第二章 刹那の春①

文字数 1,823文字

 穏やかな海を囲うようにそびえ立っている山々が、うっすらとピンク色に染まり始め、春の到来を告げている。今日も天気は快晴で、ただ海からの吹いてくる春風はまだ冷たそうだ。
 前田さくらは鏡の前で身支度を調える。
 制服に身を包み、長い黒髪を(くし)でといでから、学生カバンを手に取るとそのまま学校へ向けて歩き出した。
 今日から新学期だ。
 高校生活最後になる一年の始まりの今日、しかしまだ、さくらに受験生という自覚は芽生えてはいなかった。

「おはよう~」
「おはよう」

 登校中に何人もの同級生と挨拶を交わす。さくらはそのまま学校の校門をくぐると、まずは新しい教室を掲示板で確認した。自分の名前を探しているとき、同じクラスに(いけ)()()(つき)の名前を見つけ、思わず(ほお)を緩めた。

(なっちゃんと、同じクラスだ……)

 さくらがそう思っていると、

「さーくら!」
「なっちゃんっ?」
「おはよう!」

 元気な声とともに肩を(たた)かれる。現れたのは先程、掲示板で名前を見かけた菜月だった。

「クラス替え、どう?」

 菜月はまだ掲示板を見ていないようで、さくらにそう問いかけた。さくらは人でごった返す掲示板の前で、菜月の名前と自分の名前を指さす。

「うわぁっ! 同じクラスじゃん!」

 菜月も(うれ)しそうに声を上げた。

「今年は楽しくなりそうだね!」

 菜月はそう言うと、さくらの手を引いて新しいクラスへと続く昇降口へと向かっていった。 新しい教室に入るとそこには既に数人の生徒たちが集まっていた。自分の席を探してうろうろする者、仲の良い者どうしで会話を楽しむ者など、新学期の教室は(にぎ)わっていた。
 さくらも黒板に書いてあった自分の席へと荷物を置く。

「お前さぁー!」

 その時、窓際から一際大きな声が聞こえてきた。さくらが思わず目をやると、日の光を浴びて色の抜けているのがハッキリ分かる茶髪の男子生徒が、同じように髪を脱色している男子生徒とふざけてじゃれ合っていた。

(元気な男子……)

 さくらが思わず目で追っていると、

「やめろ、やめろっ! 落ちるって!」

 窓際でふざけ合っている男子生徒たちが押し合いになっていく。

(危ない……)

 さくらは注意しようかと席を立ち上がったが、

「あぶねーっ!」

 危機一髪といった様子で、男子たちのじゃれ合いが収まった。
 さくらがホッと胸をなで下ろしていると、

「あれ、(まつ)(もと)くんじゃん?」

 (そば)に来ていた菜月が同じように窓際でじゃれ合っている男子たちを見てそう言った。

「なっちゃん、知り合い?」

 思わず(たず)ねるさくらに、菜月は、ううん、と首を振る。

「でも有名人だよ」
「そうなんだ」

 さくらには彼――(まつ)(もと)(だい)(すけ)が何で有名なのかまでは興味がなかった。ただ、目立つ男子だな、と言う印象は確かに抱いたのだった。 

 クラス替えや自己紹介が無事に終わり、(おの)(おの)が少しずつ新しい環境に慣れ始めた頃。
 さくらの学校ではオリエンテーションと称して班に分かれ、遊園地へ行くことが通例になっていた。
 さくらは菜月と同じ班になった。同じ班の男子にはクラス替えの日に目立っていた茶髪の男子、松本大輔も一緒である。
 オリエンテーションに向けての計画を立てる際、さくらは彼がどう『有名人』であるのかを痛感することになった。

「タバコ、持ってっていいかな?」
「は?」

 高校生の口から出てきたとは思えない単語に、さくらは耳を疑う。

「ダメ?」
「ダメに決まってるでしょ!」

 反論したのはさくらではなく菜月だった。
 菜月の強い言葉に、(だい)(すけ)はいじけたように唇を(とが)らせた。

「いーじゃんよー、ケチー……」
「未成年なんだから、ダメに決まってるでしょ!」
「法律、変わったから、十八になれば俺も立派な成人ですぅ~」
「タバコもお酒も二十歳からって言われてますぅ~」

 大輔と菜月はそんなことを言い合う。
 そこで初めてさくらの意識が二人に追いついた。

「松本くんって……、不良なの……?」

 さくらからの言葉に、舌戦を繰り広げていた二人の時間が止まる。一瞬、菜月と大輔は顔を見合わせると、そのままぷっ、と吹き出した。

「前田さん、オモロ!」

 大輔はそう言うと、あはははは、と声を上げて笑い出した。
 そんな大輔を尻目に、菜月はさくらに耳打ちする。

「有名人だって、言ったでしょ?」

 その言葉に、さくらは大輔が不良であることを確信した。

(だから髪の毛が茶色いのか……)

 さくらは、頭髪検査に良く受かっているなと思いながら、大輔の少しパーマがかったフワフワの茶髪を見やるのだった。
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