第19話

文字数 6,277文字

 次の日、二階堂が仕事を休んだ。普段、仕事に対するやる気のようなものは一切見せない彼女だったが欠勤するというのは珍しいことだと陽菜は思った。流行りの病気にでも掛かったのだろうか、昼休みにLINEをしてみたが既読はいつまで経ってもつかず返事はなかった。普段の彼女から考えると珍しいことだと思う。スマホを手にすることも出来ないくらい体調が悪いのだろうか、少しだけ心配になった。上司の嶋田ならば何か理由を知っているのではないかと考えて報告ついでに尋ねてみたが 彼も欠勤の理由を知らないという。無断欠勤のようだった。

 十五時を過ぎて業務も終盤のタームに差し掛かろうとした頃に内線が一本鳴った。ほぼ条件反射のように陽菜が受話器を手に取った。
 「すみません、受付なのですが会計課の嶋田課長をお願いします。お客様がお見えになっています。」
 事務的な口調で受付の森が言った。
 「お客様はどちら様でしょうか?」
 脳裏に先日のオーナー夫妻の姿が過る。また四井絡みで他のオーナーが文句をつけにきたのではないだろうか、という考えが浮かんだ。あの騒動での四井の処分も午前中には決まったらしいが 詳しい話は誰も知らなかった。
 「警察の方です。」
 「警察………。」
 慶悟の顔が脳裏に過る。しかしそれならば自分を訪ねてくるのではないだろうか、陽菜は思った。別の用件だろうか、保留を押して内線ボタンで嶋田につなぐ。強張った顔の嶋田が立ち上がって陽菜に近づいてくる。
 「吉岡君、君も一緒に来てくれるかい?」
 突然の指名に陽菜は驚いた。見上げた嶋田の顔はどこか青ざめているように見えた。
 「私ですか?」
 「ああ。」
 口を真一文字に結んだ彼が小さく頷く。
 「何があったんですか?」
 嫌な予感しかしなかった。また慶悟が誰かのことをネット上の炎上させているのではないだろうか。
 「ここではちょっと………。」
 嶋田は陽菜の顔を見たまま首を左右に振った。
 「わかりました。」
 大きく息を吐いてから陽菜は覚悟を決めて立ち上がった。二人でエレベータを待つ間も嶋田は黙っていた。右足を忙しなく揺らしていた。到着したエレベータに二人で乗り込む。誰もいなかった。扉が完全に閉まり切ってから彼がやっと理由を口にした。

 「二階堂君が死んだらしい………。」
 絞り切るような声だった。声が震えているのがわかった。
 二階堂が死んだ? その言葉の意味を陽菜は一瞬では理解出来なかった。なぜだろう、昨日まで普通に話をしていたではないか、病気なのか? それとも事故? ぐるぐるとなぜ、どうして、という言葉だけが回り続ける。警察が来たということはもしかして………、最悪な想像にいきつく。
 「どうして………?」
 気が付くと陽菜はその言葉を吐いていた。嶋田を見上げる。仕事では頼りになる男が泣きそうな目で自分を見ていた。
 「わからない………。」
 そうだろう、それを知っていたら彼はここにはいないだろう、陽菜は思う。
 「誰かに殺されたって………。」
 「殺された………。」
 目の前が真っ暗になった気がした。ずばずばと意見を言う性格で周囲にもどこか敬遠されるような人物だったが悪い人ではなかった。誰かに殺される理由なんてないはずだ、エレベータで降下していく時間がもどかしく思えた。

