第2話
文字数 14,638文字
アクシス
死にゆく者と生きる者
恐怖は常に無知から生じる。
エマーソン
第二我【死にゆく者と生きる者】
「よっしゃー!いよいよ決戦のときじゃぼけーーーー!!!!この恨み、晴らしてやるぜ!!!」
「朝からうるせぇぞ天馬」
あの時の屈辱から一週間経ち、天馬は興奮していた。
一緒に出場させられる海浪と蒼真は、朝から元気な天馬を見てため息を吐く。
ご飯を食べて、時間になるまで少し薪割りをしていると、ずっとそわそわしている天馬を見て、蒼真がイライラし始める。
仕方ないと、海浪は少し早いが、武闘場まで天馬たちを連れて行くことにした。
「その歳でなんで我慢の一つも出来ねえかな」
「コレが俺の良いところ!」
「いや、短所だからな」
名前を書いて控室に向かうと、そこにはすでに大勢の男たちがいた。
海浪たちを見て、弱そうだと鼻で笑っているが、相手にするだけ無駄だと、海浪は適当な場所に腰を下ろす。
ただ時間だけが過ぎるのを待っていると、ついにその時はきた。
歓声が聞こえてきて、それぞれ一人ずつ名前が呼ばれる。
海浪たち三人も運よくなのか、別のブロックにいる。
『さて、続いての弐ブロックには、あの強靭な肉体を持つ男、南の国からやってきたハバロン!!そして対戦相手は、初出場の蒼真!!』
「蒼真!負けんなよ!」
「五月蠅い」
一番先に呼ばれたのは蒼真で、その相手は190近くある蒼真よりも大きく、筋肉質な体格が特徴的な男だった。
「こんなひよっこが俺の相手か」
「・・・・・・」
「お?怖くて声も出ねえってか。ははは!こりゃあいい!見世物だな!」
『それでは、開始!』
「俺が相手だったことを後悔するんだな。名前はええと、なんだっけか。弱い奴は覚えるだけ無駄だからな」
余裕そうに笑っているその男。
蒼真は少しずり落ちてきた頭に巻いてあるタオルをあげる。
「死ねガキ!!!!」
男は無数の棘がついている手甲をはめ、それで蒼真を殴ろうとした。
それは見事に蒼真の顔面にクリーンヒットし、男はニヤリと笑った。
観客たちも、ああもう終わったのかという空気を醸し出していた。
ゆっくりと拳を蒼真の顔面から離して行くと、その向こうから現れた顔は、確かに血だらけだった。
血だらけだったのだが、聞こえてきたのはくしゃみだった。
「くしゅっ・・・あー、鼻がむずむずすんなぁ」
「ああ!?お前、どんな細工しやがった!?」
自分の攻撃を受けておきながら、なぜこうも平然としていられるのかと、男はもう一発入れようと拳を振り上げる。
二度目の攻撃を受けても尚、蒼真は倒れることもなく、そこに立っていた。
ぽたぽたと垂れる血を軽く拭うと、蒼真はチッ、と舌うちをした。
「生温いんだよ、お前のパンチは」
「な、なんだと!?」
「パンチってのはな、こうやるんだよ」
「・・・!?」
自分の倍以上ある身体の男の身体が、宙に浮いた。
そのまま綺麗に放物線を描いて倒れると、少しの沈黙を置いてから、大歓声が上がった。
「・・・うるせぇな」
『しょ、勝者、初出場の蒼真!』
蒼真は控室に戻る頃には、入れ違いのようにして天馬が一回戦に出る。
以前も出ているからか、天馬は慣れたように両手をあげながら武闘場に出て行き、あっという間に相手を倒した。
天馬のブロックは短時間で勝負がつくものが多い一方で、海浪のブロックはなぜか時間がかかっており、なかなか一回戦が来ない。
「へへ。俺のブロックには双月がいるから、俺があいつを倒せば優勝だ!」
「おい、優勝するのは俺だ」
「蒼真んとこには雨竜がいるだろ?あいつにやられちまえばいいんだよ」
あっかんべー、と子供じみたことをすれば、蒼真に両頬を引っ張られる。
雨竜も桔梗も順調に勝ち進むなか、いよいよ天馬と蒼真はそれぞれが双月と雨竜と戦うことになった。
ここにくるまで、実に何回戦い、何人の男たちを倒してきただろうか。
まだ一回戦もしていない海浪のブロックでは、まだ男が二人揃って、倒れそうで倒れないという面白い戦いをしている。
夜まで続いたら翌日に持ち越しなのか、と考えているうちに、天馬と双月の戦いが始まった。
当然のように、賭けをしている者ならみな、双月に賭けているだろう。
「よくここまできたもんだ」
「へへ。俺は今までの相手とは違うぜ?」
「・・・だろうな」
まず先に、天馬が仕掛ける。
