第5話:ハリッシュの誠実さとトヨタ入社

文字数 1,668文字

 そして、生の魚を食べる習慣がないのに、可哀想よと弁護した。そして、その晩や実家の風呂に入り泊まって、翌日、銚子の海岸で海水浴をして帰ったが、前日、泊まって、良いかと、ハリッシュが、両親に電話をかける姿を見て、本当に真面目な性格だと佐藤の両親が感心した。ハリッシュが、真面目なのか、家庭の躾が厳しいのかどっちかだろうと佐藤妙子は想像した。

 翌日の昼食を魚のフライ定食を旨そうに食べ、銚子から電車で、夕方17時過ぎに、ハリッシュが、実家へ着いたと、佐藤食堂に電話をかけてきた。すると、佐藤妙子の父が、真面目で、良い奴じゃないかと誉めた。やがて秋になり、今年、進路を決める会社訪問を始めた。妙子とハリッシュは、だめもとで日本一の自動車メーカーのトヨタ自動車の本社に電話をし面会の約束を取り付けた。

 愛知県豊田市のトヨタ自動車本社の受付に面会の約束をとった事を話すと人事部の担当者がやってきた。そして志望の動機を聞かた。その後、大学の夏休みに研修させてくれるようにお願いすると、日程を指定され、妙子とハリッシュが研修を受ける事になった。せっかく、東京から来たので、できたら工場見学をしたいと言うと、ちょっとお待ちくださいと言われた。

 その10分後、若手の社員がやってきて。1時間、工場見学をさせてもらった。その後、人事部で入社の動機を聞かれ、ハリッシュが早稲田大学理工学部機械工学科で勉強して世界トップクラスのトヨタ自動車で働きたいと語った。妙子は、数学を生かして、車体の構造と強度や通学を駆使してトヨタ自動車に貢献したいと抱負を述べた。


 これを聞いて人事部の佐藤係長がとっても積極的で頼もしいと告げた。同じ早稲田大学の学生でトヨタ自動車へ就職希望することが解り、一緒に来たと説明した。それは、その方が、就職活動する上で良いと考えたからだった。やがてハリッシュ家、恒例のクリスマスパーティーに佐藤妙子が、呼ばれて、トヨタ自動車の工場見学に行った時の印象や工場の大きさなどの話をした。

 ハリッシュも佐藤妙子も是非、トヨタ自動車に就職したいと考えてると言い・トヨタ自動車の本社人事部の佐藤課長も何とか採用してもらいたいと言ってくれた。そして、1984年を迎えた。春から大学4年生となり卒業論文に取りかかることになった。そこで2月から佐藤妙子は大学のゼミの先輩に助言をもらっていくつか自動車ボディの金属披露についての研究論文をまとめ上げた。

 ハリッシュの方は、機械工学でも自動車のエンジン性能について小型車エンジンの特長について卒論をまとめようと考えた。そして、ゼミの先輩に、助言をもらうと、ユニークなテーマで面白いと思うよと、賛成してくれた。そして4月、大学4年生になり、ゼミの先生との打ち合わせで、卒論のテーマがきまった。

 その後、ハリッシュは学校に泊まり込み、小型エンジンの性能アップについて低回転から作動するターボエンジンの設計図を書いた。そして1984年が、あっという間に過ぎハリッシュと佐藤妙子は10月、卒論を提出し、佐藤妙子は、教授達と討論し卒論審査を通過。一方のハリッシュの論文は先生方に日本の小型車を売り出す方法として面白いかもしれない言われ卒論を受理してもらった。


 やがて1985年を迎えた。ハリッシュが卒論の話をすると、トヨタ自動車で、その論文を見せて欲しいと言われて、採用してくれるのなら見せますというと採用すると言ってくれ採用内定をもらった。その後、ハリッシュがトヨタ自動車の本社へ行く時、佐藤妙子も一緒に行き、採用試験を受けさせて下さいと言うと、受験日を指定され、受験して採用内定をもらった。

 そしてトヨタ自動車の独身に入るように言われた。家賃も安く、ハリッシュと佐藤妙子達にとって、大助かりだった。1985年4月に、ハリッシュと佐藤妙子は豊田市のトヨタ自動車に採用されて、それぞれ独身寮での生活を始めた。佐藤妙子の仕事内容は自動車の開発部門で自動車の強度や速度によるボデーの影響や空力性能の計算をする事で忙しくなった。
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