呪殺少女のデッドボール

文字数 6,447文字

 放課後の学び舎の廊下の通り道に、益体もないキャッチボールに励んでいる三人組の男子生徒がいた。はっきりと邪魔である。目障りこの上ない。
 といっても、別にキャッチボールが目障りなわけではない。すべての遊びを私は擁護したい。勝手にやればいい。勝手に楽しめばいい。ただ、その場を通りすぎたいだけの私の姿は、明らかに三人組の視界に入っているはずなのに、やつらは投球・捕球の一連の動作を中断しようともしない。他人の通行を阻害しておきながら、なんらの気づかいも見せず(てん)として恥じないその横柄な態度が気に食わないのだ。廊下を走るな、廊下で投げるな、廊下を塞ぐな。そんな口うるさい風紀委員のような注意をしなければならないのか? クソ忌々しい。
 三人組は、それぞれの立っている位置を線で結ぶと直角二等辺三角形になるようなポジショニングで廊下に陣取っていた。グローブも着けない素手によって、AからB、BからC、CからAへとボールが投げられる。その繰り返し。賽の河原で石積みをするような間延びした気長さで、飽きもせず投球・捕球に嬉々として励んでいる。キャッチボールの餓鬼道にでも落ちたかのようだ。
「あの、ちょっと、ごめんなさい。通ってもいい?」
 私はいちばん手近な男子生徒に声をかけた。可能なかぎり謙虚に、おしとやかに、猫なで声で。私は猫をなでるときにこんな声は出さないし、なでられるセバスチャンもこんな声は出さないが。触れあうとき、私たちは沈黙を尊ぶ。
「ああ?」
 くちゃくちゃとガムを噛みながら、いましがたボールをキャッチした直角二等辺三角形の頂点Aがこちらを振り返った。遊戯を邪魔された不快感が、露骨に表情にあらわれている。
「おい、早く投げろよ」
 頂点Aの向こう側に見える頂点Bが、私を無視するように、催促するように口を挟んだ。こちらもくちゃくちゃとガムを噛んでいる。
「あのさ、見てわかんない? 俺ら、楽しくキャッチボールしてるわけ。わかる? ボールを投げて、遊んでるわけ。わかる? わかったら、邪魔しないでくれる? わかる?」
 頂点Aが、小馬鹿にするように、噛んで含めるように、(さと)すように私に答えた。クソ忌々しい。
「別に、邪魔しようとは思ってないけれど。そこ、通り道なの。少しのあいだだけ、投げるのをやめてほしいだけ」
 猫なで声と人殺し声の中間のような抑えた声音で、私は私の要求を簡潔に伝えた。
「はっ。なんで、おまえのためにやめなきゃなんないんだよ。おまえ、人の楽しみを邪魔して恥ずかしいと思わないの? おまえみたいなやつが、将来つまんない大人になって、公園に『キャッチボール禁止』とかつまんない看板を掲げさせて、つまんない全能感に溺れて悦に浸って、結婚もせず子どもも生まず、息苦しさの極みみたいなつまんない少子化推進運動にせっせと励むってわけだ。目に見えるようだよ。わかる? 自分がどれだけつまんない人間なのか」
「おい、早く投げろよ」
 なんの理もないクソみたいな説法をかましてきたクソキャッチボールジャンキー頂点Aが、話は終わったとばかりに、汚物のようなホモソーシャル的直角二等辺三角形を構成する頂点Bに向かってボールを投げた。クソ忌々しい。正岡子規の時代から蔓延(はびこ)る、ベースボールファシズムの尖兵ども。
「遊びやスポーツの自由は最大限に尊重したいけれど。人が横切るときくらい、やめてくれない? 私はそこを通りたいだけなの」
「そんなに通りたけりゃ、勝手に通れよ」
 いままで黙っていた頂点Cが、やはりくちゃくちゃとガムを噛みながら、頂点Bが投げたボールをキャッチして、そう言った。不遜なまでに(おご)り高ぶった口の利き方しかこいつらは知らないのか? 十代の若造は生意気に振る舞う義務があるとでも洗脳されているのか? クソ忌々しい。
「じゃあ、通るわ」
 私は歩行を再開して、頂点Aの横を通りすぎ、三人組のキャッチボールによって仕切られていたその領域、廊下に傍迷惑にも出現した下劣な直角二等辺三角形の内側に足を踏み入れた。
