第10章「邪神誕生」

文字数 5,192文字

 かつては、繫栄していた町があった。
 しかし、悪魔の襲来によって、一夜にして町は滅んだ。
 か弱い人間には、なす術はない。
 仮に悪魔に立ち向かったとしても、相当な力の持ち主でもなければ、悪魔を倒すことは出来ない。
 人間は、ただ神に祈るしかないのだ。
 アマト、ヨミト、ミナトの三貴子。
 彼らに祈るのだ。
 彼らは世界を守ってくれている。
 彼らに祈れば、願いは叶う。
 彼らが救ってくれる。
 人間は神を信じていた。
 暗闇になった原因は、人間の誰にも分からなかったが。
 三貴子が崩壊したことも、人間の誰も知らないが。

 オロチ。
 いつからか、その魔物はそのように呼ばれていた。
 昔から地底に棲みついていて、オロチを見た者には災いが降りかかるという噂があった。
 古い記録にも、オロチと思われる怪物の話が書かれていた。
 それによると、姿は山の如く巨大で、八つの頭と八本の尾があり、目は血のように赤いという。

 唯一人、人間の英雄がいた。
 彼は昔アマトに授かった宝剣を用いて、悪魔や魔物を退治した。
 彼は、人間の希望だった。
 勇者と称えられる彼は、オロチと呼ばれる魔物を退治しに行った。
 そして、それきり行方不明となってしまった。
 人間の希望も、暗闇に包まれたままだった。

 東の都に「オロチ」という魔物がいる、という噂は、人間界各地に広まっていた。
 人々は恐怖した。そして神からの通達が、人々に更に恐怖を与えた。
 神の言葉を聞くことの出来る者、長老や神官は、人々にこう伝えた。
「オロチに生け贄を捧げよ。国で一番若く美しい娘を生け贄として選び、オロチのもとへ捧げるのだ。そうすれば、他の人間は助かる。オロチの脅威から逃れるには、それしか方法はない。」
 そして、具体的な期日が伝えられた。
 東の都の人間の中から、生け贄が選ばれることになった。
 生け贄に選ばれたのは、十五歳の少女だった。
 神の言葉は絶対だ。逆らうことは出来ない。
 むしろ、他の者が助かるのなら、娘は英雄だ。
 人間たちはそのように思うしかなかった。
 神の言葉を疑うことは微塵もなかった。

「愚かな人間共だ。妄信にすがって、疑うことを知らない。」
 ヨミトは嘲笑った。
「人間には、絶対的恐怖を植え付けて飼い殺す。滅びの日まで…。」
 ヨミトは、傍に(ひざまず)いている者を横目で見やった。
「あとは、お前がミナトの剣を持ってくればいい。そうすれば、俺は進化する。三宝が俺を更なる高みへと導くのだ。そのときこそ、世界の破滅が始まる。」
 ヨミトの手には、黒く輝く珠が握られていた。それは、かつては白い宝珠で、カオスから授かったヨミトへの宝であった。しかし今は、黒く変色してしまっていた。まるでヨミトの心を映し出しているかのように。
「行け。カイト。」
 ヨミトは命令した。
 カイトは無言で頭を下げた。その目は死んでいた。
 カイトが出て行くと、ヨミトは満足げな笑みを浮かべた。
「楽しみなことだ。」

