第21話 言葉にならないようなものを言葉にしようとすることについて

文字数 973文字

 大体、ここでつまづく。これを言葉にしたい、表現したいと渇望する。が、それは言葉にならない。できない。それ自体が、言葉にされること、形容されることを拒絶しているようでもある。もともと、表わされることの不可能なもののようにも思う。
 その拒絶、不可能を、そう見ているのは私自身。私は私によって拒絶され、不可能とされている。

 初恋の時がそうだった。この気持ちをどう相手に伝えたらいいのか。どんな言葉で云えばいいのか。
 結局、「愛している」という言葉にしかならなかった。終わった、と思った。私から、大切なものが出て行ってしまった。もう、この気持ちは私のものではなくなった…無量めいた淋しさを体験した。

 ものを書く、何かを伝えるために表現したい、そんな心には、あの初恋の時の気持ちと似ているものがある。ただ、その相手が目の前にいない。いないから書けるという気がしないでもない。
 向かうパソコンの画面に、薄く映る顔。私は自分に向かって喋っている。ベラベラベラ…

 居間にいる家人に、「人間は…」と私が言い出す。「朝から難しい話は嫌だな」と拒まれる。「難しくない話…」考える。思い浮かばない。難しくない話をするのは難しい。
 居間をあきらめて、台所へ。きりぼし大根をつくる。炊飯は、ジャーがしている。おとといからの、鍋の残りもある。

 今日は朝から落ち着かない。そろそろ派遣会社から就業場に導かれ、そこでまた働き出してしまう予感に駆られているからだ。
 私は商品として職場に売られる。派遣社員という形をした、ほとんど不良品の人間が。

 なるように、なる。自明の理。

「何も思わず、何も書かず、ただ働くだけの人間になろう」── それは無理だ。
「こうなっているものに抗うな。もう、そうなっているんだから。常識、暗黙のルールがあるだろう」── それはどうしてできたのですか。誰も知らない。
 知らないものに動かされている。

「それは間違っている」と私が言う時、私が正当化されてしまう。「それは良い」と言った時、「あれが悪い」が生じてしまう。「あなたが好き」と言った時、「あいつは嫌い」の種を撒く。
 そんな相対を越えたところに、真理があると思いたい。まことの、ことわり。それに近づけるのが、小説なのだろうか。
「小説のほうが、どうも真実に近い気がするんだよなあ」友人の言葉も、忘れない。
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