第4話
文字数 10,025文字
ポイズン
村上宗太の証言
樹木にとって最も大事なのは何かと問うたら、それは果実だと誰もが答えるだろう。
しかし実際には種なのだ。
ニーチェ
第四象【村上 宗太の証言】
―一〇月四日
村上宗太は、岡嶋の会社の社員である。
以前から、岡嶋のことは不審に思っていたが、確証がなかった。
コソコソ調べることも出来ず、村上はただ自分の胸に抱いている不信感だけを、仕事にぶつけることしか出来なかった。
そんな村上だが、先月、思わぬ再会を果たしていた。
中学、高校と同級生だった、橋本希にばったり出会ったのだ。
希は、学生のころよりも綺麗になっていたが、一方でヤツレているようにも見えた。
心配して何かあったのかと聞いてみたが、首を横に振っていた。
今から家に帰ってお昼を食べるのだというので、村上は希をカフェに誘った。
いやらしい気持ちなど全くなく、ただ純粋に、久しぶりに会って嬉しかったのだ。
そして、また今日も、希を見かけることになった。
「橋も・・・」
手をあげて声をかけてみるが、希は聞こえていないのか、それとも夜だから村上のことが見えていないのか、反応はなかった。
それよりも、希は上下真っ黒い服を着ていて、フードまで被っていた。
「?」
どうしたのだろうと、村上は希の後を着いていくことにした。
単なるストーカーのようにも見えるかもしれないが、なんとなく、直観的に何かあると思ったのだ。
気付いたのは、希の前には四人の若者が歩いていることだ。
最初は気のせいかとも思ったが、どうやら、希はその四人を尾行しているようだ。
何の為にかなんて分からないが、ただならぬ空気に、村上も無意識に気配を消す。
「(それにしても、何処まで行くんだ?)」
もうかれこれ三十分以上は歩いている。
村上は、自分の家からどんどん遠ざかるだけで、もう諦めようとした。
だがその時、若者たちは三人と一人に分かれた。
きっとこの時間だから、家に帰るのだろうが、一人だけ方向が違うようだ。
すると希は、一人だけ違う方向に行った人物の後を追い始めた。
それを見て、村上はまた後をつけるのを再開した。
若者は街頭がほとんどない道を通り、コンビニの前を通り過ぎていく。
周りに誰もいなくなったとき、希はポケットから何かを取りだし、目の前の若者に向かって走りだした。
「!!!」
村上は、希の身体ごと自分の方に引き寄せると、若者に見つからないように、曲がり角を曲がった。
希は身体を必死に動かして抵抗していたので、村上は希がまた走りださないように、希の腕をしっかりと掴み、自分の方を向かせた。
「!あ・・・村上、くん」
「橋本、お前何して・・・」
先程まで確認が出来なかったが、希の手には包丁が握られていた。
僅かな灯りにさえも、キラリと光ったその刃物に、村上は一瞬怯みそうになる。
「橋本、どういうことだ?事情を話してくれ。さっきの男は誰だ?」
「村上くんに話したって」
「解決はしないかもしれないけど、力にはなれるかもしれないだろ」
希の手から包丁を受け取ると、村上は鞄からハンカチを取り出して包丁を包み、鞄にしまった。
希を家まで送って行って、その時に返すつもりのようだ。
来た道を戻っていき、駅前にあるカフェに入ると、一番奥の席に座らせてもらった。
コーヒーとカフェオレを頼むと、コートを脱いで脇に置いた。
「まさか、殺そうとしてたのか?」
店員に聞かれないよう、小さな声で希に話かける。
口を噤んだまま、何も喋らない希。
少しして店員が飲み物をテーブルに置いていくと、村上はひとまずコーヒーを飲む。
カフェオレを見つめたままだった希も、カップを手にして一口口に含んだ。
するとなんとなく落ち着いたのか、希はぽつりぽつりと話だした。
「あの男は、岡嶋直紀。私の娘を襲おうとしているの」
「岡嶋・・・!?あれ、岡嶋直紀っていうのか!?」
「?知ってるの?」
「ああ、多分、俺の会社の社長の息子が、そんな名前だったと思うんだよな。それで?襲われるって?」
