第3話
文字数 1,577文字
ギシ、ギシ、ギシ。
音は僕の隠れている豚小屋の一番奥、行き止まりまでやって来た。
僕は石のように固まって息を殺す。
藁の隙間から顔を確認しようとしたけれど、薄い月明かりを背負う影しか見えない。
背の高さやシルエットからして大人の男であるとはわかるが、それが誰なのかは全くわからなかった。
もしかしたら、メアリーの父かもしれないけれど、僕がこんな所に勝手に出歩いていると知れば、確実に長い説教コースだ。
メアリー父にしろ、そうでないにしろ、藁の中から出るという選択肢は僕になかった。むしろさらに深く、体を藁に沈めた。
小屋の中は暗いため動かなければわからないし、足の近くにあるバケツをうっかり倒すなど、下手に物音さえ立てなければバレることはない。
頭では冷静でも、まるで金縛りにあっているみたいに全身は硬直し、脈は忙しなく僕の米神や手首の皮膚を打ち付けていた。
それにしても、樽と踏み台といくつかの藁の山しかない場所に一体何の用だろうか。
僕は男の行動を静かに観察する。
男は樽の前に来ると何かを考えるように静止した。
辺りを伺うように男の影が動く。相変わらず顔は見えない。
一通り見回したあと、男はパカッと樽を外した。
丸い何かが樽から覗き、糸束のようなものが流れるように飛び出す。
男は中を確認すると樽をすぐ元通りにし、小屋から出ていこうと出入口に向かって歩く。
足音はどんどん遠のき、ホッと胸を撫で下ろしたその時だった。
ガラン。
渇いた金属音が豚小屋にうるさく響いた。
バケツだ。
窓からの僅かな光を吸収した錆びたバケツが倒れている。
僕はその場から一歩も動いてなければ、指一本として動かしていない。
それなのに何故……。
カラカラと転がる小さな余韻が僕の耳に酷く嫌に伝わってくる。
床が再びギシギシと鳴りだした。男が戻ってきたのだ。
僕は身を凍らせた。
目だけが勝手に男の姿を捉える。
男は僕の正面で、まだ小さく揺れる錆びたバケツを見下ろしていた。
そして男は真っ直ぐ僕の方へ向き、僕の入っている藁の山をむしり始めた。
月明かりに照らされた藁が埃のように宙を舞い、男の真っ黒な顔が僅かな光を奪っていく。
僕はただただ恐怖でしかなかった。
男の手が僕の目の前に迫る。
耳に心臓を埋め込んだみたいに、ドクドクと鼓動が警報を鳴らす。
今にも叫んでしまいそうな口を両手でギュッと塞ぎ、体の震えを必死に押さえ込んだ。
藁を剥ぎ取る男の指が僕の鼻先を掠めた。
涙が流れる僕の瞳を目掛けて男の指が真っ直ぐ迫り来る。
ああ、もう駄目だ。
諦めた僕は固く瞼を閉じた。
しばらくそうしていた。
けれど、男の手が僕を触ることはなかった。
男が見逃してくれたのだろうか。
不思議に思った僕は恐る恐る瞼を開いた。
一体、何が起こっているのだろうか。
男はまだ目の前にいた。鼻や輪郭がわかるくらい顔が近づいていて、月の光がもぞもぞと動く男の顔を暴いていた。
男の正体はメアリー父だった。
どうして?何をしている?怒られる?捕まる?
