6.幸せの在処

文字数 4,095文字

君はまるで満開の花。ただ在るだけで美しい、穢れを知らぬ無垢な眼差し。紅の瞳はさながら銀河。光の速さで惹き込まれ、その瞬きが胸に住み着く。

しかし意に反して、警告を続ける僕の思考(プログラム)

人である君と、そうでない僕。そんな僕らは相容れない。幸せに帰結しない関係。時間の無駄であると、訴え続けた。
人は幸せになるために生まれてきた。その理想に反するから、無駄だと早合点した。

心という概念に痛覚はないから、この痛みは幻覚だろう。願いと事実の相違に対する拒絶反応だろう。なんて人らしい揺れだろう。

理想も社会通念も大切だ。人が群れの中で生きる以上、意味のない争いを避けるために必要な調和だ。しかし意味のない感情などあるのだろうか。存在してはならない想いがあるのだろうか。幸せに見放された関係が、何故無駄と切り捨てられるのか。

ただ、そばにいたい。そう想える存在。運命の紅い糸は見えないけれど、それでいい、それがいい。

幸せ。僕にとってそれは付加的要素であり必須条件ではない。幸せになれるから、そばにいたいわけじゃない。君の条件ではなく、僕は君を見ている。

「二人で、一つがいい」

そうだね。その通りだね。僕もそれがいい。
君となら、いつまでも旅を続けられる。けれど君とだから、この旅はきっと終わる。僕は、人として鼓動を止めたいんだ。君と同じようにね。

君は、僕が君を利用したと思うかもしれない。けれど優しさに引き止められて僕を責めたりしないだろう。口数の少ない君は、その本心も霧がかかったように見えない。
だからね。いつかきっと教えてよ。君の瞳は、どこを見つめているのかを。



君は学び、瞳の輝きが増してゆく。
新たな街で見知らぬ感情に出会い、また別の街で新たな経験を重ね、君は洗練されてゆく。

「エール。こういう時、君は嬉しい?」

こちらが眉間に皺を寄せるシーンでも、君は君の思ったことをまっすぐに投げかけて来る。滑稽に感ずることもあったけれど、手探りとはそういうものだ。それに何より、僕を知ろうとしてくれていることが嬉しかった。



「エール」

彼が指差すのは、教会前で感涙しつつ微笑む花嫁。

「あの人は嬉しいはずなのに泣いている。どうして?」

「難しい質問をするね。そうだなあ。涙は、主に悲しい時に登場する感情表現だけど、ポジティブな時でも感極まると涙が生成されるんだよ」

「そう……」

「理解しきれてないね」

「エールは、どんな時に泣きたい?」

「またまた難しい質問をするね」

彼はすぐに謝罪した。僕に落涙機能がないことを咄嗟に思い出したのだろう。

「いいんだ。僕も考えてみるよ」





完全に整備されたヒューマノイドでも完璧ではない。自身の過ちからそう学んだ。学びと意味づければ(てい)がいい、けれどその実ただの後悔。

爽やかな朝、新たな1日の始まり。特別な1日にできそうだと彼は微笑んで言った。そしてこうも続けた。

「エールにとって、絶望って何?」

微笑みから一番遠い距離にあるべき単語。それが今、彼の口から紡がれた。

「ねえ、それを聞いてどうするの。僕にくれようって言うのかい?」

「欲しいなら、あげる。嫌なら、あげない」

「そういう意味じゃない。君はどうしたいかと聞いたんだよ。君にはちゃんとあるだろう、本物(ひと)の思考回路が」

笑顔が曇り、言葉に詰まるルージュ。その後の沈黙に耐えかねたのは、僕の方だった。

「……飲み物買ってくる」

頭を冷やす時間が必要だと思った。機械的に体温調整をすればすぐにクールダウンできるけれど、多分落ち着かせるべくは、頭ではなく心だ。

僕は機械だから心はない。僕は機械だから気落ちは幻覚だ。動揺すら、人らしく見せるための仕組まれた反応。
前までは、こんなこと思わなかったのに。機械と人とを区別することなど、無駄だと理解していたのに。ぐっと握りしめた拳が溜め込む熱量。それでさえ、機械仕掛け。納得できないのは、どうして。

しばらくの冷却時間を経て、彼の好きなザクロジュースを片手に部屋に戻ると、そこはもぬけの殻だった。



昨日行ったレストランに美術館、彼の好みそうな噴水広場に、花咲き乱れる公園。そのどこにも姿は見えない。隣街に行ってしまったのかもしれない。或いは創造主とやらの元に戻ったのかもしれない。

そうすることも彼の自由意志だ。理性がそう言い捨てた。そして追う時間を割く根拠を問い質す。その見返りは何かと問い正す。

「理屈じゃないんだってば」

理性の声を聞くか否かは、選択の自由だ。
芽吹いた情熱を我慢で包むか貫徹させるかは、僕の自由だ。



エールは私にたくさんのことを教えてくれる。それは言葉であったり、態度であったり、雰囲気で伝わることもある。
昨日、公園を歩いていた時のこと。花にはそれぞれ花言葉があると教えてくれた。花は、伝えたい気持ちを代弁してくれる優しい味方なのだと教えてくれた。
だから、溜息で終わる会話をさせてしまったお詫びをしたいと思い、花屋へ向かった。色とりどりの花顔を目の前にした瞬間、想いが溢れ出した。伝えきれていない言葉がここぞとばかりに次から次へと胸に浮かぶ。遂には花を選びきれず、迷った挙句二本に絞った。シンプルにリボンで束ねてもらい、いざホテルへ戻る。
ところが、途中で道を間違えてしまったようだ。いくら歩けども、見覚えのある風景が戻ってこない。心細さに足が止まりそうになった時、誰かが声をかけてきた。

