリィ本来の口調に戻ってしまう。
「動物の世話に慣れているだけさ」
たわしで擦った部分にバケツに張った水をかけてやると、うっとりと気持ちよさそうに竜は目を細めていた。
「――では、そろそろ」
ドラゴン専用か金属製の大きな轡 をメリィがはめようとすると、抵抗するように地竜は首を振った。
「こら、言う事を聞きなさい!」
僕とは違って強い言葉で嫌がる竜を御そうとするメリィ。ところが地竜は全く言う事を聞いてはくれなかった。
「困りましたね……急がないと約束の時間が」
「……ねえ、メリィ。もう少しだけ待ってくれないかな? この子――きっと陽に浴びていたいんだと思う」
厚く広く並んだ鎧のような鱗を撫でてやる。すると、首肯するかのように、二回ほど竜は唸り声をあげた。
爬虫類の多くは、太陽の光を浴びて日光から栄養を摂ったり、寄生虫から身を守ろうとする。小学生から飼っていた亀から得た大して取り得のない僕の知識の一つだ。この世界にビタミンとかがあるのかは謎だが、今は、そっとしておいた方がよさそうだった。
「……旦那さまがそう仰るのでしたら」
はあ……と嘆息するメリィ。
「何から何まで、お手数をかけてしまってすみません……」
「いいって。こうして朝から身体も動かせた事だし」
僕はメリィに肩を回してみせる。人間が日光を浴びると、そこから〝ナントカ〟という物質を取り入れ、体内で〝カントカ〟という成分に変わる。それは憂鬱な気持ちによく効くとどこかで読んだ事がある。バナナを食べても同じ効果が得られるのだとか。
――あれ、って事は。ゴリラって、実は地球上で最強の生物なんじゃないか?
とにもかくにも。この生活に不満がある訳でもないけれど――人も動物も、お天道さまの下で元気よく過ごす事が健康に繋がる第一歩なのだ。
「それにしても――ドラゴンの世話って、けっこう大変なんだな」
苦笑して、この世界でしか見られない巨躯を見上げる。
掃除もだけど、その前の餌やりも大変だった。何を食べるかと思えば、メリィが荷車で運んできたのは十キロはあろう豚肉の塊。
「毎日あれだけの量を食べるの?」
「変温動物なので、毎日与えなければならないという訳ではありませんが。運搬用なので食事は日に一回です」
変温動物なんだ、この世界のドラゴンって。
「爬虫類とは違うんだ?」
「食事の量によって、食べたものを魔力に変換してエネルギーにする事ができるんです」
元いた世界の爬虫類も、例えばウミガメの一種は体内に熱を保温して冷たい海に潜る事ができる。さすがはファンタジーの世界。この世界の竜にも似たように、食べ物を魔力に変換する器官が具 わっている。
「龍は……もっと恐ろしいですが」
「〝神 龍 〟? ――『竜 』とは違うの?」
「生物よりも妖精に近い龍は、食事を必要とせず、取り込んだ空気から魔力を生成するんです」
「霞 を食べてる仙人みたいだ」
数年前に公開された某怪獣映画の台詞を引用しつつ僕はメリィに訊 く。
「膨大な魔力を生み出す分、知能も高く――気性も荒く非常に危険ですが」
いつか話してくれたメリィが退けたというドラゴンも、その龍なのだとか。日本だと、恐ろしい力を秘め神話に登場するような存在を〝龍〟。一方、後者を〝竜〟――即ち翼で空を飛んだり、または水中を泳いだり地面を走る生き物を差す時などに使い分けられる。
『龍』という漢字は元は竜の略字であり、意味的にはどちらも同じなのだが。
僕も、メリィの会話のニュアンスから勝手にそう解釈分けしたに過ぎない。生物的か否かで漢字で分けるようになる習慣が定着したのは、僕の場合はゲームだった。
「龍との戦い方を、知っていますか?」
「聴きたいな、ぜひ」
ドラゴンスレイヤーの冒険はたくさん知っているけれど、ご本人から話を聴くのはきっと人類史上僕が初に違いない。
経験者によるドラゴン特別講座がはじまった。
「高い魔力を持つ龍は、強力な邪眼を持っています。一睨みで、魔眼に魅入られた生物は催眠状態に陥ってしまう。では――そんな龍にわたくしは、どうやって勝てたでしょう」
「――魔法で防御、とか?」
「お見事な発想です! ですが、邪眼持ちの龍と同等か、それ以上の魔力を生み出せる生物は、この世界には存在しません」
苦笑するメリィ。いいところを突けたと思ったのに。けれどまあ言われてみればその通りだ。【精霊回路】で生成できる魔力量を比較すれば、拳銃でミサイルは防げない。
じゃあ、どうやって。龍に邪眼殺しの眼鏡でもかけさせた? なんて、同人ゲーム界隈でしか通用しないようなネタを思いついては早々に却下した。
