第7話 ブルーライトヨコハマ

文字数 7,938文字

 久しぶりの出張は朝一番の新幹線で広島に向かう。六時台なので私も久我も座ったとたんに眠りこける。名古屋を過ぎたあたりでコンビニで買っておいたサンドイッチを買って食べた。週刊誌を読んでいると久我はゲーム機を取り出して遊び始めた。スーツを着た私と毛糸の帽子にダブダブズボン姿の久我は同じ会社の人間には見えないだろう。広島に着きタクシーで市内の工場へ。小一時間の商談のあと広島名物、お好み焼屋での会食となった。私はまだ風邪っぽくあまり食が進まなかったが久我の食べっぷりには取引先が喜んだ。午後の新幹線で一路大阪へ。一時間半ほどでつく。こちらは東大阪の工房の事務室でなぜか羊羹を食べながら社長からじきじきにミナミの状況とファッション談義をたっぷりと聞かされて、それでお開き。いくつかのアイテムが定番品として候補に上がり、お土産だとサンプルをもらう。鞄につけたままになっていた桃のぬいぐるみが効いたのか、ゆるキャラ風のグッズが紙袋に一杯に詰まっていた。
 久我は大阪の知り合いと夜の街を偵察したいのだと言うので駅で別れた。私は京阪電車に乗り枚方市駅で降りた。事前に調べてプリントアウトした地図を片手に歩いていく。なだらかな丘に一軒家とアパートが立て込んでいる地域で、恐らく昭和四十年代に開発された住宅地だ。ちょうど夕餉の時間で出汁の臭いがどこからともなく漂ってくる。犬が遠吠えし、子供が叫ぶ声が響いていた。なんとも懐かしいような気分になる。くみ子の住所は手前に駐車場があるタイル張りの三階建ての集合住宅だった。どこかのハウスメーカーの建物だろう。廊下に洗濯機の置いてあるようないわゆるアパートではない。タウンハウスとでも言うべきなのか。一○二号室に西山くみ子の名がある。思い切ってベルを押してみるが電灯は消えていて人の気配はない。緊張が解け、半ば失望、半ばはほっとした。刑事ではないが隣の部屋を訪ねてみる。インターホンのボタンを押し、隣の西山さんの知り合いなのですが、と名乗ると制服にエプロンをかけた女子高生が出た。うさんくさげにこちらを見る。
「最近、西山さん、見かけましたか」
「あんた、なんなん」
「横浜のお姉さんに頼まれまして、様子を見に来ました」
「ほんまに? ストーカーちゃうやろな」
「とんでもない。そんなことがあったのですか? 」
「アナウンサーやからな。そやけどあんまり家にはおらんみたいやで。忙しいのんとちゃう」
「どこの局ですか」
「ああ、あかん、焦げてまう、うち料理してんねん、すんません」
 質問には答えずに彼女はドアをパタン、と閉め鍵もしっかりかけた。
 どうやら怪しまれてしまったようだ。だがアナウンサーであるということがわかっただけでも収穫だ。とりあえず枚方市駅に戻ると、ホームのベンチに座って携帯で大阪のテレビ局のホームページを片っ端から調べた。十分もしないうちに西山くみ子の名前を見つけることができた。笑顔の可愛い女性だった。さすがミス神奈川だ。形のいい額がどことなくさと子に似ていなくもない。担当番組は「はっぴーたうん」「天気予報」「えぐえぐサタデー」などどれもローカル番組のようだ。全国放送に出ることは稀だからわからないのも仕方ない。人気の職種だからきっと何百倍という倍率を潜り抜けて入社したのだろう。しかも言葉の文化がまったく異なる関西で。彼女は成功者なのだ。過去を切り捨て新しい居場所を見つけた。万引きの話など出たら大変だ。横浜の家族に会いたがらない理由もわからなくもない。
 これだけわかれば十分だった。
 新大阪に向かい最終間近の新幹線に間に合ってその晩のうちに横浜に帰ることができた。朝早かったこともあり車中は熟睡してしまった。

