第六話 そのジェルに抗える者はいない

文字数 5,940文字


 青天の霹靂――という言葉がある。

『霹靂』と書いて〝へきれき〟と読む。

 いかにもことわざのようだが、実は違う。中国の古典に由来する故事成語――大昔に起きた出来事、または遠い過去から今に伝わる事柄を基に生まれた言葉だ。五十歩百歩――有名なのは矛盾だ。どんな堅い盾も貫く矛と、どんな矛もはね返す盾を打ち合わせたらどうなるか、ってやつ。この話は僕も三平方の定理といっしょに中学で習った。

 豆知識的な前置きはここまでにしておくとして。

 青天の霹靂。青空に鳴り響く雷に(たと)え、突然、事件や出来事が起こる事。

 その日も――雲一つない晴れ空だった。



「旦那さま!?」

 血相を変えて飛び込んできたのは、メリィだった。

「メリィじゃないか。どうしたの? そんなにあわてて」

 はあ、はあと肩で呼吸するメリィ。その様子は、明らかに普通ではなかった。普段、僕の部屋に入る時は必ず声をかけるのに、ノックもなしに、いきなり入ってくるなんて。

「陛下が……エレサルキア陛下が、いなくなりました!」
「陛下、って……あの女王さま?」

 壁に背中を預けながら、ベッドでラノベを読みながらそう返す僕。

 それは、何だか誤解を招くような言い方だった。

「おつきの者が目を離した隙に、お部屋からいなくなったそうです」
「へ、へえー」

 メリィに相づちを打ちながら、ぺらり、と僕はページを(めく)った。

 そんな僕の様子に――眉根を寄せたメリィは、

「……旦那さま、ずいぶんと落ち着いておられるんですね……?」
「えッ……!?」

 メリィの一言に僕の心臓が跳ねる。

 ――()()()と。

「ああ、いやほら! 女王さまがいなくなったなんて、国の一大事じゃないか! こんな時こそ、おちついて、冷静に、のほほ~んと行動しないといけないなーうん!」

 拳を握り締めメリィにそう力説する僕は、冷や汗だらだら、心臓ばくばく。今にも気絶しそうで――台詞とは裏腹にぜんぜん落ち着けてなかった。

 絵に描いたような僕の動揺っぷりを、メリィはしばらく見ていたが――。

「……素晴らしい心がけです! 何事にも動じないその堂々とした振る舞い。――では、わたくしも旦那さまを見習って、落ち着いて、のほほ~んと陛下を探すよう、コーネリア隊長に進言してきます!」
「ちょまっ!?」

 部屋を出ようとしたメリィの手首を、僕は(つか)まえそのまま彼女を引き留めた。

「旦那、さま……あの」

 何故か、立ち尽くしたメリィが――頬を赤らめる。ぽぉー、と。

「……そういった事は、あとで…………お相手します……ので…………」
「ちがうって!」

 何やら壮大な勘違いをさせてしまったらしい。

「そう……ですか……」

 何でそこで残念そうにするんだよ……。
 メリィの調子に、僕まで変な考えを想像してしまった。 

 このままだとまたメリィが変な気を起こしそうなので――僕は一旦彼女を放し、

「コーネリアさんに言うのは、ちょっと待ってくれないかな?」
「しかし、旦那さまが」
「コーネリアさん達も、一生懸命陛下を探してるんだろ? その努力を無駄にするような真似、僕はメリィにやってほしくはないんだ。……わかってくれる?」