「かかったな、楠守鼎(くすもりかなえ)!」
 突如として頂点Cが豹変したように叫び、白球を宙に放り上げ、右の拳を床に叩きつけた。廊下に赤い血で引かれた線が淋漓(りんり)と浮かび上がった。三人組をつなぐ、醜い直角二等辺三角形だ。見ると、頂点Aと頂点Bも、右の拳を床に突き立てている。息がぴったり、連係もばっちり、ずいぶん仲のいいことだ。三馬鹿トリオの汗くさい結界。複数人でひとりをなぶろうとする、筋肉呪者どもの必死の幾何学。おまけに天井近くに静止した白球が、ミラーボールのように呪力を反射して結界をご丁寧に彩っていた。
「これでおまえは逃げられない。末期(まつご)の祈りは済ませたか?」
 祈りの何たるかも知らなそうな嘲り顔の頂点Bが、床に拳を突き立てたままの滑稽な姿勢でそんな戯言(たわごと)を得意気にほざいた。
「掃き溜め生まれのド腐れビッチが! 死にやがれ!」
 同じポーズの頂点Aが、品性を安値で買い叩かれたような不快な金切り声で叫んだ。その絶叫を合図に、三人は一斉に、それまでくちゃくちゃと噛んでいたガムを私に向かって勢いよく射出した。もちろん、三人組に囲まれている私には、敵たちの動きすべてを視野に収めることはできない。やつらの放出する呪力の流れから察知しただけだ。
 唾液によって憎悪と怨念と呪力をたっぷりにじませて、口から放たれた途端、ガムのような柔らかい物体から瞬時に硬化して凶器と化した毒矢。三方向から飛来する汚ならしい殺意。クソ忌々しい。
 私は高速で呪文を唱え、思い上がった間抜けどもの渾身の呪力を跳ね返し、毒矢の方向を反転させた。頂点A、頂点B、頂点C、哀れな直角二等辺三角形を構成していた男子生徒三人組のそれぞれの脳天に、自身の唾液にまみれた毒矢が深々と突き刺さった。天に唾した末路がこれだ。血で引かれた床の線が消え去り、宙に静止していた白球が落下し、御大層な結界は解けて、三人の男子生徒が無様に倒れ込んだ。死んだのだ。呆気ない。驚くべきほどの雑魚集団だ。
「肩透かしもいいところだったわ、別宮来栖(べつみやくるす)くん、木場田達也(こばんたたつや)くん、東海道祭(とうかいどうまつり)くん。人を殺そうとする前に、もう少し呪いを学ぶことね」
 私は死体に唾でも吐きかけたいような気分で見下ろし、クソ忌々しくはあるが、憐れみ深く慈悲をかけてやることにした。
「ラザロ、ラザーロ、ラザロラロ!」
 私の呪文によって、額に尖ったガムを生やした死体たちが、ラザロのごとくに甦る。……はずだった。
「あれ?」
 どうしたことか、反応がない。廊下の死体は死体のままだ。三人の男子生徒たちは粗大ゴミのように横たわったまま、ぴくりとも起き上がろうとしない。
「……くけけけけ……これで終わりとでも思ったか? 楠守鼎……」
 どこからともなく、薄ら寒くなるような軽薄な声が響いた。だが、三人の男子生徒ではない。こいつらは死んでいる。声などあげられないほど死んでいる。
「どこ見てんだよ? ここだよ、ここ。真下だよ」
 その言葉につられて見ると、足下には三人組が投球・捕球・玩弄に用いていた、なんの変哲もないボールが転がっていた。その白球が、ぶるるっ、と震えた。
 変哲はあった。ボールは不自然にすうっ、と浮き上がり、私の目の高さに合わせるように静止した。ボールにぱっくりと裂け目が広がり、その中から尖った白いものと、ぬらぬらと蠢くピンク色が見えた。裂け目ではない、口だ。ボールに唇が浮かび、歯が生えて、舌が伸びている。
「ぎゃはははははははは! ようやく気づいたか、マヌケ! そうだよ俺だよ! 俺が喋ってんだよ、この腐れアマが!」
 よだれを四方に撒き散らすような勢いでボールがきんきんとがなり立てた。世も末だ。たかがボールごときが人間を罵るようになるとは。
「ああ、ちっぽけすぎて気づかなかったわ。なに、あんた? ボールの怨霊? 投げられつづける恨みでも晴らしたいなら、お門違いだけど」
