第13話「猟師マリー」

文字数 3,453文字

 青い夜。
 二つの角を頭に生やした黒い大きな魔物が、満月を背負って現れた。
 大きな山羊のような魔物だった。
 魔物は、崖の上から町へと降りて来た。
 荒廃した町で、人々はただ逃げるしかなかった。
 奇跡が起こることを祈るしかなかった。
 魔物は、自慢の角を振りかざして、人々に襲い掛かった。
 体当たりされ、角に捕らえられ振り回されて、人々は次々と虫けらのように潰されていった。
 魔物は暴れるだけ暴れて、どこへともなく帰って行った。
 その姿を、怯えながら見ている子供がいた。
 子供は、殺された両親と弟の亡骸にすがりつき、泣いた。
 自分の無力さに、泣いた。
 生き残った誰もが、泣いていた。
 子供は、強くなりたいと思った。

 それから十年が過ぎた。
 白昼から魔物が人々を襲っていた。
 赤い目をした狼のような魔物。
 牙を剥き出して、今にも人に喰らい付こうと口を大きく開けた。
 その瞬間。
 魔物の体が、真っ二つに切り裂かれた。
 魔物に襲われていた人の体に、血飛沫が降りかかった。
 息絶えて、倒れた魔物。その背後に、猟師が立っていた。
 大きな黒い帽子を被り、くすんだ緑色のマントを着ていて、手には銀色の長剣を握り締めている。
 背が高く、すらりとした体。
 帽子から出ている茶色の髪の毛は、後ろで一つに束ねられて、背中まで届くほど長い。
「猟師だ!」
 人々は歓声を上げた。
「ありがたい!」
 しかし、その猟師は、何も言わずに立ち去ろうとした。
「待って下さい!まだお礼もしてないのに。」
 一人の女が呼び止めた。
「お礼なんて、いりません。」
 意外なほど、澄んだ声がした。
「では、これで…。」
 猟師は静かに立ち去っていった。

「はあ…。」
 町を離れると、猟師は、腹を押さえて座り込んだ。
「さすがに、お腹がすいた…。もう動けない…。」
 猟師は、町の方を振り返った。
「やっぱり、お礼に何か食べさせてもらえばよかったかな…。」
 猟師は、懐から袋を取り出して、手の上に中身を出した。
 わずかな金しかなかった。
「これじゃ、宿にも泊まれない…。」
 泣きそうな声で、猟師はその場にうずくまっていた。
「あの…さっきの猟師さん…?」
 そこへ、一人の男が声を掛けてきた。
「は、はい?」
 突然声を掛けられ、慌てて猟師は立ち上がった。
「珍しいですね。お礼もいらないなんて。そんなことを言った猟師さんを見たのは、初めてですよ。」
 青年は、にこやかに笑った。
「だからこそ、何とかお礼をしたくて追いかけて来たんです。…失礼ですけど、何か困ってるようでしたが、宿なら、うちにでも泊めて差し上げますよ。町を救ってもらって、お礼をするのは当然のことですから。」
「で、でも…。」
 猟師は戸惑っていた。
「皆大歓迎ですよ。申し遅れましたが、僕はジェイクといいます。あなたのお名前は…?」
「私…私は…マリー。」
「…え?」
 青年は、目を丸くした。
 猟師は、帽子を取った。その下から現れた顔は、若い女の顔だった。
 帽子のせいで顔がほとんど隠れており、背も高く服装も男の格好だったために、青年は猟師を男だと思っていた。
「女性…だったのですか…。」
 驚きのこもった声で、青年は言った。
 女性で猟師というのは、かなり珍しい。魔物と戦うには、それなりの力や技、身体能力が必要となる。猟師は男、というのは当たり前のことだった。
「ええ…。やっぱり皆、私が女だって分かると驚くのね。」
「さっきの戦いぶり、とても女性とは思えない強さでしたからね。僕なんかよりもずっと強いんだなあ…。」
 青年は、感心したように言った。
「あの、それじゃあ宿屋に案内します。さすがに女性を僕のうちに泊めるわけにはいかないですもんね。」
「私こそ、すみません。変に気を遣わせて…。でも、他の人たちには、女だってことは言わないで。私、これでも男として生きているつもりなの。女だからって、甘く見られたくないから。」
 マリーは微笑んだ。優しげな表情で、人の心を和ませるような笑顔だった。その笑顔に、青年はしばらくぼーっと見とれていた。
「…どうしたの?」
「あ…いや…その。で、では行きましょうか。」
 マリーは帽子を深く被り、青年に連れられて、町へと戻っていった。
 青年に案内されて入った宿で、マリーは宿の一番広い部屋に通された。
「どうぞ、ごゆっくり。もちろん、お代は結構ですから。」
 宿の主人はにこにこして、マリーに深く頭を下げて立ち去った。
「ふう…。」
 マリーは、用意された食事を全て残さず食べると、満足した表情になった。
 しばらくして、部屋の扉が軽く叩かれ、扉を開けると、そこに先程の青年が立っていた。
「…ジェイクさん。」
 ジェイクを部屋に入れると、マリーはお礼を言った。
「ありがとう。あなたのおかげで助かったわ。あのままだったら、私は野垂れ死にしてたかも。」
「何を言うんです。お礼を言うのは僕たちの方ですよ。あなたがここに現れなければ、魔物に何人の人が犠牲になったか分かりません。マリーさんは、命の恩人なんです。」
「そんな、大げさよ。」
「…気になってたんですが、どうして、女性でありながら、危険な猟師という仕事をしているんですか?」
「私、両親と弟を失ったの。魔物に殺されて。そのとき、誓ったの。強くなって、魔物を退治してやろうって。敵討ちをしようって。私のような悲しい思いをする人たちを増やしたくないの。」
 マリーはそう言って、優しく微笑んだ。
「…そうだったんですか…。」
 ジェイクは、しばらく無言になり、何事かを考えているようだった。
「僕も、実は親を殺されているんです。魔物に。でも、魔物が恐ろしくて、とてもそんなことは考えられなかった。女性であろうと、男性であろうと、関係ないんですね。勇気があるかないか、その違いだけで。僕には、勇気がなかった。どんなに悔しくても、魔物には絶対に勝てないと思ってた…。何にも出来やしないと、最初から決めつけて…。」
「私だって、最初は魔物が怖くてたまらなかったわ。今でもそう。だからこそ、それを失くしたい。怖がって怯えて待っているより、自分から、その怖さに向かって行くの。そうすると、不思議と怖くなくなっていったわ。」
「…マリーさんは、この先もずっと、猟師を続けていくの?」
「そうね…。多分一生、魔物が世界からいなくなるまで、猟師であり続けると思うわ。」
「普通の生活をしたいとか、思わないの?」
「普通?私にとっては、猟師であることが普通だと思ってるわ。これが私の使命だと、そう思って生きてるわ。」
 マリーは、人を和ませるような微笑みを浮かべて、言った。