 翌朝、ドラッグストア西山のシャッターを叩いてみたが返事はなかった。くみ子には会えなかったが自宅を確認したこと、隣の住人にアナウンサーをしていることを聞き勤め先もわかったことなどを簡単にメモに書くと、借りていた葉書とテレビ局のホームページのプリントアウトを添えてドアのノブのあたりに挟んでおいた。
 午後、さっそく電話がかかってきた。
「ありがとうございました」
「よかったですね」
「両親もあたしもほっとしました。会社は横浜ですか? よろしければあたしも横浜にいるので詳しくお話を聞かせていただけませんか」
 快諾してさと子と待ち合わせすることにした。場所はマリンタワーがいいと言う。 夜七時過ぎ、例のごとく福ちゃんに向かう坂崎部長を見送ってから私は地下鉄を日本大通駅で降りて、マリンタワーまで歩いた。海から冷たい風が吹いている。さと子は温かそうな毛糸のマフラーを巻いてタワーの売店の前に立っていた。
「今日はあたし、ここの売店でアルバイトしていました」
 見上げると、青い光がぼお、っと夜空にかすんでいる。マリンタワーにはかつてTOYOTAの電光表示がでかでかと掲げられていた。パリのエッフェル塔にCITOROENのネオンが光っていたのを真似たのだろう。その赤いアルファベットの文字はどうもいただけなかった。まだしも大阪の通天閣の「日立カラーテレビ」のほうが景色になじんでいた。最近では青いネオンを灯してブルーライトヨコハマの演出のようだった。三十年も前にヒットしたいしだあゆみの歌。歩いても歩いても、小船のように、わたしは揺れて、揺れてあなたの腕の中。しかし、周りに高層マンションを次々に建てられ寂れ果てた様子は隠しようもない。
「もう、終わりですよ。だからあたしみたいな短期のバイトを雇っている」
「どういうことですか? 」
「マリンタワーと氷川丸を運営している会社が撤退するって」
「どうなるの」
「知りません。きっとなくなっちゃうでしょう」
「本当に? 寂しい話だね。横浜と言えば氷川丸じゃないの。それにマリンタワーまで」
「そうですね。でも新しい名所ができているじゃないですか。赤レンガ倉庫とか」
 少し頬をゆがめると笑窪ができるのに気がつく。
「ドルフィン、知っていますか? ユーミンの歌に出てくるレストラン」
「外人墓地の丘のほうですね」
「ええ。結婚式場みたいになってしまって前の雰囲気はないですね」
 町が明るくなりすぎたのだ。昔は暗さが残っていた。戦後の闇に通ずる闇があった。もちろんそれは消えるべきものだった。だがその漆黒が薄まってしまうと情緒も変わる。巨大なビルの前でちっぽけに見える氷川丸やブリキのおもちゃみたいなマリンタワーはもういらない、と思われるのも仕方ないのか。
「思い出も消えていきます」
「あのレストランによく行ったのですか? 」
 いいえ、とさと子は首を横にふった。
「学生のころ、アルバイトしていました。憧れの店でした。土曜日の晩にはジャズの演奏があったりして、ムードのあるお店でした。お客さんもステキなカップルに見えて。いつか自分もそうなりたいと」
「港の見える丘公園でデートしたりして」
 さと子ははっとしたように私の顔を見て、下をうつむいた。すると彼女の携帯電話が鳴る。仕事の用件のようだった。人材派遣会社から指令がくる。西山さん、明日の仕事の場所と時間の確認です、午前十時、すかいらーく上大岡店、調理補助、二十一時終了、明後日はどうしますか。淡々とした口調で要件が告げられる。電話を切ると、すみませんでした、とため息をつくのだった。私たちは中華街のさと子が好きだという小さなお粥屋に入った。老舗のようだが、店内は十坪そこそこでおかみさんが一人で切り盛りしている。知る人ぞ知る名店で混んでいるときもあるらしいが、その晩はほかに客がいない。壁には手書きのイラストつきで上海蟹のメニューが張り出されていた。私たちは甕出しの紹興酒とつまみの青菜炒めやしじみ料理を頼んだ
「アルバイトの連絡なのですね」
