第4話

文字数 1,396文字

 花屋には普通は保存のための縦横二メートルほどの冷蔵庫がある。
 仕入れた花でも高価な花や過剰に仕入れたものや、予約されたものなどを保存しておく。康平はシャッターを開けて、レジの前に座って伝表を整理していた。
「お帰り。昼飯買い出しか?」
「うん、コンビニはろくなモノがないね」
 今まで店にいて、少しの時間だけ出かけたと康平は思っているのだろうと思っていた。
 清雅は奥に行くと手を洗い、花が入っている冷蔵庫に入った。バラや菊の香りが心地いい。清雅は自分についた男の匂いや生臭さを消すためにいつも冷蔵庫に入る。康平が帰っているとは、しくじった。もっと早く帰れば良かった。
 と、外から鍵の音がする。康平? 私が入ったのを横目で見ていたじゃない。なぜ鍵なんて閉めるの。分厚い鉄の扉を清雅は叩く。声が出ないのではなく、出さないだけ。
 ああ、これはお仕置きなのだ。自分の浮気も康平にばれている。氷のような夫婦生活に意味なんてない。だけど、外は暑すぎるから、閉め出されるよりましだ。康平は私を殺すつもりはない。肉や魚の冷蔵庫じゃないんだから死ぬことなんてないわと清雅は思った。
 ただの勘違い、康平の思い違いであり、いつかお客さんが来たときにこの扉は開くのだろうと思いながら、スマホの時計を見ていた。重い鉄の中では電話は圏外で繋がらない。
 花屋だけあって、康平は嗅覚が普通じゃないのだとか。まさか、そんなことはないだろう、入念にシャワーを浴びたはずだ。それとも男の匂いはシャワーなんかじゃ取れない。雄には雄の嗅覚があり、他の雄の匂いには敏感なのかもしれない。でも覚えておいてね。雌の嗅覚も半端じゃないのね。康平が私に見向きもしないことなど気にしていないわ。
 あなたはあの人の代わりだったの、知らないでしょうね。何も。だけど冷たいのは平気だからこんなことをしても、ノーダメージだから。
 清雅は次にドアが開いたら、康平に何をするかよりも、次こそは自分にぴったりと合う。もとい、あの人と同じ匂いを持つ男を捜すために、SNSの次の手段を考えていた。コンビニのおにぎりは冷たくて冷やご飯みたいだ。味なんてしない、嘘みたいにまずいのは涙の味がするからだろうな、きっと。でも私は負けないと清雅はカサブランカの蕾を一個ずつつまんで足で踏み潰す。これは康平への復讐だ。一本200円の原価、売り値は400円だから、これからここを開けるまで全部の花を使えないようにしてやる。百合の香りが充満するのは結構きつい。他の花にしようと清雅は思い直す。しかし、かなり冷えてきた。このままでは凍傷くらいは覚悟すべきかもと思い始めた。

 あの人はもうこの世の人ではない。彼にはもう会えない。私はあの人の幻影を愛している、今も。そしていつも彼と同じ魂を持ち、自分への愛を与えてくれる人がいるのではないかと探す。幻影でも錯覚でもいい。かすかな望みを探すくらいの自由は許されるはずだ。
 愚かな、間違いでもいい。清雅は自分の前に消えてはまた現れる人を、ぴったりとハマる彼をこれからも探していくのだろう。ほら、もうすぐ会える。あなたの名前を呼べる時が来る、狂おしいほどの情愛を探しに行く。ドアが開くとき、清雅は康平になんというのかもう考えることはできない。そこにはあの人が微笑んでいるのだから。
                              了
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