第10話「失われた記憶」

文字数 3,238文字

 馬車が一つ、狭い街道を走っていた。
 夕日の落ちていく中。
 小さな一頭立ての馬車。
 その中に乗っているのは五人。
 ぎゅうぎゅうだった。
「そんな目で見ないで。」
 ラムは、にっこりと笑って、向かい側に座っているアリスを見た。
 アリスはフィンとテキーラの間に座り、二人にくっついて、じっとラムを見つめている。
 ジンジャーはラムの隣に座り、横目で様子を窺っていた。
「そう睨むなっての。」
 テキーラも鋭い目でラムを睨み付けている。
「よくもついて来れたもんだ。相当図々しい奴だな…。」
 フィンが呆れたように言った。その首には、包帯が巻かれていた。ラムに噛まれた所だ。
「だって、気になるでしょ?この男は僕がブランデーって奴に似てるとか言うし。僕も気になるんだよ。一人旅も気楽でいいけど、ちょっと退屈してたとこだったんだ。」
 うさんくさい笑顔を浮かべながら、ラムは言った。
「それにしてもやめて欲しいな。その子供、さっきから僕のことじっと見てさ…。何なの?」
「アリス、あきらめろ…。」
 しかしアリスは、ラムから視線を外そうとしなかった。
「怖い…。」
 そう言いつつも、アリスはラムを見続けている。
「こいつもバンパイアなのか。哀れなガキだね。」
「黙れ。」
 ジンジャーが低く言った。
「アリスをバカにするな。」
「別にバカにしたわけじゃないけど。僕はガキが苦手でね。人間のガキもマズくてだめだし。ガキの血は腐った味がするんだ。」
「そんなことはないが…。」
「やめてくれ。そういう話は。」
 フィンが、不愉快そうに顔をしかめた。
「…そういえば、ブランデーには、確か子供がいたな…。名前は…フィズ…だったか。」
 ジンジャーが思い出したように言った。
「まさか、またそれと僕に何か関係があるとでも言い出すのかい?残念ながら、僕は何も覚えてないんだけどね。」
「フィズは女の子だった。実際に見たわけじゃないが、ブランデーはよく娘の話を俺にしていたんだ。」
「ジ…ジンジャー。その…ブランデーって人のこと…詳しく聞かせて。」
 アリスが震え声で言った。
「ああ、そういや、あんまり詳しくは話してなかったな。ブランデーとは、収容所で出会ったんだ。収容所ってのは、旧世界のアトランティスにあった隔離施設でな。そこに入れられた者は皆、魔物に変えられたんだ。主にムーの民が捕まって、そこに入れられた。俺もブランデーも、ムーの民だった。しかしブランデーは自らムーを出てきたと言っていた。明るくて常に前向きな奴だったな。あいつには、いつも励まされてたよ…。」
 ジンジャーは、遠くを見るような目で語った。
「ムーの民か。何故、ブランデーはそこから出て来たんだろうね?」
 ラムが興味深そうにして言った。
「ムーの民には、普通の人間にはない特別な力…霊力と呼ばれるものがあったんだ。それに目をつけたアトランティス人が、その力を利用しようとして、俺たちを捕らえて色々な実験をしたんだ。しかしその力は、生まれつき持っているわけではない。ムーの民は皆、その力を修行によって身に付ける。しかしブランデーは、生まれつき強い霊力を持っていたんだ。強い霊力を持つ者は、神官の職について、更に修行をして霊力を高めていく。多分…ブランデーは神官になりたくなかったんだろう。それで逃げてきたんだろうと思う。何故出て来たかってことは俺に話さなかったが。」
「それで、その子供は?フィズ?その子供もムーの民だったのか?」
「いや…ブランデーはムーからアトランティスへやって来て、そこで結婚して何年間か住んでいたと言っていた。だからフィズの母親はアトランティス人だろう。母親の名は、ローズと言ったな。」
「その女はどうなったんだ?」
「ローズもフィズも捕らえられて、家族全員引き離された。ローズは殺された。フィズは…分からない。」
 ジンジャーの顔が曇った。
「ふーん…。」
 それを何の表情もなくラムは聞いていたが、何か考え込んでいるようにも見えた。
「そんな…。」
