第1話

文字数 1,091文字

それは、彼女のひと言から始まった。
「特別なことはしてないんですよ。ただ毎朝、小松菜とリンゴとお塩のジュースを作って飲んでいるだけですの」
高木繭子はアラフォー世代を中心に女性に圧倒的な人気を誇る女優だ。年齢45歳。夫と、子供が1人いる。だが、どう見ても30代半ばにしか見えない。

顔のつくりは派手ではなく、典型的な和風美人といったところ。若く見えるのは、そのきめ細やかな肌のせいだろう。
顔立ちが地味でも肌が美しければ……! 女たちは色めきたった。高木繭子の出演するドラマはいずれも高視聴率で、彼女のフォロワー数は300万を超えた。彼女が載る雑誌は飛ぶように売れた。彼女が使っている化粧品ブランドや健康法のリサーチをする掲示板がいくつも立ち上がった。

朝の情報番組『ズバッ!』でインタビューに答える高木繭子を凝視しながら信子は叫んだ。
「ちょっと、買い物に行ってくるわ!」

信子が帰ってきたのは夜の8時だった。待ちくたびれていた圭太はうんざりして言った。
「お前、どこまで行ってたんだよ。ちょっとどころじゃないだろ。電話にも出ないし、心配したぞ」
「ちょっと、都内まで……どうしてもいいジューサーが欲しかったのよ」
「飯、勝手に作って食べちゃったよ」
「えー、買ってきたのに」

信子はレジ袋から牛丼の容器を出し、圭太に押しやった。そしてそそくさと台所に消えた。段ボール箱のがさごそという音がした。ジューサーを組み立てているらしい。
「味噌汁は付いてないのか」
信子は返事もせず、小松菜とリンゴを刻み、百貨店の地下で買った塩をひとつまみ入れ、ジューサーにかけた。
ガーッというものすごい音が響き渡った。

「すごい音だな。苦情がくるぞ」
「本当は低速回転の高価なやつが欲しかったのよ……でも3万円もするのよ。しょうがないから安いものにしたけど、確かにすごい音ね」
信子はなぜか圭太を凝視しながら言った。

出来た小松菜ジュースを、鼻をつまみながら信子は一気飲みした。
「うわあ、まんま青汁じゃないか。よく飲めるなあ」
「私も本当は好きじゃないけど、綺麗になるためなら仕方ないわ」
「高木繭子だろ。あのさ、特別なことをしてない訳ないじゃないか。絶対なんかやってるって」
信子は圭太をキッと睨みつけた。
「なにもしてるもんですか! 高木繭子が嘘をつくわけないわ。あの美肌は、小松菜の賜物だったのよ。これから毎朝……いえ、毎朝晩飲まなければ」

翌日から全国のスーパーから小松菜とリンゴが消えた。信子と同じ事を考える女性が開店と同時に店になだれ込み、小松菜とリンゴを攫っていった。
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