第5話 【映画評】女神の継承(2022.8.24記)

文字数 1,137文字

【パート2制作、強くキボンヌ】

1.作品データ
監督;バンジョン・ピサンタナクーン、 
主演;ナリルヤ・グルモンコルペチ、
公開;2021年(日本は2022年)
上映時間;130 分
製作国;タイ、韓国

2.兎平亀作の意見です

尺が長いせいもあるが、滅茶苦茶エネルギーを吸い取られる映画だった。もの凄くグロテスクなお祭りに、そうとは知らずに飛び込んでしまい、もみくちゃにされたような虚脱感。

これを「キモチいい」と感じるか、「つきあいきれん」と感じるかで、評価が真っ二つに割れる映画だと思う。

かく言う私の場合は、最初は「良くあるエクソシストものか」と思った。
退屈で、キモチ悪いだけだった。

そのうち、映画の内容がスプラッター系のゾンビ・ハンターものに変わって来た。「なんでもアリ」の徹底した所、決して容赦しない所、遠慮も何もない所が気に入った。「どうせやるなら、この映画みたいに、行く所まで行かなきゃウソだ」と思った。

ここら辺で既に、「怖がらせてオシマイ」の恐怖ポルノの域は超えていた。怖いと言うより、キモチ良くなって来たのである。

エンディング・テーマ曲は、盆踊りみたいな民謡風の女性コーラス曲だった。いっそ、その場で踊りたいくらい、私はウキウキしていた。(踊りませんでしたけど。)

見終わって気付いたのだが、この映画には「エクソシスト + スプラッター + ゾンビ」に、もう一つ乗っけてある。すなわち「巫女」である。
最初はインチキ臭く見えた祈り屋たちのオーバー・アクションが、ストーリーの必然性を踏まえて、段々、真に迫って来るのだ。巫女の力に説得されてしまうのである。
だから、「キモチ悪い」→「段々キモチ良くなった」を通り越して、最後は観ている者が(意識するにせよ、しないにせよ)トランス状態に陥るように作ってある。

考えてみれば「怖い」とか「怖くない」とか言うのは人間側の都合である。
スプラッター映画がグロだと言うのなら、鯛の活け造りやフライドチキンは倫理的だとでも言うのか?
ゾンビは人間を食べたいから食べる。ただ、それだけの事なのである。

ゾンビ的演技は(もちろん特殊メイクやワイヤーアクションも駆使していたが)主に俳優の肉体的演技で表現していた。あの激しい動きはプロレス並みの消耗度だったろう。そういう所もガチで勝負した映画だったのだ。気合い入りまくった映画だったのである。

この映画、最後はぶん投げたような終わり方をする。まるで「13日の金曜日」パート1みたいに。つまり、パート2にスッと接続できるようにしてある。
だとすりゃあ、是非とも作って頂きたいものである、パート2を。

私は、本作のような、ぶっ飛んだカルト映画が大好物である。
わが国の映画おたくよ、団結せよ。今こそ見識が問われる所ですぞ。
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