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文字数 2,286文字
最初はこの人は何を言ってるのだろうと思った。言っている意味がよくわからなくて、わたしは何度も理解するよう努めた。
なぜなら素朴なマスターの言葉にはけっして省くことのできない基礎のようなものを感じたからだ。だからわたしは間違った解釈をしないよう、その言葉を丁寧に描き出した。
意味を取り違えないためには相手の立場になってみることが重要だ。だけど緊張に支配されたわたしには、素朴なマスターのしなやかさは掴み取ることができないくらい、深く尊いものだった。
そんなわたしの心情を察したのか、素朴なマスターは洗い終わったコーヒーカップを棚へ戻して背を向けたままつぶやいた。
「メッセージを書いてみるなんてのはどうです? 」
手に持った受話器と押し当てた耳のまわりが汗で蒸れていることに気がついて、細く長い亀裂が記憶の中の映像を引き裂いた。
わたしはいま何をしているんだっけ? そうだ、電話をしていた。わたしの知らない、声のきれいな女のひと。もう一度あの声を聞いてみたい。
だけど受話器の向こう側では、不気味なシグナルだけが一定のリズムで流れていた。電話は切れていた。その音はやがてわたしの感覚を麻痺させ、離れることを許さなかった。
決して終わることのないシグナルは風のない湖に浮かぶ、一隻のボートのように保たれている。静止した情景に取り残されていると自分の居場所がわからなくなっていくようだった。
ただひとつ確かなことは、誰もわたしの名前を呼ぶことはないだろうということだ。
素朴なカフェで素朴なマスターに出会ったあの日から、わたしはわたしという人間を記したメッセージを書き留めることにした。
それはイスラム教徒が毎朝決まった時間にお祈りをするように、ある一定の期間で儀式化されていた。
受話器を耳から離して元に戻すと、静かな部屋の空気を確かめることができた。そしてゆっくりと呼吸を繰り返し、心の天井に吊り下げられた電球を、ひとつずつ消していく。
空気には従来の姿へと修復する性質が含まれている。元の位置に戻された受話器のように、わたし自身元へと戻っていくのがわかった。
そして机へと向かい二番目の引き出しに入っている小さなメッセージカードを取り出すと、それを机の真ん中より少し下に水平になるようにそっと置いた。
角度というものはとても大切だ。わずかな傾きは物事の見方を変えてしまうからだ。間違った角度で物事をとらえてしまうと、間違った角度でしか物事を見れなくなってしまう。こうした見落としがちな些細なことを、わたしはいつも大切にしてきた。
だけど本当に大切なものが何なのかは、わからない。
メッセージカードの左下には傘を差している赤い長靴を履いた少女が描かれていた。
その傘は少女の頭をすっぽりと覆っているので、顔はわからない。わかるのはそれが少女だということだけだ。
誰も知らない名前のない少女。わたしにぴったりだと思った。
ペンを片手に一文字一文字丁寧に書き進めていくが、特別なことは書かない。どれもみな普通のことだ。
好きな食べ物や好きな映画、よく聞く音楽だとかよく行く美容院、嫌いな虫や嫌いな色、今朝パンに塗ったジャムとか、薬指の第一関節の裏側に小さなホクロを発見しましたとか、ボディオイルを使ってのお風呂上がりのマッサージはかかせませんとか、グログランの大きめリボンがついたデラクアのパンプスが欲しいとか、お気に入りのアイテムはチェックのタイトスカートとショートパンツだけど気分を変えたいときはフリルやレースを散りばめたフェミニンコーデもいいよねとか、足のむくみが気になるときはひざ裏のリンパを刺激するために5秒くらい押すとか、毎日の楽しみは家庭用きのこ栽培キットで育てているしいたけの成長過程なんですとか、行ってみたい国はボツワナで住みたくない国もボツワナだとか、好きな男性のタイプはキアヌ・リーブスやエドワード・ノートンのような爽やかさと危うさを兼ね備えたちょっとまったりとした感じが好みだけど、これは毎年のように変わっていくのであてにはならないだろう。
とにかくそういった情報をかたちとして残しておくことが大切だった。
書き留められたメッセージカードは数百枚はある。目標枚数があるわけじゃないし、捨てられないわけじゃない。ただたまっていくのだ。
突然後ろから艶のない人の声が聞こえた。振り返るとテレビがついていた。どうやら足元に転がっていたリモコンを足で踏んでしまったらしい。
わたしはよく物を床に落としてしまうので、リモコンが落ちていても不思議ではなかった。問題はそれを拾おうとしないことかもしれないけど、結果が同じならそういったことには意味がない。
テレビのキャスターがきんきんとした声で今日の占いを発表している。
占いを信じているわけではないけど、自分にとって都合のいいことだけは前向きにとらえるようにしている。
だからわたしは静かに天秤座の出番を待った。
「不安な気持ちにさせられそうな一日。周りとの関わりに肩を落としてしまうかも。外出前にはおまじないとして窓からお米を三粒撒きましょう」
期待外れな結果にがっかりしたわたしは占いを見なかったことにしてチャンネルを変えた。映像が中継された都心の風景へと切り替わった。
映し出されたテレビ画面には数えきれない人の群れが、切り取られた枠の中で行ったり来たりを繰り返している。
