第3話

文字数 5,157文字

(いん)?」

 一岐(いちき)を帰し、店を封鎖してから綉とコタは隠し階段で2階に上がる。最短の言葉で行き先を尋ねられ綉は首を振った。

「いや、とりあえず院と(はく)家は避ける。伊吹さんに話は通してある。attic(アティック)だ」

 コタは黙って頷いた。予め用意していた【場】を展開させ、綉は己の狭間にatticへの道を結ぶ。霧中のような、水中のような曖昧な狭間が3人を飲み込んでいく。

 瞬きする間に場所が変わった。古めかしい本屋のような趣きだが、こじんまりとしたバーである。店内は最低限の灯りが点けられていた。待機しているはずの伊吹の姿が見当たらなかったが、綉は構わずにソファへ担いでいた紲を下ろす。女性でも小柄な方とはいえ意識のない状態は重い。無事にatticへたどり着けたことも相まって、綉は安堵のため息を漏らした。

「ごめん、ちょっと外してた。紲ちゃんは?」

 後ろから声を掛けてきたのは伊吹だ。

「やっぱり見立て通りなのかと。同調しているのか、連動しているのか。すみません、情報把握できていなくて。何が起きているか教えてください。ちょっと今【場】を拡げるのはキツい……」

「レグニ山が噴火した。ロア島では地震と津波。ヴァルミラー国のローセンレーヌでは原因不明の暴動。かなり大規模らしい。まだ詳細はわかっていないが、ほぼ同時刻に発生したと思われる。他にもまだ何か起きているかもしれない。わるい、俺も追いきれていないんだ」

 伊吹はそれから、と美の見本のような顔を歪めた。

「……さっき巽一華が発見された」

「どこで、というか無事なんですか!?」

「港で……紋に磔にされて、核が抜かれていたらしい」

 綉とコタは息を呑んだ。

「こちらも詳細がまだわかっていないが、自分で核を抜くことはできないだろう。そもそも彼女には紋を刻むこともできないだろうし。核がなければお手上げだな……真域にも入れないし、記憶も辿れないし。彼女の自宅はすでに院で抑えたそうだが、核を抜くような荒業をされてるんだ、何かあったとしても漁られてるだろうな」

「何が起きてるんだよ……何が関係していて何が関係していないのか、全部が関係しているのか……紲は噴火とかが原因の可能性が高いだろうけど、巽さんはなんで……核を抜くなんて、そんなことできるんですか?」

「理論上はできる。ただ誰もやらなかっただけで……万物はそれぞれ一つの核から構築されているという事実を知っている者は限られている。だから……巽一華の核を奪ったのは、この世界の理を知る者だ。でも、核を奪う目的が分からない。彼女の記憶か、核そのものなのか」

 コタが綉の袖を引いた。彼は手にしているスマートフォンの画面を二人へ見せる。

~~2025年6月11日(水) 中央新報社[速報]~~
本日19時頃、皇都近郊の複数箇所にて突如「コトーギを探せ」「コトオギはどこだ」などと叫んだ者が意識を失い倒れるという事件が発生した。
目撃者によると、彼らは突然叫び声を上げるとその場へ崩れるように倒れたとのこと。近くにいた者が救急車を要請し、そのまま搬送された。現在確認できている事件発生場所は皇都内天明町、皇都東向陽台、同北山団地、皇都南緑陰庵の4箇所。
何れも目撃者は多数いるものの、一瞬の出来事だったためどのような経緯があったか分からないと証言している。倒れた者らのその後の容態は不明、当局からの報告が待たれる。

 読み終えると伊吹が舌打ちする。

「……んなんだ、次から次に。全然意味が分からない」

 綉は頭を抱えた。

「コトーギとかコトオギって、この前報告したあのネット広告のコトホギのことか……? 院の情報部は何やってるんですか!?」

「いや、進捗聞いたけど、あのプラットフォームだと広告内容に問題がなければプリペイドカードとかコンビニ決済もできるらしい。内容の審査はあるが、金さえ払えば誰でも広告を出せる。それで広告主の特定が手詰まりになっているって」

 声を荒らげた綉を宥めるように伊吹が説明した。

「誰が何にどれだけ関わっているのか全く判らない。完全に後手に回ったな……。巽一華については技倆師が関わっていることは間違いないだろうけど、その技倆師が何者なのか。彼女の家に何か手がかりがあればいいが」

