最終話 ニッター男子は今後も続く
文字数 1,866文字
場所は高校から駅へ行く道と反対方向に五分ほど進んだ所にあるコーヒーショップを選んだ。こそこそしているのはもちろん噂になるのを避けるためと、なにより俺が編み物をしているのを見られないためだ。
「これを……こう。それでひとつ完成」
「わあ。本当だ、できてる! すごい!」
細かな手元を見せるため、自然と距離が近くなる。心臓がやたらと鳴って、手がいつもよりかなり冷えている俺をよそに、松浦さんはとても楽しそうに編み物をしていた。
「見て見て! これで合ってる?」
眩しい笑顔に、いろいろ奪われた。
「あ……合ってる合ってる。完璧」
「へへ」
編めた部分をうっとり眺めてから「新田くん」と呼んでくるからどきりとした。
「ありがとっ! 嬉しい。本当に」
恋ってこういうことか、と知った。
それから俺たちは度々こうして二人で放課後に編み物をするようになった。
もちろん恋人になったりしたわけじゃない。俺も彼女もそういうことには触れず、ただ楽しく編み物をして、編み物についてだけを語った。
俺が初心者でないことはやはりすぐにバレた。
「新田くんさ、本当はめちゃめちゃ編めるんでしょ?」
くすりと笑いながら言う彼女の視線は俺の指先に向いていた。編み棒の扱い、毛糸の掛け方、引き具合。少しでも編み物をする人ならひと目見ただけで素人とそうでない人の差はわかるはずだ。
「…………まあ」
そう言う松浦さんの手つきはと言うと、本人が「初心者」と言う通り不慣れでたどたどしいものだった。
その時ふと思い出したのは書店で見たあのカーディガンだった。こんなことを思うのは失礼だが、とても彼女があんな大作を編んだとは思えない。
「前に、本屋で会った時に着てたカーディガンってさ」
すると彼女はぱっと瞳を輝かせて「あれね!」と言う。
「あれもtomoyoさんのなの。でもあれは私が編んだのじゃなくてね、親戚のお姉さん、えっと……従姉妹 、になるのかな? その人が編んだの」
「あ……へえ」
「すごく編み物が上手でね。私が編み物始めたのも、あのカーディガンもらったのがきっかけで。だけど県外に住んでて子どももまだ小さいし、なかなか会えなくて。だから独学で始めたんだよ」
なるほど。そういうことだったのか。
「でも編み物って、やってる子あんまりいないじゃない? こんなこと言ったら失礼かもだけど、なんか私……編み物が趣味なのが恥ずかしいって思っちゃってたんだ」
松浦さんはそう言うと、編み棒を置いてラテのカップに口を付けた。
「暗いって思われそうとか、大人しい子って決めつけられそうとか、ババくさい、ダサい、なんて、あはは。でもそう思う人だっているでしょ?」
「……すっげー、わかる」
それは俺が常からどうして、と嘆いていることだった。編み物は、暗くなんかない。芸術で、伝統で、そして最先端なんだから。
「だからこんなさ、一緒に編み物できる人と巡り会えて私、すごく嬉しいの。それも同じ歳で、しかもtomoyoさん推しの……あれ、新田くんもtomoyoさん推しだっけ?」
「あ……まあ、そう」
『も』というのが気になった。すると彼女はこんなことを言う。
「今度はお姉さんも一緒に三人で編みたいね。試験いつ終わるのかな」
「あ……えっと……」
そうか。それはまだ言ってないんだった。
「……ごめん、松浦さん」
なんて言えば、いいかな。
「俺の姉貴さ、じつは……──」
彼女は、目を丸くしていた。
「え……。つまりは、あれも、あれも、全部新田くんが編んだってこと?」
「……そう」
白状したら、意外とすっきりした。
「……すごい」
「え」
「……すごいよ。え、ひとりで? だよね? え、習ってるとか? じゃなくて?」
「ないない」
習うなんて有り得ない。初めに教えてくれた母親だって今はほとんど編み物はやらない。俺は本とネット動画でその技術を勝手に学んだんだ。
「ひい、天才だ……」
すると彼女はそんなことを呟いて高い天井を見上げてから目を閉じてしまった。長いまつ毛。透き通るような頬。綺麗な横顔だった。
「ね。新田くん」
「……はい」
なんとなく畏まって答えると、彼女は「ぷはは」と可愛く笑う。
「嘘つきくん」
「……ごめん」
「ううん、いいの。わかるもん。隠したかったんだよね。私たち、二人とも」
すると彼女は「じゃあ改めて」とこちらに向き直った。
「私に編み物を教えてください」