 翌朝。
 空は爽やかな青。暖かい日差しが降り注いでいた。
「ありがとうございました。」
 マリーは、見送る人々に向かって、頭を下げた。
「何言ってるんですか。あなたのような猟師は、本当に見たことがない。」
「こちらこそ、お礼をもっとすべきなのに、あれだけでいいなんて…。」
 お礼として、マリーは当面の食料だけをもらって満足していた。お金などは、一切もらわなかった。
「どうか、もらって下さい。猟師という仕事は、すごくお金がいるという話でしたし。」
 金の入った袋を、無理矢理押し付けてくる人もいたが、マリーは断った。
「お気持ちは大変ありがたいのですが、魔物を殺してお金を得る、というのは、どうも釈然としないもので…。」
「なんて欲のないというか何と言うか…。あなたは、まるで聖者のようだ。」
「…それでは、失礼しました。」
 マリーは軽く会釈して、町を後にした。

「マリーさん!」
 町の外で、ジェイクに呼び止められた。
「あ、ジェイクさん。何か?」
「…これ。」
 ジェイクは、金の入った袋をマリーに強引に渡した。
「ジェイクさん。これは、もらえないわ。」
「猟師には、お金が必要だって知ってるから。マリーさんは、潔癖すぎます。それでは、敵討ちだって、中途半端になってしまうでしょう。魔物を殺してお金を得るのは、何も悪いことじゃない。あなたは、一生、猟師として生きていくって言ってましたよね。お金は、そのために必要なものです。ただ魔物から人々を救うだけで、あなたには何の恩恵も幸せもないなんて、あまりにも理不尽だ。僕は、あなたを尊敬しています。だから、マリーさん。どうかこれを受け取って下さい。」
「…ありがとう。」
 マリーは、お金を受け取った。
「マリーさん、どうか、またここに来て下さい。待ってますから。」
「ええ…。」
 遠ざかって行くマリーの姿を、ジェイクは長い間見守っていた。
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