「伊吹さん、たぶん紲はしばらく目を覚まさないと思う。その間、どうしたらいいですか? 正直、何もわからない状況のまま院に預けたくない。(はく)家も避けたい」

「白家もって、お前……いや、今の状況ならそう思うのも無理ないか」

 伊吹は少し考えると、迷いのない声で2人に告げた。

「……塞宮(さえのみや)。どっちみち院や白家が何らかの意図でこの状況を作っているのだとしたら、どこにいたって同じだ。塞宮なら、そうそう個人が手を出せる場所じゃない」

 苦しげな表情を浮かべながら目を閉じたままの紲を皆が見つめた。

「前回は……ノクハァール争奪戦争のときだったか?」

「はい。侵攻されてからあっという間に決着したからなのか、あのときは翌日には目が覚めましたね……自由主義と原理主義の茶番のような戦争でしたし。僕も大したことなかった。ノクハァールは本当に不毛の地となったのかどうか」

 首を傾げる綉に伊吹も頷く。

「たしかに、あれは茶番というか……連合軍の管理下にするために原理主義が自由主義を焚き付けて導いたようにも思えるし。世界連合の管理からまだ外れてないもんな」

「世界連合は原理主義側が強いですからね……それより、塞宮なら監視されてませんか?」

「されてるだろうな」

 あっさり認められ、綉は目を剥いた。まあ落ち着けと、伊吹がその肩を宥める。

「白家は避けると言ったが……塞宮の正宗なら問題ない。というか、奴ほどの【絡】の使い手はない。紲ちゃん、思い出した様子はないんだよね?」

「ええ、昨日も普段通りだったと思います……って、まさか紲の記憶、結ぶ気ですか?」

「いや、こちらが結ばなくても繋がる可能性はいつだってゼロじゃない。記憶自体が消滅しているわけではないからね。万が一に備えてだよ。最強カードを揃えておきたい」

 時折り苦しげに眉を寄せる紲の様子を窺っていた綉は何かを思い出したようにハッとして伊吹を振り返った。

「そうだ……伊吹さん、誰か【鑑】を回してください。一岐(いちき)(りょう)、たぶん開眼している。まだ大きくはないけど無意識で【場】を展開していた。一度ちゃんと()たほうがいい」

「はっ!? 一岐龍って、俳優の? あの人20代半ばだろう? その年で開眼って…………紲ちゃんか?」

「恐らく。一岐さんの交友関係も全部洗ったほうがいいですね。あの業界、技倆をもっている人も少なくないですし。なんなら確保してしまったほうがいいのかも……今日なら捕まえられると思います。たぶん彼はこの世界のことについては何も知らないはず。あのまま無自覚に【場】を展開していたらちょっと危なそうです。あ、あと公表されている生い立ちも裏を取ったほうがいいかもしれません」

 無言で頷きを返すと、伊吹は電話をかけ始めた。早速手配している。その様子を眺めながら綉は紲とのこれまでを思い返していた。

 そもそも綉と紲が出会ったのは10年前。当時の彼女は話すことができなかった。言葉は理解しているように見えたが、声を発することができないのか、自らの意思で話すことを拒んでいるのかは不明だった。

 その頃いつまでも開眼しない自分に、綉は失望していた。仕方のないことだ、受け入れなければならないことだと理解はしていても、どうしても父や兄たちのように、この世界での明確な役割を果たしたいという気持ちが捨てられず、なかなか折り合いをつけられないでいた。

 年齢が近いからと引き合わされたが、紲と過ごす時間は予想外に心地よかった。最初は、話すこともできないこの子よりは、開眼していなくても自分のほうがこの世界への役割が大きいかもしれないという優越感も少なからずあった。しかしそれは次第に変化していく。弱い者もいれば強い者もいる。大きな者もいれば小さな者もいる。おおらかな者もいれば細やかな者もいる。

 この世界の理の一つである『対』を理解すると同時に、得手不得手というものは役割を果たすためにあって当然のもので、というよりも得手不得手などという考え方が端から違っていたのだと気がついた。右利きだとか、黒髪だとか、背が低いというようなただの仕様の違いでしかない。自分が開眼しないこともまた役割なのだろう、自然に自分の状態を受け入れるようになっていった。