以前に、岡嶋の息子の話で盛り上がったことがあった。
その時、直紀、と言っていたような気がしたのだ。
「夢の同級生だったっていう男の子が、教えてくれたの。あの男は警察沙汰の問題を起こしていても、父親の力で捕まらずに済んでるって。それで、夢もきっと襲われるだろうって。昔、一回襲われそうになったこともあったって。その時は、未遂だったらしいんだけど」
「そんなことが・・・。実は俺も、ちょっと岡嶋社長のことは変だなって思ってて」
夢の話が本当だとしたら、とんでもないことだ。
自分の子供を守る為とはいえ、許されるはずがない行為だ。
「やっぱり、あいつが夢のこと!!!」
「橋本、落ち着いて!」
また怒りが戻ってきたのか、希はその場に勢いよく立ち上がった。
村上は今すぐにでもまた直紀のところに行きそうな希の服を掴み、落ち着かせながらその場に座らせる。
「まだ証拠はなにもないんだ。橋本、先走るな。捕まるのはお前だぞ」
「だからって・・・!夢がいなくなったら、私・・・!!」
「気持ちは分かるけど、下手に手を出したって、何も解決しないよ」
「じゃあ、どうしろっていうのよ!」
「とにかく、今日みたいなことは絶対ダメだ。きっと俺が証拠を掴んで、警察に・・・いや、警察がダメなら、マスコミにでも行ってバラしてやる!」
「でも、そんなことしたら村上くんだって」
「いいんだよ、俺は。またどっか別の会社にでも入るか、しばらくのんびりするのも悪くないだろ」
それから村上と希は、希の家まで歩いていく。
家まで着くと、村上は自分の鞄に入れていた包丁を取り出し、希に渡した。
希が家の鍵をかけたことを確認すると、村上は自分の家へと帰って行った。
―九月二十二日
「あら、こんにちはー高橋さん」
「青木さんこんにちは。あら、メルちゃん可愛いわねー。尻尾振ってるわ」
「なんだか最近、また不審者が出たらしいわね」
「怖いわよねー」
「女の人なんか、レイプされることもあるらしいわよ!」
「やだ!本当!?」
「この前も、ほら、あの家族みんなお医者さんで有名な・・」
「田波さん?」
「そうそう!田波さんの娘さんが、襲われたらしいわよ!夜中に服ボロボロで、泣きながら帰ってくるの、見た人がいるんですって!」
「可哀そうねぇ。早く捕まらないかしら?」
「本当にね。どうして捕まらないのかした。顔見た人がいてもおかしくないのに」
井戸端会議というやつなのか、とある家の前に数人のおばさま方が集まり、何か話をしていた。
割烹着姿のままの人もいれば、犬を連れて優雅に散歩をしている人もいる。
可哀そうね、なんて言いながらも、自分の子が犠牲にならなくて良かったわ、と思っているのだろう。
本当に同情なんかしていないような顔だ。
頬に手を当てながら、呑気に話をしているおばさま方に、話かけた勇者がいた。
「すみません」
「あら?どなた?」
そこに立っていたのは、見たことがないような眉目秀麗の持ち主だった。
にっこりとほほ笑んだその表情に、マダムたちは心奪われた。
近くを通りかかっただけのマダムも、ゴミ出しに来たマダムも、子供を幼稚園に送って行った帰りだったマダムも、みんないつの間にか男の周りに寄ってきた。
「私、冴紫音と申します。医者をやっております」
「冴、紫音さん?素敵な名前ね」
「お医者さま!?すごい!」
「冴先生?紫音先生の方がいいかしら?ふふふふ!」
なんだか盛り上がってきたが、冴はニコニコ笑ったまま。
「それより、冴先生は、どうしてこんなところに?」
「ええ、ちょっと聞きたい事がありまして」
「聞きたい事?」
「なんでも聞いて頂戴!」
もー、奥さんたらー、と、いつになったらまともに話が出来るのかと、心の声は置いておいて。
冴はマダムキラーの笑みを浮かべたまま、口を開く。
「この辺りに住んでいる、橋本希さん、ご存知ですか?」
「橋本さん?ええ、知ってますよ」
「橋本さんが、どうかしたんですか?」
「内密にしていただきたいのですが、橋本希さん、実は私のところに精神疾患で通っておりまして」