得意の武術で、双月に次々攻撃を喰らわせようとするが、やはり簡単には当たらない。
海浪が、双月は拳法を使うといっていたが、それさえ使う気配もない。
天馬は口に咥えていた竹串をペッと吐き出すと、今度は足技を喰らわす。
すると、ようやく双月の頬を掠めることが出来た。
弐武闘場では、蒼真と雨竜の戦いが始まる。
「お前、あの天馬とかいう奴の知り合いみたいだな」
「別に」
「あの男は双月に勝てない。そして、お前もな」
「やってみねぇとわかんねぇよ」
剣を扱う雨竜に、蒼真も隠し持っていた剣を取りだして構える。
すると、雨竜はそれを見てなんとも嬉しそうに微笑んだ。
「へえ、お前も剣使いか」
「こっちが本業だ」
戦い始めてからわずか15分。
『流星の如く現れた新星たちでさえ、やはり敵わないのでしょうか!!無残にも散っていくのでしょうか!!!』
「ぐっ・・・」
「無理するな。すぐに楽にしてやるよ。お前も、あいつもな」
会場は一気に盛り上がっていた。
双月にしても雨竜にしても、止めを刺すまでにこれほど時間がかかった相手がいないからだろう。
しかし、そんな二人でさえも、敵わなかった。
「心臓か脳か、楽に逝ける方が良いだろ?俺も嬲り殺すような趣味はないんだ」
「・・・っはっ。よく言うよ」
蒼真は何とか上半身だけを起こして視線を横に滑らせると、天馬は仰向けになって倒れているのが見えた。
まだ止めは刺されいないようだが、きっと双月と雨竜は同時に刺す心算なのだろう。
その方が、観客は盛り上がる。
「双月、どうする?」
「・・・心臓」
「了解」
双月は天馬の、雨竜は蒼真の心臓に刃を向けると、まるで合図のように一斉に剣を振りかざした。
次の瞬間には、それを見てヒートアップしている観客たちが、奇声をあげてスタンディングオベーションをするはずだった。
「!?」
「・・・・・・」
刺した感覚もなければ、本人が動いた様子もなかった。
ただ、刺そうとした時、何かが前を横切った、という事実だけ。
何が起こったのか分からない雨竜は、辺りを見渡してから双月の方を見ると、双月はある場所を見ていた。
その視線を追う様にして顔を動かすと、先程までまだ続いていた参武闘場で長時間戦っていた男たちを踏みつぶすようにして、男が立っていた。
両脇に、意識のない天馬とまだ意識のある蒼真を抱えて。
「し、師匠・・・」
「喋るな」
参武闘場で戦う予定だった桔梗は、外が騒がしいため見てみると、その目の前の光景に思わず声をあげた。
「わ、海浪様っっっ!!」
語尾にハートをつけて呼んでいるのは、ひとまず気にしないようにしよう。
「海浪・・・」
『えーと、何が起こったのでしょうか!決着が着く前に、謎の出場者乱入により、勝ち負けが判定出来ません!』
そんなことを言う司会者に向かって、海浪はこう告げた。
「こいつらの負けだ。それでいいな」
双月の方を見て海浪がそう言うが、納得していない雨竜は海浪に向かって行く。
「弱い奴は死ぬ!それがここのルールだ!」
会場からは、海浪を殺せというコールまで鳴り響く。
ブーイングならよくあることだが、こうしたコールは初めてかもしれない。
「ルールだろうがなんだろうが、弟子が殺されそうになってて、助けねぇ奴は師匠とは言えねえからな」
剣を振り払う雨竜だが、海浪は二人を抱えたまま軽々とジャンプし、雨竜の頭を踏んで雨竜の背後に回る。
すぐに後ろを振り返った雨竜だが、そこにはもう海浪の靴底があり、顔面を綺麗に蹴られてしまった。
「くっ・・・!」
鼻血が出た雨竜は、顔を押さえながらも海浪に向かおうとする。
「おい桔梗!何してる!この男をここで処刑するんだ!!」
目をハートにしていた桔梗は、雨竜にそう言われてハッと我に戻るが、乙女心は難しいもので、雨竜に手を貸すことは出来なかった。
海浪に攻撃をしようとした雨竜の前に、双月が立ちはだかった。
「双月・・・!?」
「止めておけ。お前じゃ敵わない」
久しぶりに見る双月の表情に、雨竜だけでなく、会場からもわーっと大歓声があがる。
大の男を二人抱えたままで、どこまで双月と対等に戦えるかと聞かれれば、もって五分というところだろうか。
二人は睨みあい、そして双月がぐっと踏み込もうとしたとき、いきなり雨が降り出した。
それもぽつぽつといった優しい雨ではなく、土砂降りだったため、屋根のついていない会場からは人々は避難し、その日はそれで中止となった。