「バーカ、テメーだよ、テメーなんだよ! 殺したのはテメーだろうが! 俺たち三人がいのちを()して生み出した呪殺兵器、三位一体の血と汗と涙と魂を込めた執念の白球、それが俺様なんだよ! 殺戮嗜好の鬼畜女をぶっ殺して、呪者界隈の甲子園まで俺たちの美名を轟かせるんだ、それが俺たちの殉教でありサクセスストーリーなんだ! だから死ね、楠守鼎、俺たちの栄光のために!」
 ボールに不似合いな長広舌をまくし立てると、空中に静止していたそのお喋りクソボールは、急速に回転し始め、剛腕のピッチャーが力任せに投げたようなスピードで私の顔面に向かって飛んできた。頭をそらし、私は間一髪でよけた。
「くけけけけけけ! よけろよけろ、せいぜいよけろ! おまえを殺すまで俺は死なないぞ! 俺がおまえの死だ、地獄に案内する死球だ! 死ぬまでよけろ、そして死ね!」
 飛び去った先でブレーキを踏むように空中に静止して、ボールはまたしてもべろべろと舌を振りまわしながら生意気な口を利く。クソ忌々しい。バットにキスして死ねばいいのに。言葉を介さないプレーの応酬がスポーツの美徳じゃなかったのか? 饒舌な球技なんて犬も食わない。ボールは死体のように黙るべきだ。
 ふたたび飛来したボールを防ぐために、私は即座に呪文を唱えた。が、だめだ。いのちを賭したというだけあって、ボールに込められた呪力は生半可なものではない。結局、私は身を翻して、物理的によけるしかなかった。
「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ! なかなかいい反射神経じゃねーか! キャッチャーに向いてんじゃねーの? 俺を受け止めてくれよ、胸で抱きとめてくれよ、おまえの魂を(むさぼ)らせてくれよ!」
 セクハラじみた気持ち悪いボール語りに付き合っている暇はない。私は窓ガラスをぶち破って校舎の外に飛び出した。二階から落下し、呪文で衝撃を抑え、校庭に降り立つ。そこから私は全速力で校門まで走った。背後から殺意の気配が迫り、私はヘッドスライディングをするように身を伏せて、呪殺ボールをやり過ごした。
「どこに行こうっていうんだよお、俺を置いていくなよお、遊ぼうよお、えへへへへへ、ふへへへへへ、くけけけけけ、死ね、死ね、死ね!」
 知能が低下していく一方のような下卑た口調の姑息な球野郎は無視して、私はなおも走り、何度も危うくよけて、校門の外に出た。ちょうどそこにバスが停まっていた。ありがたい。
 バス停で待っていた他の生徒たちを体当たりで押しのけつつ、私はバスに駆け込み乗車し、運転手に暗示をかけて、すぐさま発車させた。目的地は我が家だ。悪いがそれ以外のバス停は無視だ。運転手にも乗客にも目撃者にも暗示、暗示、暗示で忙しい。呪いのバーゲンセールだ。このバスは事故にでも遭ったか整備不良でトラブルでもあったか異星人の船にさらわれでもしたか、彼らがどう認識してどう辻褄を合わせるかは知ったことではないが、とにかく私と私周りの異常を認識するなと、強く暗示にかかるように呪う。呪いののの字も知らない無辜(むこ)の民への、優しく憐れみ深い気遣いだ。
 バスは法定速度を破りながら、事故らない程度に安全運転でまっしぐらに我が家へとひた走る。私は空のネットにアクセスし、私と契約している鴉に呼びかけ、すでに向こうで準備してもらっている。あの場所へ、あの場所へ行きさえすれば……。
 走行中のバスの窓ガラスをぶち破り、不快でちっぽけな闖入者(ちんにゅうしゃ)が躍りかかってきた。こんなこともあろうかと、私は懐にしのばせていた、全国の少年少女呪者必携、呪いの七つ道具その一である『猿の手』を取り出し、両手で握りしめ、しつこく追ってきたポンコツ呪殺ボールを窓の外に打ち返した。『猿の手』とは、一見すると枯れ枝のようなサイズのしなびたミイラの細い腕だが、実際は、人間の五倍の力があるというオランウータンよりも更に強力な、呪力を込めた殺傷武器である。いまは優秀なバットに早変わり。喋る(いとま)も与えずボール野郎を撃退した。だが、残念ながら仕留めてはいない。
