【恋愛】雨上がりの街
文字数 2,066文字
京都の北の方。
魚が美味しい、空一面に染まる夕焼けが綺麗なこの街。大切な場所だけど、たくさんの荷物を抱えたような、そんな気持ちにもなる街。
「唯(ゆい)ちゃん、来てくれてありがとう」
「晶子(あきこ)さん、お久しぶりです」
「相変わらず、べっぴんさんやね。あがってあがって」
線香に火をつけ、手を合わせる。畳の匂いと、万願寺とうがらしの匂いが混ざる。この匂いを見つければ、私はいつだってここに戻ってこれる。
写真に映るのは、18歳のままの大好きな人。
晴(はる)と私は幼馴染だった。
母親同士が仲良かったこともあり、5歳の頃から2人でよく遊んでいた。
だから、ずっとずっと、晴の背中を見てきた。
ある時期を境に、晴が携帯を見る度に、何故か悲しくなる自分がいることに気づいた。
ただ、くだらない話ができるだけで幸せだったのに、晴への気持ちがどんどん欲張りになっていた。
「晴って私のことどう思ってるの?」
「何が?」
「その‥‥女性として?的な?」
「ちびころ」
「‥‥私、犬じゃないのよ」
「知ってる」
「もーいい。これは10年かかるかもなぁ。はぁー」
「だから、何が?」
そんな風に、私なりに思い切って聞いたこともあったけど、はぐらかされてしまった。それでも、市民病院前の桜並木を歩く2つの影をずっと見ていたくて、それ以上踏み込むことをやめた。
「唯ちゃんは、大学卒業してからずっと東京?」
「はい。就職して、今も東京で働いてます」
「そっかぁ、東京やったらかっこいい人もたくさんおるやろぉ」
「いやぁそれが、なかなか出会いが無くて。もう28なんで真剣に考えないとなんですけどね」
正直、付き合おうか考えた人がいなかったわけではない。それでもブレーキをかけてしまうのは、心に住んでいる彼が、いなくなってしまうのが怖かったからだろう。
「実はね、今更やけど、唯ちゃんと晴が付き合えばいいのになんて思ってたんよ」
「え?!なんでですか?」
「あの子ぶっきらぼうやし、ちゃんと分かってくれるんは唯ちゃんしかおらんって。まぁ唯ちゃんにとっては迷惑な話かもしれんけどね」
「でも、結構モテてましたよ。なんだかんだ頭良かったし、クールなところがたまらないって女子の間でよく噂してました」
私も、その好きだった女子の1人である。
「そういえば、晶子さん引っ越すんですか?」
「ん?なんで?引っ越さんよ」
「部屋の前にダンボールがたくさんあったんで、もしかしてと思って」
「あぁ。もう10年経つし、あの子の部屋も少し片付けようと思ってね。前は入るのも怖かったんやけどね」
「そうそう」と言うと、晶子さんはひとつのダンボールからノートを取り出した。
「晴の鞄からノートが出てきたんやけど、字が綺麗なのがあってね、唯ちゃんのじゃないかな。」
それは、晴に貸していた古典のノートだった。水に濡れたのか、少しふやけている。
「うわ、懐かしいです。古典の時間毎回寝てたから、よく貸してたんです。」
「あらやっぱり、あの子ったらほんまだらしないから、返すのに10年もかかちゃったわね」
ノートを開くと、右下にへんてこな絵が繋がっていた。晴としていた絵しりとりだ。
「晶子さん、見てくださいよこの変な絵」
「なぁにこれ。絵しりとり?」
「やっとノート返ってきたと思ったら変な絵が描いてあって、貸す度にやってたんですよ。懐かしい」
久しぶりに見た晴の絵は、私をあの桜並木へと簡単に連れ戻した。
「晶子さん、ありがとうございました。久しぶりに会えて、元気な顔見れて安心しました」
「唯ちゃん、またいつでも来てね」
どんなに悲しくても、思い出になる日がくる。
綺麗事ではなく、本当にそう信じているけど、
あの日からずっと、何かやり残したような日々を過ごしている。
道をなんとか照らしている街灯を辿って歩く。ポツポツと雨が降ってきた。
「寒いなぁ。」
あの日も、こんな冷たい風の吹く雨の日だった。
10年前の卒業式前日。
ノートを返したいからと晴に呼び出された。
4月から晴は東京の大学へ、私は京都の大学へ、私たちは別々の道を行く。
今まで蓋をしてきた気持ちを話そうと思っていた。
しかし、約束の時間になっても、晴は来なかった。
その日の夜、電話があった。
車通りの多い交差点。飛び出した子供を庇った晴は、車に撥ねられた。私が病院に着いた頃には、胸の中にだけ残る人となっていた。
伝えたかった言葉は、無くなることもできず、今もカバンの底に沈んだまま。
待ち合わせ場所だった公園。
昔、晴とよく遊んだ公園。
あの頃からすっかり小さくなってしまったブランコに揺られ、古典のノートを開く。
「ほんと、ひどい絵」
りんご→ごりら→らくだ→だるま……
「これ絶対らくだじゃないでしょ」
‥‥きゅうり→りか→かお
「てか寝すぎ。真面目に授業受けなさいよ」
おかゆ→
ゆいがすき
これは雨か、私の涙か。
晴の汚い字がノートに、私の心に滲んでいく。
「10年もかかってなかったんだ」
どんなに悲しくても思い出になる日が必ずくる。
心からそう、願っている。
いつの間にか雨は止み、少し暖かくなった風が、私を優しく包むように揺らいでいた。