海浪と双月はしばらく互いを見ていたが、海浪が先に二人を連れて会場から去って行ってしまった。
それを見ていたのか、双月たちは香蝶に呼ばれた。
「双月、お前、俺に隠してることがあるのか?」
部屋に入ってすぐ言われた言葉に、双月が答えようとすると、いつものように女性たちが入ってきた。
しかし、香蝶の虫の居所が悪かったのか、女性達を部屋から追い出した。
「なあ、どうなんだ?」
「隠していた心算はありません。ただ、聞かれませんでしたので」
「そうきたか」
ならば、全て話せと言われ、双月は面倒だなと思いながらも、海浪のことを話すようにした。
桔梗はまだ乙女のように両頬を手で挟んでいるが、誰も突っ込まない。
「俺たちは昔、この武闘会に出たことがあります」
「ああ、それは聞いた」
「その際、俺は10歳で出場しましたが、結果は三位でした」
およそ22年も前のことだ。
その頃の武闘会というのは、年に一度だけ行われる、それこそ、本当に腕に自信のある者しか出られない大会だった。
優勝者はただただその栄誉を称えられ、国の護衛として雇われる機会でもあり、この大会に出られる権利を得られるだけで、とても名誉なことだった。
何のために出るのかと問われると、自分の力を試す為、だろうか。
とにかく、今の武闘会と大きく違うのは、決して相手に止めを刺さないと義務付けられたこと。
そしてもし怪我をした者がいたら、すぐに処置室に運ばれ、治療を受けられること。
そこに集まっていた兵達は、皆揃ってこう言っていたと言われている。
『見ている者にとっては娯楽だとしても、自分達にとっては紛れもなく、誇りをかけた戦いなのだ』
今となってはそんなものないのだろうが、そんなこと、香蝶には言えない。
というのも、香蝶の父親の代までは、このような残虐なことはなかったのだ。
双月たちも一度は会ったことがあるが、病弱になってからというもの、香蝶のことだけを心配していた。
それが当たってしまったというところだ。
なぜあの両親から、あのような息子が生まれてきたのか不思議でならないが、それを嘆いたところで仕方ない。
先代が亡くなってからは、香蝶の身勝手は拡大していき、今に至る。
「22年前の大会には、雨竜と桔梗も出ていました」
「まあ、私達はすぐに負けちゃったけどね」
てへ、と小首を傾げて言えば、香蝶はそれには興味無いというふうに桔梗を笑いながら睨みつけた。
口を噤んだ桔梗の隣で、双月は話を続ける。
大会に出た際、雨竜は13歳、桔梗は12歳、そして双月は僅か10歳だった。
双月のこの若さでのトップ3入りは、これまでの大会を見ても異例だったという。
しかし、双月は優勝は出来なかった。
「その時の優勝者こそ、あの男、海浪です」
「・・・その海浪ってのは、そんなに強いのか?」
「当時、16だった海浪は、圧倒的な強さを誇っていました。ただ、優勝争いの際、もう一人の男が棄権をしまして、二人の優劣はわかりませんが、あの男は確かに我々の脅威となるでしょう」
「・・・・・・」
ソファに座っていた香蝶だが、荒々しく近くにあったローテーブルを蹴飛ばすと、イライラしたように立ち上がった。
そして素手で窓ガラスを割ると、切れてしまった手の甲をべろっと舐める。
「良いか、何があっても絶対に勝て。お前等三人とあいつ一人で戦わせたって構わない。ここでは俺がルールだ」
「・・・・・・」
三人は部屋から出ると、しばらく黙っていたのだが、先に口を開いたのは桔梗だった。
「あー、折角ずっと探してた海浪様に会えたのにィィィィィィィ・・・」
「探してたって、何、もしかして本当にお前が惚れてるのってあいつなのか?お前と幾つ歳が離れてると思ってんだ?」
「4つしか離れてないわ。何が問題なのよ」
「いや、だって、見た目結構なおっさんだっただろ?」
雨竜のその言葉に、桔梗はギロリと鬼のように睨みつける。
「良いのよ。あれが良いのよ。けどなー、まさか敵同士になって再会するなんて、まさにロミオとジュリエットのようじゃない!」
「違うと思うけどな」
「ああ海浪!どうしてあなたは海浪なの!」
一人演劇を始めてしまった桔梗を放って、双月と雨竜は打開策を考える。
「海浪か。俺は直接戦うこともなかったし、あんまり覚えてなかったけど。確かにそんなこともあったなぁ」
後頭部をぽりぽりかきながらそう言っていた雨竜だが、「けど」と付け足す。