そんな考えが一瞬で掻き消える。
もはや男の正体に気を留める余裕はない。それよりも、今の自分の状況を呑み込めずにいた。
男の腕が僕の眼下で蠢いている。最初、喉を捕まれているのかと思ったが、全く息苦しさを感じない。それどころか触れられている感覚すらない。
僕は自身の顔から伸びている男の腕を注視した。
しっかりとした腕は僕の顔面を貫いていた。
「ああ、なんということだろう。まさか、こんなことって……。」
あまりのことに僕は悲嘆の声を上げる。
しかし、男は気にする様子もない。
それもそうだ。
僕は幽霊なのだから。
音は僕の隠れている豚小屋の一番奥、行き止まりまでやって来た。
僕は石のように固まって息を殺す。
藁の隙間から顔を確認しようとしたけれど、薄い月明かりを背負う影しか見えない。
背の高さやシルエットからして大人の男であるとはわかるが、それが誰なのかは全くわからなかった。
もしかしたら、メアリーの父かもしれないけれど、僕がこんな所に勝手に出歩いていると知れば、確実に長い説教コースだ。
メアリー父にしろ、そうでないにしろ、藁の中から出るという選択肢は僕になかった。むしろさらに深く、体を藁に沈めた。
小屋の中は暗いため動かなければわからないし、足の近くにあるバケツをうっかり倒すなど、下手に物音さえ立てなければバレることはない。
頭では冷静でも、まるで金縛りにあっているみたいに全身は硬直し、脈は忙しなく僕の米神や手首の皮膚を打ち付けていた。
それにしても、樽と踏み台といくつかの藁の山しかない場所に一体何の用だろうか。
僕は男の行動を静かに観察する。
男は樽の前に来ると何かを考えるように静止した。
辺りを伺うように男の影が動く。相変わらず顔は見えない。
一通り見回したあと、男はパカッと樽を外した。
丸い何かが樽から覗き、糸束のようなものが流れるように飛び出す。
男は中を確認すると樽をすぐ元通りにし、小屋から出ていこうと出入口に向かって歩く。
足音はどんどん遠のき、ホッと胸を撫で下ろしたその時だった。
ガラン。
渇いた金属音が豚小屋にうるさく響いた。
バケツだ。
窓からの僅かな光を吸収した錆びたバケツが倒れている。
僕はその場から一歩も動いてなければ、指一本として動かしていない。
それなのに何故……。
カラカラと転がる小さな余韻が僕の耳に酷く嫌に伝わってくる。
床が再びギシギシと鳴りだした。男が戻ってきたのだ。
僕は身を凍らせた。
目だけが勝手に男の姿を捉える。
男は僕の正面で、まだ小さく揺れる錆びたバケツを見下ろしていた。
そして男は真っ直ぐ僕の方へ向き、僕の入っている藁の山をむしり始めた。
月明かりに照らされた藁が埃のように宙を舞い、男の真っ黒な顔が僅かな光を奪っていく。
僕はただただ恐怖でしかなかった。
男の手が僕の目の前に迫る。
耳に心臓を埋め込んだみたいに、ドクドクと鼓動が警報を鳴らす。
今にも叫んでしまいそうな口を両手でギュッと塞ぎ、体の震えを必死に押さえ込んだ。
藁を剥ぎ取る男の指が僕の鼻先を掠めた。
涙が流れる僕の瞳を目掛けて男の指が真っ直ぐ迫り来る。
ああ、もう駄目だ。
諦めた僕は固く瞼を閉じた。
しばらくそうしていた。
けれど、男の手が僕を触ることはなかった。
男が見逃してくれたのだろうか。
不思議に思った僕は恐る恐る瞼を開いた。
一体、何が起こっているのだろうか。
男はまだ目の前にいた。鼻や輪郭がわかるくらい顔が近づいていて、月の光がもぞもぞと動く男の顔を暴いていた。
男の正体はメアリー父だった。
どうして?何をしている?怒られる?捕まる?
そんな考えが一瞬で掻き消える。
もはや男の正体に気を留める余裕はない。それよりも、今の自分の状況を呑み込めずにいた。
男の腕が僕の眼下で蠢いている。最初、喉を捕まれているのかと思ったが、全く息苦しさを感じない。それどころか触れられている感覚すらない。
僕は自身の顔から伸びている男の腕を注視した。
しっかりとした腕は僕の顔面を貫いていた。
「ああ、なんということだろう。まさか、こんなことって……。」
あまりのことに僕は悲嘆の声を上げる。
しかし、男は気にする様子もない。
それもそうだ。
僕は幽霊なのだから。