「…………ごめん。わかんないや。よく勝てたね? そんな化け物に」
両手を挙げて降参の意を示した僕に、ぐる……と唸った地竜が鼻頭で僕の背を押した。
〝もっと頑張れ〟って、この時は、そう言われた気がしたが。
「これを使ったんです」
ポケットからメリィが取り出したのは――なんと、瓶底レンズの眼鏡だった。
「まさか……!?」
「この度の合っていない眼鏡をかけて、龍の目を文字通り欺きました。わたくしの命を救った、大切なお守りです」
大事そうに、かけた眼鏡のつるに手を添えたメリィは――屋敷の壁に映った影に話しかけていた。
「メリィさんメリィさん、旦那こっち」
「? …………っ! 失礼しました!」
確かにこれは、強力な邪眼封じだった。
なんて、顔を真っ赤にさせるメリィを微笑ましくも呑気に見ていた僕は――今後のためにももっと真剣に彼女の授業を復習しておくべきだと思った。
地竜を撫でながら苦笑した僕は、ふと――脇腹の鱗の一枚が欠けている事に気づいた。
「メリィ――ここ」
「なんでしょう。わたくしがこの地竜を預かった時には、すでにあったんです」
その傷は、何だかまるで――何かが鱗を弾き飛ばしたように僕には映った。
「治せそう?」
別段、特に大騒ぎするような傷でもないが。気になった僕はメリィに訊ねた。
「王宮に治癒の魔法に長けた者がおりますので、頼んでみます」
「ありがとう。よかったね――……ええ、と……――この子、名前は?」
「……雌の地竜、ですが」
今更何を、と言うようにメリィは小首を傾げた。
「種族じゃなくて、この地竜の名前。地竜の種類でもないよ」
「名前は特にありません。荷馬車を引く竜ですから」
「ないの!?」
どうりで、と僕は思った。メリィはずっと、この子を名前ではなく〝地竜は~〟と種族名で呼んでいた。
愛玩動物ではなく、馬車を引く竜は道具と同じなので名は不要という考えなのだろう。
しかしせっかく一緒に暮らしているのだから、せめて名前だけはつけてあげたかった。
分厚い瞼と瞬膜で瞬きする竜と向かい合い、僕は熟考する。
「そうだな。――んんんんんんんん~………………。――――――テル、……グレーテル。グレーテルはどうかな?」
「ぐれー、てる?」
「僕んちで飼ってた猫の名前」
猫っぽい性格だし、色々候補を模索した結果――これが一番しっくりきた。
「グレーテル、今日から、君は〝グレーテル〟だ!」
「とても、いい名前だと思います」
隣でメリィが首肯しながらそう言ってくれる。
名前を口にする度、ふと、寮生活で実家に置いてきたグレーテル(猫)を思い出してしまう。今頃、あっちで何をしているのかな……って。
「…………会いたいな……なんて……」
家族と離れる事は、今でも何とも思ってないはず。なのに――弱音を吐いたみたいになって……。
そんな僕を察したのか――グレーテル(地竜)はその長い舌を出して、べろんと僕の顔
を舐めた。慰めるみたいに。
「よくも……旦那さまに向かってぇええええええええ!!」
何ともなかった(強烈な豚肉のニオイはしたけど)のに、顔を舐められた僕も見てメリィは真っ青になってグレーテルを追いかけ回した。
般若の形相になりながら洗練されたフォームで走るメリィに対して、身をくねらせ逃げるグレーテルは大トカゲのようで、ひと昔前に流行ったようなコメディ番組を思わせた。
「キャラ崩壊してるよメリィさん」
唾液まみれになりながら二人を仲裁しているうちに、気がつくと、約束の時間になっていた。
陽の光を吸収して暖かくなった芝生。そよ風に吹く草の心地よい香り。
「気持ちいいかい?」
たわしを手にしながら僕は、地面に伏せる一頭の竜にそう問いかけた。
「お待たせしました!」
屋敷の方からバケツを手に走ってくるのは、メイド服の袖をまくったメリィだった。
「ごめんね、手伝わせてしまって」
「いえ。こうして旦那さまのお手伝いに呼んでいただけて、わたくしも嬉しいです」
頬を赤らめながらメリィがそんな事を言うものながら、僕は照れて後頭部をぽりぽりと掻く。
「陛下が約束された時間までもう少しありますので、わたくしは馬車の準備をしてまいります」
ポケットから取り出した招待状を広げると、一礼したメリィは馬車を停めてある車庫の方へと向かった。
事のはじまりは今朝――王宮から僕宛に一通の手紙が早馬で届いた。先日のエレン脱走の件で、王政府がぜひお詫びがしたいのだとか。
「でも……一体、何の用だろう?」