「時代は変わったんだ。長年腕をあげてきた俺達と、あれから武闘場どころか、戦いから遠ざかってた男。英雄だって、いつまでも英雄じゃいられないんだ」
「・・・・・・」
「ちょっと!私の話聞いてる!?」
ほったらかしにしておいた桔梗がやってきて、三人はそのまま歩いて行った。
「ねえ、本当に海浪様と戦わないといけないの?」
「そんなにあいつが好きなのか?」
「うん!大好き!前よりワイルドになってて、もろタイプ」
「・・・はぁ。双月、こいつどうする?」
「放っておけ」
海浪は、小屋に戻ると蒼真を解放し、まだ意識がない天馬を横にした。
「蒼真、こっち来い」
海浪に呼ばれ、蒼真は言われた通り海浪の方に行くと、救急箱を持った海浪がいた。
怪我をしている個所を見せれば、消毒をふきつけられ、その上から包帯を巻いたり絆創膏を貼られる。
それは寝ている天馬にも同じことで、一通り終えると、天馬が起きるまでの間、こんな話をしていた。
「師匠は、もしかしてあいつらのこと知ってたんですか?」
「・・・ああ」
「あいつら、一体なんなんですか?」
「それもこれも、天馬が目を覚ましたらちゃんと話す。だから、それまではお前もゆっくり身体休めておけ」
それだけ言うと、海浪は二人を小屋に残し、一人で薪割りを始めた。
手伝いをしようと考えた蒼真だったが、きっと休めと言われた状態で手伝いをすれば、それこそ海浪に叱られてしまう。
とにかく、天馬が目を覚ますのを待って、海浪から話を聞くことにしよう。
夕暮れが近づいた頃、蒼真もこっくりこっくりと船を漕ぎ始めたが、天馬がうう、と声を出したため、天馬に声をかける。
「天馬」
「んー、んん・・・ん?あれ?俺まだ生きてる?」
「馬鹿か。・・・師匠が助けてくれたんだ」
天馬が起きたため、蒼真は海浪を呼びに小屋の外に出た。
山積みになっている薪を見て口を開けていると、どこかに薪を運んで来たのか、山の上から海浪が戻ってきた。
「師匠、天馬が起きました」
「ああ、そうか」
蒼真のように、タオルを頭に巻いて薪割りをしていた海浪は、タオルを外して汗を拭くと、小屋の中に入った。
「おう天馬、なんとか三途の川渡らねえで済んだか」
「師匠、目覚めた弟子に言う第一声がそれですか」
落ちていた竹串を口に咥えると、天馬はいてて、と言いながらも身体を起こした。
一人で作業をしていた海浪は、上着を脱いで汗を拭きながら、天馬と蒼真の前に座った。
「お前等には、言っておかねえといけねえかな」
「「・・・・・・」」
その言葉に、蒼真と天馬は互いの顔を見合わせた。
「俺はあいつらを知ってる。ってのも、むかーし会ったことがあるんだよ」
「会ったこと?」
「ああ。もう20年以上前に、俺はあの武闘会に出たことがある」
「え!まじですか!」
「ああ、けど、その頃の武闘会ってのは、ただ誇りをかけた戦いだった。今みてぇに、ちょっとやそっと腕に自信がある程度の奴らが出るような大会じゃなかった」
穢されたような気持ちでもあるが、小屋の窓から入ってくる風が程良く涼しい。
「そんときって、師匠何歳ですか」
「俺ぁ16だったかな」
当時、まだ16だった海浪は、参加者の中でも若い方だった。
一番若くて10、最年長だと60を越えていた記憶がある。
「そこに、あいつらも出場してた。まあ、雨竜と桔梗は初戦敗退していたと思うが・・。その大会で一番目立ってたのは、多分、あの双月だろうな」
「双月が?」
「当時、最も若い参加者とも言われていた奴は最年少の10歳。だが、着々と勝ち進み、優勝候補まで言われた」
まさか僅か10の少年が、このような大会に出るとは思っていなかったのか、年齢制限などはなかった。
しかし、一度戦っている姿をみた周りの大人たちは、こう言うだろう。
『あれは悪魔の子だ』
どんなに攻撃されても立ち上がり、相手を痛めつけるその光景に、司会者が慌てて中断するほどだったとか。
だがそんな怪物の少年も、敗北を経験する。
それは運命の準決勝の場面。
双月はこれまでに戦ってきたようにして、相手に飛びかかる。
しかし相手はそんな攻撃をものともせず、実に華麗で、力強く、一撃で双月を倒した。
三位決定で勝った双月は、最年少にして三位という功績を残したのだ。
本人は納得していないのかもしれないが。
「へー・・・で?」
首を傾げた天馬に、蒼真は呆れたように舌うちをする。
