第5話

文字数 2,041文字

 この里の自警団がいよいよ自警団らしくなってきたのは、国府による里攻めの話が持ち上がったここ二、三年の話で、それまでは自警団とは名ばかりの里の者の交流の場であった。
 起源こそ山賊から里を守るために立ち上げられた自警団であったが、トチ〈贈り物〉をするようになった近年では、山賊も余程のことがないと里を襲ってくることはなかった。
 それでも自警団がなくならなかったのは、里の者にとって自警団がなくてはならない存在だったからである。
 ある程度の歳になると里の者は男も女もこぞって自警団に入った。自警団に入ると、夜警に当たることがある。それが重要なのだ。大きな砦だと七、八人くらいが集まって、一晩中起きて番を行う。番をすると言っても、何かが起こるわけではないので、実際には一晩中呑み明かすことになるのだ。夜警を名目に家の者に咎められず、呑み明かせる機会があることを団員は喜んだ。
 ただし、いつ誰がどこの夜警に当たるかは当代団長と存命の先代団長だけで決める。
 そして誰がどこに当たっているかは、当てられた本人以外には里長くらいにしか知らされない。同じ日に誰が当番なのかは、行ってみないとわからない。団長らが時期や組み合わせを考えて人を選ぶのだ。
 この非常時においてもこの決まりはそのままだった。今日この楼に誰を寄せるか決めたのは、九代目団長のスシムと十代目、十一代目なのだ。
このような集め方をすると、必要な時に必要な人員で話し合うことができる。
 敢えて老齢の知恵者ばかり集めることもできるし、若者ばかり集めて愚痴を吐かせることもある。かと思えば、若手と実力のある者を一緒にして説教することもある。
 里の大事なことが語らわれることもある。熊狩りの人選なんかはまさに大きな話だ。誰を熊狩りに行かせるか、そして誰に何の仕事をさせるか、予め上層部で話し合い根回ししておくのだ。嫉みを生みやすいこういう行事は、なるべくそういうことが起こらないように、裏で粗方決めておく方が良い。
 自警団は非公式な話し合いの場として昔から重要な役割を果たしてきた。
 ただ、やはり若者が一番気になるのは北の砦の番だ。北の砦は非常に小さく、要所というわけでもないので、大抵一晩で二人しか配置されない。
 団長らは年頃の男女二人を敢えてそこに配置することがある。楼の中で結ばれて夫婦となった者も少なくない。だから、北の番に指名された若い男が意気揚々と夜警に出かけ楼を上ってみると、そこにいたのが自分の叔父で一晩中下らない武勇伝に付き合わなければならなかった、などといった類の笑い話はそこら中に転がっていた。
 シトリも何度も北の番に当たっている。しかし、だからといってそこで何かが起こるような期待はなかった。例え男と同じ番になっても、老齢の者に教えを乞うか、好奇心旺盛な若者に街にいた頃の話をして聞かせるかのどちらかだった。
 けれども、襲来の話が上がってから、夜を寂しく感じるようになったのも事実だった。父のいなくなった家は一人で住むには少し広い。孤独な床で眠ろうとするとなんだか情けない気持ちになって、どうしようもなくなる。
 本当は戦が不安なだけだ。それは、自分でもよくわかっている。
 結局、誰といようとも死ぬときは死ぬし、そういうものだとも理解している。
 けれども、誰かが自分を抱きしめてくれさえすれば、この苦しさも少しは何かが変わるんじゃないかと思ったりもした。そして、そんなことを少しでも考えてしまう自分が惨めだった。
 シトリは別に里で嫌われているわけではない。その自覚はあった。けれども、己を一番に愛する者がいないのも事実だと知っていた。
 さっき切った親指が熱を持って痛む。もし夫がいたら、私はこの痛みを彼に伝えただろうか。それが無駄な行為であると知りながら、そうしたのだろうか。
 せめて、言ってみようか、あの老人たちに。ふとそんなことを考えている自分に気がついて、馬鹿らしくなった。
 馬鹿らしくなったついでに、戦の方も馬鹿らしくなった。どうせ勝ち目のない戦いだ。親指がどれだけ痛かろうが、これから訪れる痛みの前では、大したものではない。
 シトリは街で暮らしいていた。だからこの里山を切り開いて街道を築くことがどれほど多くの人の願いであるかを知っていた。国府が引き下がるはずがない。そして、本気になった国府相手に我々如きが勝てるはずがない。
 しかしまた同時にシトリは里の者の譲れない感情も理解できた。山の泉には神がおり、そこを埋め立てるなどということはあってはならないことだ。
 これが負け戦だということがわからないほど里人は愚鈍ではない。それでも、挑まないわけにはいかなかった。
 里の者が山に忠誠を誓い貫くなら、シトリもまたそれに従おうと思った。
 最期に一杯やりたい老人たちの気持ちが不意に胸に迫って感じられた。
ー寧ろ輪に入らぬが野暮なのかもしれないーシトリは仕事の手を止め腰を上げて、炉の周りを囲む老人の一群に加わった。
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