4話

文字数 3,186文字

 晩御飯の最中だった。
 父さんはまだまだ残業中で、母さんと弟の悠晴(ゆうせい)と、三人で先にテーブルを囲んでいた。いつもどおりの風景。特別なことがあるとすれば、食卓にコロッケが上ったことくらいだろうか。揚げたてでさくさくの、母さんの牛肉コロッケは、悠晴の大好物だ。悠晴は、普段は食べながらあれこれとしゃべるのに忙しいのに、コロッケの日だけは無言になって、がつがつ食べる。
 だけどその食事の最中、母さんが急に声を上げた。
「やだ、信じられない」
 母さんの目は、テレビの画面を見ていた。その声ににじむ非難の響きに、悠晴とそろって顔を上げる。
 テレビの画面は、街を歩く女の子たちの腕を、大きくうつしている。その肌には、細かい模様のタトゥーが入っていた。
 ――このように、一部の若者たちのあいだでいま、鱗をモチーフにしたタトゥーを入れるのが流行っているんですね。
 リポーターの、どこか含みのある解説。マイクが女子高生に向けられる。
 カッコいいから。友達がしてたのを見て、羨ましくなって。あたしのはシールなんです。そういうことを口々にしゃべっている、女の子たちのアップに向かって、母さんはいった。
「無神経だと、思わないのかしら」
 やるせないような声だった。
 あたしはあいづちを打たなかった。箸もとめなかった。椅子を蹴ったのは、悠晴だ。
「無神経なのは、どっちだよ」
 好物のコロッケも食べかけのまま、悠晴は背中を向けた。小学五年生にしてはせいいっぱい荒い足音を立てて、リビングのドアから出て行く。
「ちょっと。悠晴!」
 驚いた母さんが、大声で呼びとめたけれど、悠晴の足音は乱暴に階段を上っていく。ドアを閉める音。
 母さんはしばらく、二階を見上げて立ち尽くしていたけれど、やがて、ダイニングに戻ってきた。
 あの子、なんで怒ったのかしらとは、母さんはいわなかった。大きくため息をついて、椅子にかけなおす。食欲がなくなったのか、箸をおいて、片手で顔を覆ってしまった。
「……亜希ちゃん。ごめんね」
 あたしはコロッケを食べながら、首を振る。母さんがあんなふうにいう気持ちは、わからないでもなかった。
 母さんはあたしを産んでから、色んなことに耐えてきた。特に、あたしが小さいころは、まだレピシスはすごく珍しくて、そのころはレピシスなんて呼ばれ方もしてなくて、めったにない遺伝性の病気だと思われていた。
 近所の噂話。人の目。口に出してはいわないけれど、母さんはたぶん、父さんのほうの親戚とも気まずくなった。迷信ぶかいド田舎にいまも引っ込んでいる、父方の祖母の口から飛び出した、蛇()き、という言葉を、あたしはたぶん一生、忘れないと思う。
 まだあたしが小さかった頃、母さんはわけもわかっていないあたしの手を引いて、何年ものあいだ、何か所も何か所も病院を回った。鱗が成長とともにどうなるのかわからず、体になにか悪い影響があるのかもわからず、いまのところ治す方法がわからないという医者に、食い下がって。
 そういうものをファッションだっていって真似する子たちに、母さんが腹を立てるのも、無理はないと思う。
「ごちそうさま。コロッケおいしかった」
 うん、とうなずいて、母さんはちょっと笑った。無理して笑ってるってわかるような笑い方だったけれど、あたしはなんでもないような顔をして、食器を流しに運んだ。
 ごめんねと、母さんはときどきそういう。それはちがう、とあたしは思う。謝らないでほしい。謝られると、なんていうか、すごく……。
 階段を上りながら、唇をかみしめていた。
 悠晴の部屋のドアをノックしても、返事はなかった。勝手にあける。
「悠晴」
 名前を読んでも、悠晴は返事をしない。背中を向けて、むすっとしていた。
「ありがとね」
 いうと、その小さな背中がぴくりとした。
「べつに。姉ちゃんのために、怒ったんじゃないし」
「わかってる」
 悠晴は、友達のために怒ったんだろう。久慈隆太がレピシスであることで、まわりに偏見の目を向けられるところを、あるいは同級生のあいだでからかいの種にされるところを、これまで悠晴は、目の当たりにしてきただろうから。
 テレビに出ていた高校生。あたしが観た瞬間にうつっていた一人は、カメラに向かって笑っていたけれど、その目だけが、怒っていた。人とちがうなんてかっこいいじゃん、何がおかしいの、笑いたいなら笑えばいいって、あの目はいっていた。もしかしたら、偏見の目を向けてくる世間への、あれは、抗議のパフォーマンスなのかもしれなかった。
 そんなの、ただの思い込みかもしれない。あたしが自分に都合のいいように見ているだけかも。母さんがそう思ったように、あの人たちはただ軽い気持ちで、不良っぽいことをしてみたかったのかもしれないし、レピシスの子の気持ちなんて、ちっとも考えていないのかもしれない。
 だけど子どもは大人が思うほど、何も考えてないわけじゃない。
「それでも、ありがと」
 いうと、悠晴はようやくこっちを振り返った。ちょっと泣いていたらしい。目が赤かった。