「馬鹿か。双月に勝ったのが、師匠ってことだろ」
「へー・・・ええええええええ!?あの双月に勝ったんですか!?ええ!?師匠って、そんなに強かったんですか!?」
「それで、師匠が優勝したんですか?」
「ああ、まあ、そうなるのか」
「すっげー!!!!師匠、すげえですね!」
最早褒められているのかよく分からないが、きっとこの時初めて海浪を本当に師匠として尊敬したのだろう。
天馬は目をキラキラさせているが、その海浪の言い方に引っ掛かりを感じた蒼真は尋ねた。
「じゃあ、準優勝は誰だったんです?」
「・・・そいつぁ、銀魔っていう男だ」
「トンビ・・・?」
まさかそんな大会に鳥が出場していたのかと思った蒼真と天馬だが、どうやらそれは通り名のようだ。
海浪は上着を着ると、眉間を人差し指でカリカリとかいた。
「銀魔と俺は、森蘭っていう師匠の弟子でな、その銀魔ってのがまた、なんてーか、こう・・・自由気ままな奴で」
海浪が言うには、準優勝をかっさらった銀魔という男は、海浪と同じ師匠がいる。
その男は姿を変幻自在に変えられることが出来るが、面倒なことが嫌いで、海浪とも戦う心算はないとかで。
決勝戦になるとリタイアしてしまったのだ。
「あいつの性格から言うと、多分飽きたんだろうな」
「飽きたって、そんな理由で優勝を諦めたんですか?」
「諦めたっていう言い方は正確じゃねぇな。あいつは興味ねえんだよ。優勝とか、最強とか。もともと師匠に出ろって言われて出ただけだからな」
「その師匠は、今何してるんです?」
「森蘭師匠は、俺たちがその大会に出た日、急に隠居生活をするっていって、俺達を勝手に一人立ちさせやがったんだよあのクソジジイィィ」
いきなり黒いオーラを出した海浪に、蒼真と天馬は思わず後ずさる。
少しして怒りが収まったのか、海浪はふう、と呼吸を整える。
そんな海浪を見て、蒼真と天馬はコソコソとこんな話をした。
「し、師匠がこんなに取り乱すって、どんなことされたんだろうな・・・」
「俺達が受けてる稽古なんかより、ずっと厳しい内容だろうな・・・」
「さて、そろそろ夕飯にすっか」
今日のご飯担当の蒼真が作ったおじやを食べていると、トントン、と控えめなノック音が聞こえてきた。
「こんな時間に誰だ?」
海浪がくいっと顎で天馬に開けるようにすれば、もう何杯目か分からない茶碗を置き、天馬が扉に向かう。
蒼真はなぎなたを手に取り、警戒をする。
天馬がぐっとドアノブを掴むと、そのままいっきに扉を開ける。
「おおお!びっくりした!」
「?誰だ?」
天馬が何に驚いたのかと、海浪となぎなたを持った蒼真が見に行くと、そこには、天馬の胸あたりまでしか背がない女性がいた。
海浪たちを見ると、ぺこりと頭を下げる。
「蒼真、敵じゃねえからそれ戻せ」
「はい」
女性を中に入れると、食事中だったのがわかったのか、「すみません」と言われた。
三人を前にして、女性は自分のことをまず話す。
「私は、武闘会を仕切っている香蝶という男の許嫁の実里と申します」
「香蝶っていうんだ」
へー、ふーん、と興味があるのかないのか、天馬の相槌はとても適当だ。
「許嫁がこんなところに来て良いのか?」
蒼真がそう尋ねると、実里は唇を噛みしめる。
「今日の戦いを見ていて、思ったんです」
「?」
実里は真っ直ぐに海浪を見ると、強い目つきで見つめる。
「どうか、双月たちを倒してください」
「は?」
「なんでまた俺達に・・・」
「今まで、何人もの人達が彼らに戦いを挑みました。しかし、結果は惨敗。それによって、香蝶様は金儲けをし、無給で働き続けるという奴隷のような人まで手に入れました。私にはもう、耐えられません・・・!」
「・・・・・・」
「今日の彼らとの戦いを見て、勝てるとすれば、あなた方しかいないと思いました!お願いします!!」
深深と頭を下げる実里を、ただただ三人はじっと見ていた。
双月たちを倒すのは構わないのだが、気になることがあった。
「譲ちゃん、顔あげな」
「・・・・・・」
海浪の声が降ってくると、実里はゆっくりと顔をあげた。
「どのみち俺達はあいつらに目をつけられた。また招待状も届くだろう。そうなれば、戦いは避けられない。それは良いとして、譲ちゃんはなんであんな奴の元に嫁いだ?」
「それは」
そんな話をしている間にも、天馬は腹が減ったのか、おじやをおかわりしている。
どんどん無くなって行くおじやを見て、蒼真は天馬の頭を思い切り叩いた。
