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文字数 2,272文字
静まり返った部屋の中で電話が鳴り、わたしは小さな悲鳴をあげた。
ディスプレイを見ると、そこには知らない番号が表示されていた。反射的に伸ばした腕が止まり緊張が走る。
誰だろう。考えを巡らせたところでわかるはずはないのに、倒れたコップから水が広がっていくみたいに思考が止まらない。
迷いは疑問となりやがて不安を募らせたが、すぐに好奇心へと変わった。
わたしは気持ちを落ち着かせるために二秒待ってから受話器を取り、はいと言ってあとは黙ることにした。
返事はなかった。電話の相手はわたしの声が聞こえていたはずなのに、何も言わずに黙っている。沈黙がさらに不安を煽る。顔が見えなくてよかった、とわたしは思う。
それからしばらくし て「マユミさんですか? 」という女の人の声が聞こえた。
わたしの名前はマユミではないしマサミでもない。ヒロミでもないしヒトミでもない、わたしの名前はトモミだ。
「いいえ違います」
聞かれたことを否定すると、自分がとても嫌な人間に思えてくる。受話器の向こう側からは声にならない微かな声が聞こえ、相手が戸惑っているのがわかった。
不穏な時間に居たたまれなくなったので、わたしは勝手な人物を思い描いて楽しむことにした。
彼女はきっとジェニファー・ローレンスのような主張を貫き通す意思の強いタイプだ。いや、ケイト・ブランシェットのような経験が滲み出た包容力のあるタイプだろうか。
目を閉じるだけで脳裏に描き出された人物が語りかけてくるような気がした。
だけどそんな楽しい時間は長くは続かない。間違い電話だと悟ることで不安はゆっくりと後戻りを始めたが、膨らみすぎた心の器には虚しさだけが取り残された。
どれくらいの時間が流れただろう。気まずさに肌がピリピリと悲鳴を上げ始めた頃、その女の人はようやく口を開いた。
「あなたは誰? 」
その言葉に一瞬、緊張と不安がからだ中を駆け巡った。
たいしておかしくもないことで突然誰かが笑い出したときや、ウェイトレスがキッチンの奥でスプーンやフォークを床に落としたときにやってくる怯え。
それは本能によって全身が硬直してしまう何もない世界だ。そんな何もない世界で、わたしは自分が誰であるのかを忘れてしまった。
だけどこういったことはそれほど珍しくない。誰からも名前を呼ばれなくなったとき、わたしは自分が誰なのかをすぐに忘れてしまうからだ。
友人と遊んでいるときや恋人と過ごした時間の中でわたしがトモミと呼ばれていた頃、わたしはトモミでいられた。
それは職場の上司から呼び出されたときとか、病院の待ち合い室で呼ばれたときのような無機質なものではなかった。親しみと習慣がその言葉に溶け込んでいたからだ。
いつからかひとりでいる時間が増えるとわたしは自分を証明できなくなっていった。
確かめるように何度も自分の名前を呼んでみたこともあったけど、言葉が打ち上げ花火のようにぱらぱらと散っていく。
実をもぎ取られ、裸になった林檎の木はきっとこんな気分なんだろうと思った。
沈黙が再びやってきた。まるでゲームのようだ。姿の見えない緊迫した空間の中で、どれだけわたし達はお互いを理解し合えるのか、そんなゲームだ。
わたしの名前はトモミです、そうこの人に伝えたい。たったそれだけの言葉を口にするだけで、彼女の記憶にはトモミという足跡を残すことができるだろう。
記憶とは一面に広がるラベンダー畑のように広大で果てしない。
わたしは情報という種を撒き続け、開花したラベンダーを紡ぎとり、それを言葉や文章で表現する。大切な種はいつも左のポケットに入っている。
忘れてはいけないことや誰にも言えない秘密や、わたし自身のことはすべてここに入っている。そういったものを表現として取り出すとき、わたしはもう一度トモミという種を撒いた。
種を撒くということはそれほど難しいことではなかった。ただ誰からも名前を呼ばれなくなると、管理するといったことが上手くできなくなる。
肥大化したラベンダー畑は、どの場所にどんな種を撒いたのかがわからなくなり、いつしかわたしの名前すらどこにあるのかわからなくなっていった。
咲き乱れたラベンダーは感嘆するほど美しく柔らかい香を放っていたが、はるか彼方まで続く広大な敷地の中からわたしを捜し出さなければいけないかと思うと混乱を招いた。
遠くからやってきた蜜蜂はわたしの頭の上をぐるぐると旋回して、縄張りを主張するかのようにして去っていく。記憶のラベンダー畑はいつしか彼らのものとなり、大きな蟻地獄にゆっくりと身体が埋もれていくようにわたしは存在を奪われていった。
奪われるというのは希望を失うこととよく似ている。方向性を失い選択する手段を断たれたわたしは、毎日という時間が緊張の連続だった。
そんなとき閑散とした街にある素朴なカフェで素朴なマスターと知り合った。素朴なマスターは緊張で張り詰めているわたしとは違い、とてもしなやかな人だった。
そんなわたしを見て「慌ててはいけませんよ」とマスターは微笑んだ。
「何かを求めたり誰かに頼ったり、そういったことはしないほうがいいですよ。何も考えないほうがいいと思うんです。それは何もしないという意味ではないんですよ。直接自分を拾いあげようとするのではなく、まわり道をしてみるということです。どこかへ旅行に行ったり、身体を動かしたり、おいしいものを食べたり、そういうことです。そこで注意しなければいけないのは、誰かを介入させてはいけないということなんです」