 突然、アリスが泣き出した。
「どうした?アリス?腹でも痛くなったのか?」
 フィンが言った。
「ひどい…。」
 アリスはしくしくと泣いている。
「何で君が泣くんだ?君には関係ないことだろう。それともまさか、君がフィズだなんて言うんじゃないだろうね。」
「あたしも何も覚えてない…記憶がないから、分からないけど…。たとえ関係なくても、そんなの酷い話だわ!」
 アリスがキッ、とラムを睨んだ。
「…心が痛む…。」
「ははあ…。何だか僕は嫌な予感がしてきた…。この予感は当たるんだ。とても受け入れられないなあ。そんなこと。」
「…どんな予感だ。」
 ジンジャーがうさんくさそうにラムを睨んだ。
「僕より昔話をたくさん知ってる君が何で気付かないのか、その方が不思議だよ。ちょっと考えれば分かると思うんだけど。つまり…、僕は確かにそのブランデーって奴なんだよ…認めたくないけどね。そして、ここで泣いている優しい女の子、アリスがフィズなんだ。だっておかしいじゃないか。よりによって僕とアリスの記憶がないなんて。おそらくアトランティス人に消されたんだ。何か都合の悪いことがあって、そのために僕らの記憶だけが消された。…それでもって、何百年もたってから、記憶を失くした親子が再会した。感動的だね。」
「それが正しければ、アリスの親探しはこれにて終了、ということになるな。」
 フィンがにやりと笑ってラムを見た。それを聞くと、アリスは不安そうな表情になって泣き止んだ。
「い、いやよ…!フィン!そんなはずないわ!こんな人が親だなんて!」
「ほら。嫌がってるじゃないか。もしそれが真実だとしても、お互い、受け入れられないんだ。今更って感じで。」
 ラムは鼻で笑った。
「やれやれ…。」
 フィンはため息をついた。何を言っても、目の前にいる面の皮の厚い男には通用しなさそうだった。
「…俺も認めたくないな。お前がブランデーに似ているのは表面だけだ。内側、心は全く、違う。全然、違う。」
 違う、という所を強調して、ジンジャーは言った。
「それじゃあ、何なんだろうね。僕は。ブランデーって奴の体に僕の魂が植え付けられたのかな。その、霊力ってのを使えば、そんなことも出来るのかな。」
「そう考えた方がまだマシだ。」
「ジンジャー、君のことはだいたい分かったよ。アリスのことも。で、君は?何で何もしゃべらないの?」
 ラムは、テキーラを指差した。
「…ああ、そういや君に襲われて、血を吸われそうになったな。あのときは、凶暴な女だと思ったが。こうして見ると、とても美人だね。」
 ラムはにこにこしながら、テキーラの手を握ろうとした。
「ウアアア!」
 テキーラは、ラムの手を激しく払いのけると、牙を剥き出して鋭く睨み付けた。
「あーあ。どうも僕は君たちに嫌われてるみたいだね。」
「やっと気付いたか。それはそうと、テキーラは言葉を話せないんだ。」
 ジンジャーが言った。
「へえ。無口で野性的な美人ってわけか。その目…ぞくぞくするなあ。吸い込まれそうだ。」
 次の瞬間、テキーラはラムの頬に平手打ちを喰らわせた。
「おい!暴れるな!いくらこいつがムカつくからって。」
 フィンがテキーラを止めた。
「いてて…何か気を悪くすること言ったかなあ…。全く、凶暴な女だね。野性的っていうより、魔獣そのものだね。頭はカラッポかい?」
「ウガアー!」
 テキーラは、ラムに掴みかかろうとして暴れ、狭い馬車は大きく揺れた。
「お、おい!何してんだ!?」
 御者が外から大声を上げた。
「テキーラ!暴れるな!それからお前!ラム!もう一言もしゃべるな。お前の言葉は、皆を不快にさせる。」
 フィンが必死にテキーラを押さえながら言った。ジンジャーは、ラムの盾になってテキーラの攻撃を防ごうとしていた。
「フィンがそう言うんなら、仕方ないね。」
 ラムは黙り込んだが、テキーラが静かになるには、しばらく時間がかかりそうだった。
 辺りはいつの間にか、夜になっていた。
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