頭を叩かれたことによって、口からぼろっとおじやを吐き出してしまった天馬だが、不運なのはそれが海浪の上着にかかってしまったことか。
それに気付いた海浪は、天馬の首に右手をかけ、その右手に自分の左手をかけて力を入れる。
苦しくなった天馬は、海浪の手をばしばし叩くが、意識が飛びそうになった一歩手前でなんとか解放された。
海浪にげんこつを喰らった天馬は、部屋の隅で体育座りをしていた。
「悪いな、で?」
「は、はい。実は、私、人を探していまして」
「人を?」
「はい。姉なんですけど、あの武闘場で働いてるっていう噂を聞いて、それで探していたら、香蝶様に声をかけられまして」
「成程ね。そっちの方が探しやすいしな」
「両親と姉と私と、四人で田舎で暮らしていました。けど、両親は病気になってしまい、姉は家族を養う為に、一人、出稼ぎに行くことになったんです」
「そりゃまた」
実里は姉と6つ歳が離れている。
月に二度ほど、姉から仕送りされていた。
そんなある日、待てど暮らせど、姉から仕送りがされることはなかった。
もしかしたら姉も病気になってしまったのか、それとも何か事故か事件にでも遭ったのだろうか。
実里の不安も束の間、両親は他界してしまった。
両親を葬った後、実里は姉を探すためにここまで来た。
この武闘場の周りをうろうろしていたからか、香蝶に声をかけられ、というよりも、きっと香蝶に言われて近づいてきた雨竜に声をかけられた。
いきなり許嫁になれと言われたときは驚いたが、実里にとっては好都合だった。
ここに姉がいるかもしれない、見つかるヒントがあるかもしれないと。
まさか、武闘場の裏側の顔まで知ることになるとは思っていなかったが。
地下で働いている男たちも、実里には心を開いたのか、ここでの実態や現状を教えてくれるようになった。
しばらく経った頃、姉のことを聞いてみた。
ここで働いていると聞いたと言っても、誰も知らないと言ってきた。
嘘を吐いているようには見えないし、嘘をつく理由もなかった。
姉がここにいないと分かれば、はっきりいって、実里にはここに残る意味なんてなかった。
そこで、思い切って香蝶に、婚約の話はなかったことにしたいと言ったのだが、香蝶が許すはずもなかった。
その時は、一発叩かれただけで済んだが、今度は何をされるか分からない。
そんな恐怖を抱えながら、実里は今日までなんとか誤魔化し誤魔化し生きてきたのだ。
「なんでこんなとこに姉ちゃんがいると思ったんだ?噂にしたって、格闘家なわけじゃないだろ?」
「私の姉は、娼婦として働いていました」
「・・・ああ、それでか」
「ん?なんで?」
話の流れが分からない天馬は、頭がついていけていない。
隣では蒼真は馬鹿にしたように鼻で笑っていた。
「娼婦ってのは、死と隣り合わせなんだよ」
「?」
男たちだらけの戦争、内乱、それにこういった武闘大会においても、男たちだけということは、そういうことだ。
金のない女たちは、その身一つで強く逞しく戦場を生き抜いて行く。
何も、女が死ぬのは戦場だけではない。
男に恨みを買って殺されてしまうというリスクもあるが、それでも自分が生きるため、家族を養う為、働かねばならない。
「戦場と共に生きる。まあ、娼婦っていう言葉だけ聞くと、どうしても偏見を持つ奴が多いだろうが、命懸けっていう点においては、男たちとなんら変わらねえ生き方だ。むしろ、男より力がない分、危険だな」
「そっかー。よく分かんねえけど、大変ってことだな」
「ああ。それがお前に伝わっただけでも良かったよ」
どこから取り出してきたのか、天馬は煎餅と齧りながら首をうんうんと頷いていた。
天馬に全部伝わるとは思っていなかった海浪は、大雑把に伝わっただけOKとした。
「それにしてもさぁ、よくお前の親も、姉ちゃんが娼婦すること許したな」
「・・・姉は、最初親に嘘をついていましたから。いつも仕送りは手紙がついていて、私はその手紙で知りました」
時代が時代なのか、娼婦として働く女性が増えているのもまた事実。
それを斡旋している親もいるというのだから、なんとも言えない。
「譲ちゃん、これからどうする心算なんだ?」
「どう、って?」
「もしも俺達と繋がってることがバレて、まあ負ける心算はないが最悪負けたとしよう。そのとき、譲ちゃんはあいつに殺されるかもしれねぇんだぞ?」