「はあっ、はあっ。」
 ミナトは息を切らしてその場に座り込んだ。
「ミナト。今日はここまでだ。体力も限界だろう。」
 シーロンが言った。
「まだだ!俺はまだまだこんなじゃ駄目だ。もっと修行しねーと。」
「無理はしない方がいい。もう休もう。」
「のんきに休んでいられるか!バケモンが出たんだぞ。早く行って退治しねーと!」
 ミナトたちにも、オロチの噂は届いていた。
「退治する前に疲れてしまってたら、戦えないだろう。じっくりと英気を養うことも必要だよ。」
 二人の傍らで、エスリンはすやすやと眠っていた。
「だって、人間を生け贄にするなんて酷すぎる!ヨミトの奴、何考えてんだ!ついに本性を現してきやがったか。」
「しかし、オロチってのはどんな魔物なのか…。少しでも情報があれば、対策が打てるんだが…。敵のことをほとんど知らないで闇雲に戦っても勝てるかどうか。もっと、情報収集が必要だな。」
「何だよ、シーロン。あんたは竜戦士で一番強いんだろ。情報収集とかそんな細かいことをぐだぐだ言ってねーで、さっさと行ってやっちまえばいいんだよ!」
「バカだな。力だけではかなわない敵もいるんだよ。いくら魔物といっても、知能のある奴かもしれない。ただ突っ込むだけでは相手の思うツボだよ。」
「む…。」
「でもまあ、確かにここでぐだぐだ言っててもしょうがない。情報も、ここよりオロチの出没した所に近い方で聞いた方が早いだろう。早速、準備をしてオロチのいる東の都へ行ってみよう。ここからだと遠いが、俺が変身して飛んでいけば、半日で着く。」
「おーし!じゃあシーロンに乗ってけばいいんだな。」
「力を温存するために、スピードはゆっくりめで飛ぶから、その間に寝て休んでるといいよ。」
「エスリン!起きろ!東の都に行くぞ!」
 ミナトは声を張り上げてエスリンを起こした。
「ん…。」
 エスリンはぼーっとしていた。
「いつまで寝ぼけてんだ?東の都に行くんだ!ぼやぼやしてっと置いてくぞ。」
「東の都に…?」
「シーロンが竜になって乗せて行ってくれるんだ。」
「さて…準備はいいかな。」
 シーロンが竜の珠を取り出そうとしたとき、何かの気配を感じて、珠をしまった。
「何だ…?」
 振り向くと、そこに一人の青い髪をした大きな体の男が立っていた。
「カイト!カイトじゃねーか!」
 ミナトは嬉しそうに、その男に向かって駆け寄って行った。
「…カイト?ああ。あのときの…。」
「ミナトの親友よ。」
「親友…。」
 シーロンは、眉をひそめたまま、ミナトたちを見守っていた。
「ミナト…。」
 カイトは、人の良さそうな笑顔でにっこりと微笑んだ。
「何でお前がここに?」
「ミナトに会いに来たんだ。二人で、話がしたい。」
「何だよ?何か大事な用なのか?」
「ああ…ミナトにだけ話があるんだ。」
「分かったよ。おーい、エスリン、シーロン。俺、ちょっとこいつと話があるからさ。待っててくれよ。」
 ミナトはエスリンとシーロンに向かって言うと、カイトと共に茂みの向こうに行った。
「大丈夫かな…。」
 シーロンが、不安そうに言った。
「カイトは、ミナトの親友でとても仲がいいの。信用できる人よ。」
「だから余計に心配なんだ…。」

「ここで、いいだろう。」
 エスリンたちがいる所から少しばかり離れた場所まで来ると、カイトが立ち止まった。
「で?何だよ。話って。」
「ああ…実は…。」
 振り返ったカイトの顔は、さっきとは何だか別人のように青ざめていた。死んだような目でミナトを凝視している。
「どうしたんだ?一体…。何か…変だぞ…?」
 カイトの異様な雰囲気に、ミナトは気が付いた。
「剣を…。」
 かすれた声で、カイトが呟いた。
「何?何て言ったんだ?」
「ミナトの剣を…よこせ…。」
 突如、カイトがミナトに襲い掛かってきた。太い腕でミナトに掴みかかり、引き倒し、ミナトはうつ伏せになった。ミナトが布で巻いて背負っていた剣を、カイトが布を引きちぎって剣を奪った。
「ミナトの剣…これを…ヨミト様に…。」
「何すんだ!カイト!?」
 カイトは、起き上がろうとしたミナトの首の後ろに手刀を食らわせた。ミナトはそのまま、意識を失った。
 カイトは、ミナトから奪った剣を大事そうに持って、すばやく姿を消した。

「よくやった。カイト。」
 ヨミトはカイトから剣を渡され、満足そうな表情を浮かべて言った。
 カイトは無言で、虚ろな表情のまま、跪いている。
「儀式を始めよう。」
 ヨミトは奥の小さな部屋に入った。
 ヨミトは三宝――鏡・珠・剣を目の前の台座に並べ、目を閉じて祈り始めた。
 黒い珠が妖しく光り出した。珠から光が薄く広がり、鏡と剣を包み込んだ。
 三つの宝が一斉に光を帯びた。眩しいほどの光が部屋中に溢れた。
 光は、だんだんと禍々(まがまが)しいオーラに変化していった。
 その禍々しいオーラは、ヨミトの体を取り巻いていった。
「うっ…!」
 ヨミトは、苦しげに呻いた。ヨミトの体は赤く光り出した。
「う…ぐあああああ!!」
 苦しみ悶えるヨミト。
 ヨミトの全身を激しい苦痛が襲っていた。
 体中が引き裂かれるような感覚。
 手も足ももぎ取られ、身動きも出来ないような感覚。
 血管が破裂して、全身から血が噴き出す感覚。
 様々な痛みと苦しみの連続。
 三宝から放出されたエネルギーが一つとなり、ヨミトの体を覆った。
「グオオオオオオ…!!」
 白目をむいたヨミトの眼が赤く光り、魔物のような低く太い声を発した。
 眩しい光が消えていき、暗い闇となった。