丁寧な日本語で書かれた手紙の他に、封蝋で封印された封筒にはもう一通手紙が同封されていた。文末の差し出し人は、覚えたての拙い平仮名で『えれん』とあった。何でも僕にどうしても自慢したい事があるらしい。
という事で――この世界に来て初となる外出の機会を貰った僕は、王都へ赴く前に、地竜の世話をメリィに買って出たのである。
「馬車の準備、完了しました」
戻ってきたメリィの手には、革製の手綱のような太い紐が握られていた。
「メリィが引くの?」
「御者には多少の心得があります。操竜の経験も、何度かあるんですよ?」
頷くメリィはいつになく自慢するようだった。
以前、コーネリアさんが来訪した時の御者はもっとこう、がっちりとしていて、いかにも『竜操りますよ』みたいな感じだったのに。
意外というか――メリィのスキルの豊富さには僕も見習うものを感じた。
「旦那さまこそ、意外でした。はじめてなのに、とても竜の扱いに手慣れておられて」
「おや、それは皮肉かいメリィさん?」
「めっ滅相もございません! 本当にお上手で……すごいな、って……」
「ごめんごめん、冗談」
動揺のせいか丁寧語が砕けメリィ本来の口調に戻ってしまう。
「動物の世話に慣れているだけさ」
たわしで擦った部分にバケツに張った水をかけてやると、うっとりと気持ちよさそうに竜は目を細めていた。
「――では、そろそろ」
ドラゴン専用か金属製の大きな
「こら、言う事を聞きなさい!」
僕とは違って強い言葉で嫌がる竜を御そうとするメリィ。ところが地竜は全く言う事を聞いてはくれなかった。
「困りましたね……急がないと約束の時間が」
「……ねえ、メリィ。もう少しだけ待ってくれないかな? この子――きっと陽に浴びていたいんだと思う」
厚く広く並んだ鎧のような鱗を撫でてやる。すると、首肯するかのように、二回ほど竜は唸り声をあげた。
爬虫類の多くは、太陽の光を浴びて日光から栄養を摂ったり、寄生虫から身を守ろうとする。小学生から飼っていた亀から得た大して取り得のない僕の知識の一つだ。この世界にビタミンとかがあるのかは謎だが、今は、そっとしておいた方がよさそうだった。
「……旦那さまがそう仰るのでしたら」
はあ……と嘆息するメリィ。
「何から何まで、お手数をかけてしまってすみません……」
「いいって。こうして朝から身体も動かせた事だし」
僕はメリィに肩を回してみせる。人間が日光を浴びると、そこから〝ナントカ〟という物質を取り入れ、体内で〝カントカ〟という成分に変わる。それは憂鬱な気持ちによく効くとどこかで読んだ事がある。バナナを食べても同じ効果が得られるのだとか。
――あれ、って事は。ゴリラって、実は地球上で最強の生物なんじゃないか?
とにもかくにも。この生活に不満がある訳でもないけれど――人も動物も、お天道さまの下で元気よく過ごす事が健康に繋がる第一歩なのだ。
「それにしても――ドラゴンの世話って、けっこう大変なんだな」
苦笑して、この世界でしか見られない巨躯を見上げる。
掃除もだけど、その前の餌やりも大変だった。何を食べるかと思えば、メリィが荷車で運んできたのは十キロはあろう豚肉の塊。
「毎日あれだけの量を食べるの?」
「変温動物なので、毎日与えなければならないという訳ではありませんが。運搬用なので食事は日に一回です」
変温動物なんだ、この世界のドラゴンって。
「爬虫類とは違うんだ?」
「食事の量によって、食べたものを魔力に変換してエネルギーにする事ができるんです」
元いた世界の爬虫類も、例えばウミガメの一種は体内に熱を保温して冷たい海に潜る事ができる。さすがはファンタジーの世界。この世界の竜にも似たように、食べ物を魔力に変換する器官が
「龍は……もっと恐ろしいですが」
「〝
「生物よりも妖精に近い龍は、食事を必要とせず、取り込んだ空気から魔力を生成するんです」
「
数年前に公開された某怪獣映画の台詞を引用しつつ僕はメリィに
「膨大な魔力を生み出す分、知能も高く――気性も荒く非常に危険ですが」
いつか話してくれたメリィが退けたというドラゴンも、その龍なのだとか。日本だと、恐ろしい力を秘め神話に登場するような存在を〝龍〟。一方、後者を〝竜〟――即ち翼で空を飛んだり、または水中を泳いだり地面を走る生き物を差す時などに使い分けられる。
『龍』という漢字は元は竜の略字であり、意味的にはどちらも同じなのだが。
僕も、メリィの会話のニュアンスから勝手にそう解釈分けしたに過ぎない。生物的か否かで漢字で分けるようになる習慣が定着したのは、僕の場合はゲームだった。