「もしかして、迷子ちゃん?」

振り向き、そこにいたのは二人組の男性。威圧的に見下す視線を浴びた瞬間、一気に高まる恐怖心。

「そんなあからさまに嫌がらないでよ。案内してあげるって言ってんの」

腕を掴まれた瞬間に響く、待ち望んだ声。

「やめておいた方がいい。君達には高嶺の花だよ」

「エールッ」

「それで脅かしてるつもりかよ。最初に見つけたのは俺たちの……」

「聞こえなかった? じゃあもう一度だけ機会をあげる。今度こそちゃんと聞いてよね」

食って掛かる相手を物ともせず、間に割って入るエール。私に見せたその背中には、自信と威厳が両立している。

「散れ」

私からその表情は見えなかったけれど、相手の慄く顔から全てを察した。案の定、大人しく逃げ去っていく二人組。

「エール、ありが」
「どういうつもり?」
「…………え?…………」

彼はゆっくりと振り向き言った。

「二人旅はもう飽き飽き?」
「そんなこと」
「じゃあ、さよならも言わずに去って、絶望をくれようとしてたの?」
「違う」
「いいよ。それが君の望みなら」
「そんなわけ」
「遠慮しなくていい。君は自由だ」
「聞いてよエールッ!」

お願いだから、聞いてよ。



「聞いてよエールッ!」

僕が言いたかったのは、ごめんだった。
僕の望みは、一緒に帰ることだった。
願いと言動が一致しないのは、どうして。


「エールは、私にたくさんのことを教えてくれる。一方の私は、智慧を持って生まれた貴方と違い、学んで覚えるしかない」

僕はただ、聞くことしかできなかった。

「間違ってばかりは嫌だから、賢くなりたい。賢くなって、貴方を悲しませることのない人になりたい。だから知りたかった。貴方の絶望は何かを。私の本質がそれを与えることにあるなら、最高のものをあげられるはずだと思ったから。でも貴方が要らないと言うなら、それも良かった。貴方が望むものを、あげたかったから」

彼はおずおずと花束を差し出した。僕はただ、見つめることしかできなかった。

「ビンクの薔薇の花言葉は、感謝」

もう一本、寄り添う薔薇は、違う色。

「いま、私の中にある感情は、間違っているかもしれない。普通じゃないかもしれない。だけど、感情(これ)は温かい。感情(これ)は、特別」

もう一本の薔薇は、彼の瞳と同じ色。

「私は、人として有限の時を生きる。貴方は、永遠と共にある。故に私達には別離が待っている。さよならを告げる日を、避けることは出来ない」

こちらを見上げる頬は薔薇色。

「私は知っている。別離は時として絶望だ。それを貴方に強いてしまうかもしれない。だけど、ごめんなさいエール。どうしても、貴方がいい。貴方と一緒がいい」

二人の間で、ふわり、香りたつ赤い薔薇。目の前で咲き乱れる可憐で純粋な想い。

「好きだ」

思考が止まった。うるさい理性が声を失った。

「この気持ちは、エールが教えてくれたものの中で、一番美しいものだと思う」

僕はただ、こう伝えるしかなかった。

「君は僕を過小評価しているみたいだね」

案の定、強ばる君。

「僕の記憶力は凄いんだよ。決して忘却を許さず、喪失もない。目を閉じればいつだって君が此処にいる。僕の中に、永遠に」

伸ばした手のひらに宿るものが、温もりと呼べなくたっていい。その根底にある情熱は本物だ。たとえプログラムが構築したものであっても、それは紛いもなく僕のものだ。

「完璧な愛なんてないよ。確かにあるのは、君と一緒なら幸せという事実だけ」

気づけば君が僕の腕の中に収まっている。

「ルージュ、ごめん。本当はね……」

それは一目惚れだった。完璧なプログラムに制御された思考を抑え、心が勝った瞬間。僕にも心があるのだと、そう信じて良いのだと思えて、この上なく嬉しかった。
けれど、これが君でなくてはならないのか、それとも新たな刺激ゆえの一時的な反応だったのか、判別できなかった。
以来手探りで解を求めてきたけれど、本当はね、ずっと判ってたんだ。心の底から、絶対に君なのだと。意気地なしでごめん。僕は僕を、信じきれていなかった。

心に素直になった瞬間、体がふわっと軽くなった。
僕の胸元で目尻を輝かせる君を見て、その理由がわかった。

「なるほど、よくわかったよ」

何が、と問う声は微かに震えていた。

「変化の発端は予定外って奴の仕業だ。そして柔軟に変化の道を進み、その景色を楽しめたなら、その先にご褒美が待ち受けている。幸せという名のプレゼントだよ。幸せは、予定調和の外側にある。たぶんね」

唇を重ね合わせる瞬間、火花が舞った。人はこれを静電気と呼ぶけれど、僕は運命の祝福だと確信した。胸元では、驚きと照れ隠しで忙しくなる君。いま、胸を温めているのは、プログラムではない。


君と、美しい薔薇の咲くこの街に住むのも、悪くないかもしれない。
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