「まあ日雇い労働です。朝から晩まで一生懸命働いて、毎晩、疲れ果てて帰宅するだけです。次の日のことはぎりぎりまでわかりません。いつまでもこんなことをしているわけにはいかない、と思います。これはあくまでも仮の姿。いつかはやめる。でもそれは明日ではない。ただそれだけ。それまでになにをやるのか決めなければならないのですけど」
「薬剤師の資格があるのではないですか」
「ええ。以前はドラッグストアに勤めていました。でも閉店になってしまって。代わりの仕事がすぐに見つからないのです」
 自分も大した違いはないと思い、苦笑いする。そして大阪でもらってきたぬいぐるみをいくつか紙袋から取り出し、彼女の前に置く。団子、ウイスキーの瓶、大阪城、仏像、うさぎ。メラミン樹脂のテーブルに並んだぬいぐるみたちの顔を見てさと子は子供のように笑う。
「なんですか、これ」
「大阪土産です。サンプルにもらったので」
「面白い」
 私は大阪のくみ子の家の様子や隣の女子高生とのやり取りなどを話して聞かせた。局のホームページには本人のコメントも紹介されていたし出演している番組もわかる。
「やっぱり、あたしたちが会いに行かなくてよかったんですね」
「大したものだと思います。でも、たまには肉親に会うのもいいのではないですか。僕も年に一回は札幌の親のところに顔を出していますよ」
「そうですね。でもね、あたしはちょっと違う」
 さと子は紹興酒の入った分厚い陶器のカップをくるくると手で回していた。
「ドルフィン、一回だけデートしたことがあります」
「そうですか」
「修司さんと」
「誰ですか? 」
「亀井修司さんです。写真館の息子さん」
「へえ、そうだったのですか」
 突如、話は重大な局面に差しかかっていると感じた。
「あたしたち付き合っていました。高校生のとき。二人ともとてもまじめだったと思います。純粋な恋愛でした。でも違う大学に行って、近所にいながら自然にばらばらになりました。何年かしてから修司さんがうちの店にやってきて、話がしたいっていうのでドルフィンに一緒に行った。その日は平日でバイトも入っていませんでした。店の人に冷やかされるだろうし、あたしはいやだったけど修司さんがお金を出すからって。彼は芸術系の大学で写真の勉強をしていたのでその話をしていました。専門があるのはすばらしいことだし、お父さんの跡を継ぐのだからそれは当然だと思いました。でももうやめたいと思っている、という話でした。なんであたしにそんなことを言うのかよくわかりませんでした。
 それ以来、彼はときどきやってきて、喫茶店で話し込んだりしました。あたしは好きな人が別にいたし、彼が恋人というわけではありませんでした。彼もそうだったと思います。昔からの知り合いなので気楽にいろいろ話せました。しばらくして彼は撮影に付き合ってくれないか、と言いました。あたしは気軽な気持ちでオーケーしました」
 ぬいぐるみたちのつぶらな瞳がじっとさと子を見つめている。奇妙な緊張感が立ち昇った。
「修司さんは鉄道写真を趣味にしていました。その日も、朝早く彼の運転する車で山梨のほうへ向かいました。途中のドライブインで朝ごはんを食べました。撮影場所は線路がはずされた鉄道の跡地でした。そのころ、彼はそんなロケーションに興味を持っていました」
「廃線ですか」
「そうです。中でも、橋やトンネルの撮影が好きだといっていました。あたしは彼が機材のセッティングをする手伝いをしながら、いろいろと説明を聞いていました。当時は大学の人間関係がうまくいっていなくてむしゃくしゃしていました。鉄道なんて興味ありませんでしたが、彼の話を聞いていると少し気が楽になりました。そしてあのトンネルにたどり着いたのです」
「どのトンネルですか」
