第3話

文字数 3,439文字

 VSPARKはエキスポシティ内にあるショッピングモールの中にあった。
 ぼくたちは車を駐車場に停めてから駆け足でここまで来たけれど、もう既に入口は閉ざされていた。

「マジかー!」
「入場は19:30までって書いてる!」

 遥は息を切らしながら言った。
 ぼくたちは諦めてとりあえず外に出た。
 だったら、ここに着く前から一番目立っていたあの日本一の観覧車に乗ろうじゃないか、ということになった。
 時間はもう20時前だったけれど人は多く、そのほとんどがカップルのように見えた。
 遥は携帯を取り出して、華やかなイルミネーションを纏った日本一の観覧車の写真を何枚も撮りながら「亮太も一緒に撮ろうや」と、少し離れた所でその様子を見ていたぼくを呼んだ。
 近づくと、遥はぼくのジャケットを引っ張って自分の横に立たせ、観覧車を背景に自画撮りで「はい! チーズ!」と言ってシャッターを切った。
 次の瞬間、遥の携帯が着信を知らせる画面に変わった。
 彼女は一瞬、目を大きく見開いてから「ちょっと、待ってて」と静かに言って、僕から離れた。

「もしもし……」と言う声の後は、テーマパーク特有の騒がしい音や声に紛れて聞こえなかった。



「ドア閉まりまーす!」

 ぼくよりも若そうなスタッフの男の子が元気よく言うと、ドアは勢いよく閉まった。
 小さくまとまった空間で、こうやって遥と向かい合わせに座るのはこれが初めてのことだったので、少しの緊張と何とも言えない違和感を覚えた。
 まあ、スペース的には車の中とさほど変わらないのだけれど。

「わ~夜景めっちゃ綺麗やん!!

 遥はぼくの背中の方向に見える大阪の夜景を見て興奮していた。
 ぼくは座ったまま体を後ろにねじってその景色を見た。

「せやろ? よかったやろ? ここに来て」
「うん。最高やわ。亮太これ乗ったことあったん?」

 僕は前に向き直った。
 遥は満面の笑みだった。

「いや。初めてやで」
「なんや。知ったかぶりかいな」
「でもここの観覧車が日本一っていうのは知ってたやん」

 遥は後ろを振り向いて、今度は自分の背中の景色を眺めた。
 ゴンドラはゆっくりと頂上を目指して昇って行く。

「なあ、東京ってあっちの方角やんな?」
「そうやで。けど、そんなんやって見てても東京までは見えへんと思うで」
「わかってるわ! ただ……遠いなあって思っただけやん」

 彼女はしばらく動かず、そっちの夜景をジッと眺めていた。
 遥が仕事の異動で東京に引っ越してからもうすぐ半年が経つ。
 たまに電話とかで話してても、彼女は一切弱音を吐かない。だけど、遥の背中を見ていると、東京での一人暮らしはやっぱり寂しいんやろなと思い、ぼくは一人やりきれない気持ちになった。

「そういえば、真崎(まさき)って奴おったやん? めちゃめちゃギター上手かった奴。一緒のクラスにはなってないと思うけど、覚えてる?」
「真崎? 誰それ? 知らんわ」

 遥はぼくに背中を向けたまま答えた。

「ほら、文化祭の時、有志バンドで一番盛り上がってたバンドのギターボーカルやってた……」
「あ~……ライラ? レイラ?  やったっけ? 確か。バンド名」
「そうそう。LAYRA(ライラ)な。よう覚えてるやん」
「杏奈に見に行こうって誘われて連れて行かれたんよ。あ、また出てきたな。杏奈」
「杏奈ちゃんはもうええけど。あ、電話忘れたらあかんで? もう忘れてたやろ?」
「覚えてるし」
「ほんまかいな。ま、ええけど。ほんでな、その真崎も今東京行ってるらしいんよ。音楽で」
「そうなんや。別に興味ないけどな」

 本当に興味なさそうな言い方だった。そして、同じ口調で続けた。

「それがどないしたん?」
「あ、いや……行きたくて行ってる人も、行きたくなくて行ってる人も居てるけど……まあ、東京ってそういうとこなんやろ? 今は辛いかもやけど……。おれはいつも大阪(ここ)に居てるし、帰って来たくなったらまた今日みたいにいつでも気軽に帰ってきたらいいし……」
「カッコつけんな……似合わんで」
「うるさいわ……まあ、いつでもちゃんと家まで送ったるから」