「精神疾患!?」
ザワザワとマダムたちが騒ぎだすと、冴はしー、と人差し指を口元に当てる。
その仕草さえも艶っぽくて、マダムたちはすぐに静かになる。
「日頃の橋本さんについて、知っていることがあれば教えていただきたいと思ったのですが」
「そんなこと言っても、ねえ?」
「そこまで付き合いもないし」
「娘さんがいるっていうことくらいしか」
隣同士で顔を合わせ、希については引っ越してきたときから夫の姿はなく、娘は学校に通い、希も仕事に行っていることくらいしか分からないという。
家庭の事情も、希が何処で働いているのかも、そういう情報も一切ないという。
「あの、冴先生?」
「なんです?」
「精神疾患っていうのは、なにか、犯罪を犯してしまうかもしれない、ってことですか?」
恐る恐る聞いてきたマダムの一人に、冴は口元を緩ませる。
「いえ、そういうことではありませんよ。ただ、不安定なところがありますので、ご近所のみなさまで助けてあげていただきたいんです」
「そうは言ってもねえ」
「あんまり近所付き合いしない人だから」
「お願いします」
冴が頭を下げれば、険しい顔をしていたマダムたちまでもが、一気に顔を明るくする。
「勿論よ!ねえ!私たちで、見守ってあげましょ!」
「そうね!きっとシングルマザーで色々大変だろうし」
「助かります。ですが、本人に精神疾患であることを言ってしまうと、情緒不安定になってしまうかもしれないので、決してそのことは口にしないように」
「わかりました」
マダムたちに見送られながら、冴は颯爽と立ち去っていった。
冴が行ってしまった後も、マダムたちは冴の後ろ姿だけをおかずに、頬を赤らめながらおしゃべりを続けるのだった。
そんな冴は、鞄から携帯を取り出すと、画面をいじりだした。
―一〇月一三日
昨日、希が殺されたことを知った。
どこからどう来たのかは分からないが、村上のもとにも警察が来て、話を聞かせてくれと言ってきた。
村上は会社に遅れると連絡を入れると、警察署に行って事情聴取を受ける。
その時、隣の部屋に、中学生くらいの女の子が連れて行かれるのを見て、それが希の娘なのだと、分かった。
向こうも村上のことを見ていたが、知らない人だからか、特に会釈もせずに部屋に向かった。
「村上宗太さん」
「はい」
「あなた、橋本希さんを知っていますね?」
「ええ、同級生だったんです」
「ほう、同級生」
がたいの良い警察官に囲まれ、多少の威圧感はあったものの、頭は冷静なものだった。
「最近、橋本さんには会いましたか?」
「最近、ですか・・・。今月の頭くらいに、一度会いました」
「何処でです?」
「仕事帰りに駅を通ったら、そこで会いました。声をかけて、一緒にカフェにも入りました」
希が包丁を持って、直紀を襲いに行っていたことは、言えない。
世間体だとかそういうことではなく、そんなことを聞いたら、きっと娘が悲しむだろうと思ったからだ。
「橋本さんとは、どういう仲で?」
「どういうって・・・。ただの友達ですよ。それ以上の感情も関係もありません」
「本当ですか?」
「本当です」
これが仕事なのだろうが、警察というのは本当に嫌なものだ。
こんなにあからさまに疑われているとなると、どう言えば信じてもらえるのか分からない。
「一昨日の八時前後は、どこで何をしていましたか?」
それは、犯人でないというのなら、その証拠を見せろ、と言われているようなものだった。
「一昨日ですか。多分、その時間なら家に帰る途中だったと思いますけど」
「それを証明してくれる人はいますか?」
「いえ。何人か同じ駅で下りましたけど、私のことを覚えているかは分かりませんし」
防犯カメラでもなんでも調べてください、と言うと、村上の事情聴取をしていた男は、なにやらコソコソと別の男に言っていた。
きっと防犯カメラを借りてこいとでも言ったのだろう。
「あの、そろそろよろしいですか?仕事に向かわないと、会社に迷惑かけますので」