 しばらくの間、ヨミトは気を失ったように倒れていた。
「クク…。」
 倒れたまま、ヨミトは低く笑い出した。
「こうしていても力が溢れ出してくるようだ…力がみなぎっている…。」
 ヨミトは目を閉じたまま、両腕を大きく広げた。
 三宝は光を失っていた。
 闇の中で、ヨミトはゆっくりと立ち上がった。
 湧き上がる邪悪な黒い炎のようなオーラ。
 赤く輝く眼。
 ――今、ここに、呪いの化身が誕生した。

 ミナトが意識を取り戻したとき、そこにエスリンがいた。
「ミナト…一体何があったの?」
 エスリンは心配そうな顔でミナトを覗き込んでいた。
「剣を奪われた…。」
「ええっ!?」
「でも何で…何でカイトが…。」
「カイトが!?カイトが剣を奪ったの!?」
「虚ろな顔で…いきなり俺に襲い掛かってきて…訳も分からないうちに剣を取られた…。」
「まずいわ…!カイトはどこへ逃げたの?」
「分かんねえ…。でも…ヨミトにって言ってた。だから多分、ヨミトに剣を届けに行ったんだと思う…。」
「ヨミトに剣が渡ってしまったら、大変なことになるわ!!」
「大変なこと…?」
「ああ!何てこと…最も恐れていたことが…。」
 エスリンは頭を抱えた。
「今、シーロンがカイトを探しているわ…。シーロンは、カイトに何か異変を感じてたみたいだったのに…私が油断しすぎてたんだわ…どうしよう…。」
 エスリンは青ざめて、その場に座り込んだ。
「そんなに大変なことが起こるのか?何が起こるんだよ!?」
「…ヨミトは今、アマト様の鏡も持っている…。ミナトの剣で、全てが揃うの。三宝が…。」
「それで?それで何が起こるんだよ!?」
「私の記憶に間違いがなければ…ヨミトは今よりももっと強大な力を得ることになる…。そうなれば、アマト様が復活したとしても、世界は絶望的だわ…。」
「ヨミトが今よりも強くなるってのか!?」
「ヨミトはそれを狙っていたのよ…。」
「…俺にはそれよりも、何でカイトが…。あいつ、まさかヨミトに操られてるんじゃあ…。」
「そうとしか考えられないわね。」
「くそう!カイトまで…!」
 ミナトたちの所へ、シーロンが帰ってきた。
「ミナト、気が付いたか。」
「カイトは…?」
「…見つからなかったよ…。」
「剣を取られたんだ…。」
弱々しい声で、ミナトが言った。
「何!?」
「俺の親友が…ヨミトに操られて…。」
「やはり…あの気配…何かおかしいとは思ったんだが…ミナトを一人にしたのがまずかったな…。」
「シーロンもエスリンもいた所で、同じだったと思う。カイトは俺の親友だし、油断して剣を取られても仕方なかったよ…。」
「ヨミトも、卑怯な手を使ってきたものだな。まさかミナトの親友を使って剣を奪うとは。ミナトの剣は宝なんだろう?三つの宝のうちの一つだったか…。ヨミトはそれを使って一体何を…。」
「三宝を揃えて、強大な力を得てしまうのよ!」
「でも何で、宝が三つ揃ったらまずいことが起こるんだ?」
 ミナトが聞いた。
「三宝には強大な力が込められているわ。でも呪いに侵されてしまえば、逆に負の力が働いてしまう。正と邪とは、表裏一体のもの。強大な力を宿すものには、危険な力も宿る可能性を秘めているの。でも、三宝の一つ一つは、それぞれに授けられた者にしか扱えない。それはミナトも知ってると思うけど、もしも三宝の一つが呪いに侵されていたとしても、一つだけならそれほどの力にはならない。だけど、三宝全てが揃ったら、呪いが伝染して、その負の力は増幅してしまう。つまり、三宝が揃うとお互いに共鳴し合って、正の力であっても負の力であってもその力を増大させてしまうのよ。」
「剣を取り戻さないと、ヨミトが暴走してしまうのだな。」
 シーロンは険しい表情になった。
「ええ…。でももう…ヨミトの手に渡ったら最後。終わりよ。」
「ちくしょう…カイト…。」
 またも、ミナトは自分の非力さを恨んだ。
「…とにかく、今は東の都へ行って、生け贄の人間を助けることが優先だ。犠牲者を少しでも多く救わなければ、ヨミトの思い通りになってしまう。オロチも倒さなければならない。ここで悔しがっている場合ではないぞ。ミナト。」
 シーロンが言った。
「…けど…、カイトが…!」
「今やるべきことをやればいい。さあ、行くぞ!」
 竜の珠が光り、シーロンは竜に変身した。
 ミナトたちはそれぞれの思いを抱えて、空へ飛び出した。

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