七 賭場の若いもん

文字数 2,649文字

『御触書き 天下普請の事
 諸国繁栄の折、この期に、江戸市中を整備し、火災、嵐に耐え得る江戸市中を造るため、改修工事を奨励するに当り、幕府が費用を云々・・・』

 幕府は、天下普請と称し、各藩の土地開発と江戸市中の改築造を行い、財政安定化を図るとの事である。これらに要する資金は各藩から調達するか、豪商たちから借りる予定だと言うが、本音は、各藩の蓄財を減らすのが目的だ。各藩は資金の捻出に苦労した。
 大名屋敷内はその大名家の管轄であり、事件が起っても、町奉行所は手を出せぬ。そのため、大名家は天下普請の資金調達の一環として、使っていない下屋敷を賭場として使う事を黙認した。公儀(幕府)も、大名家の資金調達のため、この事実を黙認した。
 越前松平家下屋敷は霊岸島にある。天下普請に湧く江戸市中の道路拡張と水路の拡張に各藩の財政負担はかさみ、越前松平家下屋敷も賭場と化していた。


 神無月(十月)十日、宵五ツ(午後八時)
 元日本橋元大工町の大工の又八(またはち)が、霊岸島の越前松平家下屋敷の賭場に現われた。
 又八は大工の腕は良いが博打好き、賭博依存症だ。まともに働けば実入りは人並み以上なのだが、博打好きが高じて、夜づっぱりで賭場に詰めているため、昼夜が逆転する生活を続けている。
 今夜も、越前松平家下屋敷の賭場の丁場に得物を預け、持金の一両(四千文)を丁場で百文の掛札四十枚に交換した。

賭場に座った又八は客の賭け方を見ながら、客全員の賭る目とは逆の目、半に掛札一枚を賭けた。
 又八は勝った。また客の賭け方を見ながら、客全員の賭る目とは逆の目、丁に掛札を一枚を賭けた。 また、又八は勝った。

 今度は掛札二枚を丁に賭けた。すると半に賭けていた客の大半が丁に掛け直した。
 又八と客の大半が負けた。
 ちくしょうっ。最初は勝ってたのに、客が俺の勝ち運に乗りやがって、俺の運気を持っていっちまいやがった・・・。あの商家のもんの勝ち運は、俺のものだったはずだ・・・。
 又八は、又八とは逆の半に賭けた商家の主らしき男を睨んだ。

 次は小口で、こっそり賭けよう・・・。そう思う又八だが、いざ賭け始めると熱くなって全てを忘れるのが常の又八だった。
 勝った負けたが続き、最後に又八は負けた。元金の一両を全て擦ってしまったのである。
 畜生、全部すっちまった・・・。蕎麦を食う銭もねえぞ・・・。
 そう思って又八は賭場を出た。


「おうっ。すっちまったんか。飲む銭もねえだろう。奢るぜ。着いて来な」
 若いもんが又八の後から賭場を出てきて、そのように又八に声をかけた。若いもんは上背があって、見た目は役者の様ないい男だ。

「ありがとうよ。最初は運がついてたのに、運を取られちまった」
「客は、勝ってる客の運気に只乗りしたがる。ろくな考えもねえくせに・・・」
 若いもんは又八を連れて越前松平家下屋敷を出た。

「ところで、おめえさんはなんて名だい。俺は元大工町の大工の又八だ」
 又八は若いもんに名を訊いた。
「俺は龍芳(たつよし)だ。遊び人よ」
 若いもんは左の襟を肌けた。月明かりの下、夜道を歩いて身体が暖まったため、首から肩にかけて、手の平大の赤い昇り龍が浮き上がっている。
 月明かりに赤い昇り龍を見て、又八は昇り龍の彫り物だと思った。
 こいつは単なる無頼漢ではなさそうだ。顔繋ぎして損は無さそうだと思った。

 又八と若いもんは霊岸橋を渡った。表茅場町へ歩いて越中橋を渡り、日本橋通一丁目に出た。又八の長屋がある元日本橋元大工町は目と鼻の先だ。

 若いもんは又八を日本橋通の担い屋台の樽に座らせ、酒と肴と握り飯を注文して言った。
「あんな賭場でチビチビやってても、でかくは儲けられねえ。
 まあ、飲んでくれ」
 若いもんは又八にそう言って茶碗に徳利の酒を注ぎ、肴と握り飯を勧めた。
「ちょうだいするぜ。なんかうめえ話でもあるんか」
 そう言って又八は茶碗を取って酒を飲んだ。こいつ、俺の素性を知って鎌をかけてんのか、と又八は思った。空きっ腹に酒が沁みる・・・。

「うめえ話はある。横山町の商家の主夫婦の病死を聞いてんだろう。
 俺の探りじゃあ、ありゃあ、抜け荷の品を目当てに入った夜盗の殺しだとわかった。同業の手口は、すぐわかる・・・」
 若いもんはそう言って酒を飲みながら、夜盗『寝首かき一味』の手口を語った。
「そんなこったろうと思ったぜ」
 この若いもんも、夜盗か・・・。又八はそう思った。

「ほとぼりが冷めたら、またやるだろうよ。うまく話に乗りてえもんだ」
 やはり、鎌をかけていやがる。ならば、その話に乗ってやるぜ・・・。又八はそう思って言った。
「俺に心当りがある。話をつけてやってもいいぜ」

 若いもんは落ち着いて言った。
「ならば、さっきの賭場で俺に繋ぎをつけてくれ。掛札は俺が持つ・・・」
 この男、俺の話に慌ててねえぞ。腹が座ってる・・・。又八は若いもんの素性を知りたくなったが、今はこの男がいつ賭場に来るのか訊くのが先だ、と思った。 
「昇り龍の兄貴は、いつ賭場に現われるんだい」

 若いもんは茶碗の酒を飲みながら言った。
「五日、十五日、二十五日に賭場に顔を出す」
「わかったぜ」
「まあ、飲んで、食え」
 若いもんは又八の茶碗に徳利の酒を注いで己の茶碗に酒を注ぎ、肴を摘まんだ。


 神無月(十月)十五日、宵五ツ(午後八時)。
 越前松平家下屋敷の賭場で、又八はしばらく博打をすると、隣に座っている若いもんに小声で耳打ちした。
「探りが続いてっから、ほとぼりが冷めるまで動かねえらしい。また繋ぎをつけるそうだ・・・」

「わかった。おう、また飲もう。今日の勝ちは二分(二千文、掛札二十枚)だ。また、奢る。今後も繋ぎを頼む」
「あいわかった。俺も運が向いてきたが、飲むのもいいもんだなあ・・・」
 今日の又八の勝ちは一分(千文、掛札十枚)だ。この、昇り龍の若いもんと居ると運気に恵まれる・・・。そう思いながら、又八は昇り龍の若いもんと共に越前松平家下屋敷を出た。


「昇り龍の兄貴は、仕事は何をしてるんですかい」
 夜道を歩きながら、又八は若いもんに訊いた。
「頼まれれば、探し物から始末まで、何でもする・・・」

 又八は一瞬身震いした。この若いもんは殺しを請け負っている刺客ではないのか・・・。そう思って又八は訊いた。
「始末の仕方はどのように・・・」

「頼まれた通りに、何でもする・・・」
 若いもんは上背があって、見た目は役者の様ないい男だ。この容姿から残忍な殺しは想像すらできない。その事が一層、又八の想像力を掻き立てた。
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