「・・・・・・」
勝てる可能性なんて、もうなかった。
実里にとっては、これが最後の賭けとも言えるものだ。
「ま、この話はここまでにしよう」
実里の暗い表情を見て、パン、と海浪は手を叩く。
そして蒼真と天馬を小屋に残し、実里を送ってくると言って出て行った。
「天馬、お前片づけしておけよ」
「俺ですか!?」
「ったりめぇだ。一人でほとんど喰いやがって」
海浪に送られている中、実里はふとこんなことを聞いてみた。
「あなた方は、どういう繋がりなんですか?」
「ん?」
「いえ、なんだか、兄弟とも違いますよね?他人が同じ空間で生活してるのって、そう簡単なことではないので・・・」
海浪、蒼真、そして天馬と、どこでどう知り合ったのか分からない三人。
話したくないなら話さなくても良いと言ったが、別に聞かれて不味いことはないと、海浪は口を開いた。
「天馬も蒼真も、捨てられてたんだ」
「え・・・」
「誰が親なのか、どこで生まれたのか、親は今何処にいるのか、何も分からねえ」
海浪が武闘会で優勝してから5年後のこと、当時9歳だった天馬を拾った。
まるで野犬のようにボサボサの髪の毛の天馬は、街中でゴミを漁っていた。
たまたまその日は街に薪を運びに来ていた海浪は、一度は通り過ぎた。
しかし、帰り道、また天馬をみかけた。
他の裕福な暮らしをしている子供たちから石や木を投げられており、しまいには警察に連れて行かれそうになっていたとか。
「あー、すんません。俺の知り合いなんです」
適当なことを言って天馬を連れて帰った。
言葉は話せるようだが、まともに人と会話をしたことがないのか、理解力はあまりなかった。
コミュニケーションもあまり上手な方ではなく、一番苦労した部分でもある。
しかし、好奇心は旺盛で、何でも知りたがったため、分かる範囲で教えていった。
組み手などを教えれば飲みこみは早く、髪の毛も縛ってみたらなんとなく前よりは清潔に見えた。
その一年後には、当時10歳だった蒼真と拾った。
蒼真を見つけたのは、天馬を連れて少し離れた街に行ったときだ。
買い出しに来ていた海浪と天馬だったが、その時どこからか火災が発生し、あっという間に街を飲みこんでいった。
天馬を連れて逃げようしたとき、天馬が何かを見つけた。
天馬が指差した先には、一人の少年がいた。
火事だというのに、逃げて行く人々とは逆に走って行く姿があった。
海浪は天馬を連れてその少年の後を追って行くと、その少年は見知らぬ家に入って行った。
そして、何の躊躇もなく家の中にある金目のものを盗もうとしていた。
海浪がその腕を掴むと、少年は海浪を思い切り睨みつけ、10歳とは思えないほど強い力で向う脛を蹴っていた。
これには海浪も一度は手を離してしまったが、すぐに捕まえた。
蒼真は、天馬とは違ってとても無口で、無口過ぎて会話が成り立たなかった。
反抗期なのかとも思ったが、手足には何かの拍子に外れたのかちぎったのか、そんな形跡がある手錠がついていた。
売られてしまったのか、それとも捕まったのか、蒼真自身にはその頃の記憶があまりないというから、真相は闇の中だ。
蒼真はある程度読み書きも出来て、海浪とは会話も成り立つようになると、まるで親を取られた子供のように、天馬が拗ねる。
そして蒼真に喧嘩を吹っ掛けるのだが、蒼真は身体が頑丈なのか、そう簡単には倒れなかった。
それどころか、天馬の攻撃を見よう見真似で反撃するものだから、天馬が返り打ちにあってしまう。
喧嘩する元気があるならと、海浪は二人に薪割りをさせた。
こっちで筋が良かったのは、蒼真だ。
要領が良いというか、器用というか。
一方で、人付き合いが上手なのは、あれほどコミュニケーション能力が欠損していた天馬の方だった。
天馬を買い出しに行かせると、予算よりも安く仕入れてくることが出来る。
コツを聞いたところで、きっと海浪にも蒼真にも真似は出来ないだろう。
だが、街に出ればそれだけリスクもあり、天馬も蒼真も同じくらいの地位がある輩に絡まれることが多くなった。
天馬はすぐにやり返してしまうし、蒼真はボロクソに相手を罵ってしまう。
ちなみに、このボロクソ言うのは多分だが、海浪に似たのだろう。
そんな二人に、海浪は街で喧嘩をしてはいけないと言った。
例え相手から何かしてきても、ムカついても、腸が煮えくり返るほどのことを言われたとしても、絶対に手を出すなと。