 ふたたび別の窓ガラスをぶち破って、悪質なストーカーと化した殺人ボールが襲来した。私もふたたび猿の手で打ち返す。殺意を込めてフルスイングだ。こうなったら根比べだ。愉快な無限バッティングバスツアーだ。あちらの窓、こちらの窓から、もぐら叩きのように外敵ボールが襲ってくる。私は律儀にそれを打ち返す。飛んでくる、打つ、飛んでくる、打つ。暗示にかかった他の乗客たちは、呑気に座ったまま携帯を見たりしている。牧歌的な風景だ。バスの車内で、汗水垂らしてしゃかりきになってフルスイングを繰り返している私ひとりがバカみたいだ。しかしやめたら殺される。他人に殺されるなんて真っ平だ。ましてボールに殺されてたまるか。どれだけ無様で間抜けな姿だろうが、これが私の生き残るための道なのだ。クソ忌々しい。
「次はー、聖心ヶ丘三丁目、聖心ヶ丘三丁目。終点です。お降りになる方は、バスが停車してから席をお立ちください」
 馬鹿丁寧なアナウンスが、バスが我が家に近づいたことを知らせてくれる。飛んでくる。打つ。飛んでくる。打つ。この無間バッティング地獄もそろそろ終焉の時だ。
 バスが停車し、渾身のフルスイングで醜悪変態呪殺ボールを一際強く打ち返すと、私は前方の降車口に向けて走り、運賃も払わず、開くと同時にバスの外へ飛び出した。
 我が家のマンションは、目と鼻の先だ。私は猿の手を握り、息を荒らげて、ほうほうの(てい)でそちらへ向かった。
「うひゃひゃひゃひゃひゃ! なんだよ、逃げるのかよ! バスツアーも終わりか? 遂にスタミナ切れか? いくらぶっ叩こうが俺は死なないんだよ、バーカ! 期待が外れたか? 絶望したか? ざまあみやがれ! それはそうと、楠守鼎、あんたマジにいいバッターだよ! 称賛に値するよ、俺に手があれば惜しみなく拍手さ、死ぬのが惜しいくらいだな。でも死ね! 無慈悲に何人もの学友を殺しやがって! 地獄で野手でも目指してろ、クソ女!」
 大口あけた欲張りボールが、相も変わらず無駄口を叩いてから回転を始め、こちらに飛んでくる。気に食わない。なんで球ごときに私の魂の行方を決められなきゃならないんだ。地獄なんて死んでも行くか。願い下げだ。おまえが死ね。
 もう見えていた。視界に入っていた。すでに連絡を受けていた鴉たちが、私の部屋から私の助っ人をベランダに呼び出してくれていた。七階のベランダの手すりから飛び立ち、私の守護天使が、私を襲おうとするボール目がけて、私を守るために降ってくる。それは熊のぬいぐるみの姿をしていた。名前は唯円。またの名をガブリエル。
 仏頂面だった熊のぬいぐるみの顔が、突如として巨大な風船のように膨張し、人喰い鮫のような牙だらけの大口を開けて、落下しながらぱくりと、私をつけ狙っていた殺人ボールを呆気なく丸呑みにした。ぼすん、と地面に顔で着地し、巨大風船のような大きさのまま、暴れる子熊を嚥下するようにぶるぶるとのたうっていたが、やがて落ち着き、ぴたりと動きをとめて元の大きさまでしぼんだ。
 後には地面に横たわる、かわいい熊のぬいぐるみ(名前は唯円)。
「サンキュー、ガブリエル」
 私のありがたい労いの言葉に対しても、仏頂面のままの熊のぬいぐるみ(名前は唯円)。どこかのお喋りなボールや猫とは大違いだ。胃袋が地獄に直結しているなんて、おくびにも出さない。やはり沈黙というのは素晴らしい。沈黙こそが愛の苗床(なえどこ)だ。
 さて、お喋りな呪殺ボールを地獄送りにしたところで、面倒なことだが、私は学校に引き返さなければならない。三位一体の魂を込めた白球とやらをぶち殺したことで、やつらはきちんと魂を喪った。これでとどこおりなく、廊下に放置されたままの三人組の死体も甦らせることができるはずだ。ちょうど送迎のためのバスがマンション前に停まっている。
 ああ、忙しい忙しい。私はなんてお人好しなんだろう。
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