「ええ、今日のところは、構いませんよ」
嫌な言い方をする奴だ。
もう村上が犯人だと言っているようなものだったが、村上は聞き流し、会社へと向かった。
会社に出勤すると、何かあったのかと聞かれたため、近くで起こった事件に関して、少し話を聞かれただけだと説明した。
関わっているのかと聞かれ、多少イラッともいたが、関わっていません、ときっぱりと答えた。
信じてもらえたかは分からないが、まあ気にしないようにしよう。
「すみません、こういうものですが」
「あら、警察の方?」
「ちょっとお話聞かせてもらってもいいですか?」
数人の警察官は、希が住んでいた団地周辺の聞き込みをしていた。
丁度犬の散歩をしていたマダムを見つけ、声をかけてみる。
「橋本希さん、ご存知ですか?」
「ええ、知ってますよ。あんまり話はしたことありませんけど」
それからも、何人かの近所の人に声をかけ、希について聞いてはみたものの、希の詳しいことを知っている人物はいなかった。
何人目かの話を聞いているとき、そのマダムが口を滑らせた。
「橋本さんって、あの精神疾患だった人でしょ?」
「え?どういうことですか?」
「あ、これ言っちゃいけなかった」
手で口を押さえてはいるが、もう遅い。
そのマダムに狙いをつけて、警察官は次々に話を聞き出そうとする。
「あなたから聞いたとは絶対に言いませんから!」
「そうねー」
迷ったふりをしながらも、きっと内心は喋りたくてしょうがないのだろう。
マダムは、手で口元を隠すようにしながらも、こっそりと話だした。
「実はね、この前、橋本さんが通っているっている精神科医の先生が来たのよ」
「どこの病院か分かりますか?」
「そこまではちょっとね。あ、でも、すごくイケメンだったのよ!ふふ!私があと二〇若ければねぇ」
「それで?」
「確か、冴先生って言ったかしら」
「冴?」
「ええ、冴・・・し、し、紫音?だったかしら?」
「珍しい名前ですね」
「私もそう思ったけど、最近はほら、なんとかネームとか言って、読めない名前が多いじゃない?そういう感じなのかと思って」
きっとキラキラネームのことを言いたいのだろうが、一々突っ込んでいては話が進まない。
「で、その冴先生がね、橋本さんは精神が不安定だから、近所の人でフォローしてあげてください、って。頭まで下げられちゃって。すごく良い先生なのね。それに格好良かったし!」
またその話かと思っていたが、それ以上の情報は得られず、マダムに御礼を言って、また別の人を探した。
だが、特に大きな情報は得られず、警察官も頭を抱えてしまった。
その冴という医者がいる病院だけでも分かれば、もっと詳しいことが聞けるのかもしれないが、それさえも分からないのだ。
周辺の病院を片っ端から調べるしかないようだが、そうなると二〇以上もある。
それに、希が近くの病院に通っていたという物証もないため、出来る限り範囲を広げるとすると、もっとあるだろう。
希の所持品には病院の受付カードらしきものはなく、病院に通っていたかも確かではないのだ。
だが、希がカードを捨ててしまったとか、犯人が持ち去っていった可能性もあるため、とにかく調べるしかない。
「参ったな」
「とにかく、本部に報告しましょう」
「そうだな」
―九月二日
「おい、聞いたか?」
「また社長の息子がおイタしたって話だろ?耳にタコだぜ」
「ったくよ。自分の息子もまともに教育出来ないくせに、社長なんてよく出来るもんだよな」
「ほんとだよ。馬鹿馬鹿しい」
きっと一つか二つ上の先輩の会話だ。
二日酔いのせいか、気持ち悪くなってトイレの個室に籠っていた村上は、ドアノブを回せずにいた。
さっさと済ませて出て行ってほしいのだが、いや、出ていっても支障はないのだが、出るタイミングを失ってしまった。
「息子に小遣いやるくらいなら、俺達にもっとボーナス出せってんだよ」
「それな」
「まじで税金超引かれるし、生活するのに精一杯だっつの」
「煙草も本数減らせって言われたしなー」