 一国の女王がいなくなったんだ。今頃、城の方でも大騒ぎになっているに違いない。

「見た訳でもないのに、他人を心配するその心遣い。……これが、異界の方々の考えなのですね。わたくしは……感動しました」

 両手を組むメリィは、まるで神を前にしたかのようだった。

 そんな様子に苦笑しながら、僕は、失踪したという女王陛下について(たず)ねた。

「女王さまが行きそうな所に心当たりは?」
「それが……色々あり過ぎて。一月前は、森の奥で沼にはまっていたところを発見されました」

 どうしてそんな場所で、しかも泥にはまっていたか今はさておくとして……。

 メリィの口振りから、女王には年中城を抜け出す癖があるのだけは判った。

「見つける側も大変だね……」
「元気な事は、とても喜ばしいんですが」

 乾いた笑みを浮かべるメリィは、内心とても疲れているようだった。これは、今日の仕事は休ませるべきか。

「常習犯、ならどうして、もっと警備を強化しないんだい?」
「あの城は建てられてから、とても歴史が古く、城に詰めている人達も、全容を把握していないのがほとんどなんです」

 とかく、古城には隠し扉とか秘密の抜け穴があるものだけど。造りを知らない人間が警備を固めても、そこを行き来されたらお手上げだ。

 ――あれ? でも女王さまって、僕より若くなかったっけ?

 と思い、僕は――無意識に視線をやった。

 ()()()()()()

「どこに隠れているかも判りません。わたくしは、屋敷の周囲をもう一度探してみます。仕事には、支障のないようしますので」

 ばたん、と扉が閉まる。

 最後に僕に念押しして、メリィは部屋を後にした。

「あぶなかった……」

 どうして僕がここにいるのか、忘れかけていた理由を思い出す。

 前の世界から招かれた僕の言葉を、メリィはすぐに鵜呑みにしてしまう。当たり前と思っている事でも、メリィにとっては何もかも新鮮に感じられる。

 ただでさえ、この前――あんな事をメリィに言った。今後の僕の言動が、あの子の未来を左右しかねない。

「………………行ったか?」
「行きました」

 僕は溜め息をついた。

「いやぁ、見つかるのではないかとヒヤヒヤした。寝床の下に身を隠すとは……我ながらよい機転だった。なあ、シューもそう思わんか?」

 同意を求められても困る。

「あの……そろそろ、出てもらっていいですか」

 ベッドの下から首だけ出した少女の画なんて、シュール過ぎた。

 ところが、僕がどれだけ急かしても、少女は退()く気配すらなかった。

「……あの……陛下?」

 僕はベッドの下の少女の名前――というか、肩書きを呼んだ。

「なんでだろ……」

 なんて呟いて、のそのそとベッドの下に戻っていく。

「ここで、こうして上を眺めていると、とても落ち着く……。背後に伝わる、程よくひんやりとした感触。そして……心地よい静寂。暗闇さえ癒しに感じる。ここは……宇宙の中心か……」

「社員寮のベッドの下です」

 というかいい加減、出て行ってほしい。さっきから、お尻の辺りに生温い視線が向けられた僕は嫌な汗をかいていた。

「ここに国でも築こうかな…………」

 ベッドの下にすっかりご執心な陛下。

 僕はもう一度、深い溜め息をめいっぱい吐いた。

 メリィ達が探している女王さまが、どうしての部屋にいるかというと。

 時間は、ほんの一時間ほど前にさかのぼる――。

 ***

 その日、僕は、一世一大の危機に直面していた。

「…………暇だ」

 ラノベを閉じ、虚空を見つめ嘆息する。
 
ここに来て数日。HDDに溜まったアニメの録画を観て、買ってそのままにしていたマンガ、ラノベ、封を切ってないゲームをプレイして――。

 就活に続く研修生活に失われた時間を取り戻すように、この数日間を僕は過ごした。

 で――たった今。

 暇潰しの手が、尽きた。

 読み終わった最後のラノベをベッドに置く。

「これから、どうしよう……」

 口に出したところで、マンガの最新刊やライトノベルが降ってくるはずもなく。
 テレビを点け、入力切替をしたところで、ビデオ以外は映らない。そもそもWi―Fiがないからプライムもネトフリも駄目だった。買い貯めしていた円盤も全て消費し、付属の特典ももうなかった。

