第1話 はじめに

文字数 711文字

過保護と過干渉は逆だとされる。
過保護とは、いわゆる甘やかしであり、対象の尊厳に過大な配慮をもちいた結果のことであり、過干渉とは、いわゆる押し付けであり、対象の尊厳を認めないもの、という定義である。
しかしながら、過干渉には言葉のうえで成立する不干渉という対義語が成立するかのようで、不干渉の対義語は干渉である。(また保護の対義語は駆除であると思う。)
実は過保護も過干渉も、適切な対義語は放任または放置であると思う。
だから、過保護と過干渉を隔てるのはその動機に基づくのではなく、現象として表出した行為を形容する表現にすぎないのではないか?と考える。
すなわち、過保護に尊厳への配慮など存在せず、甘やかしとは押し付けられるものである。
どんなに対象が主体的に甘やかされたがっているように見えたとしても、そこへの関わり方を決めるのは対象ではなく、作用を与える側なんだから。

そして、過保護も過干渉も、たちのわるい放任、または放置とは言えないだろうか?
そこに対象の人格なり尊厳への評価が少しでも存在するなら、ここで同義と仮定する過保護も過干渉も放任も放置も表出しないと考える。

保護も干渉も必要である。
ならば、それが過ぎてしまうのは何故なのか?

そこには競争社会の禍根がある様に感じてならない。
愛情を持つべき対象にまで対立関係を当てはめて、優位性を保ちたがる。
本来優位であるから、保護や干渉をもちいる筈なのに。
著しく優位性への自覚的評価の欠落した仮想力学に基づいた歪んだ関係性論が社会に蔓延しているのではないか?

いつしか、世界がテレビCMとすり替わってはいないか?

本稿では、多岐の分野にわたる事例を並べるなか、そんな疑義を呈してみたいと思う。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み