第1話 ニッター男子はキモくない

文字数 1,371文字


 (おもて)、表、(うら)、裏、表、表…………

 ──俺は断じて、オカマではない。


 掛け算も割り算もまあまあ出来るようになった小学四年の頃、俺はごく自然に編み棒を手にしていた。

 二つ年上の姉と一緒に、母親から教わった。粉雪舞う冬休み、年の瀬のことだったと思う。

 スポーツ好きの姉は割とすぐに飽きてやめてしまった。けれど俺は────


「──うわ。tomoyoさんの新刊出るんだ」

 これは買いだね、とスマホを片手に呟く。

 高校二年になった今でも、細々とそれを続けて、今やセーターだって自分で編めるほどの腕前になっていた。

 tomoyoさん、とは今業界で話題の売れっ子クリエイターの名。彼女の編み図本は既に数冊そこの本棚にある。女性ものだけでなく、男性もののウエアの編み図も多い。それも抜群のセンス。俺が彼女を推し始めたのはその部分からだった。

 部活もせずに週三日、近所のからあげ屋でアルバイトをして貯めた金で資金を賄っていた。編み図本はまだしも、毛糸というのはピンキリでありながら良質なものは途端に価格が跳ね上がる。なかなかに金のかかる趣味というわけだった。

「げ。また編んでんの? いい加減ほかの趣味見つけなって。普通にキモいから。男が編み物してるとか」

 風呂上がりの姉が廊下から冷めた目で毒づく。「うっさい」と小さく返して自室のドアをばこんと閉めた。

 キモいとは失礼な話だ。俺は、この細い毛糸からひと目ひと目丁寧に編んで、仕上げて、そして身につけるものを作り上げるという作業に心底魅せられていた。完成した時の達成感。そして身に付けた時の温もり。この幸福はなにものにも替えがたい。


 けどこのことは秘密だ。

 だって恥ずかしいから。


 男が、編み物。
 海外ではそんなの普通で男性ニッターも珍しくはない。ああ、『ニッター』というのは編み物をする人のこと。ちなみに俺の苗字が『新田(にった)』なのはたまたまで狙ったわけじゃない。

 俺の住む日本という国では特に男性ニッターへのイメージはよくない気がする。「キモい」と言うあの姉がいい例だ。払拭しようとする動きもなくはないがどうしても「女々しい」と思われがち。「可愛い」「ギャップ萌え」「女子力高い」そんなことを言われたくて編んでいるわけじゃないのに。悲しいな。

 そんな理由でとにかくこのことは家族以外には、特に学校では絶対に秘密だった。

 ──というのに。


 最寄りのショッピングモールだった。木の葉舞う秋、土曜の休日。

「新田くん?」

 よく行く書店だった。

「あ……松浦さん」

 クラスの女子だった。

「それ……」

 俺の手を見つめていた。

「あ……これは……」

 tomoyoさんの新刊だった。

 跳ねる、心臓。
 上ずる、声。

「あ、姉貴の。姉ちゃんに頼まれて、その」

 しどろもどろそう言うと、相手はあっさり「そうなんだ」と返してきた。

 ああ、やっぱネットで買えばよかった。なんで本屋に来たんだろう。中身、そう中身が早く見た過ぎて、一秒も我慢できなくて。くっそー!

「それじゃあね」と去りゆく背中を見て、はっとした。

 松浦さんが着ているあれって……tomoyoさんの〈すっきりシルエットのお洒落カーディガン〉じゃないか?

 まさか……。けど間違いない。あの形。色は本のものと違うけど、絶対にそうだ。

 彼女の姿が見えなくなっても、しばらくそこから動けなかった。

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