迷い猫

文字数 1,514文字

深い陽だまりが包み込む、午前10時半。
人気の無い静かな公園のベンチで、コンビニで買ったフルーツサンドをゆっくり頬張れば、甘い自由の味がする。
遠くに聞こえる車の音や喧騒が、今この時だけ切り離された私の世界に割り込む事は決して無い。
フルーツサンドを飲み込み、空を見上げ、その透き通るような蒼さに息を吐く。遥か高くを鳥が二羽…あの自由な生命は、鳶か鴉か。
微風が頬を優しく撫でる。まるで飼い主が愛猫を愛でるかのように。

柔らかな時間の中、ほんの少し湧き上がる睡魔が精神を魅了してゆく。此処で眠れたなら、どんなに心地良いだろうか。
目を閉じて、褪せた青色のベンチに横になり、そうして目覚めるまで夢の中へと消えていって。それはなんと素晴らしい自由だろうか。
けれどそれを謳歌するには、私は長い年月を、人として世の常識に浸かり過ぎた。
せめて本当に猫であったなら、迷わずにそうしていただろうに。
口の中に残るクリームの甘さを、無糖の紅茶で流していく。今の私では、こうして飲み食べする自由が精々だろう。それでも充分に幸せだけれど。

電源を切ったスマートフォンは、いつものようにダイレクトメールの着信で騒ぐ事も無い。沈黙を守ったまま、ポケットの中に居る。
よくよく考えると、只管に液晶を見詰め、電子音に振り回される日常というのもぞっとしない。人間はスマートフォンを操り使いこなしているつもりだが、もしかして逆なのかも知れない。

小さな機械への恐れを掻き消すべく、指先で真っ暗な画面をつるりと撫でる。何も映さない無反応に、何処かホッと安堵する自分が居た。

(きっと、笑われる程度の気持ちだろう)

スマートフォンやパソコンへの恐れもだが、テレビもラジオも、何故か昔から好きになれなかった。あの機器の前に立つと、操り人形のような心地になってしまう。
苦手意識を払拭すべく、最新のスマートフォンを持ってはみたがあまり効果は無かった。仕事で使う分には便利だけれど、それ以外で持ち歩く時はこうして電源を落としたりサイレントにしたりしている。

きっと産まれた時に、上手く文明にチューニングを合わせる事が出来なかったのだろう。こればかりはどうしようもない。
だから、こうして静かで穏やかな世界を味わっている時は本当に安らぐ。日差しの温もりはどこまでも優しくて、疲れた時に浴びていると涙が出そうになってしまう事すらある。

(いっそ、猫に生まれてくれば良かったかも知れない)

ただ、猫であったなら、公園でのんびり出来てもコンビニで好きな食べ物を買う事は出来なくなるだろう。人間が食べる御馳走を盗みまくって、排除の憂き目にあうかも知れない。それを考えると、やっぱり私は人間に産まれるべくして産まれたのかも知れない。美味しいものと自分を切る事がいまいち難しい。文明そのものが合わなくても、食べ物に弱い分できっとこの世界との帳尻が合っている。何はなくとも、フルーツサンドはとても美味しかった。
上手く出来ているな、と、ぼんやり思いながら景色を見る。公園の木々や草花、手入れのされた遊具達から見た私は、どんな人間に映っているだろう。一度、聞けるなら聞いてみたいものだ。

(こういう所も、人間だなあ)

溜め息を吐く。
どんな人間に映るかなんて気になるのは、自分が人間であるからこその気持ちだろう。猫なら気にせず、我関せずで歩いていくに違いない。この思いを突き詰めたとしても、私は猫に憧れる人間でしか無い。今までも、これから先も。

(きっと、笑われる程度の悩みなのだろう)

遠くで、パトカーと消防車のサイレンの音が高らかに響き始める。

忙しない人間達は、今日も今日とて騒がしく。

忙しない私も、今日も今日とて悩み考えていた。


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