「名前は知りません。とにかく、峠にあって今は道路になっています。舗装はされていなくてなんとなく不気味でした。彼は車を止めて撮影を始め、入り口の撮影が終わると、歩いて反対側に行くというのです。トンネルの中はひんやりとしていて気味が悪い感じでしたし、出口は見えません。車で行かないの? と聞くと撮影しながら歩きたい、とのことでした。あたしは外で待っている、と言いました。すると彼は怖い目であたしを見て、一人で待っているほうが危ないのではないか、と言うのです。仕方なく彼について少し歩きました。でもトンネルの先は真っ暗で何も見えません。目が慣れてくれば見える、大丈夫だ、と繰り返すのですが、あたしは途中で耐え切れなくなって戻りました。だんだん心細くなりました。一時間くらいして彼は戻ってきました。真っ青な顔をしていて大丈夫? と聞いても返事もしません。怒っているのかと思って謝りましたが、家に帰るまでほとんど口も利きませんでした。それが最後です。トンネルの撮影をしてから三日後に亀井さんちのお母さんがうちの店に怒鳴り込んで来ました。あたしが息子を誘惑して変なことを吹き込んだ、というのです。修司さんは家を出てしまいました。よく聞けばカリフォルニアに写真の勉強に行ったのでした。別におかしな点はありませんでした。それでも亀井家ではまるであたしが修司さんをそそのかしたかのように考えているのです。修司さんがどう話したのかわからないので正直言って困りました。うちの両親はいいがかりだ、と相手にしませんでした。その週の終わりに亀井さんのお母さんは事件を起こしました。自殺未遂だったのだと思います。小火が出ました。それから何回か病院を出たり入ったりしていましたが、アルコール中毒になっていました。最後にお会いしたときはあたしが誰だかもわかっていない様子でした。それでもうちの店に来て大声でわめいたり、あたしのことを悪魔だと叫んだりしていました。妹が万引きしたのはそのころです。仕返しだったのです。あたしや親たちがなにも言えないでいることに苛立ってやってしまったのです。亀井さんのお母様は何年か前、親戚の医者がいる病院に入院するとのことで富山のご実家へ移られました」
「釈然としない話ですね。でも、亀さんが感じていることが少しだけわかりました」
「あたしもわからないことだらけです」
「いろいろ大変だったのですね。修司さんはその後、どうしているのですか」
「知りません。もうずいぶん前の話です。亀井さんはあたしのことを毛嫌いしていてなにも話してくれません。それにご存知のようにうちのほうも母が体調を崩したり店の経営がうまくいかなかったりで」
「亀さんにトンネルの話をしましたね」
「多分、したと思います」
「亀さんがトンネルの撮影にこだわっているのは知っていますか」
「そうですか」
「よく出かけています。でも、そのトンネルはどこでしょうね。教えてあげたらどうでしょう」
「だいたいのことしかあたしにはわかりません」
「修司さんはトンネルでなにか見つけたのですか」
「教えてもらえませんでした」
「でも、それで彼にアメリカ行きの決断をしたのですね」
「多分、そうです。見たくないものを見たのか、知りたくないことを知ったのか。わかりません。あたしは怖いと思いました」 
 さと子は首を横にふるばかりだった。
 中華街の夜は早い。十時過ぎ、私たちが店を出るとおかみさんは店の灯を落とした。暗くなった小道に中国語が響き、自転車が通り過ぎていく。紹興酒に火照った頬に夜風が冷たい。地下鉄に乗ると窓ガラスに映る私たちの顔が二つの青白い卵のようにおぼめいていた。
 冬の夜空は一年の中で一番華やかだと言われている。
 オリオン座、すばる、おおいぬ座、ふたご座、御者座、有名な星座が次から次へと登場し、一等星も多い。関東では夏に比べると空気が澄んでいるためか、きらきらと輝いて見える。駅を出て歩いていると珍しく、星がたくさん見えた。見上げていると、
「星が好きですか」
 と聞いてくる。
「昔取った杵柄という奴ですか」
「望遠鏡で見るのですか」
「そうですね。あとは写真を撮ったり」
「面白そう」
「ちょっと観測してみますか? 」
 彼女がうなずくので、近所の公園に行ってみることにした。二人で深夜の公園に出かけるのはそれこそ高校生みたいでわくわくする。いったん自宅に帰って札幌から届いていた機材の梱包を解く。それをスポーツバッグに入れて公園まで運ぶと街灯から離れた暗い一角に三脚を据えてカメラをマウントしてみる。さと子は店に立ち寄って使い捨ての携帯懐炉をたくさん持ってきてくれた。これは必需品だ。寒さによってレンズの内部に結露をきたすのは最悪の事態である。標準レンズで大きな星座を視野に入れシャッタースピードをバルブの位置にあわせて五分間ばかり開放する。
