第1話

文字数 4,161文字

 (すめらぎ)暦2015年10月某日、八炯(やひかる)皇国の神祇(じんぎ)院は蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていたが、その中で鑑定寮は不自然な程の静寂で切り取られていた。

 寝台に横たわっている小さな身体は時折震え、その度に目を閉じたままの幼い顔に苦悶が浮かんだ。眺めていた男の声が静寂を破る。

「なんでぇ、こんな核も紋もみたことねえぞ、おい……」

 嗄れた声だった。

 八炯皇国において……いや『この世界』において、彼以上の【(かん)技倆師(ぎりょうし)はいないというのは自他ともに認める事実である。【場】を展開していた若い男の声が不安に揺れた。

「あの……なんか変ですよ、この子。これ、もう【絡】か【偵】も呼んだほうが……」

 無言で頷きを返された若い男は直ぐ様動いた。

 鑑定寮からの報告を待っていた神祇院の総帥は地方紙の夕刊を手にしたまま、取り囲む者等に淡々と指示を出していく。記事のネット掲載を即刻中断させろ、後追いの記事を出させるな、記者と情報源を特定しろ、あの島の情報を封鎖しろ、あの島の出身者を洗え、必要があれば新聞社含めすべて整理しろ。

 指示を受けた者から退室していく。誰もいなくなった部屋へ報告しに来たのは【鑑】ではなく【絡】技倆師だった。

「戦争になるぞ……」

 総帥の声も嗄れていた。

   ***

『10年前を境に忽然と存在が失われたあの島をあなたは覚えていますか?』

 他に客が居ないことを確認した西澤がタブレットで再生したのは人気動画チャンネルの最新動画だった。男性とも女性ともつかないナレーションが問いかける。BARトキツカゼのカウンターには常連客が並んでいた。

「10年前だと……(せつ)ちゃんや(しゅう)くんはまだ小さかっただろうけど、俺、そのとき既に30過ぎてるからねえ。でもさ、全く記憶にないんだよ」

 西澤の言葉に、カウンターの中にいた紲は身体の奥深くで何かが動くような感覚を覚えた。答えるべき言葉が見つからない。綉は無言でいる紲をちらりと見遣った後、視線を西澤へ移し小さく首を捻った。

「島が消えるなんて……国土面積や領海にも影響するし、何も記録がないなんてことあるんですかね」

「そうなんだよね。ま、都市伝説系だからね。皇都の地下シェルターとか、雲の国の童話は実話だったとか、世界各地の神話は同じ出来事を伝えているとか、けっこう突飛な内容の多いし……でも、なんかさ。やけにこれは気になって」

 西澤が大きく頷くと、それに合わせて艶の良い丸い頬がたぷんと揺れた。そして、動画の投稿主はこの件に関する新聞記事を見た記憶があるらしい、でも島の名前が思い出せない、調べても出てこないのだと動画の内容を早口で説明する。

 ナレーションは西澤の声にかき消され、動画を再生する意味は最早なくなっていた。

「この動画を観てからさ……なんかその島のこと知っていたような気がしちゃってるんだよね。けっこうそういうコメントも多くてさ。何て言うんだっけ……」

「マンデラ効果、みたいな感じかしら?」

 西澤の右隣から(たつみ)が割り込んだ。

「ああ、そうそう。マンデラ効果……事実と異なる記憶を複数の人が共有しているとかそんな感じだよね。巽さんはどう? 10年前に消えた島って聞いてなにか思い出す?」

「……どうだろう。今の話でなんか知ってるような気になってきたような。でも皇宮図書館ならほぼ全ての出版物が蔵書されてるでしょう。新聞も。見つけられないかしら? そもそも事実としてないから情報が見つからないんじゃない?」

 西澤は唸った。

「動画では10年前のいつ頃かもわからないけど、確かに新聞記事は見たしって。でもどこの新聞社だったかとかまでは覚えていないらしいね」

じゃないの?」

 巽のニベもない返事に、綉が吹き出した。

「巽さん、相変わらず手厳しいですね」

「当たり前でしょう、四十過ぎのおっさんに四十近いおばさんが愛想振りまいたっていいことなんか何もないわよ。私が愛想良くするのは紲ちゃん以外には……取引先だけよ」

 西澤は項垂れた肩を綉にポンポンと叩かれ「それ、一番落ち込むやつ」とぼやいた。その光景を冷めた目で見ながら巽がでも、と続ける。

「どれだけの大きさがあったか知らないけど、一つの島がなくなるって相当なことよね。地震? 津波? その島の出身者とかいないの? 相当昔のことなら『実はこうでした』なんて訂正とかできるかもしれないけど……やっぱり、釣りでしょ」

 そう言うと、グラスの中身を一息に呷る。だいぶ小さくなっていた氷がカランと高い音を響かせた。

「紲ちゃん、久しぶりにアレ飲みたいわ。ミヤツコギのやつ」

 西澤は俺にも、と便乗した後「あっ」と声を上げた。

「そうだ、この動画も気になってたんだけどさ……最近よく見る広告も気になってて。ん~、出てこないなあ」

 タブレットで動画を次々に再生していくが、そもそも広告はランダムに表示されるのだろう、都合よく出てこない。

「ふふ、なんか昔ありましたよね。なんとかの法則って……公衆電話とか自動販売機とかどこにでもありそうなのに、いざ必要になって探すと見つからないみたいな」

「あったねえ、なんの法則だっけか……まあ、いいや。その広告さ、画像と動画の2種類あるんだけど。ちょっと俺的には気味が悪いんだよね。この消えた島の話に繋がるのかもしれないとも思えてさ」