その言い付けを守るようにして、天馬も蒼真も手を出すことはなかった。
その代わり、大怪我をして帰ってくることはあったが、それを見て海浪は黙って頭を撫でて背中をぽんと叩けば、痛むのか悔しいのか、唇を噛みしめていた。
「なんだか、強い絆で結ばれているんですね」
「それはそれで困るけどな。あいつらには、いずれ一人立ちしてもらわねえと」
「どうしてです?」
「逆に聞くが、譲ちゃんは永遠に最強と呼ばれた奴を見たことがあるか?」
「え?」
質問の意図が分からなかったが、実里は「いいえ」と答えた。
「ずっとこのままじゃいられねえってことだ。俺だって歳を取る。あいつらだってそうだ。いつまでも俺といたって、あいつらは今より上には行けねえってことさ」
「?」
よく分からない世界なのかな、と思っていると、いつの間にか着いてしまった。
「俺はここまでにする。譲ちゃんも俺と一緒んとこ見られるとヤバいだろ」
「あ、ありがとうございました」
「じゃ、気ィつけてな」
手を軽くあげると、海浪は去って行ってしまった。
実里はそーっと部屋に戻ろうとして、香蝶の部屋を覗けば、すでに部屋は真っ暗になっていたため、静かに部屋に戻った。
「ふう・・・」
実里はシャワーを浴びて、自分のベッドへと横になると、いきなり扉が開いた。
吃驚した実里は、思わず窓際に避難すると、そこには寝惚けた香蝶が立っていた。
「こ、香蝶様?」
「・・・・・・」
「ど、どうしましたか?」
「・・・寝」
「え?」
「実里、添い寝して。なんか寝られない」
「は、はい・・・」
寝惚けている香蝶は、実里の腕を引っ張ると、実里のベッドに一緒に横になった。
香蝶は時折、こうして急に実里に甘えてくることがある。
実里にとっては不可思議な現象でしかないのだが。
添い寝をして僅か5分ほどで、香蝶はぐっすりと寝入ってしまった。
出かけたことがバレていなかったのだと安心し、実里も同じように寝付くのだった。
小屋に戻った海浪は、すでに寝ているが何もかけてない天馬を見て、毛布をばさっとかけた。
うとうとしている蒼真にも声をかける。
「お前も寝ろ。疲れてんだろ」
「・・・はい」
そのまま、力無く身体を横にさせた。
そんな蒼真にも毛布をかけると、海浪は風呂に入る。
ザパン、と全身が湯に浸かると、自然と声が出てしまう。
しばらく天井を見上げていると、先程実里と話したからか、昔の天馬と蒼真のことを思い出してしまう。
あんなに背の低かった二人が、よくもまあここまででかくなったもんだとか。
出会った頃は、二人とも海浪の胸あたりより低いくらいだったというのに。
風呂から出てしばらく、海浪は小屋を出て空を眺めていた。
真っ暗な空を一望できるほど明るい満月がそこに浮かび、海浪の足元も照らす。
こんなとき、酒を飲む人ならば、満月を肴に旨い酒を飲めるのだろうが、生憎、海浪は酒を飲まない。
煙管もやらない海浪にとっての一つの愉しみと言えば、きっとこの満月をただこうして眺めていることだろうか。
ごそっとポケットを漁ってみると、そこには一個の棒付き飴があった。
袋を取り外すと、海浪はそれを口に咥えた。
何味だろうかと舐めていると、海浪が苦手な抹茶だと分かった。
ガリガリと噛んで早めに無くならせれば、一気に飲み込む。
そしてまた満月を仰ぎながら、海浪は考えていた。
自分が二人をしっかりとしごいてやるのも良いのだが、それよりももっと良い方法。
何よりも、自分がもう一段階上に行く為。
翌日になり、天馬と蒼真はすでに海浪が起きていることに驚いた。
「「師匠、おはようございます」」
「おう。おはよう」
「今日の薪割りは」
「お前等、あいつらに勝ちてぇよな?」
「「え?」」
朝からいきなり何を言っているのかと思った二人だが、海浪の言うあいつらというのが誰を指しているのか分かると、急に目つきを鋭くした。
「勿論です」
「もう負けたくねえ」
二人からの返答を聞くと、海浪はニイッと笑い、「なら」と続けた。
「今日からしばらく、薪割りは無しだ」
「え?」
「師匠!稽古するってことですね!」
「あぁ、稽古には違いねぇが、ここから移動する」
「移動・・・?」
身体一つだけ持って着いて来いと言われると、小屋から出て行ってしまった海浪。
天馬と蒼真は何事かと思ったが、とにかく海浪の後を着いて行くことにした。
一番顔を強張らせていたのはきっと、海浪だろう。