魚が美味しい、空一面に染まる夕焼けが綺麗なこの街。大切な場所だけど、たくさんの荷物を抱えたような、そんな気持ちにもなる街。
「唯(ゆい)ちゃん、来てくれてありがとう」
「晶子(あきこ)さん、お久しぶりです」
「相変わらず、べっぴんさんやね。あがってあがって」
線香に火をつけ、手を合わせる。畳の匂いと、万願寺とうがらしの匂いが混ざる。この匂いを見つければ、私はいつだってここに戻ってこれる。
写真に映るのは、18歳のままの大好きな人。
晴(はる)と私は幼馴染だった。
母親同士が仲良かったこともあり、5歳の頃から2人でよく遊んでいた。
だから、ずっとずっと、晴の背中を見てきた。
ある時期を境に、晴が携帯を見る度に、何故か悲しくなる自分がいることに気づいた。
ただ、くだらない話ができるだけで幸せだったのに、晴への気持ちがどんどん欲張りになっていた。
「晴って私のことどう思ってるの?」
「何が?」
「その‥‥女性として?的な?」
「ちびころ」
「‥‥私、犬じゃないのよ」
「知ってる」
「もーいい。これは10年かかるかもなぁ。はぁー」
「だから、何が?」
そんな風に、私なりに思い切って聞いたこともあったけど、はぐらかされてしまった。それでも、市民病院前の桜並木を歩く2つの影をずっと見ていたくて、それ以上踏み込むことをやめた。
「唯ちゃんは、大学卒業してからずっと東京?」
「はい。就職して、今も東京で働いてます」
「そっかぁ、東京やったらかっこいい人もたくさんおるやろぉ」
「いやぁそれが、なかなか出会いが無くて。もう28なんで真剣に考えないとなんですけどね」
正直、付き合おうか考えた人がいなかったわけではない。それでもブレーキをかけてしまうのは、心に住んでいる彼が、いなくなってしまうのが怖かったからだろう。
「実はね、今更やけど、唯ちゃんと晴が付き合えばいいのになんて思ってたんよ」
「え?!なんでですか?」
「あの子ぶっきらぼうやし、ちゃんと分かってくれるんは唯ちゃんしかおらんって。まぁ唯ちゃんにとっては迷惑な話かもしれんけどね」
「でも、結構モテてましたよ。なんだかんだ頭良かったし、クールなところがたまらないって女子の間でよく噂してました」
私も、その好きだった女子の1人である。
「そういえば、晶子さん引っ越すんですか?」
「ん?なんで?引っ越さんよ」
「部屋の前にダンボールがたくさんあったんで、もしかしてと思って」
「あぁ。もう10年経つし、あの子の部屋も少し片付けようと思ってね。前は入るのも怖かったんやけどね」
「そうそう」と言うと、晶子さんはひとつのダンボールからノートを取り出した。
「晴の鞄からノートが出てきたんやけど、字が綺麗なのがあってね、唯ちゃんのじゃないかな。」
それは、晴に貸していた古典のノートだった。水に濡れたのか、少しふやけている。
「うわ、懐かしいです。古典の時間毎回寝てたから、よく貸してたんです。」
「あらやっぱり、あの子ったらほんまだらしないから、返すのに10年もかかちゃったわね」
ノートを開くと、右下にへんてこな絵が繋がっていた。晴としていた絵しりとりだ。
「晶子さん、見てくださいよこの変な絵」
「なぁにこれ。絵しりとり?」
「やっとノート返ってきたと思ったら変な絵が描いてあって、貸す度にやってたんですよ。懐かしい」
久しぶりに見た晴の絵は、私をあの桜並木へと簡単に連れ戻した。
「晶子さん、ありがとうございました。久しぶりに会えて、元気な顔見れて安心しました」
「唯ちゃん、またいつでも来てね」
どんなに悲しくても、思い出になる日がくる。
綺麗事ではなく、本当にそう信じているけど、
あの日からずっと、何かやり残したような日々を過ごしている。
道をなんとか照らしている街灯を辿って歩く。ポツポツと雨が降ってきた。
「寒いなぁ。」
あの日も、こんな冷たい風の吹く雨の日だった。
10年前の卒業式前日。
ノートを返したいからと晴に呼び出された。
4月から晴は東京の大学へ、私は京都の大学へ、私たちは別々の道を行く。
今まで蓋をしてきた気持ちを話そうと思っていた。
しかし、約束の時間になっても、晴は来なかった。
その日の夜、電話があった。
車通りの多い交差点。飛び出した子供を庇った晴は、車に撥ねられた。私が病院に着いた頃には、胸の中にだけ残る人となっていた。
伝えたかった言葉は、無くなることもできず、今もカバンの底に沈んだまま。
待ち合わせ場所だった公園。
昔、晴とよく遊んだ公園。
あの頃からすっかり小さくなってしまったブランコに揺られ、古典のノートを開く。
「ほんと、ひどい絵」
りんご→ごりら→らくだ→だるま……
「これ絶対らくだじゃないでしょ」
‥‥きゅうり→りか→かお
「てか寝すぎ。真面目に授業受けなさいよ」
おかゆ→
ゆいがすき
これは雨か、私の涙か。
晴の汚い字がノートに、私の心に滲んでいく。
「10年もかかってなかったんだ」
どんなに悲しくても思い出になる日が必ずくる。
心からそう、願っている。
いつの間にか雨は止み、少し暖かくなった風が、私を優しく包むように揺らいでいた。