 一階のロビーに到着する。スーツを着た二人の男性と受付の森がこちらを見た。
 嶋田の斜め後方を彼に付き従うように陽菜は歩いた。
 「県警の一ツ家です。こちらは丸田。」
 一ツ家が緩くパーマの掛かった男性で年齢は三十代半ばというくらい。丸田の方は眼鏡を掛けた人の良さそうな顔をしていた。
 「嶋田です。」
 「そちらが吉岡さん?」
 一ツ家が陽菜を睨むように見た。
 「吉岡です。」
 陽菜は頭を下げる。
 「それで本当なのでしょうか? 二階堂くんが殺されたというのは。」
 嶋田が真偽を確かめるための口火を切った。
 「あちらで話しましょうか。」
 一ツ家が一階ロビーの壁際に置かれていたソファを指差した。導かれるようにしてソファに腰を掛けた。
 「今朝、西宮市の武庫川河川敷で絞殺された女性の死体が見つかったのですが 所持していた荷物からこちらにお勤めの二階堂由衣さんだとわかったというわけです。」
 「信じられないな………。」
 嶋田は項垂れながら首を振った。
 「現在、交友関係を中心に捜査を進めているのです。被害者が生前、誰かと揉めていたという話など聞いたことありますか?」
 「確かに素直過ぎる性格もあって仕事仲間とも時には揉めることもありましたけれどね。殺されるまで恨みを持たれるような子ではなかったですよ。」
 嶋田が答えた。
 「吉岡さんはどうですか?」
 一ツ家が意見を求めてきた。
 「二楷堂さんとは仲が良かったんですよね?」
 「飲みに行くことは多かったと思います。」
 陽菜は正直に答える。
 「交友関係で何か悩みを抱えていたとかありませんか?」
 「どうでしょうか、気にするタイプの人ではなかったと思います。」
 「それはそういうトラブルみたいなものはあったけれど気にしてはいなかった、ということでしょうか?」
 「わかりません。表面上は平気でも深層心理では傷ついていたという場合もあると思いますから。取り繕えるのが人間だと思います。」
 陽菜は言う。二階堂のことなんて二階堂本人にしかわからないことで他人が憶測で発言してもそれは真実ではない。あくまでも仮説であるだけだ。
 「交友関係の相談を受けたことはありますか?」
 一ツ家に尋ねられて陽菜は嶋田をちらりと見た。嶋田と二階堂が付き合っている、というのは噂話の域を出ないものである。陽菜自身も二階堂からそのことについて話を聞いたこともなく彼女と嶋田の関係が実のところどうなのかは知りもしなかった。ただ嶋田がどういう反応をするのか見てみたかった。
 「二階堂さんを殺した犯人は交際相手なのでしょうか?」
 陽菜は尋ねる。
 「その可能性は高いと考えています。ほらマッチングアプリってあるでしょう? 被害者は不特定多数の男性と交際していたのではないかと。」
 「その話なら聞いたことはあります。」
 陽菜は言う。二階堂は常時七人くらいの相手とマッチしていると自ら言っていた。その中の一人が嫉妬に駆られて彼女を殺害してしまったのだろうか………。
 「どういう内容でしょうか?」
 一ツ家が陽菜の発言に興味を示した。
 「相手のことは全く知りませんけれど 七人くらいとやり取りをしているという話だけです。あと交際をしていたというわけではなくて 多分、男友達という感覚だと思います。」
 嶋田の手前もあるが、二階堂の名誉の為にもそこだけははっきりと言っておいてあげたかった。
 「そうなんですか?」
 一ツ家は意外そうに言った。
 「しかしマッチングアプリとは名前こそスタイリッシュになっているけれど一昔前の出会い系でしょう?」
 「あくまでも真剣に交際相手を探す場所だと思っていますし、二階堂さんもそう考えていたと思います。洋服だって買う前に何枚も試着をしますよね?」
 最後の喩えは二階堂の言葉だった。
 「交際前のオーディションに七人の男性がいた、というわけですね?」
 丸田が言った。彼は一ツ家に比べるとまだ年齢が若いだけあって発想が柔軟なようだ。
 「そうです。」
 陽菜は頷く。
 「しかしそれでは余計なトラブルを生むだけだと私は思うのですけれどね。」
 一ツ家は苦々しく言う。さもそのトラブルで二階堂が殺害されたと言わんばかりだった。
 「その七人にしてみれば他の候補者と秤に掛けられているわけでしょう? 気分が良い状況ではないのでは? ねえ、嶋田さん。」
 不意に一ツ家に声を掛けられて嶋田は動揺していた。
 「そうですね、複雑だとは思います。」
 彼の顔が引きつっているのがわかった。
 「それは何も女性側に限ったことではないのではありませんか?」
 陽菜は言う。男性だってアプリ内で何人もの女性にアプローチは掛けているはずだ。まるで女性だけが品定めをしていると思われるのは心外だった。
 「そうですね。」
 丸田が間を取り持つように頷いた。