 休み時間、隣のクラスの工藤(くどう)が、教室で騒いでいた。忘れたジャージの貸し借りをしながら、ふざけあっている。それがエスカレートして、机をたおしたりしていた。
「工藤、うるさい」
 紗枝が冷たい目を向けると、工藤はぜんぜん堪えていないふうに、げらげら笑った。
「怖えな、三ツ谷」
 茶化されても、紗枝はふいっと顔を背けて、もう工藤なんてそこにいないみたいに、一緒に見ていた雑誌の話題に戻った。話をあわせながら、ちくりと、胸が痛む。
 紗枝は昔、工藤のことが好きだった。
 小学校五年生のときまでの話だ。女子だけのナイショ話で、誰が好きなんていう話をしているとき、工藤のことが気になるといって照れた紗枝は、耳まで赤くなってて、かわいかった。
 だけど、あのとき、あの掃除の時間に、工藤があたしの鱗のことを、からかったから。
 あの日、紗枝は泣いていた。その翌日には、工藤なんて大嫌いだといった。
 あたしのことは気にしなくていいよって、そういったけど、紗枝はそんなんじゃないっていって、何度も首を振った。あんなサイテーなやつだなんて思ってなかった、あんなやつのこと、ちょっとでも好きだと思ってたなんて、バカだったって。そう早口にいって、それからはずっと、工藤の名前を聞くのもいやみたいな顔をしていた。
 だけど、本当にそうだろうか。それまで好きだったヤツのこと、たった一日ですっかり醒めて嫌いになるなんてこと、あるだろうか。
「あーあ、こういうのが似合う顔に生まれてたらなあ」
 紗枝がため息をついた。見ると、雑誌のページでモデルが着ている服はちょっと大人っぽくて、たしかに紗枝には、もっと可愛い感じの服のほうが、似合うだろうという気はした。けれど、好きなら着てみたらいいのに、とも思う。思うけど、いわない。いっても紗枝は、「だって、似合わないもん」というだけだから。そういうとき、紗枝は普段とは別人みたいにガンコになる。
「こっちみたいなのは?」
 同じページにのっているべつの服をさすと、紗枝はぶるぶる首を振った。
「だめだめ。亜希子くらい痩せてたら着るけどさ」
「なにいってんの。あんたぜんぜん太ってないし」
 丸顔だから、ぱっと見には実際よりも少しぽっちゃりして見えるけれど、紗枝はむしろ、やせているほうだ。だけど、紗枝は納得しないふうに、何か反論しようとした。
 そのときチャイムが鳴った。やっべ、とでっかい声で叫んで、工藤が走っていく。
 その背中を、複雑そうな表情で紗枝が見送るところを、見なきゃいいのに、あたしはばっちり見てしまった。
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登場人物紹介

霧生亜希子(きりゅうあきこ)


 中学二年生。手足に鱗をもって生まれるレピシスと呼ばれる体質。世間では夏でも長袖で手足を隠しているレピシスが多い中、日ごろから堂々と手足を晒して生きてきた。気が強くはっきりものを言うため、周囲と衝突することが多い。

久慈直弥(くじなおや)


 亜希子の幼なじみで同じクラスの男子。陸上部。レピシスの弟がいる。

三ツ谷紗枝(みつやさえ)


 亜希子の親友。気が弱く、公平ではっきりと物をいう亜希子に憧れている。自分の容姿にコンプレックスがある。

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