東京の人間がすべてこの場所に集まっているんじゃないかと思えるくらい煩雑としていて、黒い小さな虫が無秩序に動めいているようだった。
なぜなら素朴なマスターの言葉にはけっして省くことのできない基礎のようなものを感じたからだ。だからわたしは間違った解釈をしないよう、その言葉を丁寧に描き出した。
意味を取り違えないためには相手の立場になってみることが重要だ。だけど緊張に支配されたわたしには、素朴なマスターのしなやかさは掴み取ることができないくらい、深く尊いものだった。
そんなわたしの心情を察したのか、素朴なマスターは洗い終わったコーヒーカップを棚へ戻して背を向けたままつぶやいた。
「メッセージを書いてみるなんてのはどうです? 」
手に持った受話器と押し当てた耳のまわりが汗で蒸れていることに気がついて、細く長い亀裂が記憶の中の映像を引き裂いた。
わたしはいま何をしているんだっけ? そうだ、電話をしていた。わたしの知らない、声のきれいな女のひと。もう一度あの声を聞いてみたい。
だけど受話器の向こう側では、不気味なシグナルだけが一定のリズムで流れていた。電話は切れていた。その音はやがてわたしの感覚を麻痺させ、離れることを許さなかった。
決して終わることのないシグナルは風のない湖に浮かぶ、一隻のボートのように保たれている。静止した情景に取り残されていると自分の居場所がわからなくなっていくようだった。
ただひとつ確かなことは、誰もわたしの名前を呼ぶことはないだろうということだ。
素朴なカフェで素朴なマスターに出会ったあの日から、わたしはわたしという人間を記したメッセージを書き留めることにした。
それはイスラム教徒が毎朝決まった時間にお祈りをするように、ある一定の期間で儀式化されていた。
受話器を耳から離して元に戻すと、静かな部屋の空気を確かめることができた。そしてゆっくりと呼吸を繰り返し、心の天井に吊り下げられた電球を、ひとつずつ消していく。
空気には従来の姿へと修復する性質が含まれている。元の位置に戻された受話器のように、わたし自身元へと戻っていくのがわかった。
そして机へと向かい二番目の引き出しに入っている小さなメッセージカードを取り出すと、それを机の真ん中より少し下に水平になるようにそっと置いた。
角度というものはとても大切だ。わずかな傾きは物事の見方を変えてしまうからだ。間違った角度で物事をとらえてしまうと、間違った角度でしか物事を見れなくなってしまう。こうした見落としがちな些細なことを、わたしはいつも大切にしてきた。
だけど本当に大切なものが何なのかは、わからない。
メッセージカードの左下には傘を差している赤い長靴を履いた少女が描かれていた。
その傘は少女の頭をすっぽりと覆っているので、顔はわからない。わかるのはそれが少女だということだけだ。
誰も知らない名前のない少女。わたしにぴったりだと思った。
ペンを片手に一文字一文字丁寧に書き進めていくが、特別なことは書かない。どれもみな普通のことだ。
好きな食べ物や好きな映画、よく聞く音楽だとかよく行く美容院、嫌いな虫や嫌いな色、今朝パンに塗ったジャムとか、薬指の第一関節の裏側に小さなホクロを発見しましたとか、ボディオイルを使ってのお風呂上がりのマッサージはかかせませんとか、グログランの大きめリボンがついたデラクアのパンプスが欲しいとか、お気に入りのアイテムはチェックのタイトスカートとショートパンツだけど気分を変えたいときはフリルやレースを散りばめたフェミニンコーデもいいよねとか、足のむくみが気になるときはひざ裏のリンパを刺激するために5秒くらい押すとか、毎日の楽しみは家庭用きのこ栽培キットで育てているしいたけの成長過程なんですとか、行ってみたい国はボツワナで住みたくない国もボツワナだとか、好きな男性のタイプはキアヌ・リーブスやエドワード・ノートンのような爽やかさと危うさを兼ね備えたちょっとまったりとした感じが好みだけど、これは毎年のように変わっていくのであてにはならないだろう。
とにかくそういった情報をかたちとして残しておくことが大切だった。
書き留められたメッセージカードは数百枚はある。目標枚数があるわけじゃないし、捨てられないわけじゃない。ただたまっていくのだ。
突然後ろから艶のない人の声が聞こえた。振り返るとテレビがついていた。どうやら足元に転がっていたリモコンを足で踏んでしまったらしい。
わたしはよく物を床に落としてしまうので、リモコンが落ちていても不思議ではなかった。問題はそれを拾おうとしないことかもしれないけど、結果が同じならそういったことには意味がない。
テレビのキャスターがきんきんとした声で今日の占いを発表している。
占いを信じているわけではないけど、自分にとって都合のいいことだけは前向きにとらえるようにしている。
だからわたしは静かに天秤座の出番を待った。
「不安な気持ちにさせられそうな一日。周りとの関わりに肩を落としてしまうかも。外出前にはおまじないとして窓からお米を三粒撒きましょう」
期待外れな結果にがっかりしたわたしは占いを見なかったことにしてチャンネルを変えた。映像が中継された都心の風景へと切り替わった。
映し出されたテレビ画面には数えきれない人の群れが、切り取られた枠の中で行ったり来たりを繰り返している。
東京の人間がすべてこの場所に集まっているんじゃないかと思えるくらい煩雑としていて、黒い小さな虫が無秩序に動めいているようだった。