 西澤は今度はその広告の説明を始めた。

「この八炯皇国って1000以上の島があるけどさ、簡略化した地図だと島は6つしか書かないよね。この国の人に地図書いてって紙とペンを渡せば、大体の人が島を6つ描くと思うんだ。なのに、その広告では島が7つ書かれてるんだよ。7つ目の島以外は、八炯皇国の簡略化した地図とよく似ているんだ」

「なんの広告なの?」

「それがよく分からないんだよ」

 巽が「なにそれ」と呆れたような声を上げた。

「男性のナレーションで『コトホギはどこだ、コトホギを探せ。我々はコトホギをみつけなければならない』って言ってるんだけどさ、コトホギが何なのかよく分からないし、なんか不安にさせる雰囲気なんだよ……『世界は再び人類によって滅ぼされる』とか言ってるし」

「僕は観たことないですね……けっこう頻繁に出てきます?」

「観る動画のジャンルがだいぶ偏ってるからな……でも、その広告に気がついて1ヶ月も経つかなあ?」

 綉は何か考え込むようにいつも身につけているペンダントのトップを握った。

「どの動画でだったかまでは覚えてないしなあ。どの動画にどの広告って紐づいているわけではなさそうだし。SNSで話題になってたりしないかな」

「ああ、スクィードとかなら取り上げる人いそうよね。っていうか、このチャンネルのコメント欄なかなか酷いわね」

「そうなんだよ!」

 勢いよく振り返られて巽が仰け反る。

「最近なんか変なコメントが多くてさ。こんなコメントで動画投稿やめたりすることになったらどうすんだよ……俺もう心配で心配で。動画サイトという世界から一人消すんだから、そんなの殺人と変わらないよ。悪意のあるコメントなんて呪いだよね。知らないのかな、人を呪わば穴二つって」

「悪意なんてないんじゃない? ただ思ったこと書いただけとかそんな程度でしょ。でも、確かに呪いよね。ま、でも、今どきこんなコメント気にしてたら動画投稿なんてできないんじゃない? いつだって人を貶めるのは人よ。ほんと、人間社会こそが地獄だと思うわ」

 深い溜め息を吐いた巽に心配を色濃く乗せた視線が集まる。

「あら、私は大丈夫よ。通常運転中。基本的には人間嫌いなのよね、きっと。だいたい寿命が長すぎるのよ。平均で考えたらあと40年くらい生きなきゃならないの? 長すぎるわ。私思うのよね。寿命が伸びたんじゃなくて、成長が遅くなっているだけなんじゃないかって」

 巽はミヤツコギの酒を供した紲に笑顔を向けると、また一つ小さなため息を吐き出した。
 
「よく心拍総数20億回みたいな話あるじゃない。あれって環境にもよるけど人類にはちょっと当てはまらないでしょう。でも、例えば本来の人間としての寿命が50年だったとして……それが100年になりつつある。まあ医療の進歩とか食事内容の変化とかいろいろ要因はあるのかもしれないけど。同じような変化が人間以外の動物にも適用されたらどうなるのかなあって」

 饒舌な巽に皆が注目したままだった。

「個体差はあるけど、一般的に野良猫より飼い猫のほうが明らかに寿命長いじゃない。そういうことかなあって。でも、人間のせいで住む場所を失ったり、住める環境じゃなくなったりしてると、この世界にとって人間って害悪でしかないんじゃないかしらって割りと本気で思ってる」

「俺はそんな巽さんも好きです!」

 西澤の大きな声に巽は目を丸くしたが、その後にほんの一瞬だけやわらかい笑みが浮かんだ。

「……ありがとうございます、お気持ちだけ頂戴しますね」

 次の瞬間には冷めた表情で冷めた口調の、いつもどおりの巽に戻っていた。

「でも、そうですね……私も西澤さん好きですよ。綉くんも、紲ちゃんも。人の感情なんて複雑に分けて一々名前をつけるから面倒なことになってるけど、大きく分けたら3つくらいじゃない。好きか普通か嫌いか。良いか普通か悪いか。どっちも言葉を変えただけで本質は変わらないと思うのよね。普通に関してはどちらとも言える、どちらでもない、どうでもいいがあるかもしれないけど……これも結局大きくみたら同じかもしれないわね」

 紲が水の入ったグラスをそっと巽の前に置いた。

「いやね、ちょっと酔ってるわ。紲ちゃん、ありがとう」

「あの、私も巽さん好きです」

 普段自分の感情を言葉にすることがほとんどない紲の言葉に、巽は破顔した。

「もう、紲ちゃんはいつも素敵なタイミングで素敵な言葉をくれる!」

 巽はそのあともいくつか持論を展開した。中には過激に思われるものもあるが、彼女は飽くまで自身の考えであるとし、他人に同意も理解も求めない。違う意見を否定しない。感傷的になったりもしない。ただ泰然と話していた。

「巽さん、珍しく酔ってたね」

 0時を過ぎて間もなく、巽はいつも通り「またお明日~」と帰っていった。確かに酔ってはいたが、足元も危な気なくしっかりしていた。しかし西澤は心配そうな表情を隠さなかった。

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