「寒いのにそれでもこうして外で空を見上げているのはなんで? 」
「さあ、ただの自己満足かもしれない。でも、なにか感じるからでしょう。月並みですが」
 星が見ている。
 それはなにもかも見通す苛烈な視線だ。隠しても見つかってしまう。鋭いがすべてを知り尽くした上での人知を越えた慈悲も含んでいるのかもしれない。
 あっ、流れ星だ、
 とさと子が叫んだ。ふり返ると彼女は手を合わせ一心に祈っていた。最初は子供じみているように感じたが次第に清い姿だと思った。
「なにをお願いしたの」
「人にしゃべったらダメなのよ」
「流れ星は願いをかなえてくれるのかな」
「なにも祈らなかったの? 」
「ええ。気がついたら消えていた」
 ふふ、と彼女は微笑んでいた。
「もう出ないかな」
「さあね。心がけ次第でしょう。さっきのはカメラに映ったかしら」
 私は首を横にふった。流星を捉えるのは難しい。よほど明るいものでない限りは印画紙の上にそのか弱い軌跡を見つけることはできない。そうであるが故に願い事をかなえてくれる星として珍重されるのだろう。
「流れ星って、どこから飛んでくるのかしら」
「あれは星屑。星のかけらが地球の大気圏に突入するときに燃える。それが流星」
「ハレー彗星は? 」
「彗星はもう少し大きい塊で太陽系を猛スピードで回っている星だ。彗星の尾は太陽風が当たってできるガス」
「不思議ね」
「大気のある星でしか流星は見られない。例えば土星の衛星タイタンではメタンを主体とする大気なので空は薄紫色を帯びている。流星も青く光るはず」
「遠いところの話ね」
「遠いさ」
「子供の頃、星を見ていてとても変な気分になったの。こうして星を見ているあたしはもちろんあたしなんだけど、でもそれとは別に宇宙の自分みたいのがいて、それは永遠不滅なのよ。それが本当のあたしなの。身体から離れて星の中にいるの。でも気がついてみるとあたしはやっぱりちっぽけな女の子なの。うまく説明できないけど」
「大人にはわからない話だね」
「あのあたしは誰だったのか」
 腕時計のアラームが鳴ったので、カメラのバルブを閉じた。何万年も旅をしてきた光が印画紙の上の小さな点に封じ込められた。それ以上でもそれ以下でもない。だけどレリーズの感触は心地よく、三十年前に作られたM1のボディは神々しく見えた。
 私はカメラを三脚から下ろし、レリーズをはずした。そしてふらふらと歩きながら公園の青白い街灯の下でこちらを見ているさと子に向けた。
 誰だったのか。
 この女は誰だったのか。
 こちらを見つめる顔の印象は変化していった。それは顔だった。顔以外の何ものでもない。ずっと以前から知っているような。それでいてその意味を図りかねるような。よく考えればそれは近所の知人に過ぎない。反対に彼女はなにを見ているのだろうか。私を見ているのだろうか。私の顔の背後に自分がこだわっている過去、修司の姿を見ているのではないだろうか。それは現実の裏に張り付いた亡霊なのだ。カメラのレンズはそれを暴くのだろうか。
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登場人物紹介

 主人公の「私」。横浜在住。グッズを扱う商社の営業開発部に勤務、ノベルティ等の営業を担当。独身なのでしばしば寄り道するが、自宅近くで写真館に足を踏み入れたことから、商店街の人々の葛藤に巻き込まれる

亀さん。亀井写真館の主人。妻子もいるが今は一人で店を営んでいる

西山さと子。ドラッグストア西山の長女。薬剤師。亀さんの一人息子、修司と交際していた

リッキー富岡警部。富ちゃん。キャバレー「八十八分署」のホステス。元写真店経営。

亀山修司。写真館の跡取りで写真家を目指すものの家出同然で渡米。

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