 二階堂本人の話が 本当なら嶋田もまた秤に掛けられていた一人のはずだ。二階堂が自分以外の男性とマッチングアプリを通じて知り合っていたことを知っていたのだろうか、陽菜は思う。
 「ところで嶋田さんも二階堂さんとは親しかったようですね?」
 不意を突く質問を一ツ家が口にした。
 「え?」
 嶋田が陽菜を見た。彼は明らかに彼女の存在を気にしているようだった。彼の目が左右に忙しなく動いていた。
 「二階堂さんのスマホに貴方とのやりとりがありましてね、写真なども一緒に。」
 一ツ家はジャケットの内ポケットから写真を取り出して嶋田の視界にだけ入るように見せた。それを慌てて彼は奪い取る。ちらりと見えたその写真は嶋田と二階堂が仲睦まじく肩を寄せて撮影した一枚だった。
 「勘弁してくださいよ。」
 周りを気にしながら嶋田は言った。そして陽菜の方を見て これは違うんだ、とだけ言った。ただ彼の言う何が違うのかが陽菜にはわからなかった。
 「場所を変えてもう少し詳しくお話を伺えませんか?」
 一ツ家がじっと嶋田を見つめて言った。
 「ちょっと待ってくださいよ、もしかして僕が疑われているんですか?」
 「そういうわけではありません。関係者のみなさんにお願いして回っているところです。」
 表面上は穏やかそうに 一ツ家は言った。
 「ただ事件の早期解決のためには親しい間柄であった皆さんのご協力は不可欠なんです。けして貴方を疑ってかかっているわけではありません。どうか私たちを助けると思って。それにここでは答えにくいこともあったりするでしょう?」
 彼は嶋田に提案すると陽菜をちらりと見た。
 「そう………ですね………。」 
 嶋田は保身を選んで一ツ家たちに同行することを決意したようだった。
 「吉岡くん、申し訳ないが今日はこのまま早退させてもらおうと思う。皆に動揺があってはいけないから 二階堂くんのことは秘密に。」
 早口で有無も言わせずに嶋田は言った。
 「わかりました。」
 陽菜は言う。

 荷物を取りに上がると言った嶋田に丸田が付き添ってエレベータに乗った。自分も事務所に戻ろうとか考えていると一ツ家が陽菜を呼び止めた。
 「吉岡さん、もう少しだけよろしいですか?」
 「なんでしょうか?」
 「二階堂さんは害虫に悩まされていたというようなことはありましたか?」
 「害虫って虫の害虫ですか?」
 「はい。彼女の所持品の中に害虫駆除と書かれたメモがあったものですから。」
 「さあ、そんな話は聞いたことがありませんけれど。」
 「そうですか………、他に害虫駆除と言う言葉で思い出すようなことありますか?例えば二階堂さんが害虫呼ばわりをしていたとか、誰かからされていたとか。」
 「流石に無いと思います。」
 口は悪いところもあったけれど 基本的には正直で優しい人間だったと思う。誰かに聞かれて困るようなあだ名を嫌いな人間にはつけるようなことはしなかったはずだ。
 「そうですか………。」
 一ツ家はあまり落胆した様子もなく頷くだけだった。
 「どういう意味ですかね、害虫駆除って。」
 独り言のように彼は呟く。
 「それは本当に二階堂さんが書いたメモなんですか?」
 「いや、パソコンで打たれた文字なので誰が書いたかわかりません。」
 一ツ家は首を振った。
 「じゃあ彼女が書いたのではなく、他の誰かの仕業なのでは?」
 「そうですね、私もそう思いました。犯人が残したものだとすれば被害者によほどの恨みを持つ者ということになるでしょうね。」
 一ツ家は自分だけ納得したかのように言った。
 「ちなみに貴女はどうですか? 二階堂さんに恨みとかありましたか?」
 「随分とストレートな質問ですね。」
 陽菜は面を向かって言い難いことをいう一ツ家に驚く。ただ殺人事件の捜査をする刑事を前に恨みがありました、と正直にいうような人間などどこにもいないだろう。実際に陽菜もそんなものはありません、と答えた。
 「嶋田さんはどうでしょうね?」
 「嶋田課長は困ったときに必ず手を差し伸べてくれる良い上司だと思います。揉めるようなことはなかったと思いますけど。」
 「職場ではそうかもしれませんね。でも、プライベートではどうでしょうか? 二人のLINEのやり取りを見る限りではただの上司と部下という関係ではなさそうでした。しかも嶋田さんは結婚されていますよね? そういうこともあってぎくしゃくしていたとか、そんな風には見えませんでしたか?」
 一ツ家は淡々と言った。