 ゴンドラはもうすぐ頂上に辿り着きそうだった。
 そのことに気付いた遥が振り返り、興奮気味に言った。

「亮太! ほら、頂上やで!」

 それからしばらく彼女は窓から見える360°の景色に意識を奪われていた。
 すると突然、携帯を手に持って立ち上がり「記念撮影しとかな」と向かい合わせに座っていた僕の隣にさっと移動した。
 そして「夜景もちゃんと写るかな?」と言いながら、観覧車の下で撮った時と同じように自撮りで撮影した。

「おれなんかと撮ってどないするん? 和也に怒られるで」
「大丈夫やって」
「は? 遥が大丈夫でもそれもし見られたらおれがあいつに怒られるやん」
「だから大丈夫やって。うちら別れたもん。さっきの電話で。まあ、うちが東京に異動なってからは一回しか会ってなかったから、実際、もうとっくに終わってたんやけど……これでやっとスッキリした。やっぱ遠距離は無理なんやって」



 そんな今日の出来事を思い返しながら運転していると、ふと『首都高3渋谷 5km』の標識が視界に入ってきて、ぼくは焦って我に返った。
 助手席の遥は相変わらず姿勢よく、首だけを横に倒して眠り続けている。
 時計を見ると5:17だった。
 ギリギリだけど、なんとか間に合いそうだ。

「遥、起きろ」

 ぼくは今日初めて、遥を起こした。

「う……ん。何? 富士山?」
「何寝ぼけてんねん。もうすぐ首都高入るで」
「あれぇ? 富士山はぁ?」
「そんなんもうとっくに通り過ぎたわ。何言うてんねん、今頃。さっき海老名のサービスエリアやったやろ? 海老名は横浜の手前やで」

 ぼくが言うと、遥は素早く体を起こして、さっきまで開いているのかどうかも微妙だった目をパッチリと見開いた。

「え!? マジで!?
「うん、マジで」
「うち、富士山見たかったのに!! なんで起こしてくれへんのよ」
「そんなん知らんし。ずっと寝てるやつが悪い」
「ああ……富士山」

 遥は空気が抜けた風船のようにシートに深くもたれてうなだれた。

「それより首都高入ってからどこで降りたらいいん?」
「やから……目黒やってば」
「目黒出口ってあるん?」
「知らん。ナビに聞いて。うち車乗らんもん」

 遥の言うことはあんまりあてにならない感じだったけど「目黒に着いたらわかるから」と、それだけは自信満々に言うので、ぼくはその言葉を信じて目黒出口で首都高を降りた。
 一般道路に入ると、遥は窓の外を流れる景色から現在位置を確認しているようだった。

「どうなん? マンションまでちゃんと道案内してや」

 ぼくがチラッと横目で見ると、遥はピースサインをして微笑んだ。
 それから少し遅れて「まだ真っすぐやから」と静かに言った。
 車内の時計を見ると、時間は5:30だった。
 もうすぐ夜が明ける。

 ──急がないと。

「小さい頃から知ってる友達に自分の家までの道教えるとか、なんか変な感じやわ」
「そんなん言うてもおれ東京初めてやし遥の家も知らんもん、当然やん」
「それはそうやけど。ちゃうねん。大阪をドライブしてた時は、すごく身近に感じたのに、こっちに来たら亮太がすごく遠い人に感じるねん。昨日と今日でうちらは何にも変わってないのにな。遠距離恋愛が続かへん理由ってこれなんちゃうかな? って思うねん」
「それは気持ちの問題じゃないん? おれはそうは思わへんで。遥はどこ行ってもおれが昔から知ってる遥やし、おれはおれやん。やから、距離と時間は別やって言うてるやろ?」
「またそれ言うてる……。でも、道案内するんはやっぱり寂しいわ」

 遥は窓の外を流れる景色を遠い目で見ながら、溜息なようなものをひとつ吐いた。

「じゃ、道ちゃんと覚えとくから。今度、大阪に来た時は家に着くまで寝てていいで」
「もう……寝らへんもん」

 車は高架道路を上り始めていて、その頂上の向こうには幾つも並ぶビルの輪郭の間から、東京の空に浮かぶ暁月が見えていた。

 東京の空? 大阪の空? ぼくには違いがわからない。

「ごめん、亮太」
「どうしたん?」
「この高架をさ……上る前の交差点、左に曲がらなあかんかったと思う」
「え、ほんまに?」
「ほんま」

 ついさっきまで濃紺に見えていた夜空が、今は僅かに明るくなり始めている。

 ──急がなければ。

「ていうかさ、東京に着くの早くない?」
「だって、夜明けの色は──距離を感じてしまうから」

 ぼくはまた、アクセルを踏む右足に力を入れた。
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