第6話 妹

文字数 3,956文字

 キーホルダー、卓上カレンダー、マグカップ、そんなものが山と詰まれた机の前で坂崎部長は朝から晩まで分厚い唇でずるずると日本茶をすすっている。
「なあ、物には心があると思うか」
 唐突に桃の形をしたぬいぐるみを投げてくる。
「心、ですか」
「可愛いだろう、その子」
 ふわふわした桃色の生地につぶらな黒い目と、小さな口が縫いつけられている。じっと見つめていると不覚にも頬が緩んでしまう。確かにかわいい、という感じもする。
「天津で作って三百二十七円。上代は六百五十円。ロットは一万個。まあまあの商売だ」
「どこの発注ですか」
「レコード会社。イベントの景品にするんだって」
「いいですねえ、そういう客を見つけないと」
 坂崎はガラクタを漁り、今度は灰皿を拾うと人指し指の上に載せて回す。
「こんなもの、一つ一つにも運命がある、そう思わないか」
「どんな運命でしょう」
「製造され、納品され、配られて誰かの元にたどり着く。すぐに捨てられるかもしれないし大事に使われるかもしれない。何年も、何十年もね。それでもいつかは捨てられる」
「そうですね」
「どんなものでも人間が作ったものには心が宿っているんだよ。まったく同じ形をした車やテレビだってそうなんだ。もちろん、ほとんどの工場がロボット化しているから昔に比べたら感じなくなっているけどさ。ものが大切にされずに捨てられているのを見ると悲しくなるね。まだ捨てないでくれって叫んでいるんだ。忘れていかないでくれって。俺は子供の頃、ゴミみたいなものを拾ってくるなってよく親に怒られた。壊れた文房具なんかも捨てられなかった。因果だな。そんな俺がこの商売だ。ゴミみたいなものを作っている」
 私は亀さんと行ったトンネルの入り口に落ちていた赤い水筒の蓋を思い出した。
「心って言うのは魂のことですか」
「魂? そうかもな。古い言い方をすれば魂かな」
「それならば少しわかるような気もします」
「とにかく哀れだよ。そんな気持ちを忘れたらいけないと思わないか? ときどきテレビでゴミを集め過ぎてつぶれかけた家を映しているけどああなる人の気持ちが俺にはわかる。近所には迷惑だろうよ。変人扱いされて、責めたててられて、それでもやめられない。まあ、病気だ。寂しいのさ。でも、それは異常なことではない。世の中にものがありすぎることのほうが異常だよ」
 灰皿はかたん、と机の上に落ちた。坂崎は席を立つと分厚いファイルを持ってくる。
「これ、よろしくね。新しいグッズの候補。来週さ、仕入れ部の久我ちゃんと決めてきて。広島のアキ化学と東大阪の追川産業。前にも行ったことあったっけ」
「いえ」
「ならちょうどいい。どっちも小回りの効く便利な業者だから。会社の経費は日帰りだけど、必要だったら適当に遊んできて。よろしく」
 広島のアキはプラスチックのメーカーでカタログを繰ると日用品からフィギュアのようなマニアックなものまでアイテムはバラエティーに富んでいる。八十年代の名車シリーズなどはついじっくりと見てしまう。もう一方の追川は元々繊維問屋だ。若社長が研究熱心でストリートファッション系のものをすぐにまねて作る工房を持っている。知ってはいたが直接交渉したことはなかった。
 久我は小太りで調子のいい若者だ。休みの日はDJをしているらしい。特に親しいわけではないが無害な男と踏んでいた。さっそく仕入れ部に行ってみると、ヘッドホンをしたままフライドポテトの臭いをふりまきマクドナルドの袋をがさがさと漁っていた。
「来週の出張、よろしくな」
 と言うと、きちんと聞こえたのかどうかわからないが、きょとんとした目でこちらを見返し、満面の笑みを浮かべて手をふり上げリズムを刻むようにうなずいた。恥ずかしくなって早々に退散する。あとで打ち合わせに行きますから、という声が追いかけてきた。会社がなんでこんな奴を雇っているのか知らないが、クビにならないところを見るとそれなりに役に立っているのだろう。
 私は桃のぬいぐるみを鞄につけて営業に出かけた。
 デパートの広報室と遊園地の営業部を回り、依頼されたサンプルを持って住宅展示場に向かって電車に乗っていると喉がひりひりした。どうやら風邪をうつされたようだ。現場で仕事を終えると直帰することにして珍しく夕方の早い時間に自宅に向かう。駅の改札を出たところであの女に出くわした。茶色っぽいワンピースが似合っていた。帰宅を急ぐ人波の中にぽつんと立っている。いつも亀さんの店の前に立っている女だった。お互いにはっ、として立ち止まる。どうも、と頭を下げて行きかけたが、
「もう、亀さんはいいと言っていますよ」
 と伝えた。
「どういう意味ですか? 」
「もういいそうです。あなたも十分誠意を見せた。通う必要はもうない」
 女はこちらを見て少し微笑んだ。
「通っているのではないのです。あたしの家はこの商店街にありまして。以前は父が薬屋をやっていました。この先の、本町の角のところです。でも商売がうまくなくて、店を閉めました。今はチェーン店で働いています」
「そうだったのですか」
「あたし一人がこの街に残って、店の二階で暮らしているんです」
「なるほど。大変ですね」
「たった今、父が来ていて送ったところです」
 女はやや潤んだような瞳でこちらの顔を見て、