「お前んとこは奥さんが実権握ってるからな」
「俺の癒しは、受付のみのりちゃんだけ」
ハハハ、と笑いながら、ようやく二人はトイレから出て行った。
ふう、と個室から脱出出来た村上は、手を洗って先程の会話を思い出していた。
確かに、岡嶋はワンマンな社長だ。
なら、どうしてこんな会社に就職したのだと聞かれると、きっと説明会に来ていた人事の人が、とても良い人だったからだろう。
だが、噂によると、その人はもう退職してしまったらしく、別の会社で働いているようだ。
正直、村上自身も、よくこんなに長くここで働いているな、と思うほどだ。
それに、岡嶋は何か裏で悪いことをしているという噂まであるのだ。
しかし、今日まで会社に影響がないということは、あれはデマなのだろか。
そんな不信感を抱きながらも、村上は仕事をするしかないのだ。
「あーあ」
疲れて帰っている途中、村上はふと、何処かで見たことのあるような顔を見つけた。
「誰だっけ」
その人物は綺麗な顔をしているのに、とても疲れているような顔をしていて、両手には重そうな荷物を抱えている。
あんなに険しい顔をしてしまって、もったいないと思っていると、村上は思い出した。
「あ」
だだだ、と小走りで走ってその人物に近づいていくと、声をかけた。
「橋本!橋本だろ?」
「?」
「俺だよ!村上宗太!覚えてないか」
特別仲が良かったわけでもなかったため、村上は困ったように笑った。
すると、相手も思い出したのか、小さく笑ってくれた。
「村上くん?久しぶり」
「元気だった?あ、荷物持つよ」
「うん、まあ、元気かな。あ、ごめんね。ありがと」
重たそうな荷物を持ってみると、やはり重くて、よくこんなものを持っていられるな、と感心した。
橋本希は、クラスでもマドンナ的存在だった。
美人で可愛くて、頭も良くて気も利いて、みんなに好かれる性格だった。
今だから言えることだが、村上だって、希に惚れていた一人だった。
けれど、そんな気持ちなど伝えられるはずもなく、高校卒業後は、希が何処に行ったのかも分からないままだった。
同窓会に一度行ってみたとき、希が結婚をしたという噂だけが聞こえてきた。
それが本当かなんて分からなかったが、村上はちょっと寂しい気持ちと、幸せなら良いという気持ちとあった。
「ショックー、俺希ちゃんのこと好きだったのになー」
「俺も俺も」
だが、諦めがつくとも思った。
希を家まで送って行く途中、休みがてらにカフェでも寄らないかと言うと、娘が待ってるからと断られた。
ああ、もう子供までいるのかと、村上は悲しげに微笑んだ。
「娘さん、名前は?」
「夢っていうの」
「夢ちゃんか。きっと橋本に似て、美人さんなんだろうね」
「止めてよ。私だって、もう若くないんだから」
「旦那さんは?優しい人?」
「・・・・・・うん」
間の合った返事に、村上は首を傾げる。
「離婚したの」
「え!?なんで?」
「なんていうか、見切りをつけたの。あるでしょ?そういうこと」
「まあ、あるけど」
それからしばらく、沈黙が続いた。
あれほど明るくて活発だった希は、しおらしく大人しくなってしまっていて。
まあ、歳相応なのかもしれないが、それでも、ちょっとだけ昔のような希になってくれるかもと期待してしまっていた。
「えっと、夢ちゃん、はさ」
「うん」
「何歳なの?仲良い?」
「今一五。難しいわよ。最近なんて、全然話してくれないし。学校で何があって、何が楽しくて何が嫌なのか。そういうことも全然言ってくれないの。顔合わせればすぐに二階にあがって、自分の部屋にこもっちゃうし」
「そうなんだ。まあ、いずれは分かるよ。橋本がどれだけ夢ちゃんのために頑張ってきたか」
「違うの。あの子、私のことが嫌いなの」
「え?」
希が言うには、夢はどうやら父親っ子だったらしい。
父親のことが大好きで、休みの日にはいつも二人で出掛けたり遊んだりしていたとか。
躾に厳しくしていたからか、夢は希のことを怖いといってあまり近寄らず、しまいには希のことが嫌いだと言っていたようだ。