「龍との戦い方を、知っていますか?」
「聴きたいな、ぜひ」
ドラゴンスレイヤーの冒険はたくさん知っているけれど、ご本人から話を聴くのはきっと人類史上僕が初に違いない。
経験者によるドラゴン特別講座がはじまった。
「高い魔力を持つ龍は、強力な邪眼を持っています。一睨みで、魔眼に魅入られた生物は催眠状態に陥ってしまう。では――そんな龍にわたくしは、どうやって勝てたでしょう」
「――魔法で防御、とか?」
「お見事な発想です! ですが、邪眼持ちの龍と同等か、それ以上の魔力を生み出せる生物は、この世界には存在しません」
苦笑するメリィ。いいところを突けたと思ったのに。けれどまあ言われてみればその通りだ。【精霊回路】で生成できる魔力量を比較すれば、拳銃でミサイルは防げない。
じゃあ、どうやって。龍に邪眼殺しの眼鏡でもかけさせた? なんて、同人ゲーム界隈でしか通用しないようなネタを思いついては早々に却下した。
「…………ごめん。わかんないや。よく勝てたね? そんな化け物に」
両手を挙げて降参の意を示した僕に、ぐる……と唸った地竜が鼻頭で僕の背を押した。
〝もっと頑張れ〟って、この時は、そう言われた気がしたが。
「これを使ったんです」
ポケットからメリィが取り出したのは――なんと、瓶底レンズの眼鏡だった。
「まさか……!?」
「この度の合っていない眼鏡をかけて、龍の目を文字通り欺きました。わたくしの命を救った、大切なお守りです」
大事そうに、かけた眼鏡のつるに手を添えたメリィは――屋敷の壁に映った影に話しかけていた。
「メリィさんメリィさん、旦那こっち」
「? …………っ! 失礼しました!」
確かにこれは、強力な邪眼封じだった。
なんて、顔を真っ赤にさせるメリィを微笑ましくも呑気に見ていた僕は――今後のためにももっと真剣に彼女の授業を復習しておくべきだと思った。
地竜を撫でながら苦笑した僕は、ふと――脇腹の鱗の一枚が欠けている事に気づいた。
「メリィ――ここ」
「なんでしょう。わたくしがこの地竜を預かった時には、すでにあったんです」
その傷は、何だかまるで――何かが鱗を弾き飛ばしたように僕には映った。
「治せそう?」
別段、特に大騒ぎするような傷でもないが。気になった僕はメリィに訊ねた。
「王宮に治癒の魔法に長けた者がおりますので、頼んでみます」
「ありがとう。よかったね――……ええ、と……――この子、名前は?」
「……雌の地竜、ですが」
今更何を、と言うようにメリィは小首を傾げた。
「種族じゃなくて、この地竜の名前。地竜の種類でもないよ」
「名前は特にありません。荷馬車を引く竜ですから」
「ないの!?」
どうりで、と僕は思った。メリィはずっと、この子を名前ではなく〝地竜は~〟と種族名で呼んでいた。
愛玩動物ではなく、馬車を引く竜は道具と同じなので名は不要という考えなのだろう。
しかしせっかく一緒に暮らしているのだから、せめて名前だけはつけてあげたかった。
分厚い瞼と瞬膜で瞬きする竜と向かい合い、僕は熟考する。
「そうだな。――んんんんんんんん~………………。――――――テル、……グレーテル。グレーテルはどうかな?」
「ぐれー、てる?」
「僕んちで飼ってた猫の名前」
猫っぽい性格だし、色々候補を模索した結果――これが一番しっくりきた。
「グレーテル、今日から、君は〝グレーテル〟だ!」
「とても、いい名前だと思います」
隣でメリィが首肯しながらそう言ってくれる。
名前を口にする度、ふと、寮生活で実家に置いてきたグレーテル(猫)を思い出してしまう。今頃、あっちで何をしているのかな……って。
「…………会いたいな……なんて……」
家族と離れる事は、今でも何とも思ってないはず。なのに――弱音を吐いたみたいになって……。
そんな僕を察したのか――グレーテル(地竜)はその長い舌を出して、べろんと僕の顔
を舐めた。慰めるみたいに。
「よくも……旦那さまに向かってぇええええええええ!!」
何ともなかった(強烈な豚肉のニオイはしたけど)のに、顔を舐められた僕も見てメリィは真っ青になってグレーテルを追いかけ回した。
般若の形相になりながら洗練されたフォームで走るメリィに対して、身をくねらせ逃げるグレーテルは大トカゲのようで、ひと昔前に流行ったようなコメディ番組を思わせた。
「キャラ崩壊してるよメリィさん」
唾液まみれになりながら二人を仲裁しているうちに、気がつくと、約束の時間になっていた。