「風邪ですか? 」
 と聞いてくる。
「ええ。ちょっと喉が腫れているようで」
「よかったらうちに薬ありますよ。差し上げましょう」
 女は嬉そうに言うと先に歩き出す。
 商店街のアーケードをちょうど半分くらい行ったところに彼女の家はあった。「ドラッグストア西山」という剥げかけた赤い文字がシャッター上に読み取れる。左側にある鉄のドアを開けると店の内部から薬屋特有の匂いが漂っていた。明かりをつけると白っぽい内装の店内は古びてはいたがきれいに整頓されていて、棚に商品さえ並べれば明日からでも使えそうだった。
「痛むのは喉だけですか」
「ええ」
「いつからですか」
「さっきです」
 念のため、と女は体温計を差し出す。
「そこまでしていただかなくてもいいのですけど」
「あら、ごめんなさいね。つい癖で。でも心配しないでください。あたしは薬剤師です。それと、今日は御代も結構ですから」
 いやいや、というように恐縮していると女はカウンターの奥に回りこみ、ガラスケースの鍵を開けた。そこだけはいくらか薬の箱が残っている。
「これは父の職場からもらってきた商品です。ちょっと古いものもあるけど大丈夫です。バカですよね、こんなことしても意味ないのに、なんだか商品がないのが寂しくて。ついこんな風に並べてしまうんですよ」
 慣れた様子で箱を取り出しケースの上に並べる。
「喉に効くのはこれですね。熱がないようでしたらとりあえずこれで楽になると思います。あと、うがい薬も使ってみてください」
 私は財布を取り出し、代金を払おうとしたが、いいんです、と受け取らない。営業してはいけないのだと言う。
「妹さん、行方不明ですってね。亀さんから聞きました」
「はい」
「大変ですね」
「家族がバラバラになってしまって、もう、何年もたちました。妹の居場所はわかっています。だけどあたしも父も会いに行っていません」
「お母さんは? 」
「父と暮らしていますけど、血圧が高くてあまり体調が良くないんです。家にこもりがちですね」
「妹さんはどこにいるのですか」
「大阪です。年賀状だけは来るので連絡先はわかっているのですけど、なんだかあたしたちが行くのは迷惑みたいなので」
 蛍光灯のおぼめく薄暗く狭い店内で、女の額は白皙に輝いていた。私はしばらく考えていた。
「薬のお礼というわけではありませんが、来週、広島と大阪に出張するのですけど、そのときについでに様子を見てきましょうか」
 女はふっと微笑を浮かべた。
「優しいのですね」
「時間が限られていますから大したことはできないと思いますが。住所がわかれば様子を見ることくらいはできます」
「くみ子です」
「くみ子? 」
「はい。西山くみ子。あたしも名乗っていませんでしたね、西山さと子です」
 さと子はケースの後ろにある出入り口から奥の部屋に行って、しばらくしてから葉書を持ってきた。さと子宛の短信で、大阪で暮らしていること、仕事は順調であること、落ち着いたら横浜にも顔を出すので心配して会いに来たりして欲しくはないことなどが端正な文字でつづられていた。古風な字体を見ているととても万引きして逃亡した人間には思えない。住所は枚方市になっていた。
「大阪には知り合いがいるのですか? 」
「いいえ。両親が新潟の出身で親戚はみんなそっちです。友だちもいないと思います」
「じゃあ、一人でゼロから始めたのですね」
「そうだと思います」
 さと子は私のほうを凝視していた。それは私の顔を貫通して大阪に向いていたのかもしれない。
「あたしにはわかるんです」
「くみ子さんのことですか」
「あの子がなにを考えていたのか」
 私は首をかしげた。
「あの子がどうしていなくなったのか聞きましたか」
「なんでも万引きしたとか」
「そうです。でもそれだけではないのです」
「それしか聞いていませんが。ほかになにか」
「あの人は妹を告訴しませんでした」
「それも言っていました。優しさから配慮したのでしょう」
「優しさ? それもあるかもしれません。でも本当の理由は別だと思います」
 さと子はため息をつくと手を重ね合わせた。
「すみません、こんな話をつい」
「いえ、いいのです。この葉書、お借りしていいですか? 来週、出張から戻ったらお返しします」
 女はゆっくりうなずいた。私は念のため、名刺を取り出し、携帯電話の番号を書き入れてガラスケースの上に置いた。お大事に、とさと子は慣れた口調でそれを受け取るのだった。
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登場人物紹介

 主人公の「私」。横浜在住。グッズを扱う商社の営業開発部に勤務、ノベルティ等の営業を担当。独身なのでしばしば寄り道するが、自宅近くで写真館に足を踏み入れたことから、商店街の人々の葛藤に巻き込まれる

亀さん。亀井写真館の主人。妻子もいるが今は一人で店を営んでいる

西山さと子。ドラッグストア西山の長女。薬剤師。亀さんの一人息子、修司と交際していた

リッキー富岡警部。富ちゃん。キャバレー「八十八分署」のホステス。元写真店経営。

亀山修司。写真館の跡取りで写真家を目指すものの家出同然で渡米。

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