ディスプレイを見ると、そこには知らない番号が表示されていた。反射的に伸ばした腕が止まり緊張が走る。
誰だろう。考えを巡らせたところでわかるはずはないのに、倒れたコップから水が広がっていくみたいに思考が止まらない。
迷いは疑問となりやがて不安を募らせたが、すぐに好奇心へと変わった。
わたしは気持ちを落ち着かせるために二秒待ってから受話器を取り、はいと言ってあとは黙ることにした。
返事はなかった。電話の相手はわたしの声が聞こえていたはずなのに、何も言わずに黙っている。沈黙がさらに不安を煽る。顔が見えなくてよかった、とわたしは思う。
それからしばらくし て「マユミさんですか? 」という女の人の声が聞こえた。
わたしの名前はマユミではないしマサミでもない。ヒロミでもないしヒトミでもない、わたしの名前はトモミだ。
「いいえ違います」
聞かれたことを否定すると、自分がとても嫌な人間に思えてくる。受話器の向こう側からは声にならない微かな声が聞こえ、相手が戸惑っているのがわかった。
不穏な時間に居たたまれなくなったので、わたしは勝手な人物を思い描いて楽しむことにした。
彼女はきっとジェニファー・ローレンスのような主張を貫き通す意思の強いタイプだ。いや、ケイト・ブランシェットのような経験が滲み出た包容力のあるタイプだろうか。
目を閉じるだけで脳裏に描き出された人物が語りかけてくるような気がした。
だけどそんな楽しい時間は長くは続かない。間違い電話だと悟ることで不安はゆっくりと後戻りを始めたが、膨らみすぎた心の器には虚しさだけが取り残された。
どれくらいの時間が流れただろう。気まずさに肌がピリピリと悲鳴を上げ始めた頃、その女の人はようやく口を開いた。
「あなたは誰? 」
その言葉に一瞬、緊張と不安がからだ中を駆け巡った。
たいしておかしくもないことで突然誰かが笑い出したときや、ウェイトレスがキッチンの奥でスプーンやフォークを床に落としたときにやってくる怯え。
それは本能によって全身が硬直してしまう何もない世界だ。そんな何もない世界で、わたしは自分が誰であるのかを忘れてしまった。
だけどこういったことはそれほど珍しくない。誰からも名前を呼ばれなくなったとき、わたしは自分が誰なのかをすぐに忘れてしまうからだ。
友人と遊んでいるときや恋人と過ごした時間の中でわたしがトモミと呼ばれていた頃、わたしはトモミでいられた。
それは職場の上司から呼び出されたときとか、病院の待ち合い室で呼ばれたときのような無機質なものではなかった。親しみと習慣がその言葉に溶け込んでいたからだ。
いつからかひとりでいる時間が増えるとわたしは自分を証明できなくなっていった。
確かめるように何度も自分の名前を呼んでみたこともあったけど、言葉が打ち上げ花火のようにぱらぱらと散っていく。
実をもぎ取られ、裸になった林檎の木はきっとこんな気分なんだろうと思った。
沈黙が再びやってきた。まるでゲームのようだ。姿の見えない緊迫した空間の中で、どれだけわたし達はお互いを理解し合えるのか、そんなゲームだ。
わたしの名前はトモミです、そうこの人に伝えたい。たったそれだけの言葉を口にするだけで、彼女の記憶にはトモミという足跡を残すことができるだろう。
記憶とは一面に広がるラベンダー畑のように広大で果てしない。
わたしは情報という種を撒き続け、開花したラベンダーを紡ぎとり、それを言葉や文章で表現する。大切な種はいつも左のポケットに入っている。
忘れてはいけないことや誰にも言えない秘密や、わたし自身のことはすべてここに入っている。そういったものを表現として取り出すとき、わたしはもう一度トモミという種を撒いた。
種を撒くということはそれほど難しいことではなかった。ただ誰からも名前を呼ばれなくなると、管理するといったことが上手くできなくなる。
肥大化したラベンダー畑は、どの場所にどんな種を撒いたのかがわからなくなり、いつしかわたしの名前すらどこにあるのかわからなくなっていった。
咲き乱れたラベンダーは感嘆するほど美しく柔らかい香を放っていたが、はるか彼方まで続く広大な敷地の中からわたしを捜し出さなければいけないかと思うと混乱を招いた。
遠くからやってきた蜜蜂はわたしの頭の上をぐるぐると旋回して、縄張りを主張するかのようにして去っていく。記憶のラベンダー畑はいつしか彼らのものとなり、大きな蟻地獄にゆっくりと身体が埋もれていくようにわたしは存在を奪われていった。
奪われるというのは希望を失うこととよく似ている。方向性を失い選択する手段を断たれたわたしは、毎日という時間が緊張の連続だった。
そんなとき閑散とした街にある素朴なカフェで素朴なマスターと知り合った。素朴なマスターは緊張で張り詰めているわたしとは違い、とてもしなやかな人だった。
そんなわたしを見て「慌ててはいけませんよ」とマスターは微笑んだ。
「何かを求めたり誰かに頼ったり、そういったことはしないほうがいいですよ。何も考えないほうがいいと思うんです。それは何もしないという意味ではないんですよ。直接自分を拾いあげようとするのではなく、まわり道をしてみるということです。どこかへ旅行に行ったり、身体を動かしたり、おいしいものを食べたり、そういうことです。そこで注意しなければいけないのは、誰かを介入させてはいけないということなんです」