 返事がないことはわかっていながら、綉は独り言のつもりで紲へそんなことを話していると、なんとかと紲が呟いた。なんと言ったのかは分からなかった。それよりも紲が言葉を発したことへの驚きが大きかった。

 そしてその瞬間、自分が開眼したことを覚った。自分の意思とは関係なく展開される【場】に恐怖すら感じた。自分によって展開されているはずなのに制御ができず、拡がっていく【場】に溺れそうになる。まるで流砂に沈んでいくようだった。膨大な要素を物凄い勢いで放出しているのに、同じように吸収もしている。その中心に自分の核を感じた。

 綉が開眼したのと紲が言葉を発したことは繋がっていると直感した。その日以降、紲は少しずつ言葉を使い始める。彼女の発する言葉が与える影響は計り知れなかった。しかし彼女が【場】を展開している様子はない。鍛錬を重ね、この世界全部を網羅できるほどの場を展開できるようになった今ですら、紲の【場】の存在は感じるのによく見えないままだ。

 紲は体が丈夫でないのかよく調子を崩す。そんな時は釣られるように綉も変調を来した。はじめのころはよく分からなかったが、調子を崩すのは世界の要素が大きく変動するときだと気がつく。噴火や地震などの災害が起きた時、暴動や戦争が起きた時、飛行機の墜落や船の沈没など大きな事故があった時……何れも世界の要素のバランスが大きく乱れ、それは綉と紲の体調に影響した。

 院の総帥等、枢閣は紲について隠していることがあるだろうと綉は考えている。そもそも紲はどこから来たのか……。枢閣たちは彼女が何者なのか本当は知っているのではないだろうか。

 世界の要素変動が紲の体調に関わっている、綉が引きずられているのではないかと説明されたが、綉はあまり納得していない。なぜ紲の体調の変化に引きずられるかもよく解らない。要素変動が関わっているのは間違いないだろうが、それが本質ではないと感じる。本質は別のところにあって、それ故に要素変動が体調に関わっている……枢閣はその本質を隠していると考えているのだ。

「綉、一度俺の家に行こう。正宗本人に迎えに来てもらう。晄太郎(こうたろう)は紲ちゃんの体調不良を報告しに行ってくれ。これだけ相次いで事が起きてる、何もないとは院も思ってない筈だ。体調を崩した、綉が付き添ってるというだけでいい。あとは一岐龍を見張ってほしい。場合によっては塞宮に連れてきてもらうかも知れない……綉、一岐龍の開眼に気がついたのはいつだ?」

「今日です。時風に来てて……会うのはちょっと久しぶりでしたね。前回会ったのは2、3ヶ月前ですが、その時は特に何も」

「晄太郎、一岐龍は確保だ。朔太郎と動け。確保でき次第、塞宮に連れてきて。どうやって連れてきてもいい。院が動いて既に接触しているようなら院に任せてもいいけど……あの年齢で突然開眼したのならかなり危うい」

 コタは小さく頷くとすっと陰に紛れた。

「伊吹さん、危ういって……?」

「綉の開眼は遅い方だったけど、まだ子供だったからね。割りと柔軟に変化に順応できたかもしれないけど……開眼すると色々な感覚が変わる。人としての在り方というか。20年以上も真域を意識せずに普通の人間として生活してきたなら、開眼前とは別人だと思われるほどに変化してもおかしくない。」

 言われて綉は自分が開眼したときの変化を思い出そうとしたが、あの時は紲がはじめて何かを言葉にしたことの衝撃も大きかったし、自分が展開する【場】に飲み込まれそうな恐怖も大きかったしで、いまいちはっきりしない。

「……よく覚えていないですね。あの頃はずっと紲と一緒にいて、開眼しないことにちょっと焦ったりしてたんですけど、なんかいつの間にかそれを受け入れるように変わっていったんですよ。開眼しない僕というものが役割なのかなあって」

 伊吹は「やっぱり紲ちゃんかな」と呟いた。それからひどく真剣な表情で綉を正面から見据えて言った。

「綉、たぶん紲ちゃんの真域に入ることになると思う。お前一人で行かせることになるかもしれない。何度か試したんだけど誰も入れなかったんだ。でも、今のお前なら……行こう、詳しいことは塞宮で話すよ」

 綉は紲を抱え、場を展開した。
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