この時間が、ずっと続いてほしい。そんなことを人生で思う瞬間が来るとは、夢にも思わなかった。
「よろこんで」
俺たちの時間は、まだ始まったばかりだ。
(おわり)
「これを……こう。それでひとつ完成」
「わあ。本当だ、できてる! すごい!」
細かな手元を見せるため、自然と距離が近くなる。心臓がやたらと鳴って、手がいつもよりかなり冷えている俺をよそに、松浦さんはとても楽しそうに編み物をしていた。
「見て見て! これで合ってる?」
眩しい笑顔に、いろいろ奪われた。
「あ……合ってる合ってる。完璧」
「へへ」
編めた部分をうっとり眺めてから「新田くん」と呼んでくるからどきりとした。
「ありがとっ! 嬉しい。本当に」
恋ってこういうことか、と知った。
それから俺たちは度々こうして二人で放課後に編み物をするようになった。
もちろん恋人になったりしたわけじゃない。俺も彼女もそういうことには触れず、ただ楽しく編み物をして、編み物についてだけを語った。
俺が初心者でないことはやはりすぐにバレた。
「新田くんさ、本当はめちゃめちゃ編めるんでしょ?」
くすりと笑いながら言う彼女の視線は俺の指先に向いていた。編み棒の扱い、毛糸の掛け方、引き具合。少しでも編み物をする人ならひと目見ただけで素人とそうでない人の差はわかるはずだ。
「…………まあ」
そう言う松浦さんの手つきはと言うと、本人が「初心者」と言う通り不慣れでたどたどしいものだった。
その時ふと思い出したのは書店で見たあのカーディガンだった。こんなことを思うのは失礼だが、とても彼女があんな大作を編んだとは思えない。
「前に、本屋で会った時に着てたカーディガンってさ」
すると彼女はぱっと瞳を輝かせて「あれね!」と言う。
「あれもtomoyoさんのなの。でもあれは私が編んだのじゃなくてね、親戚のお姉さん、えっと……
「あ……へえ」
「すごく編み物が上手でね。私が編み物始めたのも、あのカーディガンもらったのがきっかけで。だけど県外に住んでて子どももまだ小さいし、なかなか会えなくて。だから独学で始めたんだよ」
なるほど。そういうことだったのか。
「でも編み物って、やってる子あんまりいないじゃない? こんなこと言ったら失礼かもだけど、なんか私……編み物が趣味なのが恥ずかしいって思っちゃってたんだ」
松浦さんはそう言うと、編み棒を置いてラテのカップに口を付けた。
「暗いって思われそうとか、大人しい子って決めつけられそうとか、ババくさい、ダサい、なんて、あはは。でもそう思う人だっているでしょ?」
「……すっげー、わかる」
それは俺が常からどうして、と嘆いていることだった。編み物は、暗くなんかない。芸術で、伝統で、そして最先端なんだから。
「だからこんなさ、一緒に編み物できる人と巡り会えて私、すごく嬉しいの。それも同じ歳で、しかもtomoyoさん推しの……あれ、新田くんもtomoyoさん推しだっけ?」
「あ……まあ、そう」
『も』というのが気になった。すると彼女はこんなことを言う。
「今度はお姉さんも一緒に三人で編みたいね。試験いつ終わるのかな」
「あ……えっと……」
そうか。それはまだ言ってないんだった。
「……ごめん、松浦さん」
なんて言えば、いいかな。
「俺の姉貴さ、じつは……──」
彼女は、目を丸くしていた。
「え……。つまりは、あれも、あれも、全部新田くんが編んだってこと?」
「……そう」
白状したら、意外とすっきりした。
「……すごい」
「え」
「……すごいよ。え、ひとりで? だよね? え、習ってるとか? じゃなくて?」
「ないない」
習うなんて有り得ない。初めに教えてくれた母親だって今はほとんど編み物はやらない。俺は本とネット動画でその技術を勝手に学んだんだ。
「ひい、天才だ……」
すると彼女はそんなことを呟いて高い天井を見上げてから目を閉じてしまった。長いまつ毛。透き通るような頬。綺麗な横顔だった。
「ね。新田くん」
「……はい」
なんとなく畏まって答えると、彼女は「ぷはは」と可愛く笑う。
「嘘つきくん」
「……ごめん」
「ううん、いいの。わかるもん。隠したかったんだよね。私たち、二人とも」
すると彼女は「じゃあ改めて」とこちらに向き直った。
「私に編み物を教えてください」
この時間が、ずっと続いてほしい。そんなことを人生で思う瞬間が来るとは、夢にも思わなかった。
「よろこんで」
俺たちの時間は、まだ始まったばかりだ。
(おわり)