 オタクにとって娯楽が手に入らないのは、水と食糧なしに砂漠のど真ん中に放り捨てられるほどの死活問題。何もないという事実が、生存までの時間をさらに短くさせた。絶望ほど寿命を縮めるものはない。

 放送中のアニメは駄目でも、マンガやラノベなら、メリィに頼めば召喚魔法で取り寄せてくれるかもしれない。

「だめだ…………」

 どういった方法で、メリィが本を用意するか判らない。僕と同じ原理なら――書店からいきなり本が消失する事になる。

 それでは、ただの神秘的な万引きではないか。

 そんな手段で手に入れた本を読んでも、素直に楽しめる訳もなく。
 このまま干乾びるのを待つしかない。

 途方に暮れた――その時。

『たすけてくれぇええええええええええええ!?』

 どこからともなく、助けを求める声が聞こえた。助けてほしいのは、僕の方だったが。

 ついに幻聴まで聞こえるようになったかと思ったが、どうやら、そうでもないらしい。

 悲鳴は、庭の方角から聞こえてきた。

 僕は部屋の窓を開けた。ここから屋敷の庭を一望できる。
 竜舎のある庭は、放し飼いにされた竜の遊び場になっていた。

 窓を開けた僕が見たのは――元気よく庭を走り回る竜の姿だった。広い庭の芝生は丁寧に手入れが行き届き、白い葉をつけた樹が一本、太い幹を天まで伸ばしていた。

 赤錆色の鱗の地竜は、横に裂けたその口に何かを咥えていた。白い布のそれは、遠くからは布団のように見えた。振り回し、放り投げ、また口に咥える竜は、竜というより玩具にじゃれる猫のようだった。

 メリィは今、屋敷で干した洗濯ものを畳んでいた。

 盗んだものなら、早くメリィに返さないと。

「おーい!」

 窓から手を振る僕に気づいた竜が、ぐるるっと喉を鳴らし近づいてきた。身体を左右に揺らしながら這う姿はやはり蜥蜴(とかげ)だった。

 よく躾けられているのか、竜はとても人に慣れていた。メリィの言った通り、玄関での一件は、僕にびっくりしただけらしい。

 前足で壁に寄りかかりながら口に咥えたものを僕に渡そうとする地竜が、可愛い、なんて思いながら、

「だめじゃないか。洗濯もので遊んだら――」

 そう言おうとした僕の思考は――フリーズした。

 両手で抱きかかえるようにして受け取った布団には――目があり、口があり、手足までついていたから。

 よく見ると、洗濯ものは布団ではなく、純白のローブだった。竜に散々振り回されたせいで(よだれ)まみれになってはいるけれど、上等な代物である。

 目深に被ったフードから覗く金の髪を風になびかせ――車酔いにでも遭ったように唇を真っ青にさせた少女は、僕に抱かれながら、ぽつりとこぼした。

「……きぼぢわるい……」



「いやぁ、ひどい目に遭った」

 洗面所から出てきたエレサルキア陛下は、あっはっはと呑気に笑った。

「だいじょうぶ、ですか……?」
「うむ! ――ところで、どうしてここの便所には、水を溜めておるのだ?」
「えっ? ああ、水を溜める事で、下水の臭いが上がってこないようにしてあるんです」

 ほーっと感心するように陛下は頷いて、

「便利じゃなぁ、異界の便所というのは。てっきり時間が経てば落ちると思って、そのままにしておいたぞ」

 異界の便所って、結構なパワーワードだな。

 ――って、ちょっと待て。

「‶()()()()〟にって……何を……」

 嫌な気配が洗面所からして、おそるおそる行ってみると。

 ドラゴンにスイングされた衝撃で陛下の口から出たものが、言う通り、そのままの状態で残っていて……。

「シュー?」
「いや、何でも。流す時は、これからは右の銀のレバーを回してください」

 音をたてて流れる水の音。

 この件――僕がトイレで遭遇したものに関しては、これ以上触れない方がよさそうだった。

「お水です」
「あっ、す……すまぬな」

 コップに注いだ水道水を飲む陛下は、僕が着ているのとは違うライブTを着ていた。ぼろぼろになったローブの代わりを探したが、陛下のサイズに合う服……というか女性ものの服なんて僕は持ってなくて。洗面所で待っていた陛下が、僕が着ているTシャツにたいへん興味津々で、着てみると、これがまた似合っていた。

