第6話 ①

文字数 2,945文字

 照明を落とした真っ暗な部屋でスマートフォンの画面が明滅する。メッセージの受信なら一回光っただけですぐ消えるが、しばらく光り続けるのは電話の着信が入った証拠だ。
 応答するのが面倒くさくて放っていたが、相手はよほど緊急の用事があるのか、懲りずにコールを続けていた。向こうが諦めるかこちらが諦めるか根比べである。自分の感覚で五分が経ったと思われるころ、瑞島はようやく負けを認めてベッドから出た。
 床に落ちたパジャマの上でスマートフォンが光っている。瑞島はそれを手に取ってちらっとベッドのほうを見た。蓮丸が丸くなってすうすうと寝息を立てている。いつもリビングの自分の寝床で寝るのに今日はよほど疲れたのだろうか。瑞島は昨晩のことを思い出して顔を赤くした。
 司法解剖に出されていた梢の遺体が戻り、お通夜とお葬式が執り行われたのが先週。瑞島も会社の同僚として参列した。そのことを蓮丸も関係者として知っておくべきかと思って連絡した。いやそれは後付けの理由で、ただ誰かと話がしたかっただけだ。
 それから何度かやり取りをして、蓮丸のスケジュールが空いた昨晩、瑞島は久しぶりにマンションを訪れた。連日の指名で料理をする暇がなかったという蓮丸はフードデリバリーでピザを頼んでいた。
「ごめんね。何か美味しいもので元気になってもらいたかったんだけど」
 申し訳なさそうに取り皿とコップを出す蓮丸からは嗅いだことのない匂いがした。職場の派手めな女性社員がつけているのに似た香水の匂い。相当接近しないとここまで匂い移りしないだろう。
「僕もこれ買ってきたんだけど、チーズケーキ食べるか?」
 瑞島は匂いに気付かないふりをして、職場の近くで買ってきたチーズケーキの箱を差し出した。以前から食べたいと思っていたもので別に変な意図はない。なのに蓮丸は嬉しそうに笑って受け取った。
 食後にお茶を飲んで自然な成り行きでシャワーを浴びて、ゲストルームで抱き合った。二人の肌からは同じシャンプーとボディソープの匂いがした。それから部屋を真っ暗にして、もはや回数がわからないほどどちらかが果てるまで続けた。
 いつだったか蓮丸が使った「性欲を刺激するオイル」だか何だかを瑞島も試された。そうして嫌ほどわかったが、粘膜を通じて身体に染み入ってくるので効果が半端ない。何度やったら気が済むのかというほど蓮丸に抱かれ、それも気に食わないということでやり返し、四肢を絡めて熱烈に肌を重ねたあと結局どちらが先に寝入ったのかは憶えていない。
 手元のスマートフォンが放つ光が瑞島を現実に引き戻した。画面には見知らぬ番号が表示されている。時刻は一時を回ったところで、こんな時間にどこの誰がかけてきたのだろう。瑞島はスマートフォンを耳に当て、部屋を出ながら小声で「もしもし?」と言った。
「夜分恐れ入ります。瑞島様のお電話でお間違いないでしょうか」
 さんざんコールを無視されたにもかかわらず、声の主は凛として冷静だった。
「そうですけど、こんな時間に何の用ですか?」
「今おひとりでしょうか? 近くに誰かいるようでしたらこのまま電話をお切りください」
 何か内密の話だろうか。瑞島は廊下を歩いてリビングに行き、後ろ手に扉を閉めた。頭に浮かんだのは果物ナイフで人を脅そうとしたこと、山に死体を遺棄したこと、駅前の路地で梢の死体を発見したことだった。もし犯罪に関する話であれば身に覚えがありすぎる。
「あの、一応声が聞こえない場所まで来ましたけど」
「ありがとうございます。わたしはカグヤ社の社長秘書を務めております天宮(あまみや)と申します。実は弊社の社長が瑞島様にぜひお会いしたいと申しておりまして、このたびご連絡差し上げました」
 その言葉を理解するのに少し時間がかかった。寝起きの頭だからかと思ったがそうでもないらしい。
「カグヤ社って美容グッズや化粧品を扱っている会社ですよね? どうしてそんなところの社長が僕に会いたいと思うんですか?」
「当然の疑問かと存じます。社長がお話ししたいと思っているのは、今そちらにいる蓮丸に関することです」
 瑞島はスマートフォンを落としそうになった。おもわずリビングの閉まった扉に目を向ける。なぜこの電話の主は蓮丸の名を知っていて、今自分が蓮丸のマンションにいることまで把握しているのだろう。
「わたしも詳細は知らされておりません。ただ弊社までご足労いただける日を伺うよう言われております。できるだけ早い日が望ましいのですか、瑞島様のご都合はいかがでしょうか」
 瑞島は混乱した頭を元に戻す術もなく、問われるがまま次の休みを答えた。天宮というその秘書は日程を繰り返して電話を切った。瑞島は暗転したスマートフォンを手にゲストルームに戻り、ベッドの縁に腰かけた。
 インターネットの検索結果によると、カグヤ社の商品は専門店か通販でしか手に入らず、値段も相当なものでドラッグストアに並んでいる化粧品のように気軽に手が出る代物ではない。また客層の性別を選ばないのが特徴で、身だしなみに気を遣う男性にも人気があるらしかった。
 自分はそういうものに全く興味がないが、もしかしたら蓮丸は使っているのだろうか。しばらくベッドの縁で考え込んでいると隣の蓮丸が薄目を開けた。
「どうかしたの?」
「何でもないよ。トイレに行っていただけ」
 本当のことを言うのは何となく憚られ、瑞島はスマートフォンを置いてベッドに入った。夢うつつの蓮丸は何か呟きながらすぐにまた眠り込んだ。瑞島も目を閉じたがなかなか寝付くことができなかった。
 そして次の休日、瑞島は電車を乗り継いでカグヤ社の本社にやってきた。九階建ての自社ビルの一階は店舗になっていたが、カウンターにビロード張りの椅子が並んでいるなど、いかにも洗練された雰囲気でさながら宝石店のようだった。
 場違いすぎる瑞島がこそこそ周りを見回しながら店に入ると、すぐに店員が近付いてきた。色鮮やかなネクタイが嫌味にならないスタイリッシュな男性で、瑞島はおもわず自分の容姿と比較してしまった。
「瑞島様でございますね? お待ちしておりました」
「え? なんで僕のこと……」
「どうぞ奥のエレベーターで最上階までお上がりください」
 店員はそれだけ言って離れていった。来訪者の名前を知っているのはいいとして、どんな顔をしているかまではわからないはずだ。瑞島は首を傾げながら店の奥に入り、職員用のエレベーターに乗った。九階のボタンを押すと、蓮丸のタワマン並みの速さで最上階に向かっていった。
 これだけのビル、最上階はさぞかし豪勢な造りだろうと思っていたが、エレベーターを出た先は壁も床も真っ白で普通のオフィスとそう変わらなかった。目につく扉は全て閉まっており、瑞島はどこが社長室だろうかときょろきょろしながら歩いた。
「ご足労いただきありがとうございます。廊下の奥までお越しください」
 どこからかあの社長秘書の声が聞こえ、瑞島は反射的に天井を見上げた。スピーカーとカメラらしきものがある。どうやらあれでこちらの動きを把握しているらしい。声に従って廊下の一番奥に行くとモニター付きの扉に突き当たった。手を触れる前にカチャンと開錠される音が聞こえ、扉が向こう側に開いた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み