「こら夢、そんなこと言っちゃダメだろ?」
「でも夢、パパが好きだもん!」
「ママだって、夢のことが大事で大好きだから、怒ってるんだぞ?」
「嫌だ!ママ怖い!」
鬼だ!なんて言うものだから、希は夢のことを叱咤する日もあった。
だがある日、父親の工場で働いていた作業員が、大手の向上に部品を持ち出し、金まで持って逃げて行ってしまったため、そこの工場でしか作れないと言われていた部品が、大手の工場で作られ始まってしまったのだ。
工場の売上は急降下し、見事に倒産。
倒産するまえに父親とは離婚をし、倒産寸前であることを理由に、親権は母親の希のものになったのだ。
「今でも父親のことが好きなのよ。だから、そんな父親を捨てた私が許せないでいるの」
「そんなことが」
なんと言ったらよいのか、村上はうーんと悩んでしまった。
だが、希はそんな村上を見て、ハッと我に返ったのか、微笑んできた。
「ごめんね、こんな話して。村上くんに言ったって、困っちゃうよね」
「そんなこと。愚痴なら幾らでも聞くよ」
「ありがとう」
いつの間にか希の家に着いていたようで、荷物を渡せば、希はもう一度だけ、村上の方を見てきた。
玄関には灯りがついていて、二階にも電気がついているから、きっと夢は帰ってきているのだろう。
二階を見ていたからか、希も二階を見ると、ああ、と言った。
「なんかね、毎日パソコン開いて、何かやってるの。悪いことじゃなければいいんだけど」
「大丈夫だよ。橋本の娘さんなら」
そう言うと、希はまたニッコリと笑った。
そして家の中に入って行き、がちゃ、と鍵が閉まった音がすると、村上はくるっと身体を反転させて家に帰る。
希と夢が、きっといつか互いに理解し合って、仲良くなれるようにと願いながら。
―一〇月二二日
「警部!大変です!」
「なんだ、どうした」
「それが、岡嶋直紀について、新たな情報が入ってきました!」
「なんだと!?」
岡嶋直紀の関係者という人物から連絡が入り、直紀の問題行動が見え始めた。
「よくつるんでいた仲間もいたようで、その男たちも今事情聴取を受けています」
「そうか」
岡嶋直紀は、岡嶋哲也の息子だ。
岡嶋哲也はとある大手企業の社長で、家も豪華な仕様となっている。
息子の直紀は、地元の仲間とつるみ、悪さをしていたようだ。
だが、今まで公になったことはない。
それは、岡嶋哲也が、金で保釈していたり、相手を金で黙らせたり、顧問弁護士も巻き込んでの隠ぺいをしていたからのようだ。
「なんてこった。俺達でさえ知らなかったことだ」
「警察内部でも、何人か岡嶋に買収されていたのがいるんでしょうか」
「だろうな。岡嶋直紀について、もっとよく調べるぞ」
「はい!」
ピンポーン・・・
村上は、希の家に来ていた。
二度目のチャイムも鳴らすが、なかなか拾人は出てこない。
諦めて帰ろうとしたとき、玄関が静かに開いた。
「あ、こ、こんにちは」
「・・・・・・」
「えっと、橋本夢ちゃん、だよね?はじめまして。俺は君のお母さんの昔の同級生だって、村上っていうんだ」
「・・・こんにちは」
玄関から姿を見せた夢は、若い頃の希に似ていて、やはり美人だった。
だが、長い髪の毛を縛ることもないため、綺麗な顔が隠れてしまっている。
「お母さんのこと、俺も事情聴取されたんだ。参っちゃうよね」
眉をハの字にして笑うが、夢はうんともすんとも言わない。
「夢ちゃん、何か困ったこととか悩んでることがあったら、俺に言って。これ、名刺」
そう言って、鞄から取りだした名刺を一枚、夢に見せれば、夢は黙って受け取った。
それ以上は何も言えず、村上は夢の肩をぽん、と叩いて、そのまま去って行った。
下手に励ましたところで、夢はきっと喜びはしないと思ったからだ。
それに、父親も母親もいなくなってしまって、助けたいと思っても、助けることは難しい現実。
村上は立ち止まり、ゆっくりと振り返ってみると、夢はもう玄関にいなかった。
《続いてのニュースです》