 Tシャツの下はジーパン。ベルトを巻けば多少大きくても大丈夫だった。

 アニメ作曲家のライブTシャツを着こなす美少女女王陛下というのも、また貴重な光景だった。

「しかし……」

 コップを傾けながら陛下は、窓から顔を出した竜を一瞥した。

「地竜とは、他の竜種と比べ温厚な性格だと聞いていたが、ここまで獰猛な生き物だったとは」

 口に咥えられ振り回されたんだ。陛下が怖がるのも無理はない。

 今になって思い返すとあれは、じゃれる猫というより、獲物を前にした恐竜だった。突然の停電に驚いてサファリパークの車からトイレに駆け込んだ男をぱっくんするスピルバーグ監督の某映画のティラノサウルスのような。

「ぐるっ?」
「不敬であるぞ、地竜! シューに仕えるという事は、この国に、余に仕える事と同義。貴様がした行いは、死罪にも値する!」

 首を傾げるような動作を見せる竜にいきり立つ陛下。だが竜が謝罪の言葉を返す事はなく。

「まあまあ。この子も十分反省している事ですし。許してやってください」

 僕が頭を撫でてやると、地竜はごろごろと喉を鳴らした。

「シューは、この地竜の心がわかるのか」
「そんなんじゃありません。動物って、人間が思ってるよりずっと表情豊かなんですよ」

 僕の実家でも、猫を飼っていた。これがまたやんちゃな性格で、壁は引っかく、貼っていたアニメのポスターを破く破天荒な子だった。だけど僕が叱ると、悲しそうな顔をさせ――膝に乗ると、嬉しそうに喉を鳴らしながら僕の顔をじっと見つめてくる。

 猫を飼いはじめたのはごく最近だけど、この子と出逢わなければ、動物がこんなにたくさんの顔を持っている知らなかった。

 それは、きっと――この世界の生き物だって同じで……。

「そうだ!」

 ある事を思い出した僕は、押し入れから袋を取り出した。

「なんだ、それは?」
「ち●~るという、僕の世界の動物用のおやつです」

 ち●~る。まぐろのすり身をベースにした――人が創りし究極の猫用おやつ。これが嫌いな猫など、どこにもいない。

 引っ越しで紛れ込んだ実家にあったものだが、以来、なぜか捨てられずに押し入れに仕舞っておいたものだ。

 すると、地竜の目の色が途端に代わり、窓から乗り出さんばかりに興奮する。

「なんじゃこ奴!? いきなり!」

 どうやら袋についたわずかな魚の匂いを()ぎ取ったらしい。

 異世界の生き物にこの世界の食べ物を与えてもよいかと迷ったが、毒の類は入ってないし、まあ平気だろう。

 チューブの封を切ると立ち込める、魚の香ばしい香り。ドラゴンがさらに興奮し、バランスを保っていた尻尾を激しく打ち鳴らした。

「陛下を運んできてくれて、ありがとう」

 僕が差し出したち●~るを、竜は、ひとすすりで食べた。

「ちょっ、やめろってっ!」

 きゅうと鳴きながら僕の顔をぺろぺろと舐める。
 懐いてくれたのはたいへん嬉しかったが――口から漂う肉と魚の風味は、何とも言えないほど強烈だった。

「たったあんな小袋で、竜を一瞬で手懐けてしまうとは」

 どしん、どしんと地を揺らしながら竜舎に戻っていく地竜を見つめながら陛下は舌を巻いた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み