第3話 ①

文字数 2,689文字

 数日が溶けるように過ぎ、あっという間に週末がやってきた。
 前日の金曜の午後、瑞島は街中で蓮丸の姿を見かけた。こちらは仕事の不手際で走り回っている最中で、向こうは若い女の子と手を繋いで繁華街を歩いていた。何の会話のきっかけか、蓮丸が身を屈めて二人の頬が触れ合いそうになったのを見て、瑞島はおもわず目をそらした。
 ホステスのラミと葦名が会っているのを見たときも同じような気持ちを抱いた。自分には唯一無二の人だとしても、相手にとっては不特定多数のうちの一人に過ぎない。なぜいつもこんな惨めな思いをしなければならないのだろう。
 そして土曜の朝、瑞島のスマートフォンに『夕方五時にマンションの前に来て』とメッセージが届いた。確かに死体を棄てるには夜のほうが都合がいい。瑞島はそわそわして落ち着かず、約束の三十分前には待ち合わせ場所に着いていた。
「ゆめちゃん、早いね。あるじの車はあっちだよ」
 蓮丸は時間きっちりにスーツケースを引いて出てきた。地味な色の服を着て縁のないサングラスをかけているせいでお忍びの芸能人のように見える。駐車場はマンションから数十メートル離れた場所にあり、「あるじの車」はカーシェアリングのセダンだった。
 タワマンを所有するだけあって高級車を想像していたが、普段からあまり乗らないのであればこれで事足りる。蓮丸は慣れた様子でⅠⅭカードをかざして解錠し、後部座席を開けてスーツケースを入れた。そして肩掛けの鞄から小ぶりのシャベルを出して見せた。
「これ、ホームセンターで買っといたよ」
「そんなもの堂々と見せるな。どこに行くか決めているのか」
「まだ何も。人気のない場所っていったら海か山だってインターネットに書いてあった。ゆめちゃんはどっちがいいと思う?」
 まるでデートの場所を決めるような口ぶりである。瑞島はとりあえず運転席に乗り込み、蓮丸から渡されたⅠⅭカードでグローブボックスから車のキーを取り出した。それから隣の助手席に座った蓮丸のほうを見た。
「念のためもう一度聞くが、自分が何をやろうとしているか本当にわかっているんだな?」
「わかっているよ。ゆめちゃんを巻き込みたくなかったけどこれしか方法がないんだ」
 瑞島はそれには答えず、後部座席をちらりと振り返った。緑色のスーツケースとシャベルが並んでいる光景はかなりグロテスクだった。
「……ただの勘だけど、海より山のほうが発見されにくいと思う。海は潮の流れで岸に流れ着くかもしれない」
「そっか。じゃあ山のどこかに埋めよう」
「簡単に言うけどな、誰かに見られたら終わりなんだぞ」
「大丈夫だよ。この辺りの山はほとんど人が入っていないみたいだから」
 蓮丸はスマートフォンの検索画面を見ながら気楽に言った。そういう意味ではないのだが、瑞島は黙ってエンジンをかけた。これまで死体を棄てる目的で山に行ったことはもちろんない。とにかく早く荷物を下ろして帰りたいと思い、近場の山に向かって車を発進させた。
 しばらく会話が途切れ、瑞島は信号待ちの間に助手席の様子を窺った。蓮丸は興味深そうに窓の外の景色を目で追っている。街中でたまに見る、車の窓から外を覗いている大型犬を彷彿とさせた。
「あ、俺がよく連れていかれた動物病院だ。暴れて怪我するからって洗濯ネットに入れられて、待合室で他の猫にじろじろ見られて恥ずかしかったよ」
 ただの回想かと思って瑞島が黙っていると、蓮丸がこちらを振り返った。
「聞いてる?」
「僕に話していたのか?」
「他にこんな話できる人がいないんだから聞いてよ。あるじとはたくさん思い出があるから別れるのが寂しいな。あのね、ゆめちゃん、これはお願いってわけじゃないんだけど」
 蓮丸にしては珍しく、言いにくそうに途中で言葉を切った。瑞島は車を走らせながら続く言葉を待った。
「……憶えてたらでいいから、もし俺が猫の姿に戻ったり、寿命が尽きて死んだりしたら、どうにか方法を見つけてあるじを供養してほしい。今は俺がこんな姿だからきちんと葬ってあげられないけど、そうでなくなったら野村正樹が正式に死んだことを公にできる。こんなことを頼めるのはゆめちゃんだけだ」
 蓮丸は頭を垂れて自分の手を見つめていた。普段から何を考えているのかわからないと思っていたが、瑞島は初めて蓮丸の本心に触れた気がした。やっていることが突発的すぎて人心がないように見えてしまうのだろう。
「巻き込んでごめんね。迷惑だったよね」
「別に……。これは僕が決めたことだ。お金が必要だなんて言ったから」
 風俗などに手を出さず真っ当に生きていれば巻き込まれなかったはずだ。瑞島はハンドルを切って大通りから脇道に入った。このまま道なりに進んでいけば左手に山が見えてくる。すでに夕陽は西に沈みかけ、同じ方向に走る車もすれ違う車もほとんどなかった。
 片側一車線の狭い車道を走るうち、自販機と電話ボックスが並ぶ心霊スポットさながらの場所に出た。等間隔に並ぶ街灯の光が届かない暗闇を選んで停車する。肝試しには早い時間だからか、念のため辺りを確認したが人の気配はなかった。
 蓮丸が先に車を降り、後部座席を開けてスーツケースとシャベル、それから懐中電灯を取り出した。瑞島も車を降りて荷物を分けて持ち、いよいよだと胃が奇妙に震えるのを感じた。これが終わったら自分はれっきとした犯罪者の仲間入りだ。
「夜目が利くから俺が先を歩くよ。転ばないようについてきてね」
 そう言って蓮丸はアスファルトの道を外れて山道に踏み入った。山道といってもちゃんとした道があるわけではなく、いわゆる土の地面をどんどん奥に分け入っていくだけだ。歩くにつれて地面の傾斜が急になり、石や木の根で躓くことが増えた。
 周囲に人工的な光は一切なく、辺り一帯が静かである。瑞島はスマートフォンのバックライトで足元を照らしながらどんどん不安になっていった。自分たちはどこに向かっているのだろう。ちゃんと車を停めた場所まで帰り着けるだろうか。
 前を歩く蓮丸は人ひとり入ったスーツケースを引いているためか、はぁはぁと息を切らしている。シャベルを担いだ瑞島は足を速めて蓮丸に追いついた。
「この辺でいいんじゃないか。ここから町の光が見えないということは、向こうからも僕たちは見えていないはずだ」
「そうだね。かなり登ってきたからもう大丈夫だと思う」
 蓮丸は地面の傾斜によろめきながら立ち止まり、木に背を預けた。その間に瑞島は小ぶりのシャベルを地面に突き刺して土を掘っていった。自分も疲れていたが、それより早く終わらせたいという衝動が勝っていた。
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