 「二階堂さんの存在を邪魔だと思った課長が殺したってことですか?」
 陽菜は声を潜めて尋ねたもののロビーは声が思った以上に反響するために受付の二人に聞かれないかと心配になった。
 「世間ではよくある話ですよ。次第に相手の要求が重くなって煩わしくなる、ということは。奥さんに関係をばらすなんて言われたら心中穏やかではないでしょう?」
 「そういうこともLINEのやり取りであったんですか?」
 陽菜は聞く。
 「いえ、これはあくまでも想像です。」
 一ツ家は微笑んだ。
 「サスペンスドラマの観過ぎだと思います。」
 陽菜は不快感をあらわにして皮肉を返した。
 「そうかもしれませんね。」
 一ツ家は受け流すように肯定した。
 「ちなみに吉岡さんは昨晩、どちらにおられました? 二十時から二十一時くらいの間なのですけれど。」
 「その時間はもう帰宅していて自宅にいました。」
 「それを証明できる方いますか?」
 「証明ですか………。」
 脳裏にクマが浮かんだが言うと話がややこしくなると考えて一ツ家には いいえ、とだけ答えた。
 「一人暮らしなので。」
 「そうですか。」
 「ただ………。」
 自分のアリバイを証明できるわずかな可能性と自身が置かれている状況を知って欲しかったのか陽菜は口を開いた。
 「ただ、なんでしょうか?」
 「私、ストーカーの被害にあっているので そのストーカーなら証明してくれるかもしれません。」
 一ツ家の細い目が大きく開かれるのがわかった。
 「どういうことですか?」
 「言葉のままです。私、今、元カレのストーカー行為に悩まされていて付き纏われているんです。もしかしたら昨日も私を尾行していたかもしれませんから その彼なら証明してくれるかもしれません。ただ警察に追われているので会えるかどうかもわかりませんし、話してくれるかもわかりません。あくまでも可能性です。」
 「ストーカーが証人ですか………、それはまぁ、なんというか………。」
 一ツ家は反応に正直困っているようだった。
 「特異ですよね。」
 陽菜は力なく笑う。
 「被害とかないのですか?」
 警察としての義務なのだろう、一ツ家は心配そうに聞く。
 「ありましたよ、もちろん。けれどそれは所轄署? 近くの警察に相談しているので大丈夫だと思いますけど。」
 「元カレが警察に追われているというのは?」
 「殺されそうになったんです、私。ぎりぎりで通りかかった人に助けてもらったから生きていますけど。」
 「そうでしたか………。それは大変でしたね………。同じ警察として犯人の早期逮捕をお約束します。」
 「お願いします。」
 陽菜は頭を下げる。
 「もし彼を捕まえることがあったら私のアリバイも聞いてみてください。」
 「わかりました。」
 一ツ家はにこりともしないで頷いた。
 
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